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第1章:ダメ男とばかりつき合ってしまう
12. 迷う時は自分が幸せなほうを選べ
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10分ほど経ってマオさんが描き終えると、葦仁先生が席を立ってこっちに来る。
白い地に黄緑色の文字が書かれた三日月が、ターコイズと緑、黄色が点々と乗った背景に浮かび上がるマオさんのマニフェスト画。
それを見て、葦仁先生が口角を上げた。
「いいね。潔い色合いだ」
「私もそう思います」
マオさんの顔にも笑みが浮かぶ。
「最後の仕上げは、このバイオレット」
葦仁先生が紫の絵具の小皿を指した。
「魔法の色だ。これで『I am』と書く」
「魔法って……先生にそぐわないですね」
マオさんがおかしそうにクスリと笑う。
「そうかな? 青みの強い紫は霊性の高い色であり、変容を表す色だから。魔法をかけるのにピッタリだろう?」
「信じてるんですか? 魔法とか妖精とか」
「僕の妻が魔女の遺伝子を持ってるからね」
「そっか。じゃあ、先生を信じます」
この冗談を聞くのは初めてだ。
冗談としては微妙だけど……マオさんがそれにつき合って魔法の色だと思ってくれるなら有効なのかも。
「初めに紙を水で湿らせて、この細い筆で書く」
葦仁先生は極細の筆をマオさんに見せたあと、それともう1本の太い筆を私に手渡した。
「また、西園寺さんが書くのを見てて」
「はい」
マオさんがさっきと同じ私の後方に立った。
「まず、形の内側に水を塗る。水彩色鉛筆で書いたマニフェスト文は水に溶け出すから、出来るだけ同じ場所を何度も擦らずにね」
葦仁先生の描いた焦げ茶色の線を、太い筆でなぞった。
水を足しながら、円の中をまんべんなく湿らせる。筆を往復させないように気をつけて。
「形の枠である色鉛筆の線に指で描いた色がかかっているところも、気にせず塗っていい」
私が細い筆に持ち替えたのを見て、葦仁先生が先を続ける。
「濡れた紙面に絵具で文字を書くと、当然滲んで読めなくなる」
「なんのために書くんですか?」
「『I am』は、私は~だ。ここに書いたことが、願望じゃなく現実だっていう最終的な宣言として。言っただろう? 最後にかける魔法だよ」
「そうですね」
同意するマオさんは、きっと笑顔だ。
二人の視線を感じながら、筆に紫の絵具をつける。
『I am』
特に意味はないけど、このアルファベット3文字を縦に書いた。しかも、円の中心じゃなく右寄りに。
紙の白地に黄緑色の斑が入った円に、細い紫の文字が滲んで拡がっていく。
私のマニフェスト画、完成。
「さあ、マオさんの番だ」
「ありがとう、西園寺さん」
「どういたしまして」
私と笑顔を交わし、マオさんは自分のマニフェスト画の前に座る。横には葦仁先生。
暫くの間、目の前のボードをボーっと眺めていた。
水の力でじわじわと紙面を進む紫色の顔料。先生は魔法の色って言ったけど……信じない、願わない人間に魔法はかからない。
「出来上がりだね」
「やった!」
葦仁先生とマオさんの声で我に返る。
「マニフェスト画は一晩ここで乾かしておくから、明日以降、きみの都合のいい時に取りに来るといい。営業日は確認しておいて」
「わかりました。セラピーはこれでおしまい?」
「もうひとつだけ、やることが残ってる」
テーブルの中央に避けてあった2枚のボードを、葦仁先生が手に取った。
Sと書かれたほうを私の前に、Pのほうを自分がいるマオさんの横に置いて、紙を留めているマスキングテープを剥がし出す。私もそれに倣う。
「望む自分のイメージで色を描いたものは、マニフェスト画と一緒に後日持ち帰っていい。でも、こっちはダメだ」
「え……?」
「悩みを抱えたきみはもういない」
葦仁先生がボードから離れた紙をヒラヒラと振る。
「だから、はい」
差し出された紙を戸惑い気味に受け取るマオさん。
「これ……」
「破れ。ビリビリに。きみが、破り捨てるべきものだよ」
マオさんが見開いた目で葦仁先生を見つめた。
「破るのはただの紙だけど、古い自分の思考をここに捨てていくつもりでね」
「古い思考……」
授与された賞状のように両手で持った紙を、マオさんが目の高さに上げる。
そして、数秒後。
シャリリッという音とともに、色の描かれた厚めの水彩紙が2枚に分かれた。重ねて破られ4枚に。それからは、1枚ずつをランダムに破られ、マオさんの手によって細かいコットンの破片に変わった。
「お疲れさま」
「お疲れさまです」
葦仁先生と私の声が重なる。
私は腰を上げた。マオさんも、大きく深呼吸をして立ち上がる。
「先生、西園寺さん……ありがとうございました」
「カラーセラピーは役に立ったみたいだね」
「とても。受ける前は、占いの一種みたいなものだと思ってたけど……受け身じゃないから効くのかな」
「それと、色の力だよ」
葦仁先生が微笑んだ。
「不安になったら、マニフェスト画を眺めて声に出して。私は○○だ……と、きみが自分自身を肯定してあげるんだ」
「そうします。近いうちに取りに来ますね」
「ひとつ、言っておくことがある」
「はい……?」
「マオさんは、幸せに生きる」
強く言い切る葦仁先生。彼を見つめるマオさんの瞳が微かに動く。
「サキです。マオじゃなくてサキで……もう一度言ってください」
「サキさんは、幸せに生きる」
マオさんがギュッと目を閉じた。
すぐに開いた目が細められる。
「信じます。最後に、そのためのアドバイスをひとつお願い出来ますか?」
「迷う時は自分が幸せなほうを選べ」
葦仁先生がすぐに答える。
マオさんは頷いて、お辞儀をした。
「ありがとうございました」
「元気で」
「先生と西園寺さんも。悩んだらまた来ます」
「来るなよ」
葦仁先生が笑いながら言った。
マオさんも笑った。
私も満足して微笑んだ。
◆◆◆
ファイルナンバー99。
青いトマトさん。
恋愛の悩み。
順調なセラピー2回を経て解消。
白い地に黄緑色の文字が書かれた三日月が、ターコイズと緑、黄色が点々と乗った背景に浮かび上がるマオさんのマニフェスト画。
それを見て、葦仁先生が口角を上げた。
「いいね。潔い色合いだ」
「私もそう思います」
マオさんの顔にも笑みが浮かぶ。
「最後の仕上げは、このバイオレット」
葦仁先生が紫の絵具の小皿を指した。
「魔法の色だ。これで『I am』と書く」
「魔法って……先生にそぐわないですね」
マオさんがおかしそうにクスリと笑う。
「そうかな? 青みの強い紫は霊性の高い色であり、変容を表す色だから。魔法をかけるのにピッタリだろう?」
「信じてるんですか? 魔法とか妖精とか」
「僕の妻が魔女の遺伝子を持ってるからね」
「そっか。じゃあ、先生を信じます」
この冗談を聞くのは初めてだ。
冗談としては微妙だけど……マオさんがそれにつき合って魔法の色だと思ってくれるなら有効なのかも。
「初めに紙を水で湿らせて、この細い筆で書く」
葦仁先生は極細の筆をマオさんに見せたあと、それともう1本の太い筆を私に手渡した。
「また、西園寺さんが書くのを見てて」
「はい」
マオさんがさっきと同じ私の後方に立った。
「まず、形の内側に水を塗る。水彩色鉛筆で書いたマニフェスト文は水に溶け出すから、出来るだけ同じ場所を何度も擦らずにね」
葦仁先生の描いた焦げ茶色の線を、太い筆でなぞった。
水を足しながら、円の中をまんべんなく湿らせる。筆を往復させないように気をつけて。
「形の枠である色鉛筆の線に指で描いた色がかかっているところも、気にせず塗っていい」
私が細い筆に持ち替えたのを見て、葦仁先生が先を続ける。
「濡れた紙面に絵具で文字を書くと、当然滲んで読めなくなる」
「なんのために書くんですか?」
「『I am』は、私は~だ。ここに書いたことが、願望じゃなく現実だっていう最終的な宣言として。言っただろう? 最後にかける魔法だよ」
「そうですね」
同意するマオさんは、きっと笑顔だ。
二人の視線を感じながら、筆に紫の絵具をつける。
『I am』
特に意味はないけど、このアルファベット3文字を縦に書いた。しかも、円の中心じゃなく右寄りに。
紙の白地に黄緑色の斑が入った円に、細い紫の文字が滲んで拡がっていく。
私のマニフェスト画、完成。
「さあ、マオさんの番だ」
「ありがとう、西園寺さん」
「どういたしまして」
私と笑顔を交わし、マオさんは自分のマニフェスト画の前に座る。横には葦仁先生。
暫くの間、目の前のボードをボーっと眺めていた。
水の力でじわじわと紙面を進む紫色の顔料。先生は魔法の色って言ったけど……信じない、願わない人間に魔法はかからない。
「出来上がりだね」
「やった!」
葦仁先生とマオさんの声で我に返る。
「マニフェスト画は一晩ここで乾かしておくから、明日以降、きみの都合のいい時に取りに来るといい。営業日は確認しておいて」
「わかりました。セラピーはこれでおしまい?」
「もうひとつだけ、やることが残ってる」
テーブルの中央に避けてあった2枚のボードを、葦仁先生が手に取った。
Sと書かれたほうを私の前に、Pのほうを自分がいるマオさんの横に置いて、紙を留めているマスキングテープを剥がし出す。私もそれに倣う。
「望む自分のイメージで色を描いたものは、マニフェスト画と一緒に後日持ち帰っていい。でも、こっちはダメだ」
「え……?」
「悩みを抱えたきみはもういない」
葦仁先生がボードから離れた紙をヒラヒラと振る。
「だから、はい」
差し出された紙を戸惑い気味に受け取るマオさん。
「これ……」
「破れ。ビリビリに。きみが、破り捨てるべきものだよ」
マオさんが見開いた目で葦仁先生を見つめた。
「破るのはただの紙だけど、古い自分の思考をここに捨てていくつもりでね」
「古い思考……」
授与された賞状のように両手で持った紙を、マオさんが目の高さに上げる。
そして、数秒後。
シャリリッという音とともに、色の描かれた厚めの水彩紙が2枚に分かれた。重ねて破られ4枚に。それからは、1枚ずつをランダムに破られ、マオさんの手によって細かいコットンの破片に変わった。
「お疲れさま」
「お疲れさまです」
葦仁先生と私の声が重なる。
私は腰を上げた。マオさんも、大きく深呼吸をして立ち上がる。
「先生、西園寺さん……ありがとうございました」
「カラーセラピーは役に立ったみたいだね」
「とても。受ける前は、占いの一種みたいなものだと思ってたけど……受け身じゃないから効くのかな」
「それと、色の力だよ」
葦仁先生が微笑んだ。
「不安になったら、マニフェスト画を眺めて声に出して。私は○○だ……と、きみが自分自身を肯定してあげるんだ」
「そうします。近いうちに取りに来ますね」
「ひとつ、言っておくことがある」
「はい……?」
「マオさんは、幸せに生きる」
強く言い切る葦仁先生。彼を見つめるマオさんの瞳が微かに動く。
「サキです。マオじゃなくてサキで……もう一度言ってください」
「サキさんは、幸せに生きる」
マオさんがギュッと目を閉じた。
すぐに開いた目が細められる。
「信じます。最後に、そのためのアドバイスをひとつお願い出来ますか?」
「迷う時は自分が幸せなほうを選べ」
葦仁先生がすぐに答える。
マオさんは頷いて、お辞儀をした。
「ありがとうございました」
「元気で」
「先生と西園寺さんも。悩んだらまた来ます」
「来るなよ」
葦仁先生が笑いながら言った。
マオさんも笑った。
私も満足して微笑んだ。
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ファイルナンバー99。
青いトマトさん。
恋愛の悩み。
順調なセラピー2回を経て解消。
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