ブロイエの魔女

榊 香

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聖判

モノローグ

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 大陸国家グランネーヴェは、読んで字のごとく大陸全土を国土に有する無類の他種族国家だ。約100年前、各々の王国を築いては争いの絶えなかった陸種八族を当時の「人間」が族長ヴォルデシュタインが和解させ、連邦の名のもとに国家を樹立したのが始まりである。

 現在大陸中央から北にかけて広がる人間領の中心部に位置する都市ネーヴが首都と定められ、各種属領を結ぶ大道四道の始点として交通の要になっていた。

大いなる雪グランネーヴェという国名の示す通り、北方の急峻な山脈ノルデンベルクから吹き降ろされる寒風によって国内はほぼ常冬の気候を保っている。さりとて年中厳寒というわけではなく、豊かな緑と折々の花々が美しい。種族にもよるものの国民の気性は平均的に素朴でおおらか。まさに平和を体現したかのような国、それがグランネーヴェという国家だった。




***




「この国は、いつかひとつになる……そんなことをこの前言っていたがいたの」




 よく晴れた日の昼下がり、農夫たちが昼食をとるために家へ戻った隙を見計らって、少女と少年は村で一番眺めのいい丘の上を陣取った。

やわらかな芝生に大ぶりの布を広げ、少女が手ずから用意したランチセットがバスケットから取り出される。




 少女はまだ用意の途中だというのに、お構いなしの体でいち早くサンドウィッチにかぶりついた少年は、世間話のように軽く投げかけられた少女の言葉をいまひとつ真面目に聞いていなかった。




「そんな日が来るのかしらね。このままいけば。……もちろん、種族の共存という形になるのだろうけど」




 丘の稜線には青空が広がり、吹き抜ける風が芝の緑と遠くの雲をゆっくり押し流していった。のどかな陽の光と小鳥のさえずり。パンとレタスとチーズの絶妙なうまみ。―――これ以上ないほどの、穏やかな昼下がり。




茶色がかった鋼色の髪を風にそよがせて、少年は深く考えないまま、聞こえてきた心地よい声音に生返事を返す。




「そうかもな」

「ちょっとヴァン……あんたちゃんと聞いてた?」




 さすがに付き合いの長い少女の耳はごまかせない。

さっそく悟られて、ヴァンは慌ててサンドウィッチの欠片を飲み込むと少女の方に向き直った。




「ごめん、なんだっけ?」

「まったく……これだからこの男は……。たったいま、話す気が失せました」

「はああ?なんだそれ、気になるだろ」

「最初は適当に聞き流してたくせに今さら何なの勝手な男ね!」

「お前の気が短いのも大分問題だろ!」




 なごやかな丘の風景に少年と少女の口げんかが吸いこまれていく。

たわいない会話ですらも景色の一つであるように、二人の姿はひどく自然に馴染んでいた。




ここは狼種ヴォルフの群れの棲み処、美しい森シェーンヴァルツを抜けてしばらく歩いたところの街道のはずれ、ライネ村。大道四街道の恩恵はほど遠く、昔から住み着く村人たちによるひっそりとした自給自足が営まれる、人間の、村。




本来ならばこの村の住人ではない少年少女がここにいるのは、ピクニック目的半分、偵察目的半分、といったところだろうか。




ため息をつきながら自分もサンドウィッチを口に放り込んで、少女は丘の向こうを振り仰いだ。




「国は違えど空は一つとよく言うけれど……」

「ま、そんな簡単な話じゃないよな」




 そう言って芝生に寝転がったヴァンを少女はジト目で見下ろした。




「あんたね……族長様ともあろうお方が、こんな偵察まがいのことにひょいひょい顔出しに来ててもいいわけ?」




彼の表情に僅かに苦虫を噛み潰したような色が広がる。内心少女は確信した。今回の外出のことを、十中八九彼は周囲に伝えていない。

(呆れたこと)

冷えて僅かに硬くなったパンを飲み下す。




 小麦の豊かな狼種領。常時であれば食料に困ることは万に一つもない。しかし数世代前のように種族間の軋轢が限界を超え、ひっきりなしに小競り合いが続くようになれば話は別だ。兵士の食料分が女子供の食事を圧迫する。やせ細った体で子供は産めないから種が衰える。最悪、略奪が起きる―――。




(けど、それにもまして今がとてつもなく厄介だわ。まさか人間が―――)




―――あんなに力を持つようになるなんて。




渋く顔をゆがめて、絞り出すような声音でヴァンがうめく。




「族長だからこそ、だよ。この先本当に人間方に与し続けていいものなのか、その選択が、本当に狼種を豊かに、いや、幸せにするのか否か、俺は見定める責務がある」




お前だってそうだろ。そう言って向けられた重たげな眼差しに少女が瞳を揺らすことはなかったが、ただ僅かに翳らせて息を吸った。




「お前のとこの……レーヴェ、魔女ヘクセ一族だって、そろそろ議題が上がってるころ合いじゃないのか。昔の迫害の禍根は、消え去ったわけじゃないだろう」

「……この前辺境の村で不審火が出たわ。意見の潮流は偏りかけている…今言えるのはこれだけね。貴方のところ、じわじわと来てるでしょう。小麦の大量の租税」




 今度こそ彼の表情が前髪の影に完全に隠された。




(人間が中立を唱えて陸種八種の統治役となってから、魔女一族が協力を決断してから役10年…だのにもう、綻びは大きくなってきている)




バスケットの中身をすべてさらえてしまっても、満たされた心地はしなかった。

ぽっかりと開いた胸の洞は、万事が良い方向に転がらない限り埋められることはない。

少女も、彼も。

選択する者としての責務は、暗く重たい。




「なんだか、何を話しても暗い話題になっちゃうわね」




 手慰みに右腕をまくった。

若草に触れて、気を通わす。




「それ」




すいっ、と腕を持ち上げ放り出すと、緑の燐光をまとって数本の蔓草が空に向かって勢い良く伸びあがった。

もう一度腕を横なぎに払うと、茎という茎から一斉に若芽が芽吹いてふわりと葉を広げる。




右腕を彩る艶やかな花紋は一族の中で最も精緻だった。

一族の中で魔法を一番巧みに操れたのも、自分だった。

血縁関係のない魔女たちの中で、特異な存在だったのも、自分。




「エーファ」




 ふいに掛けられた声に首で振り返る。




「その名前で呼ばないでくれる?」

「でもお前の本名だろ、別の名前よりよっぽど似合ってる」

「それでも呼ばないで。私はいつでも凛然とした”雪”であらねばならないのよ。お気楽なあなたと違って」

「じゃ、ネーヴェ

「ちがう」




少女は眉根を寄せて、ただ少しだけ楽しそうな色を目に宿しながら、少年の鋼色の頭をぶっ叩いた。

気安い仲だ。そう思っている。

付き合いは一族の面々よりは短くとも、信頼することのできる、誠実実直で勇猛果敢な狼種ヴォルフの族長。年近い友人。誰かの営みを預かる者。そして、同志。




シュネーよ」




魔女一族の中での特異点。

目を細めて、少女は口端をにやりと吊り上げた。




若草の緑に、輝く銀糸がこぼれ落ちる―――
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