ブロイエの魔女

榊 香

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狼と魔女

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 いきなり崖から飛び降りられた時には、本気でついてきたことを後悔した。

火あぶりを回避して旅に出る、その瞬間に幕引きを迎えたのではたまったものではない。落下しているさなかで、着地するときにはせめてこいつだけは下敷きにして踏みつぶしてやるとまで考えたものだが、逆に獣人の身軽さと膂力を甘く見ていたことに気づかされた。




 こうなることを始めから予測していたように、犲は的確に足場を見つけては確実に勢いを殺しながら着地する。さすがに着地直後はすぐ身動きが取れなかったようだが、それでもものの数分と待たずに駆けだした。

崖から落下した衝撃があまりに強かったもので、後はもうどうにでもなれと、シュネーは半ば意識を放り出して犲の背に揺られていた。

そして先刻、ようやく彼が休憩に足を止めたのを知り、よろよろとした足取りで久方ぶりの地面に足を下したところ。

体よく見つけた泉のほとりで、シュネーはへたりこむ。

(……つかれた)

馬に乗るのとはわけが違う。たとえるならば、暴れ馬に蔵もつけずに乗る感覚。実際やってみたことはないものの、きっとこんな感覚に違いない。

 足の脱力感としびれ、空腹を通り越して何も感じない腹部、気だるい頭、肩のこり。

いますぐ、眠りたいほど気分が悪い。

「おえ……」

 思わず口元を抑えると、泉に鼻先を浸していた犲がぎょっとしたようにふりかえった。

ぶるぶると頭を振って水滴を飛ばし、嫌そうな顔をして身をかがめる。

「おいおい、気分が悪いのはわからんでもないが吐くほどひどいのか」

「……あなたも一度、手すりにつかまらないで暴走する馬車に乗ってごらんなさい。きっと気持ちがわかります」

 青い顔のまま剣呑な顔でにらみつけると、犲はややしり込みしつつも頷いた。

しばらく気分が落ち着くのを待って、緩慢な動作で泉に近づき水を喉に含む。湧き水なのか、淡水のようなくさみはなく胸中で安堵の息をついた。

森の泉の水だから当たり前と言えば当たり前かもしれない。

 両手をついて体を起こし、姿勢を直してシュネーは犲のほうに向きなおる。

「先ほどは助かりました」

座ったまま頭を下げると、ふんと犲が鼻を鳴らした。

「聖判なんぞにひっかかるとは、あんたも相当間抜けと見える。まあさっきの様子じゃ、今初めて自分が魔女だって気づいたみたいだけどな。その年でちょっと鈍感なんじゃないのか?」

 皮肉っぽい口調。濡れた毛並みを整える彼を疲れた眼差しで見やり、シュネーは倒れこむように足を崩した。

「なんとでも。こう見えて記憶がないんですよ。私の記憶の始まりは、あのザフ村の川のほとりで目覚めた瞬間です。魔女や聖判なんて、未知の言語にも等しかった」

 僅かに目を瞠る犲。記憶が?と意外そうに紡がれる中低音に気だるく首肯。

さらりと目の端をかすめた自分の白髪を適当に梳きながら、シュネーは自分の身の上を簡単に話して聞かせた。

唯一覚えていた自分の名前と、とりあえず判明した魔女だったという真実。先ほど花紋が発露したのは自分の意志ではなかったことも付け加えておく。

直前に誰かの声を聞いたことを話すと、犲は器用に前足を顎に当て、「骨の残留思念みたいなものか」とつぶやいた。

「うわさに聞く程度だが、あの手の呪物には残留思念が宿っていることが多いらしい。案外、後裔の危機を悟った骨の魔女がお前を助けたのかもしれんな」

「そう……それなら、感謝しておかないとね」

 ぽつりと返事をして、懐に収めたままの魔女の骨に手を当てる。こんな形に残ったこの骨の魔女は、やはり弾圧されたうちの一人なのだろうか。どういうわけか時代を超えて、記憶を失った新参の魔女を助けるために残された力を使ったのだろうか。

自分と同じような目にあわされないように。

 懐を見つめたまま押し黙ってしまったシュネーをちらりと見て、犲はおもむろにすっくと立ちあがった。

何事かと顔を上げると、背を向けた彼はちょっと肩をすくめて、ひょいひょいと後ろ足をシュネーに突き出した。

「何?」

「見てわかんねえか。この包みをとれって言ってるんだよ」

 言われて初めて彼の足に布包が括り付けられていることに気づいた。緑色の包みはでこぼことふくらんでそこそこの質量を誇示している。

(こんなものをぶらさげてここまで走ってきたというの!?)

 背中に重たい人間を乗せ、さらに片足にこんなものまで括り付けて、シュネーの疲労など比べ物にならないほど、消耗しているのではなかったのか。

「おい早くしろ。足がつるだろ」

 せかされ慌てて取り外す。言われるままに中身を空け、シュネーは思わずきょとんと動きを止めた。

「服?」

 布にくるまれていたのは人間の男性用の服が一式だった。

仕立ての良い上着にズボン。ご丁寧に靴までついている。

「あら?」

 ふとズボンの奥に何か薄っぺらい布切れが見えた気がした。興味本位で特に何も考えないままシュネーは手を伸ばし、ぺらりとズボンをめくりあげる。

「……ん?これは……」

すっとつまみあげると、妙だった。

短ズボンのようにも見えるが、やけにうすっぺらい。どこかで見たような気がするとシュネーは首をかしげる。

どこでだったか、そう、リリーの家の、庭先に……

「あんたは恥じらいというもんを持ち合わせていないのか!」

 突如後頭部に衝撃がはしりぬけた。小さく悲鳴を上げて縮こまるシュネーの背中に、容赦ない罵倒がふりかかる。

「包みを開けとは言ったが下着の検分まで頼んだ覚えはないわ!それでも女かこの白髪!」

 ぐわんぐわんと反響する罵声を耳を抑えて聞き流していたシュネーは、はたと気づいて顔を上げた。

「下着?」

 つつ、と視線を手の中の布に滑らせる。

短ズボンに似た薄い布。朝、家の庭先で物干竿にほされているもの。……下着?

「――――――ッ!?」

声にならない悲鳴を張り上げて持っていた布を放り投げる。

慌てたように後ろから手が伸びて下着が地面に落ちきる前にキャッチ。しかしシュネーは口をパクパク開閉して言葉もなかった。

(さ…触ってしまった……!というより、まじまじ見てしまったわ!破廉恥!お馬鹿!)

こんな失態目も当てられない。

うわあ、うわあ、と口元を抑えて混乱に陥るシュネーの耳に、ふと衣擦れの音が届いた。

自分と同等、もしくはそれ以上の質量を持つ何かが背後で動いている気配がする。

(え、何?さっきの犲にしては若干雰囲気が違うような―――)

 おそるおそる首を回したシュネーは、次の瞬間驚愕に目を見開いて思い切り身を乗り出していた。

「えっ、ちょっと、ええ!?」

「一々騒々しい奴だな、人垣が得てる最中にいきなり振り向くやつがあるか」

 うっとうしそうに前髪を書き上げシュネーを見下ろす一人の少年と目が合う。いや、むしろ青年と言った方が近しいかもしれない。さらりとした黒髪に、獣を思わせる――どこかで見たことがあるような――鋭いまなざし。びっくりするくらい整った顔立ち。

 神に誓って面識のない少年だ。しかし、

「あなた、その声―――さっきの犲なの!?」

 叫んだ途端に額に鋭い衝撃が走った。思わずうめくシュネーに対し、少年は非常に嫌そうに顔をしかめた。

「間違えるな、おれは犲種じゃない。れっきとした誇り高き狼種ヴォルフ。慣れているから人型に戻った。それだけだ」

「『変身トランスフォーム』……そうか、あなた獣人だったわね。人型と獣型、両方選べるわけか……それで今、犲ではなく狼種と?」

「そう。東の美しき森シェーンヴァルツの狼種。このへんに来てからよく勘違いされるが、まかり間違っても俺はあの薄汚い卑怯な犲種どもとは違う。わけあって群れを離れてはいるが、その誇りまでは置き去りにしてはいない」

「よくわからないけれど、とにかくあなたは狼種なのね」

 適当に話を丸め込んだシュネーにもの言いたげな目線を向ける犲、こと人型の狼種。嫌味なくらいの美形っぷりにかすんでいたが、どうやら年のころは自分と大体同じらしい。といっても、シュネーの場合自分の年齢は水面に映る姿からの憶測だが、おおよそ、十六、七といったところだろう。

(そんな東の森の子供がどうして群れを離れてこんな西の森まで?)

ザフ村は西果ての森、ルイーネヴァルツのほぼ真下の村。東の果てのシェーンヴァルツからすれば、大陸をはさんで対極の位置だ。たかだかちょっと力がつき始めた程度の少年が一人でうろつくには、いささか遠すぎる気がする。

(……まあ事情はおいおい聞くとして)

「あなた、名前は?」

 シュネーはおもむろに少年に向き直ると、ずい、と膝をつめて問いかけた。

は?と一歩後ずさった彼だったが、やがて「ああ」と頷き口を開く。

「テオ=シュタイン。狼種族長の弟だ」

「……あら、随分と大物だったのねあなた。狼種といえば、確か人間と一番友好的な種族ではなかったかしら?私の記憶が正しければの話だけれど」

 自分にまつわる記憶以外なら大体覚えている、と、思う。

狼種は陸種八族のなかでも最も人間と距離の近い種族として有名だった。グランネーヴェ建国の王に付き従った最後の種族でありながら、後数百年の間には「友好種族」筆頭格にまでのし上がった、よく言えば世渡り上手、悪く言えばしたたかな一族である。あまりに人間の種と緊密になりすぎたため、人とのかかわりを拒む他種族からはやや敬遠されがちであったはずだ。

 しかし、ふと耳の奥によみがえる言葉。




『俺はあいつらが嫌いだ。いつもいつも、俺の仲間を傷つけた』




(どういうこと?やっぱり私の記憶違い?)

 やや眉を顰めるシュネーから目をそらし、テオはどこか吐き捨てるように「表向きの話だ」とつぶやく。

「他種族が思ってるように、狼種と人間が本当の意味で親密だったことなどは歴史の上で一度たりともないさ。大体やつらの脅迫におびえて従っていただけ。一番の友好種族?違うね、一番の体のいい奴隷だよ」

「奴隷?えらく物騒ね」

「物騒どころか陰惨だな。王家と来たら、自分の都合で俺たち一族をこき使い、逆らえば嬉々としてみせしめをつくる。俺たちがおとなしくしているのをいいことに、本来不可侵のはずの領地にも手を出して好き放題やりやがった。あげくの果てには今度の大迫害だよ」

「―――迫害?」




 訝しむシュネーから顔を背けたまま、テオはああと言い捨てる。

「おまえ、ザフ村にいたのなら厄災の話は聞いただろ」

「ええ…負の感情が凝り固まって生まれた現象でしょう?最近頻発してるとか」

頷くテオ。膝に片肘ついて遠くを見るような眼をして語り出す。

「最近の厄災の発生源は、ほかでもなく俺の故郷のシェーンヴァルツなんだよ」

「あなたの?」

「ちょっと前に人の種が領土を侵犯してな、騒動が起きた。一度は和解したんだが、難癖つけられた人間の奴らは軍の小隊連れて報復に出て、国境沿いの村はほとんど焼かれ女子供は連れていかれた。でも、誇り高い仲間のうち数人は捕まることを良しとせずに戦って死んだよ」

 シュネーは胸の奥でどろりと渦巻く何かを感じた。

無意識にわきでてくるこれは、果たして怒りだろうか、憤りだろうか。ただテオの話を聞いて同情しただけではない、これは、覚えていない記憶と感情が呼び起こした負の感情と悲しみだ。

 やがてテオの話は、徐々にシュネーに向けられるようになる。

「狼種の無念がどうにも厄災を呼んで、今度は人間に対して報復を始めたものだから俺たちへの当たりはますますきつくなった。果ては自分の怨恨の理由すら忘れた厄災が一族の村を襲うようになり―――滅びの危機に瀕した狼の種は、辛い打開策を思いつく。厄災のような正体不明の減少の類と最も親しいものに助力を仰ぐ、つまりは魔女に助けを求めることを思いついたんだ」

 はっと目を瞠る。ザフ村で、彼はこんな風に言っていた。




『仲間を救うために、魔女がいる』




(そういうことだったの……!)

理解の色が浮かんだシュネーの瞳を上目遣いで見上げ、テオはそうだ、と頷いた。

「一口に魔女を探すと言っても彼女たちだって命がけで隠れてる。そう簡単に見つけられるものじゃなかったさ。でも、ついこのあいだ西の森で火事があって、魔女の集落が検挙される事件が起きた。―――不謹慎だけど、好機だと思ったよ。軍にとらえられた魔女は無理だ。でも、逃げ延びたものと接触できる可能性は高い。そう思って火事のあった森の近くをうろついていて、あのザフ村で、聖判の話を聞きつけ、あんたに会ったってわけだ」




 綺麗につながった少年の旅と自分の存在に、シュネーは大きく目を見開いた。
 
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