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1.無能な女魔王、勇者という名の【魔族殺し】に出会う
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「魔神の末裔である我の血を引きながら、初歩的な術すら使えぬとは……。」
魔王は玉座から、ため息をおとした。
彼の娘――シャルティは、手のひらを贄にかざしたまま呆然とする。
彼女は十歳の誕生日を迎え、お披露目の儀に臨んでいた。手足を縛られ床に転がる人族の少女――【贄】を魔術で焼き殺せば、儀式は完了し、次期魔王としての一歩を踏み出せる。
しかし。
(魔術が発動しない……。なぜ?)
意識を集中し魔力を練る。しかし、ほっそりとした指先に変化はない。
猿轡を噛まされた金髪の少女は、慈悲を乞うように青い瞳に涙を浮かべた。泣きたいのはこちらのほうだと、シャルティは額に脂汗を滲ませ歯噛みする。
時間が経つにつれ、父の配下たちは、ひそひそと囁き始めた。
――姫様の魔力量は魔王様を凌駕しているはずだが……?
――宝の持ち腐れとはこのことだな。
――青い燐光を纏いし銀髪とアメジストの瞳をもつ乙女なのに。
――魔神に瓜二つで魔術が使えないってなると……。
――魔王様、お可哀想に。
――あれが我らの長になるのか……。先が思いやられるわ。
昨日までシャルティを【姫様】と持て囃していた配下たちは、苦笑、嘲笑を浮かべる。
左右のこめかみから伸びる自慢の巻き角が重く感じられ、シャルティは俯いた。
この瞬間、シャルティは【無能】の烙印を刻まれた。
そして月日は流れ、十年後――。
(不吉な夢を見てしまったわ……)
目覚めたシャルティは、思い出したくもない記憶を消そうと、瞼をぎゅっと閉じた。
地下牢の石畳でうずくまったままでいると、扉の隙間から何者かが忍び込んだ。暗い牢内に人影がぼんやりと浮かびあがる。
純白のマントにプラチナの鎧をまとう青年は、横たわるシャルティの目と鼻の先で立ち止まった。
彼は魔族の宿敵、人族の勇者である。
名はローレンス。二つ名は【魔族殺しの魔人】。
二年前の戦で、多くの同胞を虐殺した狂人である。
勇者は魔族と見れば無差別に首を刎ねる。しかし彼の装備に、返り血はついていない。彼が魔族に遭遇していない証拠である。
シャルティは胸をなでおろした。
(皆、無事に城から撤退できたようね。ならば後は勇者を亡き者にするだけ……)
シャルティはアメジスト色の瞳を細め、微笑んだ。
「勇者よ。魔王である私の首が欲しければ好きにするがいい」
第十代魔王、シャルティ・ドルネアとして、同族の盾になり生涯を終えることができるなら本望だ。
お披露目の儀に失敗したシャルティは地下牢に幽閉された。
枷と鎖で繋がれると同時に、魔力がごっそりと吸い取られ、意識を失いそうになる。
混乱と恐怖で身体が動かない。
時間の感覚が判然としなくなった頃。
地下牢を監視する門番たちの会話が耳に入った。
『姫様のお陰で暮らしが楽になったな』
『ああ、自分の魔力を使わなくていいのが、こんなにも快適だとはな。俺たちで有効に使ってやってるんだ。姫様もさぞ喜んでいらっしゃるだろうよ』
『違えねえ。……って姫様、死にそうだけどな』
大きな嗤い声に交じって聞こえる事実に、シャルティは己の存在意義を悟った。自分は魔力供給源として生かされているのだ、と。
幽閉されてから五年後。魔王が亡くなり、シャルティは父から名ばかりの王位を継いだ。
先代魔王に仕えた臣下たちは、滞りなく国を治めている。
シャルティにできることといえば、地下牢の暗い天井を見上げ、魔族の繁栄を願うことのみ。
後ろめたさに押しつぶされそうになるも、どうすることもできなかった。
それが今、勇者を引き付けることで、王の責務を果たせている。同胞たちに今まで生かしてもらった恩返しができるのだ。
シャルティは不敵に笑った。
一方、勇者はシャルティを凝視したまま、石像のように固まった。精悍な顔つきには表情というものが抜け落ちている。
魔王であるシャルティに、いまさら怖気づいたのか。
それならば好都合と、シャルティは巻き角に魔力を込める。
十年に渡り魔力を吸い取られ続けてきたものの、シャルティは魔力量をコントロールする術を身に着けていた。
戒めに与える魔力とは別に体内に魔力を溜めこんでいる。
魔術は使えない。けれど、魔力を暴走させることはできる。勇者ともども自爆する覚悟を決めた、その時――。
ローレンスは目にも留まらぬ速さで間合いを詰め、シャルティの角を長い指先でそっと包み込んだ。
(愚かな)
魔力は人族にとって毒だ。勇者とはいえ生身で触れれば、タダでは済まないだろう。魔力を暴走させるまでもない。
シャルティは乳白色に輝く角越しに、ローレンスの指が溶け落ちる様を想像し、ほくそ笑んだ。
しかし。
その手が醜く溶け落ちることはなかった。
ローレンスはさらにきつく角を握りしめる。角を通して彼の体温が伝わり、シャルティは肩を跳ね上げた。振りほどこうとしても、ローレンスの膂力はすさまじく、びくともしない。
(な、な、なんなの、この生き物は……)
シャルティが恐怖を覚え始めたと同時に、ローレンスは口を開いた。
「君の名前は?」
「へ?」
揺るがない青い瞳の迫力に「シャ、シャルティよ」と答えると、ローレンスはにっこりと微笑んだ。
「いい名だ。俺はローレンス。よろしく、シャルティ」
透き通った声音は、砂糖菓子のように甘く、切れ長の瞳は柔和に細められた。
邪悪さの欠片もない青年である。
配下たちからの報告と人相が違いすぎ、シャルティは思わず、
「……【魔人】よ。なんのつもりだ」
「【魔人】? 魔王にそう呼ばれるのは、なんだか笑えるね」
ローレンスは眉尻をさげ、苦笑した。敵意のなさに、シャルティは虚をつかれる。
「できれば勇者って認識でいてほしいところだけど……。いやいやそんなことより、君の角、素晴らしいね!」
ローレンスは鼻息荒く、巻き角を何度も撫でさする。恍惚とした表情は常人のそれではない。
(勇者は魔族が憎くないの……? いや、私を油断させるための演技かもしれないわ)
であれば、下手に動くべきではない。
シャルティはローレンスを刺激しないよう、されるがまま角を弄らせた。
「この渦の形が絶妙だ。お手入れ大変でしょう? え、何もしてないの! 角って乾燥しやすいのに。信じられない。あー、吸い付くようなしっとり感、いつまでも触っていたい……」
シャルティの巻き角を手中に収めたまま、ローレンスはぶつぶつ呟いた。
「魔王の角がこれほど洗練された代物とはね。いや、殺すのは惜しい。けど、陛下の命も無視はできないなあ……」
まるで気に入りのおもちゃを見つけ、どうすれば手に入れることができるのか、途方に暮れる子どものようだ。
演技ではなく、ローレンスはただの角好きなのかもしれない。
もしくはシャルティの魔力にあてられ、気が触れたのだ。
シャルティは真面目に相手をするのをやめ、ローレンスを睨みあげた。
「私を侮辱し続けるのも、いい加減に、」
「よし、決めた!」
シャルティの我慢が限界に達した直後、ローレンスは満面の笑みを浮かべる。
「俺は君が欲しい」
こいつは何を言っているんだ。
言葉にせずとも気持ちは伝わったのか、ローレンスは「あ、これじゃあ伝わらないか」と咳払いをした。
「シャルティ、俺と結婚してくれないか……?」
(私をどれだけ揶揄えば、気が済むのかしら)
勇者を亡き者にしようとシャルティは命を賭けている。勇者の戯言に付き合うつもりはない。
「寝言は寝てから言えっ!」
あらんかぎりの力を込めてローレンスの手を振り払うと、勇者はあっけなくシャルティを解放した。
「冗談で魔族相手にプロポーズしないよ。君は仲間から大事にされていないようだし、俺がもらっても問題はないと思うんだけどな」
ローレンスは笑顔をひっこめ、シャルティの足元に視線を走らせる。
擦り切れた黒衣のドレスから覗く、ほっそりとした足首には、太い枷が嵌められている。枷からは鎖が伸び、その先は天井に穿たれた楔へと続いていた。
ローレンスは錆びついた鎖を持ち上げ、
「この鎖、即席で用意したものとは思えない。短くても数年……。君はここに閉じ込められているんじゃないのか?」
ローレンスは、笑顔で意地の悪い質問をする。
彼に真実を伝える義理などない。
シャルティは彼から目をそらした。ローレンスは鎖を弄りながら、気にした風もなく語り続ける。
「君ほどの魔力があれば、俺が地下牢に侵入した時点で、なぜ攻撃しなかったんだい?」
魔族との戦闘経験が豊富なローレンスが、不思議に思うのも無理はない。
魔族が魔術を使うのは呼吸と同じほど容易だ。その長である魔王が術を使えないなど笑い話にもならない。
己の無能さを突き付けられ、シャルティはきゅっと唇を引き結んだ。
「攻撃しなかったんじゃなくて、できなかったんだね。城はもぬけの殻なのに、地下からは強い魔力を感じたから来てみれば……。なるほど、お仲間は君を囮にして逃げたのか」
「違うわ。私が彼らに撤退を命じたのよ!」
叫ぶシャルティに、ローレンスは笑顔を絶やさないものの、冷たく言い放った。
「戦えない王を置いて逃げ出すなんて、君のお仲間たちは獣以下だな」
「……彼らを愚弄するな」
逃げた者たちは悪くない。すべては無能なシャルティに非がある。
ローレンスは「本当にそう思うのかい?」と不思議そうに首をかしげた。
「魔族は魔術に長けている。なら自分たちで戦えばいいじゃないか。俺に敵わないと見切りをつけたとしても、主に足枷をつける必要はないだろ?」
「……私に同情したから、慈悲をかけるの?」
「いや? 君が欲しいだけさ」
ローレンスは腰の鞘から大剣を抜き、鎖にむかって一閃した。ちぎれた鎖が、重い音を立てて落ちる。続けて、もう一方の鎖も軽々と断ち切った。
名のある術師四人が魔力を込めた作り上げた鎖が、いともたやすく砕け、シャルティは目を見開く。
細く引き締まった腕から繰り出される剣戟が、頑強な魔族の肉体を両断するのも頷ける。
しかしここでは悪手だ。
鎖はシャルティの余りある魔力を吸い上げている。その戒めを解けば、増幅した魔力が逆流し、シャルティを飲み込む。
(馬鹿ね。みずから死を選ぶなんて)
シャルティは目を閉じ、魔力が溢れ出す衝撃に耐えようと待ち構えたのだが。
(魔力が流れ出さない……?)
いつまで経っても、魔力の奔流が感じられず、シャルティは「なんてこと……」と息をのんだ。
「え、鎖、切っちゃ駄目だったの?」
「……」
知らぬ間にシャルティの魔力は十年前より減少していたのだ。
魔力を暴走させることに失敗した。シャルティに切るべきカードはもうない。
相手は魔族に魔人と畏れられる勇者で、魔族を殺すことに躊躇いがない。
ただし、シャルティの角はいたく気に入っている。
(彼の要求に従っていれば、逃げた者たちに手を出さないはず……)
シャルティは覚悟を決め、ローレンスの出方を窺う。
大剣を手にしたローレンスは、相変わらず得体の知れない笑みを浮かべていた。
「さてシャルティ、俺の妻になってもらうためには、まず死んでもらうよ」
(何を言って……?)
シャルティに問いただす暇を与えず、ローレンスは踊るように得物を振り切った。
魔王は玉座から、ため息をおとした。
彼の娘――シャルティは、手のひらを贄にかざしたまま呆然とする。
彼女は十歳の誕生日を迎え、お披露目の儀に臨んでいた。手足を縛られ床に転がる人族の少女――【贄】を魔術で焼き殺せば、儀式は完了し、次期魔王としての一歩を踏み出せる。
しかし。
(魔術が発動しない……。なぜ?)
意識を集中し魔力を練る。しかし、ほっそりとした指先に変化はない。
猿轡を噛まされた金髪の少女は、慈悲を乞うように青い瞳に涙を浮かべた。泣きたいのはこちらのほうだと、シャルティは額に脂汗を滲ませ歯噛みする。
時間が経つにつれ、父の配下たちは、ひそひそと囁き始めた。
――姫様の魔力量は魔王様を凌駕しているはずだが……?
――宝の持ち腐れとはこのことだな。
――青い燐光を纏いし銀髪とアメジストの瞳をもつ乙女なのに。
――魔神に瓜二つで魔術が使えないってなると……。
――魔王様、お可哀想に。
――あれが我らの長になるのか……。先が思いやられるわ。
昨日までシャルティを【姫様】と持て囃していた配下たちは、苦笑、嘲笑を浮かべる。
左右のこめかみから伸びる自慢の巻き角が重く感じられ、シャルティは俯いた。
この瞬間、シャルティは【無能】の烙印を刻まれた。
そして月日は流れ、十年後――。
(不吉な夢を見てしまったわ……)
目覚めたシャルティは、思い出したくもない記憶を消そうと、瞼をぎゅっと閉じた。
地下牢の石畳でうずくまったままでいると、扉の隙間から何者かが忍び込んだ。暗い牢内に人影がぼんやりと浮かびあがる。
純白のマントにプラチナの鎧をまとう青年は、横たわるシャルティの目と鼻の先で立ち止まった。
彼は魔族の宿敵、人族の勇者である。
名はローレンス。二つ名は【魔族殺しの魔人】。
二年前の戦で、多くの同胞を虐殺した狂人である。
勇者は魔族と見れば無差別に首を刎ねる。しかし彼の装備に、返り血はついていない。彼が魔族に遭遇していない証拠である。
シャルティは胸をなでおろした。
(皆、無事に城から撤退できたようね。ならば後は勇者を亡き者にするだけ……)
シャルティはアメジスト色の瞳を細め、微笑んだ。
「勇者よ。魔王である私の首が欲しければ好きにするがいい」
第十代魔王、シャルティ・ドルネアとして、同族の盾になり生涯を終えることができるなら本望だ。
お披露目の儀に失敗したシャルティは地下牢に幽閉された。
枷と鎖で繋がれると同時に、魔力がごっそりと吸い取られ、意識を失いそうになる。
混乱と恐怖で身体が動かない。
時間の感覚が判然としなくなった頃。
地下牢を監視する門番たちの会話が耳に入った。
『姫様のお陰で暮らしが楽になったな』
『ああ、自分の魔力を使わなくていいのが、こんなにも快適だとはな。俺たちで有効に使ってやってるんだ。姫様もさぞ喜んでいらっしゃるだろうよ』
『違えねえ。……って姫様、死にそうだけどな』
大きな嗤い声に交じって聞こえる事実に、シャルティは己の存在意義を悟った。自分は魔力供給源として生かされているのだ、と。
幽閉されてから五年後。魔王が亡くなり、シャルティは父から名ばかりの王位を継いだ。
先代魔王に仕えた臣下たちは、滞りなく国を治めている。
シャルティにできることといえば、地下牢の暗い天井を見上げ、魔族の繁栄を願うことのみ。
後ろめたさに押しつぶされそうになるも、どうすることもできなかった。
それが今、勇者を引き付けることで、王の責務を果たせている。同胞たちに今まで生かしてもらった恩返しができるのだ。
シャルティは不敵に笑った。
一方、勇者はシャルティを凝視したまま、石像のように固まった。精悍な顔つきには表情というものが抜け落ちている。
魔王であるシャルティに、いまさら怖気づいたのか。
それならば好都合と、シャルティは巻き角に魔力を込める。
十年に渡り魔力を吸い取られ続けてきたものの、シャルティは魔力量をコントロールする術を身に着けていた。
戒めに与える魔力とは別に体内に魔力を溜めこんでいる。
魔術は使えない。けれど、魔力を暴走させることはできる。勇者ともども自爆する覚悟を決めた、その時――。
ローレンスは目にも留まらぬ速さで間合いを詰め、シャルティの角を長い指先でそっと包み込んだ。
(愚かな)
魔力は人族にとって毒だ。勇者とはいえ生身で触れれば、タダでは済まないだろう。魔力を暴走させるまでもない。
シャルティは乳白色に輝く角越しに、ローレンスの指が溶け落ちる様を想像し、ほくそ笑んだ。
しかし。
その手が醜く溶け落ちることはなかった。
ローレンスはさらにきつく角を握りしめる。角を通して彼の体温が伝わり、シャルティは肩を跳ね上げた。振りほどこうとしても、ローレンスの膂力はすさまじく、びくともしない。
(な、な、なんなの、この生き物は……)
シャルティが恐怖を覚え始めたと同時に、ローレンスは口を開いた。
「君の名前は?」
「へ?」
揺るがない青い瞳の迫力に「シャ、シャルティよ」と答えると、ローレンスはにっこりと微笑んだ。
「いい名だ。俺はローレンス。よろしく、シャルティ」
透き通った声音は、砂糖菓子のように甘く、切れ長の瞳は柔和に細められた。
邪悪さの欠片もない青年である。
配下たちからの報告と人相が違いすぎ、シャルティは思わず、
「……【魔人】よ。なんのつもりだ」
「【魔人】? 魔王にそう呼ばれるのは、なんだか笑えるね」
ローレンスは眉尻をさげ、苦笑した。敵意のなさに、シャルティは虚をつかれる。
「できれば勇者って認識でいてほしいところだけど……。いやいやそんなことより、君の角、素晴らしいね!」
ローレンスは鼻息荒く、巻き角を何度も撫でさする。恍惚とした表情は常人のそれではない。
(勇者は魔族が憎くないの……? いや、私を油断させるための演技かもしれないわ)
であれば、下手に動くべきではない。
シャルティはローレンスを刺激しないよう、されるがまま角を弄らせた。
「この渦の形が絶妙だ。お手入れ大変でしょう? え、何もしてないの! 角って乾燥しやすいのに。信じられない。あー、吸い付くようなしっとり感、いつまでも触っていたい……」
シャルティの巻き角を手中に収めたまま、ローレンスはぶつぶつ呟いた。
「魔王の角がこれほど洗練された代物とはね。いや、殺すのは惜しい。けど、陛下の命も無視はできないなあ……」
まるで気に入りのおもちゃを見つけ、どうすれば手に入れることができるのか、途方に暮れる子どものようだ。
演技ではなく、ローレンスはただの角好きなのかもしれない。
もしくはシャルティの魔力にあてられ、気が触れたのだ。
シャルティは真面目に相手をするのをやめ、ローレンスを睨みあげた。
「私を侮辱し続けるのも、いい加減に、」
「よし、決めた!」
シャルティの我慢が限界に達した直後、ローレンスは満面の笑みを浮かべる。
「俺は君が欲しい」
こいつは何を言っているんだ。
言葉にせずとも気持ちは伝わったのか、ローレンスは「あ、これじゃあ伝わらないか」と咳払いをした。
「シャルティ、俺と結婚してくれないか……?」
(私をどれだけ揶揄えば、気が済むのかしら)
勇者を亡き者にしようとシャルティは命を賭けている。勇者の戯言に付き合うつもりはない。
「寝言は寝てから言えっ!」
あらんかぎりの力を込めてローレンスの手を振り払うと、勇者はあっけなくシャルティを解放した。
「冗談で魔族相手にプロポーズしないよ。君は仲間から大事にされていないようだし、俺がもらっても問題はないと思うんだけどな」
ローレンスは笑顔をひっこめ、シャルティの足元に視線を走らせる。
擦り切れた黒衣のドレスから覗く、ほっそりとした足首には、太い枷が嵌められている。枷からは鎖が伸び、その先は天井に穿たれた楔へと続いていた。
ローレンスは錆びついた鎖を持ち上げ、
「この鎖、即席で用意したものとは思えない。短くても数年……。君はここに閉じ込められているんじゃないのか?」
ローレンスは、笑顔で意地の悪い質問をする。
彼に真実を伝える義理などない。
シャルティは彼から目をそらした。ローレンスは鎖を弄りながら、気にした風もなく語り続ける。
「君ほどの魔力があれば、俺が地下牢に侵入した時点で、なぜ攻撃しなかったんだい?」
魔族との戦闘経験が豊富なローレンスが、不思議に思うのも無理はない。
魔族が魔術を使うのは呼吸と同じほど容易だ。その長である魔王が術を使えないなど笑い話にもならない。
己の無能さを突き付けられ、シャルティはきゅっと唇を引き結んだ。
「攻撃しなかったんじゃなくて、できなかったんだね。城はもぬけの殻なのに、地下からは強い魔力を感じたから来てみれば……。なるほど、お仲間は君を囮にして逃げたのか」
「違うわ。私が彼らに撤退を命じたのよ!」
叫ぶシャルティに、ローレンスは笑顔を絶やさないものの、冷たく言い放った。
「戦えない王を置いて逃げ出すなんて、君のお仲間たちは獣以下だな」
「……彼らを愚弄するな」
逃げた者たちは悪くない。すべては無能なシャルティに非がある。
ローレンスは「本当にそう思うのかい?」と不思議そうに首をかしげた。
「魔族は魔術に長けている。なら自分たちで戦えばいいじゃないか。俺に敵わないと見切りをつけたとしても、主に足枷をつける必要はないだろ?」
「……私に同情したから、慈悲をかけるの?」
「いや? 君が欲しいだけさ」
ローレンスは腰の鞘から大剣を抜き、鎖にむかって一閃した。ちぎれた鎖が、重い音を立てて落ちる。続けて、もう一方の鎖も軽々と断ち切った。
名のある術師四人が魔力を込めた作り上げた鎖が、いともたやすく砕け、シャルティは目を見開く。
細く引き締まった腕から繰り出される剣戟が、頑強な魔族の肉体を両断するのも頷ける。
しかしここでは悪手だ。
鎖はシャルティの余りある魔力を吸い上げている。その戒めを解けば、増幅した魔力が逆流し、シャルティを飲み込む。
(馬鹿ね。みずから死を選ぶなんて)
シャルティは目を閉じ、魔力が溢れ出す衝撃に耐えようと待ち構えたのだが。
(魔力が流れ出さない……?)
いつまで経っても、魔力の奔流が感じられず、シャルティは「なんてこと……」と息をのんだ。
「え、鎖、切っちゃ駄目だったの?」
「……」
知らぬ間にシャルティの魔力は十年前より減少していたのだ。
魔力を暴走させることに失敗した。シャルティに切るべきカードはもうない。
相手は魔族に魔人と畏れられる勇者で、魔族を殺すことに躊躇いがない。
ただし、シャルティの角はいたく気に入っている。
(彼の要求に従っていれば、逃げた者たちに手を出さないはず……)
シャルティは覚悟を決め、ローレンスの出方を窺う。
大剣を手にしたローレンスは、相変わらず得体の知れない笑みを浮かべていた。
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