アムリタ

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第一章 雪が融けるまで

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 リトワイトに訪れた冬はもうすぐ終わりを迎えようとしていた。
 雪の降る日が徐々に減り、日差しも暖かくなり、地面に積もった雪も融けてきている。
 ところどころに土色の地面が顔を覗かせ、よく観察すると小さな芽が息吹き始めていた。やがてリトワイトを覆ったすべての雪が融ける頃、あちこちに美しい花が咲くのだろう。今はすっかり寂しくなっている木々にも、あと少しすれば緑の葉が生い茂り、のどかな春の風に揺られざわざわと葉をこすらせて新しい季節を告げるのだろう。

 薬師はリトワイトの玄関とも言える場所にいた。町の名前が刻まれたアーチ状の看板に背を預け、町と、町を囲む自然を眺めていた。
 今日は出立の日だ。
 冬は薬師にとって最も旅をしづらい季節だ。植物が育たないため大量の薬を作ることはできないし、なにより地域によっては雪で満足に歩けなくなってしまう。冬の間に動き回るのは非常に危険なのである。
 そのため冬になると必ずどこかの村や町に長く滞在するのだが、今回はリトワイトで過ごすことに決めてよかったと、薬師は心から思った。

 ぴちち……と、小鳥のかわいらしいさえずりが聞こえ、木から飛び立った姿が目に入る。動物たちもそろそろ動き出す頃なのだろう。

「お待たせしました」

 鳥に気を取られていると、いつの間にかカヤがすぐそばにまで来ていた。
 小ぶりなレザーのバッグを肩にかけ、帽子をかぶり、さらに赤い織物を羽織っている。

「荷物はそれだけで大丈夫なのか」
「はい。持ち物が増えたら、その時また考えます」

 カヤはそう言うと、にこりと笑う。
 少し前までは想像もできなかったほど穏やかな顔つきだ。

「カヤ……」

 メカルの手を引き、母親もやって来る。
 カヤは振り返り母親と向き合った。

「母さん。来てくれたんだね」
「当たり前でしょう。カヤが旅立つ日だもの。ねえ、メカル」

 手を繋いだメカルは唇を噛みしめ、必死に泣くまいと堪えている。
 しかし、やはり子どもだ。大きな目にはすでに涙が溜まっていた。あと1度でも瞬きをすれば零れ落ちてしまうだろう。

「本当にいいのか?」

 薬師はカヤに声をかける。
 カヤは「はい」と迷わず答えた。

「憧れだったんです。外の世界に出て、いろいろなものを自分の目で見ることが」
「だが……」
「さんざん話し合ったじゃないですか。だから、大丈夫」

 なんでもないことのないようにカヤが笑う。きっとなにを言っても聞かないだろう。顔つきから意志の強さを感じ取れた。
 本当に強くなったものだ。ついこの間まで自分の人生について自暴自棄になっていたというのに。
 しかしまさか、ここまで考え方が変わるとは薬師にとっても予想外であった。
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