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第三章 王城での一月

秘密と怒り

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 話が一段落ついたところで、私は自分の視界に入った己の髪を、改めてまじまじと見下ろしてみる。一房摘まみ、窓から差し込む光に艶々と輝く様を眺めて、確かに珍しい色をしていることを今更ながらに思い知った。
 テレシアの丹念な手入れのお陰で、こんなに鮮やかに艶めいているとばかり思っていたけれど、そうではなかったのだ。それに、祭りの際にたくさんの王都の人々の姿を目にしたけれど、言われてみれば、私ほどに鮮やかな緑の髪をした人は一人も見かけなかった。

(――ん? ……あれ?)

 昨日のことを思い返していた私は、不意に引っかかりを覚えた。
 リーテの愛し子は、リーテと同じ鮮やかに艶めく緑の髪を持っている。母や私のように。言い換えればそれは、リーテの愛し子以外で、鮮やかに艶めく緑の髪を持つ者はいないと言うことで。

(もしかしなくても、私……とても目立つのでは……?)

 それこそ、クルードの愛し子であるキリアンと同程度には。一目で、リーテの愛し子と分かるくらいには。

「あの……」

 そろそろと挙手をした私に、三人の視線が集まる。

「どうした、ミリアム?」

 不思議そうに目を瞬くキリアンに向かって、私は自分の中に湧いた疑問を口に出した。

「私が母の娘だと言うことは、一部の方を除いて明かされていませんけど……この髪を見たら、一目で分かってしまいませんか……?」

 救国の乙女であるエステルの娘、カルネアーデ家直系の生き残りであると、誰も何も言わずとも、私の出自は知れてしまうのではないだろうか。
 それこそ、一目でハラルドがそれと気付いたように、三十年前の出来事を実際にその目にしたことのある人々は、昨日の祈願祭で観戦席に現れた私の姿を目にして、少なからず関連付けた筈だ。私と母エステルを。
 じっとキリアンの紅い瞳を見つめて、彼からの返答を待つ。

「……恐らく、あなたの泉の乙女姿を見た者の多くは、気付いただろうな」
「やっぱり……!」

 キリアンにあっさり肯定されて、再び私は頭を抱えた。

(詰んだ……。詰んだわ! こんなに目立ったら、ひっそり穏やかな生活なんてもう絶対無理じゃない! 行く先々で泉の乙女って指差されるわ! そんなの目立ち過ぎよ!)

 昨日、前向きに生きていく為に頑張ろうと決意した筈なのに、早くもその決意が揺らいでしまう。
 こんなにも目立つ存在だなんて、その内噂が広まって、他国の王族が会ってみたいなんて言い出しかねない。何と言っても、特に権力を持つ者は挙って欲しがる聖水を出現させたのだし。リンドナーの家名を捨てれば何とかなると思ったけれど、全然何とかなる気がしない。

 昨日の私の、考えの甘さが恨めしい。知らなかったこととは言え、地味な服を着て化粧を落とせば、国王の隣に座っていた女性だとは誰にも分からないだなんて、浅はかだった。
 最早、私の描く安寧の日々は一生訪れないと思った方がいいのだろうか。やはり、私にはどこまでも死がまとわりついていると言うことなのだろうか。

「……引きこもろう……そう……それしかないわ……私……もう、外に出ないの……」
「ミリアム、落ち着け。大丈夫だから」

 思わず心の声が漏れ出てしまった私の丸まった背を、レナートが優しく摩ってくれる。
 けれど、大勢の人間に私の姿を目撃されてしまった後では取り返しもつかないし、なかったことにもできない。私の心は、レナートに優しくされただけでは全く慰められなかった。
 それに、私がエステルの娘だと知れ渡ってしまったなら、昨日の祝宴でエイナーが皆に説明した私との出会いの話はどうなるのだろう。エイナー誘拐の件はまだしも、私に関してはわざわざあんな作り話、するだけ無駄だったのではないだろうか。

「……ミリアム。あなたが不安に思うことは何もない」

 落ち着き払ったキリアンの声に、私はゆるりと顔を上げた。少しばかり恨みがましい思いでキリアンに視線を送ると、すぐに苦笑が返る。

「何の為に、祝宴の場でエイナーに話をさせたと思う? 頭一つ分などと揶揄されるが、それでもこの国を統べる王家は、それなりに力は持っているものだ」
「それは……」
「こちらからは、一言もカルネアーデの名もエステル様の名も出してはいない。ミリアムは暴走馬車からエイナーを偶然助けた少女……それが、王家としての公式な見解だ。その意味が分からないほど、我が国の民は愚かではないさ」

 つまり――私が救国の乙女エステルの娘であることは、公然の秘密だと。

 昨夜の祝宴の場には、来賓の他にも騎士や兵士、そして彼らの同伴者である一般の王都の民も複数いた。勿論、修練場で私の姿を見た人も多い。恐らく、あっと言う間に王都中に噂は広まるだろう。けれど、あくまで広まる噂の内容は、暴走馬車から第二王子を救った少女ミリアム、と言うもの。
 そこに、カルネアーデ家だの救国の乙女だのと言った言葉は含まれない。むしろ、それを口に出せば、王家が黙ってはいない。当然、王子を助けた私の身に何かあっても。
 それでも、それらの言葉を口に出し私に迫ろうとする者がいれば、それは王家にとっても対処が必要な相手と言うことになる。

「そう言うことですか……」
「それに、カルネアーデの名に関して言えば、我が国の汚点として、元々皆あまりその名を口には出したがらない。勿論、エステル様は別だが……それ故に、救国の乙女の名ばかりが広まっているのが現状で、あなたのことにしても、泉の乙女と言うのが関の山だろう」

 勿論、その意味するところは、あくまで「今年の祈願祭で泉の乙女役を務めた少女」であって、決してリーテの愛し子と言う意味で言われるものではない。
 昨日の出来事に関する疑問が一つ一つ解けて、私の中で一本の線として繋がっていく。

「だから、この先あなたが王都で暮らす際にも、堂々と今のままのあなたで過ごせばいい」

 いつでも王家は力を貸そう。最後にそう付け加えてキリアンが笑いかけてくれるのに、私は恐縮する思いで感謝の言葉を口にするのが精一杯だった。

 こうして今日説明をしてもらうまでは、この先のことについては、前を向こうと決意はしたものの、正直なところ不安の方が大きかったのだ。けれど話を聞いて、これなら何とかなりそうだと言う気持ちが、ようやく湧いてくる。
 本当に、ある意味でエイナーの誘拐に巻き込まれたことは、私にとっては幸運なことだったのだとしみじみ思い知らされた気分だ。もしも誘拐に巻き込まれることなく、平穏無事にエリューガルへと辿り着いていたとしたら、きっとここまでの出会いも助けの手も私は得られなかっただろう。
 そう考えて、私は、はたと思考を止めた。果たしてそうだろうか、と。

 エリューガルへの入国を無事果たしたとしたら、私はまず、何をやっただろう……。
 私はきっと、染めていた髪を元に戻そうとした筈だ。エリューガルには珍しい髪色をした人が大勢いて、それを目にした私は、自分の髪色を元に戻しても目立つことはないと安心したに違いないのだから。
 そうして戻した髪色で、カルネアーデ家の紋章が刻まれた短剣を手にして、道行く人に尋ね歩けば――

「ひぃ……」

 過った想像に、私の口から反射的に情けない声が漏れた。
 そんなことをすれば、私は確実に警備兵に連絡される。そして、兵士の詰め所なり兵団本部なりに連れて行かれ、事情を聴かれる羽目になっただろう。もしも場所が王都なら、きっと私が真っ先に会うことになったのはハラルドだったに違いない。そして、その次には――

「ミリアム? 今度は何を考えている?」

 また悪い癖が出ているぞと呆れ交じりに尋ねられて、私はキリアンに引きつった顔を向けた。
 キリアンの紅い瞳には、一人で考え込まずに話せとの有無を言わさない光が宿っていて、私は情けない声のまま、素直に頭に過った想像を口に出す。
 もしかして、と。

「――確かに。過程はどうあれ、最終的にあなたは王城に招かれて、私達と対面していただろうな」

 そしてキリアンから告げられたのは、私の想像した通りの結果で。
 つまり、私はどうあっても、王太子と出会っていたと言うことだ。
 今の私は、クルードの加護でキリアンが不意に死ぬことはないと知っているから、こうして安心して会うことができているけれど、何事もなくこの国に辿り着いて兵士に連れて行かれ、王族が面会なさりたいそうです、なんてハラルドから告げられたら、私はどうしただろう。

(……逃げたわ。私、絶っ対に逃げたわ!)

 他国の王太子に会っても死んでしまう可能性をすぐに考えて、逃げた。自信を持って言える。絶対に逃げました、私。
 そして、そんなことをしたが最後、どんな騒動になるかは考えたくもない。
 特に、母と私のことに関しては少々思考が過激になるハラルドのことを考えると、思わず身震いしてしまう。

「私、攫われてよかったです……っ!」

 人攫い夫婦、私を攫ってくれてありがとう!

 思わず拳に力が入って鼻息荒く言い切れば、三人には何を言い出すのだとぎょっとした顔を向けられたけれど、私は逆に目を輝かせて、この時初めて、あの人攫い夫婦に心からの感謝をした。
 犯罪者に感謝するなんておかしなことだけれど、これも、母の祈りと短剣が私を導いてくれた結果と思えば、私にとっては母に感謝しているのと同じことだ。ありがとうございます、お母様。

「あー……まあ、こちらとしても、あなたの存在が民に広く知られるより先に王城に保護できたことは、幸いでは……あるな」

 私がほくほく顔で紅茶を飲む姿をどう捉えたのか、キリアンが無理やりに納得するかのように言葉を絞り出す。そして、彼自身も紅茶を口にして、それで、と話を次の話題へ向けた。
 それは、私が城を辞したあとの保護先について。

「先に一つ、あなたには伝えておくことがある」

 キリアンの改まった声音に私も姿勢を正して、はい、と応える。

「まず、あなたを不安にさせる意図はないが、知っておいてほしいことが一つ」

 一度言葉を切り、息を吸う。

「――あなたの身は、危険に晒される可能性がある」
「……はい?」

 ついさっき、堂々と今のままの私として王都で過ごせばいいと言ったその口で真逆のことを口にされては、不安にさせるも何もない。もうこれ以上驚いたり、嫌な想像をして慄いたりすることはないだろうと思っていたのに、キリアンは一体何を言い出すのだろう。よりにもよって、身の危険とは。
 カルネアーデ家の生き残り、泉の乙女であろうと、私は王家の助けをも借りて穏やかに暮らせる筈ではなかったのだろうか。

「どう言うことですかっ? やっぱり、私が泉の乙女だからっ!?」
「ミリアム、落ち着くんだ。まずは、最後までキリアンの話を聞いてくれ」

 持ち上げたあとで落とす――まさにそんな状況に思わず腰を浮かせかけた私を、レナートが肩に手を置いて制した。
 私は反射的に、でも、と声を出しかけて、レナートの落ち着き払った瞳と、ぐ、と肩に込められた力に渋々ソファに座り直す。

「あなたの身に危険が及ぶのは、あなたが泉の乙女であることとは直接関係はない。あなたが、エイナーの誘拐に巻き込まれたからだ」
「そんな……」

 けれど、そう言われても私の今の姿は、攫われた当初とは見違えるくらい健康的になったし、髪色だって違う。私の顔を知っているのもあの人攫いの夫婦くらいだし、その内一人は捕まっている。男性の側が逃げ延びていたとしても、すっかり見違えた今の私を見て、そんなに簡単に結び付けられるとは考えにくい。

「あなたは、薬で眠らされていたのだろう?」
「そう、ですけど……」
「あなたが眠っている間に、エイナー誘拐を企てた者達のどれほどにあなたの顔を見られたか分からない以上、あなたの顔は首謀者側にも伝わっていると考えた方が自然だ」
「でも、あの時と今とでは、随分私の見た目は変わりましたよね?」

 何とか身の危険などないと思いたくて食い下がってみたけれど、キリアンにあっさり首を振られてしまう。

「昨日の午後の試合の最中、何者かの視線を感じたことはなかったか?」

 そう問われて思い出すのは、午後最初の、イーリスとラーシュの試合でのこと。一瞬ではあったけれど、憎悪すら感じた強い視線を思い出して、私は思わず身震いした。

「エイナーも感じたと言っていた。恐らく、首謀者の手の者が、あなたとエイナーが共にあの場にいることをはっきりと見たのだろう。確かに、あなたの見た目こそ随分と変わっているが、これまで引きこもっていて親しい女性もいなかったエイナーが、突然現れた少女と親しげにしていれば、嫌でも自分達が攫ってきた娘だと分かる」

 キリアンの言い分は筋が通っていた。なるほど、確かにそうだろうと頷けるものだ。同時に、気付いてしまったけれど。

「…………」

 百歩譲って、これもまた私の為だと頭では理解しても、今回ばかりは、はいそうですかと簡単に納得できる話ではない。
 キリアン達は、知っていたのだ。エイナーの誘拐こそ失敗したものの、いや、だからこそ首謀者側が、エイナーがその後どうしているのかを確かめずにはいられないことを。その絶好の機会が、祈願祭であることを。
 それを知りながら、私をもその場に連れ出して相手に見せつけたのだ。お前達が攫った少女もこの通り無事で、王家の保護下にあるぞと。おまけに、その少女は泉の乙女だ。
 首謀者側にしてみれば、エイナーには劣っても、それなりに取引材料に使えたかもしれない相手をみすみす手放したことになる。実に皮肉なことだろう。
 そうしておいて、キリアン達は相手の出方を探ろうとしたのだ。王家の意思を示すと同時に。

 私は、膝の上で両手をきつく握り締めた。
 正直に言えば、腹が立つ。流石に今回は、たとえキリアンが痛みを感じないとしても、その綺麗な顔を一発平手打ちしても許されるのではないかと思うくらい、腹の中がぐつぐつぐるぐると熱い。
 それに、何でもかんでも相手の為だと言えば、黙って物事を推し進めても許されると思ったら大間違いだと、声を大にして言ってもやりたい。やる方はよくても、やられる方は黙っていられたことで大いに傷付くことだってあるのだ。そんなものは、相手への優しさでも何でもなく、ただの自己満足にすぎない。
 私は、正面に座るキリアンを、怒りを込めてきつく睨みつけた。

「……ミリアム……」

 キリアンは一瞬たじろいだけれど、私が本気で怒っているのだと理解した途端、申し訳なさそうに柳眉を寄せて目線を落とした。
 その姿は、ともすれば切れ長の紅い瞳の所為で冷たい印象を与えがちな普段と違い、まるで叱られるのを待つ小さな子供のようだった。常は溢れている自信もすっかり喪失して、そんなところは、初めて会った頃の自信なさげなエイナーを思い起こさせる。
 とてもずるい表情だ。そんな顔をされたら、私の方が怒るに怒れないではないか。ただただ私を思ってのことだったと、私に黙っていることにはキリアンの中で葛藤があったのだと分かってしまうから。

「……キリアン様。私、怒ってます」
「……あ、あぁ……」

 私の、これまでに聞いたこともない怒気を孕んだ低い声に驚いたのか、キリアンはしどろもどろに相槌を打つのに精一杯のようだった。私も内心では、自分にもこんな声が出せたのかと驚きながら、ぐっと右拳を握り締めて膝から浮かせる。

「一発ぶん殴りたいくらいには怒ってるんです。……今まで、人を殴ったことなんてないですけど」
「……あなたが、私を殴って気が済むと言うのなら――」
「殴りませんよ」

 幼気な少女に人を殴らせるなんて、キリアンはなんてことを言うのだろう。平手打ちくらいはと私も思いはしたけれど、そんなことをしたって、本当の意味で私の気が晴れるわけがないではないか。
 私が食い気味にぴしゃりと言い放てば、キリアンはますます申し訳なさそうに身を縮めて、窺うように私を見た。そんないじらしい態度も、なんだか私が虐めているようで腹立たしい。だから、私はついでのように怒気を込めて言い放った。

「許しませんからっ」
「ミリアム、あのね――」
「テレシアさんは黙って! 私は今、キリアン様と話しているんです」

 まさか私が許さないなんて予想していなかったのか、目を見開くだけで言葉の出ないキリアンに代わってテレシアが口を開くのを、私は怒りの勢いだけで制す。キリアンからは、視線を逸らさない。
 思わずキリアンを庇うように身を乗り出していたテレシアが、気まずそうに座り直すのを視界の端で感じながら、私は一層強くキリアンを見据えた。

「キリアン様。許しませんよ、私。……私に一言もなく勝手に私を餌にしておいて、誘拐の首謀者を捕まえられなかったら……私は、絶対に許しません!」
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