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第6章 ラシャ(Lusha)
最後の記憶 -2
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シキが三人を通したのは、床や壁が瑠璃色の物質で出来ていることを除けば、普通のホテルにある客室のような部屋だった。ただし、そのドアはラシャの者かラシャの指輪を持つ者にしか開けない。
ラシャに存在する部屋や広間などの大半には、それぞれの扉を介して特殊な空間で繋がれており、瞬時の移動が可能となっている。
無の空間が口を開ける蒼い回廊。そのもう一方の突き当たりにある扉から、キノ達はシキの手に引かれ、この部屋までほんの一瞬で着いた。キノの感じたその感覚は、自分のアパートから湶樹の家への空間を移動した時と同じものだった。
「いいか。護りを発動した直後からだ」
小さな丸いテーブルの前の椅子にキノを座らせ、浩司が言った。ベッドに腰掛けた涼醒は、二人の様子を静かに見守っている。
「浩司…これで見つかるといいね」
「そうだな。おまえはよくやった。感謝してる。これが…最後だ」
いつものようにキノが目をつぶると、その額に浩司が指をあてる。
キノの意識は、一瞬のうちに希由香の記憶を探り当てる。ラシャの空間が浩司の、そして、キノの精神力を最大限に高めているようだった。護りに祈ったあの朝に、キノの意識が同調する。
★★★
護りを手に持ったままだ…。
希由香が再びもぐり込んでいたベッドの中から見やった時計の針は、7時を回ったところだった。
眠りに誘われる気配の全くない希由香が目を閉じるのは、ひとりの現実のこの部屋を瞳に映し続けるよりも、何も見ずにいる方が、心を平穏に保てるからなのだろう。
前日にあの海を見てしまった希由香には、見たいと願う風景がもうどこにもない。その美しさを伝えたい者がいるからこそ、胸を打つ景色に心を動かされる。さもなければ、孤独と寂寥感に押しつぶされてしまう。心がそういう状態に陥る時はある。
ひとりで感動を求めるには、今の希由香の心は感傷的過ぎた。そして、どこかにいるであろう見つめたいと願う浩司は、もうこの瞳の前で微笑むことはないと知っている。
静かで、空虚な心。
キノの神経は、ラシャにいることで、かつてないほどに研ぎ澄まされていた。
時計の針の音はもちろんだけど、血管を流れる血の音さえ聞こえそう…。希由香、今何を思ってるの? 寂しさ以外の感情がわからない。護りに全ての思いをあげちゃったから? 心に残された思いを知りたい…。
キノはそう願いながら、護りへの祈りに思いを馳せる。
希由香は…浩司の幸運と、浩司をあの闇から救い出せる人が現れることを祈った。でも…護りに与える祈りは、二つあってもいいの? そんなことはないはず…だけど、護りは発動された…。
希由香が護りを握り締める。手の中で暖められた石は、それ自体が熱を放ってるかのように、すぐに冷えてしまう希由香の指先にぬくもりを返す。
祈りは…もう叶ってるの? だとしたら、どっちが? 幸運をなんて、漠然とし過ぎてる。この3年近くの間、浩司のそばに幸運はあったのかな…。継承者の力のことで、確か幸運だったって言ってたけど、護りの力なら、もっとこう…幸せで泣けちゃうくらいの幸運がないと…。
キノは胸の鼓動が高まるのを感じる。それはベッドの中でじっとしている希由香ではなく、キノ自身のものだった。
希由香が一番に願ったのは、浩司を闇から救うこと…
『力をかして…』
その声に、私が応えて、護りの発動がなった…。同じ魂を持つ者だからと言ってしまえば、それまでだけど…。
キノの心を、ラシャにある身体を、突然電流のようなものが奔った。
偶然はない…ラシャに護りが戻るためには、発動が必要だった。希由香が護りを手にしたのは、必然。発動が可能だったのも、必然。希由香と私が同じ魂を持つのも、彼女の強い思いが遠い世界にいる私に届いたのも、必然。そして…その思いこそが彼女の意識を失わせ、浩司に私を出会わせたのも必然なら…。
希由香が目を開け時計を見る。8時丁度。変わらぬ時を刻みながら、銀色の秒針が微かに光る。
もし、私…だったとしたら? 希由香の願い、私の願い…浩司を闇から救いたいという願いが、護りによって叶うのなら…発動は明日までだから、浩司はすでにその人間に出会ってるはず…希由香のために、浩司はどうしても護りを見つけたいって言った。自分自身のためにもって…。それが何をすることなのか、私にはわからないけど、浩司が闇から解かれることを意味するのかもしれない…そして、護りを見つけるのは、私…。彼女の祈りは、もう聞き届けられてるの?
ベッドから抜け出した希由香が、再び護りを額にあてる。まるでそうすることが心を近づけるかのように、キノは希由香の思いを感じ取る。
浩司を愛してる…彼にもう一日だけでも会えるのなら、残りの全ての時間を失ってもかまわない…。
一気に押し寄せて来る切なさが、キノの心を震わせる。
精一杯の心で、浩司を愛してた…だけど、人は…明日確実に自分がなくなると知ってる時にしか、自分の本当の全てをあげることなんか出来ない。だって…もし、今日で世界が終わらなかったら? 自分を抜け殻にしちゃったら、明日、愛する人を愛せない。だから、明日死んでもかまわないくらい全力を尽くしたとしても…後悔は、いつでもゼロにはならない。次の日も生きているのは、まだ余力を残しているということだから…。
希由香がそこまで厳しい考えを堂々と巡らすのは、唯ひとつの願いに行き着くのを禁じているためなのか。
何をどう考えればいいのか、もうわからない…いつも同じところに、来ちゃいけないところに、辿り着く…。
奪われ引き裂かれ、剥き出しの心の中心に最後に残る希由香の思いが、キノの心を直撃する。
ただもう一度、浩司に思いを伝えたい…そして、愛されたい…。
★★★
ラシャに存在する部屋や広間などの大半には、それぞれの扉を介して特殊な空間で繋がれており、瞬時の移動が可能となっている。
無の空間が口を開ける蒼い回廊。そのもう一方の突き当たりにある扉から、キノ達はシキの手に引かれ、この部屋までほんの一瞬で着いた。キノの感じたその感覚は、自分のアパートから湶樹の家への空間を移動した時と同じものだった。
「いいか。護りを発動した直後からだ」
小さな丸いテーブルの前の椅子にキノを座らせ、浩司が言った。ベッドに腰掛けた涼醒は、二人の様子を静かに見守っている。
「浩司…これで見つかるといいね」
「そうだな。おまえはよくやった。感謝してる。これが…最後だ」
いつものようにキノが目をつぶると、その額に浩司が指をあてる。
キノの意識は、一瞬のうちに希由香の記憶を探り当てる。ラシャの空間が浩司の、そして、キノの精神力を最大限に高めているようだった。護りに祈ったあの朝に、キノの意識が同調する。
★★★
護りを手に持ったままだ…。
希由香が再びもぐり込んでいたベッドの中から見やった時計の針は、7時を回ったところだった。
眠りに誘われる気配の全くない希由香が目を閉じるのは、ひとりの現実のこの部屋を瞳に映し続けるよりも、何も見ずにいる方が、心を平穏に保てるからなのだろう。
前日にあの海を見てしまった希由香には、見たいと願う風景がもうどこにもない。その美しさを伝えたい者がいるからこそ、胸を打つ景色に心を動かされる。さもなければ、孤独と寂寥感に押しつぶされてしまう。心がそういう状態に陥る時はある。
ひとりで感動を求めるには、今の希由香の心は感傷的過ぎた。そして、どこかにいるであろう見つめたいと願う浩司は、もうこの瞳の前で微笑むことはないと知っている。
静かで、空虚な心。
キノの神経は、ラシャにいることで、かつてないほどに研ぎ澄まされていた。
時計の針の音はもちろんだけど、血管を流れる血の音さえ聞こえそう…。希由香、今何を思ってるの? 寂しさ以外の感情がわからない。護りに全ての思いをあげちゃったから? 心に残された思いを知りたい…。
キノはそう願いながら、護りへの祈りに思いを馳せる。
希由香は…浩司の幸運と、浩司をあの闇から救い出せる人が現れることを祈った。でも…護りに与える祈りは、二つあってもいいの? そんなことはないはず…だけど、護りは発動された…。
希由香が護りを握り締める。手の中で暖められた石は、それ自体が熱を放ってるかのように、すぐに冷えてしまう希由香の指先にぬくもりを返す。
祈りは…もう叶ってるの? だとしたら、どっちが? 幸運をなんて、漠然とし過ぎてる。この3年近くの間、浩司のそばに幸運はあったのかな…。継承者の力のことで、確か幸運だったって言ってたけど、護りの力なら、もっとこう…幸せで泣けちゃうくらいの幸運がないと…。
キノは胸の鼓動が高まるのを感じる。それはベッドの中でじっとしている希由香ではなく、キノ自身のものだった。
希由香が一番に願ったのは、浩司を闇から救うこと…
『力をかして…』
その声に、私が応えて、護りの発動がなった…。同じ魂を持つ者だからと言ってしまえば、それまでだけど…。
キノの心を、ラシャにある身体を、突然電流のようなものが奔った。
偶然はない…ラシャに護りが戻るためには、発動が必要だった。希由香が護りを手にしたのは、必然。発動が可能だったのも、必然。希由香と私が同じ魂を持つのも、彼女の強い思いが遠い世界にいる私に届いたのも、必然。そして…その思いこそが彼女の意識を失わせ、浩司に私を出会わせたのも必然なら…。
希由香が目を開け時計を見る。8時丁度。変わらぬ時を刻みながら、銀色の秒針が微かに光る。
もし、私…だったとしたら? 希由香の願い、私の願い…浩司を闇から救いたいという願いが、護りによって叶うのなら…発動は明日までだから、浩司はすでにその人間に出会ってるはず…希由香のために、浩司はどうしても護りを見つけたいって言った。自分自身のためにもって…。それが何をすることなのか、私にはわからないけど、浩司が闇から解かれることを意味するのかもしれない…そして、護りを見つけるのは、私…。彼女の祈りは、もう聞き届けられてるの?
ベッドから抜け出した希由香が、再び護りを額にあてる。まるでそうすることが心を近づけるかのように、キノは希由香の思いを感じ取る。
浩司を愛してる…彼にもう一日だけでも会えるのなら、残りの全ての時間を失ってもかまわない…。
一気に押し寄せて来る切なさが、キノの心を震わせる。
精一杯の心で、浩司を愛してた…だけど、人は…明日確実に自分がなくなると知ってる時にしか、自分の本当の全てをあげることなんか出来ない。だって…もし、今日で世界が終わらなかったら? 自分を抜け殻にしちゃったら、明日、愛する人を愛せない。だから、明日死んでもかまわないくらい全力を尽くしたとしても…後悔は、いつでもゼロにはならない。次の日も生きているのは、まだ余力を残しているということだから…。
希由香がそこまで厳しい考えを堂々と巡らすのは、唯ひとつの願いに行き着くのを禁じているためなのか。
何をどう考えればいいのか、もうわからない…いつも同じところに、来ちゃいけないところに、辿り着く…。
奪われ引き裂かれ、剥き出しの心の中心に最後に残る希由香の思いが、キノの心を直撃する。
ただもう一度、浩司に思いを伝えたい…そして、愛されたい…。
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