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五話 選択肢

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※※※
 シティ・ロドルナは【人狼】の親子を拒絶しない。
 しかし、シティ・ロドルナに流れ着いてからも、リアムは飢餓に悩まされていた。身体は生きたいと抗うように、胃をギリギリと引き絞り、痛みを主張する。
 裏路地街エンドフロアでも、さらに荒れ果てたあばら家に、母と息をひそめた暮らしは、楽ではない。
 昼はリアムが外にでて物乞いをし、夜になれば昼間は寝ていた母が、身体を売りに行く。
 そのころには親子の会話はほとんどなかった。目を覚ますと、具が溶け冷え切ったスープと固いパンが、枕元に置かれ、リアムは母の眠る背中を見つめながら、それらを貪った。
 丸まった背中は規則正しく上下に揺れている。母の精一杯の施しを、リアムは申し訳なさを噛みしめながら飲み込んだ。

 自分がいなければ、母は今でも群れで、憂いなく過ごせていたに違いない。

 いつ、見捨てられるのか。

 起きている間はずっと罪悪感に押しつぶされそうで、眠りにつく瞬間だけ、リアムは穏やかでいられた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」
 肺が慣れない運動に悲鳴をあげる。リアムは口を思い切り開けて、空気を取り込んだ。 両手に新鮮な果物を抱え、裸足で泥道を駆ける。

 ――今日は、うまく、いった。

 シティ•ロドルナに流れ着き、数年が経っていた。母が床に伏せるようになってから、誕生日を祝ってもらう習慣は失せ、自分がいくつかなのか、分からなくなっていた。
 
 今度は自分が母を喜ばせたい。
 リアムの脳内は喜ぶ母の笑顔で満たされている。罪の意識などで腹が膨れるものではない。そう言い聞かせ、屋根の抜けた我が家に飛び込む。

「母さん、見て!こんなに立派なリンゴが……」

 屋根の隙間から差し込む陽光は、いつも母が眠る床を照らし出していた。
 しかし、肝心の彼女はいない。埃が線上にキラキラと煌めいているだけだ。
 それはまるで母が天に召されたような、神々しい光景で――。
 リアムは腕のなかの真っ赤な果物を放り出し、両手を振り回しながら、狭い路地を走った。

「母さん!どこ!ねえ!」

 遠くに出歩く体力は残されていなかったはずなのに。
 御馳走だったスープとパンを母から貰うことができなくなり、リアムは盗みを働くようになったのだ。

「クソガキ、どこいった!」

 路地を駆けずり回っていると、右手の横道から、目尻を釣り上げた露店の主人が現れ、危うく鉢合わせしそうになる。物陰に隠れたリアムは、あばら家でほとぼりが冷めるのを待つことにした。
 一人になると、狭い小屋の中は急に広く感じた。
 リアムは床に尻をつけたまま動けなくなる。床に放り出した果物は、跡形もなくどこかに消えていた。

 ――ついに、母さんは僕を捨てたのか。

 理解はしても納得はできない。
 あんなに自分を見捨ててくれと願っていながら、いざ現実になれば後悔しかない。
 もっといい子にしていれば、もっとたくさん食べ物を持って帰ってきていれば。
 ああすればよかった、こうすればよかった。
 リアムは過去に囚われ、時間の間隔を忘れていった。

「おい、生きてるか」

 カンテラの灯りに、リアムの瞳孔は痛みを訴え、反射的に顔を両手で覆った。
 灯りを持つ人物は、女のようだ。入り口から後退あとずさるリアムと視線を合わせるように女はしゃがみ込んだ。
 女が首を傾げると、カンテラの灯りに照らされた赤毛が、炎のように揺らめく。

「アンタ、レナの息子か?」
 リアムはじっと膝をかかえ沈黙した。
「取って食おうとしているわけじゃないさ。……アンタの母親、アタシの店にツケがあって、それを返しきってないわけ。どこにいんのか教えてくんない?」
「いない」
「え」

 女は細い眉をきゅっと吊り上げた。怯えながらも、リアムは「いなくなった」と消え入りそうな声で、はっきり答える。
「なんだい。母ちゃんに捨てられて落ち込んでんのか。……なら、アンタが母親のツケ、返しな」
「どうやって……」

 まさか奴隷商人に売られるのだろうか。その前に【人狼】だと知れてしまったら、どうなるのだろう。
 ぶるぶると身体を震わせるリアムを、女は唇を三日月型に歪め、猫なで声で言った。
「しっかり働くなら悪いようにはしないさ。アタシは働き者が何よりも好きだからね」

※※※
 ――まさか、酒場で働くことになるとは思わなかったなあ。

 まともに仕事にありついたことのないリアムに、ジャズはイチから行儀を叩き込んだ。借金の額は教えられておらず、いつまで酒場で働けばいいのか分からない。返済し終わっても、リアムはジャズが許す限り、『フリッカー』に恩返ししようと誓っていた。
 
 探し求める香りが、リアムを現実に引き戻す。
 すぐさま振り向き、顎を反らせて、通り過ぎた路地に意識を集中させた。
「どうした……?」
 先行していたヴィクターが、リアムの傍らに戻ってくる。多くの人が迷惑そうに、二人を避けていた。

「あの路地からか?」
「……だと思います」

 そこは二日前に調べた区画だった。富裕層街アッパーフロアの住人御用達の商店が並ぶ通りで、リアムは居心地悪い思いをした。だからといって、手を抜いたわけではないが、見落としていたのだろうか。 怯むリアムをよそに、ヴィクターは「行くぞ」と促す。
 道端で日傘を傾けた貴婦人たちが口許を隠し、リアムをちらちらと見て何事か囁きあっていた。
 くたびれた服装に不釣り合いな制帽姿のリアムを、嘲笑っているのかもしれない。

「俺がいるんだ。堂々としていろ」

 ヴィクターは大股で颯爽と通りを進む。
 前を行く蜂蜜色の髪が、リアムを勇気づけるように揺れていた。彼なりの気遣いに、リアムは肩の力を抜く。

 ――ヴィクターさんの気持ちを無駄にしちゃ、駄目だ。

 リアムは深呼吸した。
 すると、今まで感知したことのない強烈な香りが脳内に響く。いや、求めている臭いに間違いはないのだが、あまりにも臭いすぎる。
 びくりと身体を震わせたリアムに、ヴィクターも反応し、「見つけたのか?」と急かしてくる。
 リアムは引き寄せられるまま、臭いの跡を辿った。きらびやかな宝飾店や服飾店、落ち着いたレストランを横目にどんどん先を急ぐ。最後は小走りになって人の波をかき分けた。
 立ち止まった先には、

「肉屋……?」

 装飾の細かなガラスが埋め込まれた扉に、リアムは小首を傾げた。
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