国虎の楽隠居への野望・十七ヶ国版

カバタ山

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五章 三好長慶の決断

死に損なった男

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 天文一六年 (一五四七年)の一一月末、予想通りの出来事が起こる。細川 氏綱殿と津田 算長の連名で河内国高屋城への救援要請が持ち込まれた。

 この書状を思わぬ人物から受け取る。

「はっはっは。いやー、このような形で婿殿と初めて会うとは思わなんだ。どうだ、娘は元気にしているか? 実は一度も会った事は無いがな」

 俺の義父であり、天下御免の詐欺師でもある細川玄蕃頭家当主 細川 国慶殿であった。

 一目見た瞬間に只者でないのが分かる。具体的に表現するのは難しいが、一流の芸能人を見たような気持ちと言えば良いのだろうか? ただそこにいるだけでも存在感が違っていた。

 なのに、

「国慶殿……いや義父上と言って良いのでしょうか……」

「義父上で構わんよ」

「それでは義父上、失礼を承知で言わさせて頂きますが、臭いです。きちんと体を洗っておりますか? 浦戸城には離れに湯屋を設営しておりますので、直ぐに準備をさせます。試作品ですが石鹸という汚れが落ちる物がありますのでお使いください。今村殿や家臣の方も遠慮無くどうぞ。話はそれからにしましょう」

「はっはっは。これは失礼した。これまでずっと戦続きだったものでな。そういった感覚を忘れていたようだ」

 そうした雰囲気とは別に、長い戦の弊害か義父上はとても残念な人になっていた。ボロボロになった衣服に伸ばし放題の髭、髪の毛は落ち武者と変わらない。どこの野盗かと思う姿であった。

 本当、前政権の高級官僚だったのが見る影もない。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


 天文一六年 (一五四七年)七月二一日に勃発した「舎利寺の戦い」。

 摂津国榎並えなみ城に集結した晴元派の軍勢が南下して高屋城を目指す。その動きに呼応して氏綱派も城を出て迎撃へと赴いた。両軍は摂津国舎利寺周辺で遭遇し、そのまま武力衝突へと発展。鉄砲が戦で使用される以前の畿内最大規模の戦闘と称される激戦だ。
  
 ただ、不思議な事にこの戦いにおける両軍の率いた数が記録に残っていない。畿内最大規模の戦闘と言われている筈なのに。

 公方親子の立て篭もった将軍山城を包囲した阿波三好軍が約二万の軍勢と判明しているため、この時の晴元派の兵数はそれより上だと分かる程度であろうか。対する氏綱派の軍はそれより少ないと想像できるのが精一杯である。

 また、この戦い自体はわずか数時間で終わったという。しかも活躍したのは、和泉いずみ国の豪族である松浦 信輝まつうらのぶてるや没落した総州畠山家の当主である畠山 尚誠はたけやまなおさまの二人だった。主力は阿波三好軍だと思っていたのだが、目に見えた活躍はしていな……いや、積極的に戦闘に参加してはいないのだろう。時間的に考えれば矢合わせから始まり、前衛が突撃しただけで終わった戦に感じてしまう。普通ならこの後は隊を入れ替えての乱戦となるのだが……そこまで発展すればもっと長い時間となる。

 大規模な戦いは動く人の数が桁外れとなるので、そう簡単に決着はつかない。

 まだ氏綱派が勝てないと見て、いち早く撤退の決断をしたのは分かる。しかし、晴元派は追撃もそこそこに高屋城から北西に約五キロメートル離れた若林わかばやしに陣を構える。俺はてっきり高屋城を囲んだものだと思っていたが、これでは兵糧攻めさえできない。最初から政治的な決着を望んでいたかのように見えてしまう。

 今にして思えば、今回の救援要請には遊佐殿の名前が無かった。状況を不利と見て、戦い以前から交渉に入っていたと考えるのが妥当な所か。

 なら、この舎利寺の戦い自体が茶番も良い所だ。この後、大勝を演出した三好 長慶の名声が急上昇したというが、それも茶番の一つなのだろう。そもそも両軍は一部しか真面目に戦っていない。救援要請はその真面目に戦った一部であり、水面下の交渉を知らない人物からと見た方が良い。つまり俺が何をしようと流れは既に決まっており、結果の変わらない出来レースでしかないのでは……。

 うん。これはムカつく。

「忠澄、悪いが親信に使いを出してくれ。夜に俺の所へ来るようにと」

「もしかして、救援には応じないつもりですか?」

「いや、腹案があるんだが、それが実現可能か確認したくてな。駄目な場合は取り止めようと思っている」

「皆が不審に思いますので、内緒話もほどほどにしてくださいよ」

「忠告感謝する。今回は戦だからな。皆を無駄死にさせたくないと思えばこうなってしまう」

 特に俺の家臣は戦となれば喜んで突撃するような脳筋が山ほどいる。だからこそ無茶な作戦は立案できなくなる。可能な限り勝てる戦いで派手に暴れさせるのが俺の役目だろう。

「それは分かりますが……」

 忠澄の言いたい意味は理解している。トップが秘密主義になると、家臣が疑心暗鬼に陥るというよくある話だ。きっと親信と密談せずに何でも話して欲しいという愚痴が出始めているのだろう。今後は気を付ける必要があるな。

 そんなやり取りをしていると、ドタドタと忙しない足音を響かせて誰かが近付いてきた。いや、誰かではない。該当するのは一人しかいない。やがて部屋の引き戸を勢いよく開けて、義父である細川 国慶殿とその家臣達が入ってくる。

「いやー、さっぱりしたぞ。婿殿、良い湯であった。石鹸というのか? あれも中々であった。面白いように汚れが落ちたぞ」

 先程とは違って、髪や髭も整えられ真新しい小袖に着替えた姿はまさしく貴公子と呼べる姿へと様変わりしていた。

 頬のこけた中年だというのに、その辺の庶民が着ている服と何ら変わりがないというのに、それを感じさせない。こういう人物を生まれながらのカリスマというのだろう。世の中はとても不公平だ。

「どうしましょうか? 次は食事でもされますか? 待ち時間に食べて頂いた干し芋では足りないでしょう。簡単な物で良いならすぐに用意させますが」

 姫倉親子が東南アジアでさつまいもを手に入れて以来、領内では干し芋が大活躍している。単純に保存食としても役に立つが、小腹が空いた時のオヤツとして、また外洋航海の壊血病予防の薬として、当然ながら兵糧としても使用していた。また、さつまいもは栄養豊富なのが尚良い。この時代は栄養の偏った食事ばかりのために、麻の実と並んだ栄養補助食品的な扱いで普及させている。俺のオヤツも大体これであった。

「それには及ばない。まずは本題から入ろうではないか。婿殿は此度の援軍要請に応じて頂けるであろうか?」

「それなんですがね。幾つか気になる点がありまして、七月の舎利寺で起こった戦いの後がどうなったかまずは知りたいのですが」

「確かに。それは道理であろうな。慶満、婿殿に報告書を渡してやってくれ」

「はっ」

 随分と用意が良いなと思いながら、手渡された報告書に目を通す。畿内で起こった出来事の報告書は、これまで杉谷家と分担で作ってくれていたと今村殿が教えてくれた。畿内情勢にやけに詳しいと思っていたらそういうカラクリだったのかと納得する。

 七月二九日、舎利寺の戦いで氏綱派が負けた結果、足利 義晴・義藤親子はついに細川 晴元と六角 定頼へ和睦の使者を送り、翌月の一日には京へと戻る。高屋城自体はまだ落城こそしていないが、舎利寺の戦いで三好 長慶 (晴元派)が大勝したというプロパガンダを真に受けて慌てて詫びを入れた。

 なお、戦に負けて立場的に弱いというのに、その時の足利 義晴は「お前たちの罪は許してやるので京に戻ってやる」という台詞を吐いたのだとか。強がりなのは分かるが、もう少しで「どこの吉本新〇劇だよ」と言いたくなってしまった。聞かされた家臣達はさぞや苦笑いだったろう。

 それはさて置き、公方陣営の問題が片付くと今度は高尾城が攻撃を受け、義父は丹波国へと逃亡する。いつも通り盟友の内藤 国貞殿を頼った形だ。義父なりに京を窺う姿勢を見せる事で、若林に陣取っている将に少しでも動揺を誘おうと考えたのは分かるが、所詮は多勢に無勢。今の義父にはこの流れを変える力は無い。

 それでも義父は諦めない。一〇月に入ると今度は西岡衆の鶏冠井かいで城を攻略する。鶏冠井氏は西岡における三好派閥の一つである。後方でゲリラ活動を繰り返す事で、少しでも氏綱派に流れを引き寄せたかったのだと思われる。

 しかし、その後が良くない。今度は京の大将軍たいしょうぐん (現在の京都市北区南部)に攻め込もうとする。幾ら焦っているとは言え、これはやり過ぎだ。細川 晴元からすれば、この地に攻め込まれるのは喉元に刃を突きつけられたに等しい。全力で排除に掛かるのが見えており、言わば死にに行くようなものである。

 さすがにこの自殺願望には義父の家臣達もマズイと思ったのだろう。皆で一斉に止めに入る。それでも言う事を聞かない義父はついには山田 元氏に殴り飛ばされ昏倒したとの事。その後は簀巻にされた状態で紀伊国南郷まで運ばれた。
 
「……て、何やってんですか義父上! 元氏がいなかったら討ち死にしてたじゃないですか。焦る気持ちは分かりますが、犬死は別です。もう少し自身を労わってください」

「面目次第もない」

 ここで恐ろしいのが、そんな討ち死にが確定している戦に決死隊として名乗り出た者がいる事だ。北川 玄蕃とその一党である。これまでの不甲斐ない戦いしか出来なかった自分達を悔いており、何としてでも成果を出したかったらしい。結果は予想通りに全滅。全員討ち死にする。指揮を買って出た義父の弟も帰らぬ人になったという。

「俺に合わす顔がないとか、そういうのは気にしないで欲しかったんだが……馬鹿な真似しやがって」

「我が弟もそうだが、北川殿には申し訳ない事をした。あの時、もう少し儂が冷静であればこうはならなかったと思っている」

「彼らの死を無駄にしないよう、石にかじりついてでも生き残ってください。私からはそれしか言えません」

「……分かっておる」

 そうして南郷まで運ばれた義父一行が知った現実は、炎上する高屋城の姿ではなく、戦線が膠着したまま小競り合いを続ける両軍だった。いずれ来るだろうと思われていた総攻撃はついぞ行なわれる事無く、厭戦気分だけが蔓延していたようだ。これまでの義父の奮闘は全て水泡へと帰す。

「状況が分かりました。……とその上でお話させて頂きますが、現段階ではこれ以上何をしようと両軍の和睦はほぼ決まっているのではないですか? 想像ですが、条件の擦り合わせで話が纏まっていないだけだと思いますが」

「それしか考えられん。儂も紀伊国まで入ってからようやく気付いた所だ」

「では何故この時期に援軍要請を?」

「氏綱様が少しでも主導権を取るためと言えば分かるであろう。今のままでは手柄は遊佐殿が全てとなってしまい、氏綱様が傀儡となる危険性があるでな。最悪、管領職が尾州畠山に移るやもしれん」

 なるほど。氏綱派も一枚岩ではないという意味か。軍権を持っている遊佐  長教殿が交渉を担当しているために大規模な争いにはなってはいないが、逆を言えば細川 氏綱殿や津田殿は蚊帳の外に置かれていると言いたいのだろう。

 だからこそ俺を使って功績を挙げれば、和睦を決める切り札となる可能性がある。そうすれば氏綱派内での発言力が増し、立場が強化される。政治的な意味で俺という駒を利用したいのだと理解した。

「ありがとうございます。返事は二、三日待って頂けますでしょうか? 家臣達と協議して諸条件を詰めたいと思います。前向きな検討をしますので御安心ください」

「そう言ってくれると助かる。正直な所、此度は断られると思っていたからな。これで安心できるぞ。それでは我等は食事を頂いて体を休めるとしよう。婿殿、世話になるぞ」

 こう言い残し、嵐のようにやって来た義父一行は、また嵐のように去って行く。

「遊佐殿がしている事は間違いとは思わないが、こんな茶番を見せられたら掻き回したくなってしまうじゃないか」

「……国虎様、何か言いましたか?」

「いや、何にも」


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


 ──その日の夜。

「悪いな。この時間に来てもらって」

「それは構わないんだが、何かあったのか?」

 そこで昼に起こった義父国慶殿との内容を話す。援軍の要請を受けた事、とうの昔に両軍は和睦交渉に入っていて現状は形だけの対峙である事、そして俺達の援軍は交渉を多少なりとも有利に持っていくだけの札の一つでしかない事と。

 俺達は、もう後が無いと思っていた氏綱派にまだ隠し玉があると思わせるだけの存在でしかないという悲しい現実であった。結局の所、最早氏綱派に勝ちは無いというお知らせである。

「で、俺に相談というのは一体どんな内容だ、国虎?」

「実は雑賀衆が現状傭兵仕事が受けられるかどうかなんだが……ほらっ、土佐一条がいつ攻めてきても良いように保険として雑賀衆の傭兵を考えていたのを覚えているだろう?」

「そう言えばそうだな。俺の義父の土橋殿には舎利寺の戦いが終わった後に書状を出しておいた」

「その返事が来たかまだ確認してなくてな。もし仕事を請けてもらえるなら、今回頼もうと思っているんだ」

「……もしかして国虎、お前本気で三好をやっつけるつもりか?」

「いんや、さすがにそこまで言える程自惚れてはいない。とは言え、一泡は食らわすつもりだがな」

「なら、その手伝いか?」

「意味的には合っているが、多分親信の想像している内容とは違う筈だぞ」

「なら、何をするつもりだ?」

「所詮俺達はイレギュラーだ。なら、イレギュラーらしく盤面を引っ掻き回してやろうと思ってな。……阿波国南部を盗る」

「ちょっと待て。それは」

「そう、今四国の三好勢は畿内に出払ってて、も抜けの空だ。折角だから火事場泥棒をしようと思ってな」

「マジか! それは超面白いじゃねぇか。乗った! 俺が義父を口説いてくる。任せろ。その阿波南部を攻める援軍に雑賀の傭兵が欲しいという話だよな?」

「その通りだ」

「報酬はガッツリ出せよ! 札束で引っ叩けば向こうも首を縦に振るさ。なんせ舎利寺の戦いまで薄給でこき使われただろうからな」

 最初は詰まらなさそうに俺の話を聞いていた親信が突然嬉しそうな表情となる。そうだ。戦は勝って負けての世界だ。玉虫色の政治決着は上の人間には必要な判断だが、実際に血と汗と埃に塗れている末端の兵にはこれ以上徒労感のある決着の仕方はない。

 なら俺達がその玉虫色にきっちりと白黒を付けてやろう。本拠地近くまで占領され慌てふためき、逃げるように和睦する晴元派に変えてやろうじゃないか。結果は変わらなくても、その内容は大きく変わってくる。

 きっと遊佐殿は俺達を物凄く迷惑に感じるだろうな。だが、その代わりに前線の兵は拍手喝采になる筈だ。こんな楽しいショーはないと。

 さあ、思う存分嫌がらせをしよう。
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