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五章 三好長慶の決断
長宗我部の鼓動
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過度のストレス下で人が思いもよらぬ凶行に走るというのは、現代でも戦国時代でも変わりはない。今回の事件を集約すればそれに尽きる。
本山 梅慶の漏らした武家の存在意義への不安。それは新居猛太に対する恐怖の表れでもあった。俺からすれば焙烙玉を少し強力にした程度の認識でしかなかったが、現場での受け取り方は違っていたのだと思い知る。なら、それが実際に矢面に立たされる敵兵の立場からすればどうなるであろうか?
初戦こそ敗退したものの、まだ篠原殿率いる部隊は完全に負けた訳ではなかった。遠州細川軍の攻撃は派手ではあったが、損害自体が思ったよりも少ないのがそう思わせる理由である。とは言え多くの兵は逃げ出し、残ったのは元々の半分以下である約二〇〇〇という数となった。それでもこの数なら遠州細川軍の進軍を食い止め、若林の本陣を高屋城の兵とで挟撃される恐れは無いと考えていたらしい。
その思いが脆くも崩れ去る。両軍の睨み合いが続く緊迫した状況の中、突然常識外れの出来事が起こったのだ。何と遥か遠くの若林の陣から幾つもの火の手が上がった。その犯人は遠州細川軍の新兵器である。
自分達の存在を無視して当然のように本陣への攻撃を行う遠州細川軍に、篠原殿は焦りと怒りを覚えた。
この戦況下で、遠州細川軍への再度の攻撃を命令した篠原殿の判断は何も間違ってはいない。味方が危険に晒されているのに指を咥えて黙って見ている方が間違っているからだ。若林の陣への長距離攻撃を妨害しようと動くのは至極全うな考えと言える。
だが、兵がそれを拒否した。
──そんなに突撃したいならお前一人で突撃しろと。あんな恐ろしい所に飛び込むのは死んでも御免だと。
これが兵の言い分である。死者こそ多くは出なかったが、チェスト種子島の一斉射撃と新居猛太の水平射撃は兵の心を折るには十分過ぎる成果となっていた。兵達からすれば遠州細川軍への攻撃命令は理不尽な命令となり、「死んでこい」と言っているようにしか聞こえなかった。
ただ、この命令拒否は明らかに軍規に違反する。指揮官の命令を兵が遂行しない。ましてや反抗する。これでは戦などできようはずもない。そんな状態を敵に狙われればそれこそ部隊の全滅が確定する。
そうなれば秩序ある状態に戻そうと、反抗的な兵に手を上げるのは軍では良くある出来事である。言う事を聞かないなら処罰をする。信賞必罰。何も間違っていない。本来ならこれで上下関係が再確認され、軍として正しい姿へと戻る……と思っていたのが運の尽きであった。
殴られた兵は、気が付けば手持ちの槍を指揮官である篠原殿の腹部目掛けて刺していた。
人というのは極度の拒絶反応を示す場合は、他人に対し攻撃的になる。精神が極限状態であれば、その場では命令を聞いたふりをするような不真面目な考えには至らない。そうなると、攻撃性の向かう先は理不尽な命令を下す指揮官であった。
不幸なのか幸運なのかは分からないが、この凶行の現場を目撃した他の兵達は一斉に刺した犯人の味方へと回る。篠原殿の手足を縛り、人質として仁木殿含めた将に要求を突きつける。遠州細川軍に和睦 (降伏)をしろと。
実際に凶行に走ったのは一人であったが、兵達は皆「これ以上遠州細川軍と戦いたくない」という気持ちであった。刺した犯人は自分達の気持ちの代弁者でしかなかったという顛末である。
反乱の切っ掛けというのは、意外にこういった突発的な事件も多いのではないかと思わせる内容であった。
ここまでの経緯を知って気になるのは、「何故和睦を選んだのか?」という一点に尽きる。そんな事をしなくても、そのまま篠原殿を殺して全員で逃げれば良いのではないかと思ったりもしたが……その答えは仁木殿の呆気ない一言で解決した。
「兵達は皆阿波国から来ておりますので、戻るに戻れないのです。無理に阿波国に戻ったとしても手が回っていれば、罪を犯した兵が村でどんな酷い目に合うか分からないですからな。さりとて畿内に残って傭兵をする度胸などないのでしょう」
「つまり、野盗や山賊となって野垂れ死にしたくないから、遠州細川で生活の面倒を見て欲しいという事ですか。随分と図々しいですね」
図々しいとは思うが、万年人手不足の遠州細川家なら幾らでも仕事はあるので、人が増えるのは願ったり叶ったりである。保護を求めてきたというなら断る理由はない。
「後、仁木殿。もう一つ気になる点として、篠原殿は何故今回功を焦って遠州細川への再攻撃を決断したのでしょうか? お味方が危機に陥っていたというのは分かりますが、士気の落ち込んだ状態では成果は期待薄ではないでしょうか? 刺されるとは考えていなかったというのは分かりますが、牽制だけで良かったのではないかと思ってしまいます」
今回の事件は不幸な出来事ではあるが、もう少し篠原殿が周りが見えていたなら大事には至っていない。変な話ではあるが、兵達と同様に篠原殿も視野狭窄に陥っていたのが原因ではないかとさえ感じた。
対する仁木殿は俺の言葉に思う所があったのか、少し考える素振りをしつつもゆっくりと口を開く。その中には予期しない単語が紛れ込んでいた。
「ううむ。家中の恥を晒すようで躊躇いますが、こんな事で細川殿に不信感を与えたくはありませんので正直にお話します。実は細川殿も御存知の長宗我部家が阿波細川家に保護を求めてきてから、全てが狂い始めたのです」
「えっ!? 長宗我部家ですか?」
「左様。長宗我部殿は阿波細川家の居城である勝瑞城にやって来られた。一族郎党を連れてですな。しかも随伴していた者が忍性殿という臨済宗妙心寺派の僧でして、求めに応じずにはいられなかったのです」
これは勝瑞城ならではの特殊性である。俺も事情を知った時は「そんな事があるのか!」と驚いたが、勝瑞城は見性寺という臨済宗妙心寺派の境内に建てられた城であった。つまりは土地を間借りしている。
しかもこの見性寺が阿波三好家の菩提寺 (先祖の位牌を納めている寺)とくれば、余程の無理難題でもない限りは要請を断れない。
確かにこの時代の寺は下手な砦よりも堅固な要塞と化しているのは知っている。……そうか、この時代はまだ石垣や天守閣が一般的ではない時代だ。なら、一から防衛施設を建てるよりもこの方が効率は良い上により堅固にできるか。
しかも防衛の際には見性寺の僧兵とも連携可能となるし、門前町兼城下町も整備され経済の中心地にもなると言いたいのだろう。山城が主流の時代によくぞここまでの進歩的な考えができたものだ。
勝瑞城の立地的な特殊性は理解したが、ここで更に疑問点が浮かび上がる。
「いや、ちょっと待ってください。そこまでは分かりましたが、阿波細川家は長宗我部家の一族郎党や家臣団を保護しただけじゃないんですか? 見性寺も長宗我部家の優遇を求めた訳ではないでしょう」
幾ら阿波細川家が見性寺と関係が深いとは言え、武家と寺には明確な境界線がある。ましてや随伴者の忍性は拉致されて交渉の道具にされているだけだ。見性寺には長宗我部家の保護以上は求められない。
「それが……長宗我部家の若き当主である弥三郎 (長宗我部 元親の幼名)殿を (細川)氏之様が随分と気に入りましてな。あの整った顔立ちに色白の肌、おっとりとした性格ながらも芯は強く聡いとべた褒めされております。千満丸 (三好 実休の幼名。三好 実休の名は幾つかあるが一般的な実休で統一)様を思い出すそうで……」
「もしかして、細川 氏之殿の片腕として目されている三好 実休殿も……」
「御自身や兄である範長殿 (この当時の三好 長慶の名前)の小さき頃を思い出すそうです」
まさかまさかの「姫若子」 (長宗我部 元親を揶揄する言葉)が流浪の身となった環境と相まって好意的に捉えられるとは。庇護欲をそそるとでも言うのだろうか。三好 長慶の弟である三好 実休も父親の三好 元長を小さい頃に亡くした過去と重ね合わせているのだという。
しかも、長宗我部 元親自身が父を亡くし領地を追われたという辛い経験を経たためか、考え方もしっかりとしており、大人顔負けの仕事をするらしい。まだ一〇歳になっていないというのにだ。
更には後見となっている家臣の吉田 孝頼や長宗我部家臣団には優秀な者が多く、舎利寺の戦いの前哨戦である摂津国攻めで多いに手柄を立てたという。結果、元服後は城と領地を与えるのが決まったとか。
「そういう事ですか。長宗我部殿の台頭に危機感を募らせた篠原殿や仁木殿が挽回のために遠州細川と戦う羽目になったのですね。……ん? 私が戦うのは長宗我部殿でも良かったような気がしますが? 遠州細川は仇ですから」
「そこは当然氏之様が禁じました。仇を討つのはせめて元服するまで待てと」
「寵愛されてますね」
「ですので、篠原殿からすれば何の成果も出さずにおめおめと退却する訳にはいかなかったのです」
とどのつまり長宗我部家が阿波細川家に保護を求めて以来、家中に派閥争いが発生したというのが仁木殿の話となる。
さすがは「土佐の出来人」と言うしかない。既にその片鱗が見え始めているのだろう。これは近い将来三好 実休の片腕になるのは確定だ。阿波三好家がより強力になりそうな予感がする。
「……と、どうやら撤収の準備が整ったようですね。行き場の無い兵はこちらで全員預かりますので安心してください。仁木殿も篠原殿を送った本願寺の寺に残りの兵と向かってください。処置が早かったので命に別状は無いと思います。仁木殿との話はとても楽しかったです。次会う時は敵になると思いますが、互いに死力を尽くしましょう。再戦を楽しみにしておりますよ」
衣食足りて礼節を知るという訳ではないが、反乱を起こした兵達は俺達が持ち込んだ食料や酒を見た途端にすっかり従順になる。腹一杯に食べられない中での長対陣が兵達の心を蝕み、神経をすり減らしていたのがこの事件の背景なのだろう。浴びるように酒を飲み、歌い踊る。中には自分のした過ちに気付き涙する者さえもいた。
そんな戦場に似つかわしくない宴会もようやく終わる。
最初こそ敵兵全員が遠州細川軍に降るような素振りであったが、実際にはその中の三分の一程度が帰る宛が無いという話であり、ならばとこちらで引き受ける形となる。種明かしをすれば大した事はないが、今回の反乱劇も一部の暴走であり、多くはこれ以上戦いたくないからと消極的に従っていただけであった。
後の事は仁木殿に任せておけば良い。兵を取り纏めて本隊と合流するだろう。ここでバラバラに逃げ惑えば、賊に襲われる危険がある。折角の拾った命だ。つまらない形で命を散らせないで欲しいと思う。
「……細川殿!」
「何ですか?」
「某も細川殿と出会えて良かったと思っております。ここまで兵を大事にされる御仁は初めてです。いずれまたお会いしましょう」
「大袈裟ですよ。私の方こそ名門でも人を見下さない仁木殿の人柄に感服致しました。いずれまた!」
仁木家は血筋で言えば足利家の庶流となる。清和源氏の一族だ。正真正銘の名門といって良い。細川家はこの仁木家の庶流に当たる。遠州細川家はその更に庶流であり、且つ養子である俺とは生まれも育ちも違う。
だと言うのに、本人はそれをおくびにも出さず気さくに話してくれた。長宗我部家の話まで包み隠さず教えてくれるとは思いもしなかった。しかもあの口ぶりなら、俺と長宗我部家との因縁も全て分かった上なのは想像に難くない。
本人は没落して阿波細川家に拾われた身な上に次男だからと謙遜するが、この時代でもこういう気持ちの良い人物はいるのだと何だか少し嬉しい気分となる。俺の周りは変人ばかりだけに尚更思った。
こうして俺達は互いに背を向け、北と南、進むべき道へと歩み出す。
「さあてと、それじゃあ最後に謎を解決するか。長正、相政、それと梅慶、今回の騒動を主導した者の目星は付いているか? あっ、罪を問う訳じゃないぞ。話を聞きたいだけだから、連れて来てくれ。雑賀荘までの暇潰しには丁度良いだろうさ」
『はっ! かしこまりました!』
本山 梅慶の漏らした武家の存在意義への不安。それは新居猛太に対する恐怖の表れでもあった。俺からすれば焙烙玉を少し強力にした程度の認識でしかなかったが、現場での受け取り方は違っていたのだと思い知る。なら、それが実際に矢面に立たされる敵兵の立場からすればどうなるであろうか?
初戦こそ敗退したものの、まだ篠原殿率いる部隊は完全に負けた訳ではなかった。遠州細川軍の攻撃は派手ではあったが、損害自体が思ったよりも少ないのがそう思わせる理由である。とは言え多くの兵は逃げ出し、残ったのは元々の半分以下である約二〇〇〇という数となった。それでもこの数なら遠州細川軍の進軍を食い止め、若林の本陣を高屋城の兵とで挟撃される恐れは無いと考えていたらしい。
その思いが脆くも崩れ去る。両軍の睨み合いが続く緊迫した状況の中、突然常識外れの出来事が起こったのだ。何と遥か遠くの若林の陣から幾つもの火の手が上がった。その犯人は遠州細川軍の新兵器である。
自分達の存在を無視して当然のように本陣への攻撃を行う遠州細川軍に、篠原殿は焦りと怒りを覚えた。
この戦況下で、遠州細川軍への再度の攻撃を命令した篠原殿の判断は何も間違ってはいない。味方が危険に晒されているのに指を咥えて黙って見ている方が間違っているからだ。若林の陣への長距離攻撃を妨害しようと動くのは至極全うな考えと言える。
だが、兵がそれを拒否した。
──そんなに突撃したいならお前一人で突撃しろと。あんな恐ろしい所に飛び込むのは死んでも御免だと。
これが兵の言い分である。死者こそ多くは出なかったが、チェスト種子島の一斉射撃と新居猛太の水平射撃は兵の心を折るには十分過ぎる成果となっていた。兵達からすれば遠州細川軍への攻撃命令は理不尽な命令となり、「死んでこい」と言っているようにしか聞こえなかった。
ただ、この命令拒否は明らかに軍規に違反する。指揮官の命令を兵が遂行しない。ましてや反抗する。これでは戦などできようはずもない。そんな状態を敵に狙われればそれこそ部隊の全滅が確定する。
そうなれば秩序ある状態に戻そうと、反抗的な兵に手を上げるのは軍では良くある出来事である。言う事を聞かないなら処罰をする。信賞必罰。何も間違っていない。本来ならこれで上下関係が再確認され、軍として正しい姿へと戻る……と思っていたのが運の尽きであった。
殴られた兵は、気が付けば手持ちの槍を指揮官である篠原殿の腹部目掛けて刺していた。
人というのは極度の拒絶反応を示す場合は、他人に対し攻撃的になる。精神が極限状態であれば、その場では命令を聞いたふりをするような不真面目な考えには至らない。そうなると、攻撃性の向かう先は理不尽な命令を下す指揮官であった。
不幸なのか幸運なのかは分からないが、この凶行の現場を目撃した他の兵達は一斉に刺した犯人の味方へと回る。篠原殿の手足を縛り、人質として仁木殿含めた将に要求を突きつける。遠州細川軍に和睦 (降伏)をしろと。
実際に凶行に走ったのは一人であったが、兵達は皆「これ以上遠州細川軍と戦いたくない」という気持ちであった。刺した犯人は自分達の気持ちの代弁者でしかなかったという顛末である。
反乱の切っ掛けというのは、意外にこういった突発的な事件も多いのではないかと思わせる内容であった。
ここまでの経緯を知って気になるのは、「何故和睦を選んだのか?」という一点に尽きる。そんな事をしなくても、そのまま篠原殿を殺して全員で逃げれば良いのではないかと思ったりもしたが……その答えは仁木殿の呆気ない一言で解決した。
「兵達は皆阿波国から来ておりますので、戻るに戻れないのです。無理に阿波国に戻ったとしても手が回っていれば、罪を犯した兵が村でどんな酷い目に合うか分からないですからな。さりとて畿内に残って傭兵をする度胸などないのでしょう」
「つまり、野盗や山賊となって野垂れ死にしたくないから、遠州細川で生活の面倒を見て欲しいという事ですか。随分と図々しいですね」
図々しいとは思うが、万年人手不足の遠州細川家なら幾らでも仕事はあるので、人が増えるのは願ったり叶ったりである。保護を求めてきたというなら断る理由はない。
「後、仁木殿。もう一つ気になる点として、篠原殿は何故今回功を焦って遠州細川への再攻撃を決断したのでしょうか? お味方が危機に陥っていたというのは分かりますが、士気の落ち込んだ状態では成果は期待薄ではないでしょうか? 刺されるとは考えていなかったというのは分かりますが、牽制だけで良かったのではないかと思ってしまいます」
今回の事件は不幸な出来事ではあるが、もう少し篠原殿が周りが見えていたなら大事には至っていない。変な話ではあるが、兵達と同様に篠原殿も視野狭窄に陥っていたのが原因ではないかとさえ感じた。
対する仁木殿は俺の言葉に思う所があったのか、少し考える素振りをしつつもゆっくりと口を開く。その中には予期しない単語が紛れ込んでいた。
「ううむ。家中の恥を晒すようで躊躇いますが、こんな事で細川殿に不信感を与えたくはありませんので正直にお話します。実は細川殿も御存知の長宗我部家が阿波細川家に保護を求めてきてから、全てが狂い始めたのです」
「えっ!? 長宗我部家ですか?」
「左様。長宗我部殿は阿波細川家の居城である勝瑞城にやって来られた。一族郎党を連れてですな。しかも随伴していた者が忍性殿という臨済宗妙心寺派の僧でして、求めに応じずにはいられなかったのです」
これは勝瑞城ならではの特殊性である。俺も事情を知った時は「そんな事があるのか!」と驚いたが、勝瑞城は見性寺という臨済宗妙心寺派の境内に建てられた城であった。つまりは土地を間借りしている。
しかもこの見性寺が阿波三好家の菩提寺 (先祖の位牌を納めている寺)とくれば、余程の無理難題でもない限りは要請を断れない。
確かにこの時代の寺は下手な砦よりも堅固な要塞と化しているのは知っている。……そうか、この時代はまだ石垣や天守閣が一般的ではない時代だ。なら、一から防衛施設を建てるよりもこの方が効率は良い上により堅固にできるか。
しかも防衛の際には見性寺の僧兵とも連携可能となるし、門前町兼城下町も整備され経済の中心地にもなると言いたいのだろう。山城が主流の時代によくぞここまでの進歩的な考えができたものだ。
勝瑞城の立地的な特殊性は理解したが、ここで更に疑問点が浮かび上がる。
「いや、ちょっと待ってください。そこまでは分かりましたが、阿波細川家は長宗我部家の一族郎党や家臣団を保護しただけじゃないんですか? 見性寺も長宗我部家の優遇を求めた訳ではないでしょう」
幾ら阿波細川家が見性寺と関係が深いとは言え、武家と寺には明確な境界線がある。ましてや随伴者の忍性は拉致されて交渉の道具にされているだけだ。見性寺には長宗我部家の保護以上は求められない。
「それが……長宗我部家の若き当主である弥三郎 (長宗我部 元親の幼名)殿を (細川)氏之様が随分と気に入りましてな。あの整った顔立ちに色白の肌、おっとりとした性格ながらも芯は強く聡いとべた褒めされております。千満丸 (三好 実休の幼名。三好 実休の名は幾つかあるが一般的な実休で統一)様を思い出すそうで……」
「もしかして、細川 氏之殿の片腕として目されている三好 実休殿も……」
「御自身や兄である範長殿 (この当時の三好 長慶の名前)の小さき頃を思い出すそうです」
まさかまさかの「姫若子」 (長宗我部 元親を揶揄する言葉)が流浪の身となった環境と相まって好意的に捉えられるとは。庇護欲をそそるとでも言うのだろうか。三好 長慶の弟である三好 実休も父親の三好 元長を小さい頃に亡くした過去と重ね合わせているのだという。
しかも、長宗我部 元親自身が父を亡くし領地を追われたという辛い経験を経たためか、考え方もしっかりとしており、大人顔負けの仕事をするらしい。まだ一〇歳になっていないというのにだ。
更には後見となっている家臣の吉田 孝頼や長宗我部家臣団には優秀な者が多く、舎利寺の戦いの前哨戦である摂津国攻めで多いに手柄を立てたという。結果、元服後は城と領地を与えるのが決まったとか。
「そういう事ですか。長宗我部殿の台頭に危機感を募らせた篠原殿や仁木殿が挽回のために遠州細川と戦う羽目になったのですね。……ん? 私が戦うのは長宗我部殿でも良かったような気がしますが? 遠州細川は仇ですから」
「そこは当然氏之様が禁じました。仇を討つのはせめて元服するまで待てと」
「寵愛されてますね」
「ですので、篠原殿からすれば何の成果も出さずにおめおめと退却する訳にはいかなかったのです」
とどのつまり長宗我部家が阿波細川家に保護を求めて以来、家中に派閥争いが発生したというのが仁木殿の話となる。
さすがは「土佐の出来人」と言うしかない。既にその片鱗が見え始めているのだろう。これは近い将来三好 実休の片腕になるのは確定だ。阿波三好家がより強力になりそうな予感がする。
「……と、どうやら撤収の準備が整ったようですね。行き場の無い兵はこちらで全員預かりますので安心してください。仁木殿も篠原殿を送った本願寺の寺に残りの兵と向かってください。処置が早かったので命に別状は無いと思います。仁木殿との話はとても楽しかったです。次会う時は敵になると思いますが、互いに死力を尽くしましょう。再戦を楽しみにしておりますよ」
衣食足りて礼節を知るという訳ではないが、反乱を起こした兵達は俺達が持ち込んだ食料や酒を見た途端にすっかり従順になる。腹一杯に食べられない中での長対陣が兵達の心を蝕み、神経をすり減らしていたのがこの事件の背景なのだろう。浴びるように酒を飲み、歌い踊る。中には自分のした過ちに気付き涙する者さえもいた。
そんな戦場に似つかわしくない宴会もようやく終わる。
最初こそ敵兵全員が遠州細川軍に降るような素振りであったが、実際にはその中の三分の一程度が帰る宛が無いという話であり、ならばとこちらで引き受ける形となる。種明かしをすれば大した事はないが、今回の反乱劇も一部の暴走であり、多くはこれ以上戦いたくないからと消極的に従っていただけであった。
後の事は仁木殿に任せておけば良い。兵を取り纏めて本隊と合流するだろう。ここでバラバラに逃げ惑えば、賊に襲われる危険がある。折角の拾った命だ。つまらない形で命を散らせないで欲しいと思う。
「……細川殿!」
「何ですか?」
「某も細川殿と出会えて良かったと思っております。ここまで兵を大事にされる御仁は初めてです。いずれまたお会いしましょう」
「大袈裟ですよ。私の方こそ名門でも人を見下さない仁木殿の人柄に感服致しました。いずれまた!」
仁木家は血筋で言えば足利家の庶流となる。清和源氏の一族だ。正真正銘の名門といって良い。細川家はこの仁木家の庶流に当たる。遠州細川家はその更に庶流であり、且つ養子である俺とは生まれも育ちも違う。
だと言うのに、本人はそれをおくびにも出さず気さくに話してくれた。長宗我部家の話まで包み隠さず教えてくれるとは思いもしなかった。しかもあの口ぶりなら、俺と長宗我部家との因縁も全て分かった上なのは想像に難くない。
本人は没落して阿波細川家に拾われた身な上に次男だからと謙遜するが、この時代でもこういう気持ちの良い人物はいるのだと何だか少し嬉しい気分となる。俺の周りは変人ばかりだけに尚更思った。
こうして俺達は互いに背を向け、北と南、進むべき道へと歩み出す。
「さあてと、それじゃあ最後に謎を解決するか。長正、相政、それと梅慶、今回の騒動を主導した者の目星は付いているか? あっ、罪を問う訳じゃないぞ。話を聞きたいだけだから、連れて来てくれ。雑賀荘までの暇潰しには丁度良いだろうさ」
『はっ! かしこまりました!』
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