この世界よりも、あなたを救いたい~幸運がいつもあなたのそばにあるように~

Kinon

文字の大きさ
71 / 83
第12章 祈り

静止する心

しおりを挟む
 未来は不確かなものだからこそ、幸福の最中さなかにさえ不安は生まれ、そして、いかなる時も希望はゼロになり得ない。

 心のようのぞけば、最も不確定であるはずの生死。自ら選べぬべきその時は、何によって定められているのだろう。事前に知らされた来たる運命への抗議は、どこへ向ければいいのだろう。

 リシールの継承者の寿命は、34年に満たない。

 その事実を知ったキノの心は慟哭どうこくした。
 目の前にいる男が、同じ魂を持つ希由香の愛する男、キノ自身も彼の幸せを願ってやまない浩司が、3年後の冬には存在しなくなる未来に。どうにもならないことの多くはこくな意味を持ち、受け入れがたくとも我が身を取り込んでいく貪欲どんよくな真実であることに。

 暗くなり始めた窓の外。夜の気配を含んだ風のみが、り固まる部屋の空気を揺らす。重い沈黙がどのくらいの時間続いていたのかを知る太陽の尻尾が、名残惜なごりおし気にこの空を去ろうとしていた。



「キノ…ほかに聞きたいことはあるか?」

 静けさを少しも乱さぬ、なだめるような優しい声で浩司が言った。キノはまばたいて、浩司を見つめるひとみから涙を落とす。けれども、その唇は言葉をつむげない。

「俺の祈りは、自分勝手なものだとわかってる。記憶を消しても、俺と会わなかった場合の未来に繋がるわけじゃない。忘れさせても、過去がなかったことにはならない」

 まるで自分自身に言い聞かせるかのような口調で、浩司が続ける。

「それでも、俺を思い続ける可能性はなくなる。希由香にとってもその方がいいと…決めたのは俺だ。あいつの運命を他人の俺が選ぶからには、後の後悔も全て俺が負う。死ぬ時にする一番の後悔は、もう決まってるがな」

 浩司の視線はキノを正面にとらえている。けれども、そのが見ているのは、キノではない何か。心の奥にひそ深淵しんえん、その底に秘める切ない思いの向かうべきところ。語ることを禁じられた切望せつぼうと、憧憬どうけいし続けるもの。

「希音…大丈夫か?」

 心配と不安の色をありありと含んだ声で、涼醒が言った。何も言わず身動きすらせずに浩司に目を止めたまま、キノは全く反応を見せない。その横顔を悲痛なで見つめ、涼醒が続ける。

「浩司の祈り…納得出来たのか?」

 涼醒がそうたずねたのは、キノの肯定を予想してではない。むしろ、否定して感情をあらわにさせたいがための問いだった。

 これまで、動揺する事柄を受け止めようとする時、キノは心にく感情を表に吐き出してきた。疑問を問いただし、自らを納得させてきた。どうにもならないとわかっていることになげいても仕方ない。それを自覚しながらも、心にまるおりをいくらかでもき放ち浄化することを、いきどおりや悲しみと対峙たいじする助けにしてきた。

 そして、今、キノはただ静かだった。それがかえって、キノを思う涼醒の心を緊張させている。
 身体からだに受けた傷は、外よりも中への出血の方が危険な場合が多い。時に心も同様と言えるだろう。落ち着きと対極にある、さいたる動揺の表れ。キノの平静さはそれだと、涼醒は危惧きぐしていた。

「希音…? 浩司に聞きたいことも、言いたいこともないのか? ずっと不安で、知りたかったことだろ? 聞いて満足したんなら、どう思うかくらい言ってみろよ」

 涼醒は、故意こいに強い口調で言った。キノの心を外へと向けるために。無言で涙の原因に飲み込まれるのを待つより、非情な運命をののしり泣きわめいてほしかった。内に抱え込む感情の爆発に、精神を危うくされてしまう前に。

「浩司の望みを叶えてやりたくて頑張ったんじゃないのか? おまえも、自分が納得した上で発動させたいだろ?」

 キノはピクリとも動かない。その耳に聞こえているはずの言葉は、心を揺すりはしても、そこから思いを連れ出すに至らないのだろうか。

「涼醒」

 浩司が溜息ためいきをついた。キノと合わせていた目をゆっくり涼醒へと移す。

「しばらく放っといてやれ」

「だけど…」

「後から、キノの言い分を聞く時間はまだある」

 キノにめていた視線を引きがし、涼醒が浩司を見る。

「あんたの祈りは…」

 かすかに眉を寄せながら言いかけ、涼醒は言葉を途切らせた。頭を振ってうつむく涼醒に、浩司がつぶやく。

「おまえにも謝らなけりゃな」

 涼醒が顔を上げるのを待って、浩司が続ける。

「すまなかった。おまえにどれほどのプレッシャーを与えることになるか充分承知の上で、精神がたないかもしれない危険を冒した。どうしても護りを見つけたいというのももちろんあったが…その在処ありかがわかった時は、キノに話さなけりゃならない。それを先にばしたかったのも、理由のひとつだ。出来れば、知らせずにおきたかった…護りを手に入れるまではな」

 浩司は手元に落とした視線をキノへと向けた。口を開こうとした涼醒が、ふいにドアを見やる。

「誰か来る」

「…汐だ。俺を呼びに来たんだろう」

 浩司の言葉が終わらぬうちに、ドアが控えめにノックされた。

「今夜、館にいる者達に、ジャルドが話すことになってる。何がどうなったのか聞かなけりゃ、皆帰るに帰れないらしい」

「あんたもその集会ってやつに?」

「実際にラシャに降りても、この力を使っても…自分がリシールの継承者だという実感はない。だが、それ以外の俺は…もういないも同然だからな」

 そう言って立ち上がった浩司を目で追うキノの頭が動いた。小刻みに首を左右に振るその頬を、新たな一しずくの涙が伝い落ちる。それが何をうれうものなのか、何に対しての否定なのか語ることもなく、キノは再び時を止めたかのように静止した。

「キノ、これをラシャに持って行ってくれないか」

 無言のまま痛いほどの眼差まなざしを向けているキノの手に、浩司が何かを握らせる。

「シキに、預かっててくれと伝えて欲しい。それともうひとつ…祈りに変更はないとな」

 浩司は力の抜けたようなキノの手の平を固く閉じさせ、そのこぶしを両手で包んだ。

「おまえに…あいつの記憶を残したままですまない」

 キノのひとみが揺れる。何を伝えたいのか、何を見透みすかしたいのか。その意思を表さぬ心ののぞき窓は、ぼかされたうつろな輪郭りんかくすら外からは見えない。

 キノの視界から、浩司が消える。

「集会が終わったら、戻って来てくれ。話はまだ終わっちゃいないよな。あんただって、希音が納得してるとは思ってないだろ?」

「…それまでに、キノを落ち着かせてやれ」

 涼醒にそう言い残し、浩司は部屋を出て行った。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

行き場を失った恋の終わらせ方

当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」  自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。  避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。    しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……  恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

孤独な公女~私は死んだことにしてください

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【私のことは、もう忘れて下さい】 メイドから生まれた公女、サフィニア・エストマン。 冷遇され続けた彼女に、突然婚約の命が下る。 相手は伯爵家の三男――それは、家から追い出すための婚約だった。 それでも彼に恋をした。 侍女であり幼馴染のヘスティアを連れて交流を重ねるうち、サフィニアは気づいてしまう。 婚約者の瞳が向いていたのは、自分では無かった。 自分さえ、いなくなれば2人は結ばれる。 だから彼女は、消えることを選んだ。 偽装死を遂げ、名も身分も捨てて旅に出た。 そしてサフィニアの新しい人生が幕を開ける―― ※他サイトでも投稿中

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...