村の籤屋さん

呉万層

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2:立場

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 日本人は、ギャンブルが好きな国民だ。



 古くは、寺が発行していた富籤にのめり込む長屋の女房について書かれた、江戸時代の本がある。現代でも、子供を真夏の車内に放置してまでパチンコ屋に並ぶ紳士淑女たちや、夏祭りの籤引き屋に毎年騙され続ける子供たちの姿を見れば、正しい主張だとわかるだろう。


 健太郎もギャンブルが好きだ。



 危険を犯すほどのめり込まないようにしながら、嗜む程度に楽しんでいた。



 今は見向きもしないが、競馬がそうだった。



 一応は東京都の管轄であるものの、子宇女村は小さな島に、岩の苔のようにへばりつく辺鄙な村に過ぎない。



 そんな不便極まる田舎に、わざわざ引っ越してきた、物好きな若い女がいた。



 東京から来たと称する女は、村で唯一の喫茶店を、採算度外視で営みはじめた。



 以来、辺鄙な田舎である子宇女村で、女は受け入れられていた。



 余所者の女は、喫茶店という形で、公会堂の他にはなかった村人の溜まり場を提供した。たまに村人の要求に答えて嫌々ながら開帳する競馬のノミ行為により、暖かく迎え入れられた。



 村の常識が通用するかわからない余所者を、健太郎は恐れていた。だが、他人に面と向かって文句も言えない性格だし、なにより競馬も嫌ってはいなかった。



 喫茶店には、ノミ行為だけを目的に通っていたが、半年もすると寄り付かなくなった。あまりに他の村人が多く、しかも、数百年前から延々と続く、村内政治における派閥争いを、テーブルの占拠でもって行い始めたためだ。



 元々競馬に賭ける金は四桁に届かないセコイものだったため、健太郎に未練はなく、あっさりとフェードアウトした。



 健太郎が籤屋に通う動機は、他の村人に邪魔をされないで、貴重な刺激を楽しめるからだった。



「じゃあ、引きますね」



「はいよ」



 差し出された木箱へ、籤屋の口から放たれる名状し難い口臭を気にしながら、健太郎は手を伸ばした。



 それにしても、籤屋は歯並びが悪いのに、何故こんなに歯が白いのだろう? 



 三角形の紙の籤が堆積してできた地層を、手首のスナップを使って掻き回す。籤を引く際、最も楽しい時間だった。



 バカラで、札を捲る役を担う大口の客と、同じようなものだろう。本来なら、小市民の健太郎には、味わう機会のない特別な気分だ。



「健太郎、もったいぶるな」



「ぶるなー」



 ギャラリーの子供たちが、また野次を飛ばす中、健太郎は籤を握った手を箱から取り出す。引いた籤を、雀士がリーチ棒を掴むように持ち、籤屋へ向けて押し出した。



 籤屋の腕が、獲物を捕らえるイカの触手じみた鋭さで伸びて、籤を受け取り、開いた。



「当たーりー」



 籤屋が、金属的でありながら、どこか気の抜けた声で祝福した。



 心のこもらない、金属質な声色の祝福とは、いつ聞いても興味深いな。健太郎は無言のままに思った。



「おおー」



「当たったー」



 子供たちも、笑顔と拍手で、健太郎への温い賞賛の意を表した。



 健太郎は、子供たちのまばらな囃子を背に、籤屋から賞金を、彼なりに格好をつけて受け取った。



「はい、賭け禄の百円と、当たった分の百円だよ」



 籤屋は、健太郎が籤を引く前に差し出した百円玉と、手の平から生えた百円玉を、手渡してきた。



「ありがとう」



 健太郎は小銭を受け取ると、踵を返した。



「おいおい。お兄さん。今日も一回で帰るのかい? 百円ぽっちの当たりじゃあ、満足できないだろう。今度はもっとデッカイ勝負なんて、どうだい? 大当たりするかもしれないぞ。そうすりゃあ、お兄さんは億万長者も夢じゃないし、好きな娘と会えるかもしれないよ」



 おいすがる籤屋に、健太郎は減らず口で応じる。



「見切り千両さ」



「千両だって? いいところ三文じゃないか」



 クジ屋は、肩をすくめた。



 チェーンソーが、大木を嚙んだような音がした。



 なんて音だすんだ。



 健太郎が戦慄していると、子供たちからヤジが飛ぶ。



「セコイぞー」



「健太郎~もっとデカく賭けろよ。男だろ」



 野次は、放っている子供たちだけの意見ではない。子供たち以外は口に出こそさないものの、野次の内容は、村民の総意といっていい。見物に来る村人たちの、事件を期待する横目使いを見れば、わかろうというものだ。



 無理もない。なにせ、この村で刺激といえば、週に一回開帳される競馬のノミ屋と、健太郎の引く不可思議な籤だけだ。



 だから毎日のように、籤屋の出没先を探り当てては、大人は陰に、子供は陽に、健太郎へ屋台の場所を伝える。



 後は、健太郎が気まぐれを起こして、身体生命を賭けるような籤を引きはしないかと期待しつつ見守るのだ。



 籤屋と健太郎は邂逅し、鼠村人の胸を躍らせるイベントとなるわけだ。



 健太郎をけしかけておきながら、村人たちは決して籤を引かない。どころか、強く意識しながら、普段は籤屋の存在を無視していた。



 村における籤屋の立ち位置は、本来、恐るべき・忌むべき物であり、村で自分から籤屋に話しかける者は、健太郎ただ一人だった。



 少なくとも、表向きは。



 冗談ではない。健太郎は村人たちに、嫌悪と軽侮の感情があった。そんなに気になるなら、お前たちが引けばいいだろうと、もっともな感想を持っていた。



「今度ね」



 だが、村役場の下っ端職員で、田舎と卑下する郷里を出る度胸も才覚もないとされる健太郎の立場上、素直な心情を表に出すわけにはいかなかった。



 田舎の人間関係は狭い、村民と良好な関係を築けなければ、村におけるあらゆる不条理を押し付けるためのサンドバッグにされかねないからだ。



 村人の誰かに不都合があれば、因果関係がなくとも、原因や犯人扱いされるみじめな立場が待っている。



 村には〝村八分〟の言葉を体現したような哀れな下層民者たちが、数家族いる。冷たい視線と共に、あらゆる公的サービスや互助の恩恵を得られない者たちが。仲間入りは、誰であっても御免被ると言うだろう。



 それに、農作物や魚介類の差し入れを持ってきてくれる村民との関係は、良好に保つだけの価値があった。



 結局、直接的な子供の揶揄や罵倒には、モンスター・ペアレントに対して悩む塾講師のように、あいまいな態度でやり過ごす他なかった。



「今度って、いつだよ」



 子供の一人からしつこくツッコミが入ると「俺は、遊園地へ連れて行く約束を破り続けるお父さんか」と言ってやりたい気持ちを、健太郎は大した努力もなく抑えた。



 とりあえず、頭を掻いて見せるが、子供たちは誤魔化されない。



「明日こそ。もっと賭けろよ」



「せめて、千円くらい出せよ」



 頭をかく手と同様、健太郎はゆっくりとした動作で歩き始める。



「また来てね~」



 二百円を握り締め、健太郎は背中に向けられる子供たちの視線と罵声、籤屋の挨拶を軽く聞き流し、その場を後にした。



 勝利して後、逃げるように帰るという醜態も、最近の健太郎には、慣れたものだった。心地いいとは、もちろん言えなかったが。
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