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第一章 『歪んだ刃先』

七話 『崩れゆく理想』

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「なん‥‥だ、もう朝か」
 カーテンを閉め切り、テレビに表記された時間で朝が来たことを確認する。
 結局あの後は彩湖に同情してしまった自分が家まで送っていき、愛斗も自宅へと帰宅した。壮絶な一日に瞳を閉じるたびにフラッシュバックする記憶。目に映るのは辺り一面に広がる赤。壁おも塗り尽くした大量の鮮血は辿るように一人の少女へ。
 何度も脳内に蘇る残酷で惨たらしい死体の残り。眼球に焼き付いたそれは簡単に忘れられるものではなく、最悪の場合生涯一生残っていくものかもしれない。
 「何やってんだか…‥、僕は‥‥」
 サイコパスである彩湖を警察に通報せず、野放しにしてしまったこと。そして必ず始まる命の連鎖消滅を止めるため、この手で楽にさせてやれなかったこと。それが今の自分の中でとても気残りだ。
 暗がりに身を宿した愛斗は騒がしくなるテレビを消し、座っていた椅子から腰を浮かす。長時間座っていたせいで体が怠さを主張しており、思うように言うことを聞かない。痺れた足に感覚が戻ったのは数十秒後のことだ。一睡もせず彩湖の事ばかり考えていた愛斗は目の下に大きく濃い隈を残し、病人のような目付きで学校への支度を始める。
 入学式前夜に見えてしまっや最悪の光景に心情を乱され、華やかな学校生活どころか今は彩湖の思想全てに意味が込められている気がしてならない。
 この複雑な気持ち、たったその一つだけが愛斗の生活に支障を懐ならばまだしも、これを超える大きな悩みがもう一つあるとい事実。それに頭を悩ませ、どうしても解決へ導くことが出来ない問題が愛斗を襲う。
 
ピンポーン
 
「うわぁ、マジで来たか‥‥」
 ここまでインタホーンに体を震わさたことが今まであっただろうか。借金取りに命を狙われているような緊迫した空気が漂い、焦りと不安に満ち満ちたリビングで慌てて制服に着替える愛斗。
 学校指定の服をすぐさま着衣し、前日に入学への想いを連想しながら詰め込んだカバン
を手に取った。ずっしりとした重量感が手に伸し掛かり、確かな重みを肩で体感した。革製
のカバンは学生に似合わない大人の雰囲気を漂わせており、中学生上がりには見えない風貌に同学年の生徒ならば声を掛けてくれるだろう。そんな淡い期待を込めた身なりに浸っていると、厳重に鍵を掛けていた玄関が音を立てて開いた。
 「おいおい、マジかよ」
 「あなた遅いから見に来てみれば、容姿はさほど良くないくせに自意識過剰なのね」
 当然のように愛斗の目の前に現れたのは昨日、残虐な殺戮を披露した————彩湖だ。そう、僕の二つ目の悩みの種、それはこの超絶サイコパス女、天野 彩湖が僕の家のお隣だということ。この事実に気づいたのは昨日、気分を害した自分が彩湖を家まで送ろうとタクシーを呼んだのがきっかけか。いや、これに関しては彩湖がすべて自腹で払ってくれ、送るどころか送られ特をしただけなのだが、問題はその後だ。金銭的問題ではなく、まったくして住所が似ており、案の定エレベーターで昇った階も同じで、部屋はまさかの隣。そんな一言で言えば悲劇的な出来事がさらに追い打ちをかける様に愛斗を襲う。部屋が隣、相手は見知っている、秘密も知っている、相手は自分を信用している。以下の条件が重なり合った結果、毎朝の登校を共にする、昼食を一緒に取る、帰宅も一緒にといった一見夢のような約束だが、相手が気の狂った殺人鬼ならば話は別だ。
 だが彼女と一緒に行動することでまた彩湖が小動物を殺傷しようとしたとき、事前に止めることが出来る。彼女の人として大切な何かを守ることが出来る。だから——————。
 「あっ———————」
 頭を過ったのはいつかの自分と重ねていた彩湖の発言だ。愛の形は歪ではあるがそれを必死に表現しようとする努力家な姿、そして何よりその動機が自分の心を動かした。
愛斗の記憶は途切れ途切れで不確かなものだが、親は殺害され、事件は未だ未解決。犯人の足取りは掴めておらず、進展もない。はっきり言って心残りは十分にあり、失った記憶も取り戻したい。求めるばかりの傲慢な態度に周りは辛辣な発言を繰り返し、幾多と愛斗の精神を切り刻んできたのだ。何度も自害を試みようとしたが、どうしてもあの言葉が足を、手を、その鈍った意志を冷静に戻すのだ。
 なぜ自分があの言葉に固執するかは不明だが、どこか思い出深い過去の言葉であるのははっきりとわかる。
 それに突き動かされ平凡とは掛け離れた現実を生きている愛斗は、呆然と彩湖を見つめていた。そんな愛斗の瞳を逆に見つめ返す彩湖は、徐々に頬を赤くさせほんのりと赤面して見せた。
 「お前‥‥、小動物殺すのに可愛い一面もあるんだな」
 「な——————っ。か、可愛いなんて、私を口説くつもり⁉ 残念だったわね、あなたみたいな男眼中にないのよ!」
 「あーはいはい。それじゃ時間も時間だし、学校行くか」
 「ちょっと、少しは動揺しなさいよ」
 文句ありげな彩湖が足早にリビングを出た愛斗を追っていき、再び静寂がリビングを包んだ。
 家の鍵を閉め、カバンの中身を確認し、徒歩で通える距離にある学校へと足を進める。およそ十分で着くと思われ、移動距離もさほどなければ寄り道する店もない。そのため学校へはすぐに着いてしまい、始業のベルが鳴る五分前でも間に合う距離だ。
 そんな短い通学路を二人の男女が黙々と歩き進める。無表情の愛斗に、冷静な視線を保った彩湖。ぱっと見クール系で硬派な男女に見えるが、その実態は互いが精神的問題を抱えた、いわゆる『サイコパス』であること。否、片方の男性はまだ実感がないようだが。
 「それにしても、よくあなた平気で私と接してるわね。朝会うの少し緊張してたのに、普通で驚いたわ」
 話の話題を持ち掛けたのは彩湖の方だった。肩を並べ細い住宅街の路地を歩く道中、何度か話を掛けてくれる親切な対応に関心の意を持って思いを返す。
 「まぁ別に平気なわけじゃなかったが、なんというか、僕と似ているって、不覚にもそう感じただけだ。別に僕は殺しが好きなわけじゃないけど、ただ、その動機はまだ理解できるかなって、そう思った」
 「ふーん、あなた意外と人を見る目あるのね。感心するわ。でもね、一つあなたは気づいていないことがある。それは、あなたの会話の中で聞こえた殺しを好きなわけじゃないがって、それって殺しをしたことがない人が言うことでしょ? あなたは例外じゃないかしら」
 気づけば大きな道に出ており、同じ制服を着た生泉高校の生徒らが登校をしていた。やはり美男美女が揃っており、そのレベルが高い生徒に自分が浮いていることに気づいた。
 だが、今はそれが気にならないほど彩湖の話に興味を持っている。特に最後の言葉。まるで愛斗が人を殺したことのある前提の物言いに、何かを察してほしいような目付き。間違いないく彩湖は何かに気づいている。だがそれを徐に説明しようとしない態度に脳内が混乱の渦を発生させ、さらに思考は回らなくなる。
 「それって、僕が人を殺したってことか?」
 「えぇ、そのつもりで言ったのだけれど、違ったかしら?」 
 「違うに決まってるだろ。僕が人を殺すわけないだろ? それに、何を根拠にそんなことを」
 「研ぎ澄まされた私の勘よ」
 堂々と豊富な胸の前で腕を組み、鼻を鳴らしながらそう言って見せた。謎の自信に溢れ返っている彼女に哀れみの溜息をつき、少しでも期待した自分を憎む。
 「ま、まぁあれだ。学校ではお前の自論を実践すると悲鳴が起きるから、絶対にするな」「別に学校で私が猫を殺したところで目立つことはないだろうけど。私より凄い人で埋まってるわよ生泉高校は」
 「どんな偏見だよ。超エリート高校だぞ? お前みたいなやつがたくさん居られたらこっちが疲れる」
 話に没頭する二人は意識内から離れていた高校の校門を通り抜けており、桜が美しく散りゆく青空を背景に、少女は足を止めた。動向を目にしていた愛斗もつられて足を止めた。
 心地よく吹き通る風は新たに始まる物語を歓迎しているように思え、その主要である愛斗へ彩湖は言う。
 「あなた、もしかして高校の書類、しっかり目を通していなかったりするのかしら?」
 自分に向けられた視線は決して入学を祝うような祝賀的ムードではなく、重大な問題に巻き込まれる前兆であるのは間違いない。もしかしたら、すでに巻き込まれている可能性のある愛斗へ向けられた哀れみの視線であったのかもしれない。
 答えが定まらないのは承知の上として、さすがに嘘をつく気にもなれず、素直に腹を割った。
 「えーっと、正直に言うと、ほぼ通してない‥‥、です」
 頬を触りながら、少し申し訳なさそうにそう言った。短絡的な決断に「あなたって人は」っと震える声が聞こえ、それを栄に黙り込む彩湖。何度か見せる深刻な表情に髪が掛かり、それを手で直しながら俯く。
 少しの間が空き顔を上げ、少女は無知な愛斗にこの高校を短い文で言い表して見せた。
 それも酷く丁寧に、かつ冷血に————————。

 「この高校は、優秀ではない生徒を順に殺して消していく強制的優秀者抜粋システムに則って機能している、精神病質者育成高校。別名、生泉高校よ」
 
 聞きなれないワードの連続に脳が理解を求めるが、衝撃的な話の内容と、高校の基本システムは聞いて多少な予想はできた。それも聞くには残忍なシステムで、一切視野に入れていなかったこの高校での生活は、一瞬にして灰と化し、思いと共に消え去って行った。
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