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聖判
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しおりを挟む眼下に広がる温和な農村を見下ろし、彼は小さく鼻を鳴らした。
「くっだらねぇ」
視界に収めた赤い屋根の教会の中では、今まさに聖判が行われていることだろう。恐怖をごまかすための、下劣な儀式。各地をさまよった彼は魔女と見あらわされた者たちがどんな仕打ちを受けてきたのか知っていた。
「本当に、人間ってやつらはどこまで卑劣になれるんだろうな」
がしがしと頭を掻きまわし、心底いやそうに吐き捨てられた彼の言葉には実感がこもっている。しかし、まあいい、と彼は気持ちを切り替えた。
「今俺がすべきことは一つ。さっさと済ませてずらかるとしよう」
彼は軽やかに後ろ足で地を蹴った。
「すべては故郷の同胞のために」
わずかな後、一筋の悲鳴が村に響き渡った。
*
「な、何……?」
教会に満ちていた和やかな空気が一瞬にして凍り付く。先ほどまで微笑みを浮かべていた村長も一気に表情を険しくし、入り口に向かって声を張り上げた。
「何があった!」
大声が高い天井に反響し、ややあって憔悴した様子の重役の一人が駆け込んでくる。
「ハインツ、今の悲鳴は?」
「村長…詳しいところはわかりませんが、物見が言うには何者か…穏やかならざる者が村に侵入したようです」
「穏やかならざる者?」
それは一体なんだと、要領を得ない報告に村長が苛立ち交じりに返しかけた時、開けたままにされていた扉の向こうで人々が一斉にざわめいた。
「犲だ――――――ッ!!」
中央広場に詰め掛けていた野次馬たちの群れが何かを恐れるように不規則にうねる。
「犲だとっ」
「厄災か!?」
……犲。厄災。侵入。シュネーは目を瞠る。
(それって、リリーが言ってた?)
あちこちから老若男女の悲鳴が上がる。村に押し入った不届き者はすでに近くまで迫っていると見え、一瞬にして中央広場は阿鼻叫喚の恐慌状態に陥った。
震えて動けなくなる者、怒声を上げる者、逃げようとして人ごみに押され転ぶ者。
そこにいるものが皆、心底侵入者を恐れているのがよくわかる。小刻みに震えるリリーの手をシュネーはとっさに握り返した。
狂乱の嵐に、やがてたまりかねた様子で重役の一人が前へ飛び出し声を張り上げた。
「皆、落ち着け!広場にいるものは一度教会に―――」
しかし、唐突に彼の言葉の語尾は消えうせた。直後、何かを打ち据えたような鈍い音が耳朶に届く。首を巡らせたシュネーは愕然と目を瞠った。恰幅のいい重役の巨躯がいとも軽々と教会の天井に吹き飛ばされ、宙をまう。
「ジン!?」
驚愕の面持ちで見上げた村長の真後ろへ重役の体躯が落下。背中をしたたかに打ち付けられた彼は、ぐっとうめいてぴくりとも動かなくなる。リリーが引きっつったような悲鳴を上げた。
そして、皆が驚愕と恐怖に満ちた眼差しで一斉に振り向いた先に、平然と突っ立つ闖入者の異様な風体。
「悪いが、大勢の人間を教会の中に入れたりしたら俺の目的が頓挫するんでね」
逆光の中でも、シュネーの目は闖入者の姿をはっきりととらえていた。吹き飛ばされた重役の半分ほどの上背に、前傾姿勢。薄暗がりの中あやしくきらめく双眸は鮮やかな金色。しかしその姿は―――人のかたちではなかった。
(言葉を介する獣といえば人獣……これは犲種!?)
「何をしに来た、犲!」
すさまじい形相で村長が吠える。
その侵入者は鬱陶し気に彼を見やると、いたく投げやりに問いかけた。
「ここに『魔女の骨』とやらがあると聞いたんだが、どこにある?」
思わぬ言葉にその場にいた全員が息をのんでシュネーを振り返った。思わず自分の掌に納まっている玉を見下ろすと、犲が「へえ」としたり顔で笑う。
「それが魔女の骨か」
「……ちっ」
むざむざ骨のありかを教えてしまった失態に村人全員が臍を噛む。しかしさすがの貫禄というべきか、村長は早々に動揺を消し去り皆をかばうように一歩前に出ると傲然と胸を張った。
「魔女の骨に、何の用だ」
「なに、ちょっとした実験さ。そいつがあれば目的が果たしやすくなるかと思って な」
(……実験?)
シュネーは眉をひそめて「犲」を凝視する。リリーはすっかり腰が抜けた様子でがくがくと震えていた。
「悪いが、渡すわけにはいかない」
きっぱりと言い切る村長に、犲を取り囲むように展開していた重役方も賛同して頷いた。
そんな村人たちの反応に犲は軽く肩をすくめた。(ようにシュネーには見えた)
しょうがない、そんなふうに犲の口元が動き、次に顔を上げた彼の双眸には好戦的な光がきらめく。
「なら、力づくで奪わせてもらう」
瞬間、目にも止まらない速さで彼が床を蹴り、あっという間に先頭にいた重役の前へと躍り出る。
「があっ」
先刻同様に大の大人の体が紙切れ同然に跳ね飛ばされて墜落する。なけなしの勇気を振り絞った他の重役が捕縛を試みるも、縄を打つ前に彼の視界は反転。
「ど、どうしようシュネー…」
震えてしがみついてくるリリーをなだめながら、シュネーの頭はすさまじい速度で回転し逃走経路を模索する。それはあたかも―――日常的に行ってきた癖のように、身に親しんだ行為だった。
そうしている間にも村人たちは次から次へと床に伏せられていく。さっさと隙をついて逃げてしまうのが得策だろうが、あいにくシュネーの手の中には問題の魔女の骨がおさまっていた。
(いざとなればこれを差し出して逃げることも可能でしょうけど…果たしてそれをしていいものなのか―――、……っ!?)
突然どんっと重たい衝撃がわき腹を襲った。犲に投げ飛ばされた重役の体がシュネーを巻き込んで壁際まで跳ね飛ばす。
「―――ぁっ!!」
もんどりうってシュネーは床に打ちつけられた。頬をがんと殴打する冷たい床。
痛むわき腹を抑えながらもなんとか肘をついて起き上がろうとしたシュネーは、身を切るようなリリーの絶叫を聞いた。
「シュネー!逃げてっ」
はっと顔を上げた時には遅かった。
すさまじい速さでぶつかってきた犲の体躯がはるか彼方へ華奢な少女を吹き飛ばす。
「――ッ!!」
だんっ、と背中がリーツィエ像の台座に叩き付けられ苦悶の表情でシュネーは呻いた。幸運なことにまだ魔女の骨はまだ掌中にある。しかし―――
ぱりん、と澄んだ音を立てて青金石の欠片が舞った。
(!!)
首元から飛び出したペンダントは、シュネーと台座の間で見るも無残な亀裂を走らせ砕け散る。もともと柔な青金石は、二度の落下の衝撃に耐えられなかったのである。
瑠璃色の、欠片の雨が流れる。
玻璃を叩き割ったかのような音を響かせてすべての欠片が床に落下。
目を瞠るシュネーの目前に牙をむいた犲が迫る。
シュネーは魔女の骨を持ったまま咄嗟に両腕を交差させて顔をかばった。
(―――避けられない!)
時間が引き伸ばされるような無重力感。
犲の床を蹴る音が間延びして聞こえる。
ふいに無音となった世界で、シュネーは目をきつくつむって―――
『いとしい同胞、私が守ってあげる』
誰かの声を、聞いた。
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