ブロイエの魔女

榊 香

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聖判

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キン、と音たてて見えざる障壁が迫りくる犲を弾き飛ばす。

「えっ」

目を瞠った犲が身をひねってぎりぎりの体勢で着地。目の色を変えて身構えなおすと、信じられないものを見るような眼でシュネーを凝視する。

「それは……!」

『開放詞華:――――――』

(えっ!?)

思い出の慟哭エアインネルング:ヴェークラーゲン

状況を理解できずに尻餅をつくシュネーの前で、燐光の花の紋様が焦点を結ぶ。繊細な絵柄が発光、のち展開。

一気に収斂された紅の閃光が、狙いあやまたず犲の足元を貫いた。

床石がはじけ飛び、後ずさった犲の額をしたたかに打ち据える。

「小娘……お前、それは!」

「ええっ!?」

 突如目の前で繰り広げられたとんでもない展開に、上ずった声でシュネーは叫ぶ。

ただ、掌中の魔女の骨が段々と熱を帯びてきていることが気にかかった。焼けるように――とまではいかないものの、先ほどまでの冷たい肌触りとは明らかに異なった熱が掌に伝わる。

うろたえるシュネーを犲はじっと食い入るように見つめ、呆然と叫んだ。




「お前、魔女だったか!!」




荒れ狂っていた思考が瞬時に凍り付いた。

「は……?」

「その花紋、まぎれもない。魔女の骨に反応して花紋が現れるのは、魔女の証!」

なんてもうけものだ、と犲がつぶやくのをシュネーはあっけにとられて聞く。

花紋。魔女。魔女の骨。

シュネーはおそるおそる、確かめるように視線を下にずらしていった。

ゆったりとした袖をふるえる手でそっとまくり上げ、現れたものに息を詰める。

二の腕までをびっしりとおおいつくす、精緻な紋様。

煌らかな純白に輝くそれは、さながら質感を持たないレースのごとく。

玉に触れた部分の花紋だけ紅に染まり、煌々とまばゆい光を放つ。

その美しさと、あやしい輝きにシュネーは状況を忘れて思わず見入っていた。





「―――シュネー…?」




はじかれたように振り向いた先にはへたり込んだ体勢のままのリリー。

「シュネー、それ…」

「っ、魔女だ!」

呆然と語りかけようとしたリリーの言をさえぎり、ひと際大きな声が教会の高天井に響き渡った。

声の元は犲に投げ飛ばされ床に伏せていた重役の一人。

その声は、あまりの目まぐるしい展開に追いつけずぼうっとしていた人々の意識を急速に現実に引き戻す鍵となった。

―――動揺は伝播する。

「確かに花紋だ……」

「しかし先ほどの聖判では……」

「ならあれはなんだ!」

ざわめき立つ教会に、シュネーと犲は立ち尽くす。

収拾がつかないほど喧騒が反響し、どくどくと早鐘を打つ鼓動にさらなる圧をかけていく。

「皆、落ち着け!」

やはりここでも真っ先に立ち直ったのは海千山千の村長だった。

彼はのろりと身を起こすと、緩慢な動作で右腕をもたげ、ぐっとシュネーに指を突き付けた。

「忌まわしき魔女が、聖判をあざむき、ここに立っている!」

(……っ!)

憎々しげな声色と眼差しに心臓が凍りつく。

「あ……わ、私は!」

「よくも我らをたばかってくれたなシュネー=アルト!聖なる神判さえ欺き通すとはなんと邪悪なッ」

豹変した村長の態度に心が怯えだす。足が震え、玉を持つ手もおぼつかない。救いを求めるようにリリーに顔を向ける。

「シュネー……」

「お、お嬢さま……」

「私たちを、だましていたの?」

「ちが……っ!」

絶望に顔が引きつる。自分は皆が忌み嫌う魔女ではない―――しかし、そう言い切ることができない。自らの両腕で、胸元で、片頬で輝くこの美しい花の紋様を、自分は忌むことができないのだから。忌むなんてとんでもない。懐かしささえ感じる。やはり、失った記憶の中で、自分は魔女だったのだろうか。

「魔女をとらえよ!」

際の体当たりから立ち直りかけていた重役たちに村長が朗々と命じる。のろのろと男たちが起き上がり、一歩、また一歩とシュネーに迫る。

「あ……あ…」

もう何を言っても彼らに届きはすまい。声を失うシュネーの膝裏に、ふと暖かなものが押し当てられた。

「あきらるんだな、あいつら人間はことごとく自分たち以外を迫害するんだ。一番被害にあったのが、おまえら魔女一族だよ」

犲だった。

ぐっと力を込めて鼻頭をシュネーの膝に押し付ける様子は、まるでシュネーを慰めているかのようにも感じられた。

「見ろ!犲をあのように従えている!先ほどの襲撃も自作自演に違いない!」

心無い台詞に愕然と目を瞠る少女を犲は目を眇めて見上げ、ふいにとんっと勢いつけてシュネーの膝を押し出した。

「きゃっ!?」

がくんっと体勢を崩したシュネーの下に回り込み、犲は器用にもその背でシュネーを拾い上げた。

「ちょっと!?」

「俺はあいつらが嫌いだ。いつもいつも、俺の仲間を傷つけた」

はたと己を見下ろすシュネーの視線を受け止めて、犲はとんとんと助走をつけるように床の上で数回跳ねる。

「仲間を救うために、魔女がいる。ちょうどいい、お前、助けてやるよ。そのかわり俺の旅に付き合ってもらう」

「何をしている、とらえよ!」

村長が片腕抑えてぐわりと吠える。それにも構わない様子で、犲の彼はくい、と首を上げてシュネーを見上げた。

「二つに一つだ。俺と旅をして助かるか、それともここで火あぶりか。どうする?魔女の娘」

包囲の輪は徐々に狭まる。じり、じり、と少しずつ距離を詰めてくる男たちは、常にとびかかる機会をうかがっているようだ。

シュネーは、居並ぶ人々を順繰りに眺めた。村長、男たち、リリーの母。最後にリリーを見つめて、シュネーは意を決したようにうなずいた。

「私を助けて!」

シュネーの答えに犲はにやりと満足げに笑う。

「いい返事だ」

「かかれ!」

その瞬間男たちがいっせいに床を蹴ってとびかかった。

先程犲に対して行った攻撃とは違う、今度は完全なる八方封じの包囲網。しかし犲は余裕の表情を崩さないまま好戦的に口角を吊り上げた。

「人間の動きは本当に遅い」

そんなのろまで俺をとらえようなんざ100年早いわ。

そう言って悠々と構える犲に包囲の輪が迫る、迫る。本当にこいつ信用してよかったんだろうかと今さら後悔しながらシュネーが犲の背中にしがみついたとき。

弾丸のように地を蹴って犲は出口へ飛び出した。

「!?」

咄嗟に息を詰める男たちの頭上をひらりと跳躍。軽やかに着地するなり息もつかせず入り口に向かって駆け抜ける。

村長の怒号を置き去りに、銀色の獣は疾風のごとく駆け飛んだ。

入り口の光がみるみる近づき、次の瞬間には風を切って外の世界へ飛び出していた。

青々とした緑の広場を突き進み、道端で悲鳴を上げる村人たちの合間を疾風のごとくすりぬけて、犲はぐんぐん速度を上げる。

行きにたどった教会への道をその半分以下の速度で駆け去り、やがて犲は村を隔てる小川を勢いのまま飛び越えた。

(―――村を抜けた!)

そのままスピードを緩めずに一陣の風のように力強く駆けていく犲。

やがて森へ分け入り、木々を躱して進んでいた彼は、息も切らさず楽し気にシュネーに語り掛けた。

「しっかりつかまってろ、跳ぶぞ!」

「えっ?」

何事かと顔を上げたシュネーは見てしまった。

(ちょっと!?)

はるか先、猛スピードで迫っていくその先に待ち受ける、ぱっくり口を開けた断崖を。

「3、2、」

「ちょっとまさか!?」

「1!つかまってろよ!」

そしてためらいなく犲は絶壁を蹴りつけて跳躍した。




「いやぁああああああああああっ!!」

「うるせえ!」




そして、少女と犲の姿は深い谷間へとみるみる吸い込まれていった。



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