この世界に、まだ音楽はない

シズク

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第一幕 第二場 小さな村にて

第2話

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 村に入ってすぐ、ミナは「おばあちゃんのところに行く」と言って、僕を引っ張るように歩き出した。

 朝の光は、焼き板の壁に斜めの影を落としていた。風が抜けるたび、軒先に干された布が、ゆっくりとたわんで揺れる。

 道端には小さな白い花が咲いていた。飾りにしては無造作で、薬草にしては手入れがされていない。ここに暮らす人たちにとって、それが何なのか、僕にはわからなかった。

 小さな家々のあいだをすり抜けるように歩いていく。誰かの鼻歌も、子どものはしゃぎ声も聞こえなかった。ただ、人々が何かを運び、何かを編み、何かを洗っている気配が、石畳の上に淡く流れていた。

 ミナは角を曲がり、小さな庭のある家の前で立ち止まった。

 「ただいま」

 そう言って木の扉を開ける。中から出てきたのは、背の丸い老女だった。白髪を頭の後ろで束ねて、濃い灰色の衣を着ている。

 「ミナ。……その人は?」
 「旅人さん。森の中で会ったの」
 「ふうん」

 老女は僕をちらと見て、それ以上なにも聞かず、「中に入りなさい」とだけ言った。

 家の中は、土の匂いがした。焚き火の名残のような、すこし焦げた香りもある。床は石張りで、壁には木の棚があり、陶器の器や乾いた葉の束がきちんと並んでいた。

 「ここで少し休んでいくといいわ。ミナ、お水を汲んできて」

 ミナはうなずくと、部屋の隅に置いてあった小さな桶を手に取り、ぱたぱたと扉を開けて出ていった。

 僕は、戸口の近くに置かれた椅子に腰を下ろした。

 老女は薪をくべ、やかんに水を入れて火をつける。炎がぱちぱちと音を立て、やかんの中で水が揺れる。しばらくすると、草の香りのする茶が差し出された。

 口に含むと、少し青臭くて、温かい味がした。体の奥にじわっと沁み込むような、初めて飲むのにどこか懐かしい味。

 「……あんた、名前は?」
 「レオです」
 「レオさん。しばらく村にいるつもり?」

 しばらく——。
 言われて、僕は初めて「これからどうするか」を考えた。

 「わかりません。まだ……」

 老女はうなずいた。それ以上の言葉はなかった。

 そのとき、扉の外からミナの声がした。

 「お水、汲んできたよ」

 振り返ると、ミナが両手で小さな桶を大事そうに抱えていた。中で水がこぼれないよう、そっと足元を確かめるように歩いている。

 ——僕は、この村で暮らすことになるのだろうか。

 そう思っている自分が、どこか遠くに感じられた。まだ何も決めていないはずなのに、すでに何かが始まりかけているような、そんな静かな予感が胸に残っていた。

 目の前にあるのは、石の床と、湯気と、風にゆれる草の匂い。

 音はあって、にぎやかではない。けれど、どこか満ちていた。
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