村の籤屋さん

呉万層

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1:愛されない籤屋さんと、挑戦しないギャンブラー

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 田舎における刺激やイベントの少なさは、都会人の想像を絶するに違いない。



 小笠原諸島の小島・子宇女村の村役場で、庶務という名の雑用係をしている山県健太郎は、都会人への偏見を滲ませた思考を弄んでいた。



 周囲には、畑と山と松の木、梅林で構成される〝何もない〟のみが存在しているかのような、田舎そのものの情景が広がっていた。



 程度の低い田舎者がする精神活動としては、相応しい状況だ。



「都会人が抱く偏屈な田舎者みたいだな」



 健太郎は、細い見た目とは対照的な、低い声で呟いた。
 真剣でない自嘲は、健太郎の日課だった。



 薄く貼った雲のせいで、夕刻というには妙に薄暗い。ノスタルジックというよりも、禍々しいと形容されるべき夕日が照す中、健太郎は益体のない考えを脳内で満たしていた。



 健太郎の背後には、健太郎と顔見しりの――そもそも島で知らない顔はいない――大人と幼い男女が数人、二つの対象を、盗み見ていた。



 堂々と見ている子供はともかく、用もないのに立ち尽くしている大人の姿は、いかにも不自然だった。



 村人たちは、視線の九割に期待という名の無責任な圧力を乗せて、健太郎の背中へ向けて放出している。もう一割の視線の先には、奇妙な屋台があった。
 村人が恐怖と好奇心を込めて窺う、村における数少ない刺激の元にして最大の特徴である〝籤屋〟だ。



 屋台に座る籤屋は、垢と泥で薄汚れたシャツとベージュの腹巻、シミの浮いたステテコをはいた初老の男の姿をとって、現れていた。
 これで、メガネにチョビヒゲを揃えていれば、昭和初期の中年オヤジの見本として、博物館に送りたくなるような外見をしていた。



 残念ながら、鼻の下には小汚い無精ヒゲが口の横まで薄く生え、目元は深く被った麦わら帽子の所為で、誰にも確認できなかった。



 ようやく見える顔の下半分には、ベテランの歯科医ですら顔を背けるのではと危ぐするほどに悪い歯並びの目立つ、両端の釣り上がった口元だけが見えていた。
 恐らく笑っているのだろうが、どの角度から見ても、表情を完全には視認できなかった。



 籤屋が座る屋台は、古めかしいが造りの良い、黒檀製の如何にも頑丈そうな代物で、砂と雑草で構成された二畳ほどの土地を、不当に専有していた。



 屋根からは薄紫の布が垂れ下がって屋台の側背を覆い、健太郎と籤屋を隔てる木製の平たい台は薄茶色で、投票箱に似た木箱が箱がポツンと置かれている。少し顔を上に向ければ〝籤〟と、達筆で書かれた白い布が垂れ下がり、目を引いた。



「よお、兄さん。また、来たんだ。他に用事はないの? ほら、色っぽい約束とかさ? 若いんだから、ねえ?」



 クレイアニメを思わせるぎこちない動作で、籤屋は小指を掲げて見せる。籤屋の声は、やや金属質な高音で、下世話な内容によりもよほど気に障る声をしていた。



 ちぐはぐな言動をする不気味な籤屋に対して、健太郎は、ありふれた中年親父と話しているかのように、あいまいな苦笑で答えた。



「いやあ、全くないんですよ、これが。出会いがあればいいんですけどね」



 皆が知り合いの島では、出会いなどないと知りつつ、健太郎は頭を掻いた。



 健太郎の住む子宇女村には、二つの特徴がある。対外的には、特産の梅酒造りを支える梅の林だけが唯一の特徴だが、隠されたもう一つの特徴があった。



 村人だけが知る籤屋の存在だ。



 籤屋はその名の通り、籤を提供する存在だ。



 それも、ただの籤ではない。籤を引く本人に属する事柄であれば、賭け禄としてベットし、籤を引く権利を得られるというものだ。



 籤を引いて当たりを出せば、賭けた事柄に見合った利益を得、ハズレを引けば、賭けたものを失ったり変化させられたりする。他にも特殊な籤や、大当り、大ハズレもあるそうだが、村民に見た者はいなっかった。



 不思議で、不可解な話だが、事実だった。



 郷土資料の記録が示唆するところでは、村の有力者である相良家など、江戸時代の昔から、籤屋で利益を得た者は少なくない。



 勿論、表に出ないだけで、大金や、金以外の大切な者や物を失った者もいるらしい。にわかには信じ難い記録だ。



 しかし、村には健太郎以外に、実際に籤を引いたと噂される者が、数名ばかり存在した。



 村では、籤を引く行為は忌み嫌われている。そのためか、郷土資料に籤屋の記述はあるが、籤を引いたと示唆する記述はあっても、明記はされていなかった。



 村人は、快く思っていないか、利益を得てもおこぼれを寄越さない隣人を見た際に、籤屋の存在を囁き合う。いい大人たちが首を振ったり、口を抑えたりする。嫌味ったらしく粘着質な動作をして、揶揄するのだ。



 堂々と籤を引く健太郎などは、完全な異端者で、本来なら罰当たりとされて、村八分になっていたところだ。



 健太郎は背後に視線を巡らせる。今日は珍しく、見物人は少ない。近所の――といっても田舎の感覚でいう近所の――子供が、三人いるだけだ。



 いつものように、愛用の黒い革財布を取り出すと、健太郎は百円玉を取り出し、籤屋に差し出した。



「籤、一回お願いします」



「お兄さん、今日も百円賭けかい? セコイなー。たまには、手足の一本や二本、賭けてみないかい? スリルがあって、楽しいよ。勿論、健康とか金運とか命とかを、賭けてもらって構わないけどさ」



 籤屋は掠れて抑制のない金属音のする声で、健太郎が出した最低限のベットに対し、物騒な内容で言葉を返した。



 ただ籤を引くだけというのに、随分と恐ろしげな提案がなされた。
 普通に考えればブラック・ジョークと見るべきだろうが、籤屋の言う手足云々、健康云々は冗談ではない。籤屋は至って本気だと、健太郎は知っていた。



「そーだそーだ」



「健太郎、いっつも百円じゃ、籤屋さんがいなくなっちまうぞ」



「せっかく場所を教えてやったのに、また百円かよー」



 不躾だが正直なギャラリーから、ヤジが飛ぶ。煽る言葉ほど、期待は感じられない。子供たちも、分かっているのだろう。健太郎が、危ない橋を渡らない類の人間である、と。
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