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五章 三好長慶の決断
本願寺の収益化モデル
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「では行って参ります」
笑顔で重意を送り出す。彼には立江地区の占拠と櫛渕城の攻略を任せた。信行寺に対しては寺領こそ認めないものの、建物及び関係者は保護した上で生活に困らないように補助金も出すと約束すると、安堵の表情を浮かべたのが印象的であった。
嘘は言っていない。
特別扱いはできないが、他の寺社と同じ扱いをするという意味だ。とは言え、今回ばかりは懐柔のためにそれなりの融通を利かせる必要もあるかとは考えている。
あの後仁木 伊賀守殿から話を聞いたが、信行寺は阿波における一向衆の橋頭堡となるべく建立されたという。いや、捉え方が悪いな。阿波国での重要拠点と認識する方が正しい。概ね予想通りだ。阿波細川家の勝瑞城と同じ役割と言えるだろう。
「……重意を先に送り出して正解だったな。もし信行寺との交渉が拗れたらと思うと、一向衆の重意は近くに置いておけない」
間違いなく今回の作戦の山場が信行寺との交渉になる。
決裂は一向衆の蜂起を招き、阿波国南部を混乱へと誘う。下手をすると、畿内より海を越えて門徒というの名の兵を送り込まれる事態さえ覚悟しなければならない。加賀国で、そして畿内で一向衆が巻き起こした事件は悪名高くまだその爪跡は各地に残っていると言う。また、織田 信長の天下統一を最も遅らせたのは本願寺とも言われている程だ。それだけ危険な相手である。
しかし、もし友好関係を築けるならこれ程心強い相手はいない。懸案の足利 義維問題も解決に向けて大きく前進するし、何より今後の阿波国南部の統治の難易度が一気に下がる。また、軍事面においても侮れない。阿波細川家や阿波三好家と事を構えた際には牽制の役割さえ期待できるだろう。
──とそんな風に考えていた時もありました。
行き掛けの駄賃とばかりに今津城を落とし、その勢いのまま信行寺へと向かう。寺を包囲し、物々しい雰囲気の中で相手の代表と会談を行なったが、得られた回答は大きく肩透かしを食らわされたものであった。それは遠州細川家への「全面協力」という言葉である。
とは言え、交渉というのはここからが難しい所。笑顔で握手を求めながらナイフで突き刺すなどという事例は幾らでもある。ここで言う「全面協力」とは、互いが交渉のテーブルに付いたという程度の枕詞にしか過ぎない。それでも話の通じる相手だと分かるだけでも大きいと言える。
そして予想通りに本当の意味での熾烈な戦いが始まった。初手は信行寺側が当然のように俺達に大幅な譲歩を求めてくる。
いや、正確には現状を追認しろという意味なのだが、相手は平嶋の港の管理・運営を信行寺に任せて欲しいと要求してきた。これまで平嶋港の管理は信行寺が行なっていたらしく、足利 義維及びその家臣は一切関わっていないのだと。関わっているのは利益の一部を渡す時だけという状態であった。
これは現在の足利 義維には港を切り盛りする家臣の人的余裕が無いのがその理由だ。何でも足利 義維の公方就任を最も後押ししてくれていた三好 元長 (三好 長慶の父)が自害した際、義維の家臣の多くが後を追って自害する殉死を行なったらしい。結果、義維は三〇〇〇貫もの収益のある平嶋を自身の領地としているにも関わらず、一番収益の出る港の利権を信行寺に委ねる決断をしなければならなかった。この利権構造が信行寺を足利 義維の庇護者とする根本である。
三好 元長の自害の理由は一向一揆だったというのに、その親玉に頼らなければ生きられないという足利 義維の悲しさ。皮肉としか言いようがない。
義維の境遇には同情をするが、残念ながらそれはそれ。俺達には関係無い事情である。この地が遠州細川家の領土となる以上は信行寺の主張は認められない。既にこちらが実効支配しているのだから、返す気など更々無い。その上で寺領も全て没収する。これだけは今後を考えて絶対に譲れない部分であった。
だからこそ俺もしっかりと反撃する。
「平嶋港の管理・運営は結局の所、信行寺の収入源という意味でしょう。なら、それに代わる新たな収入源があれば手放しても良いのではないですか? 当家からは信行寺に対して月々の補助金を出します。これで生活への不安は無くなる筈です。それでもまだ足りないというなら、当家にこの地を開発するための銭を融通してください。そうすれば利息で大いに懐が暖まると思われます」
この時代の寺は多くが貸金業に手を染めている。地域経済の要である寺社に多くの銭が集まるのだから、それを運用するのはおかしな発想ではない。宗教関係者も人だ。食べなければ死ぬし、時には酒だって飲みたいだろう。ましてや本願寺は妻帯を許す宗派だ。人が生きる以上、銭は切っても切れない。
だからこそ夢の不労所得生活を提案する。俺が同じ立場なら利権を手放しても良いと思えるような条件でなければ相手は納得しない。これでまずは向こうの出方を伺い、問題点を浮き彫りにしようと考えたのだが……話は意外な方向へと転がっていった。
「細川様の申し出はとても嬉しいのですが、なにぶん本願寺派は土倉業 (金貸し)はしていないのです。教団の収益は主に信者からの寄進と町の運営で成り立っております」
「えっ……本願寺教団は土倉を行なっていないのですか? しかも寄付と町の運営だけで賄っている? そんな……あり得ない」
「荘園管理による益も関の収入も得ておりません。ですので、港の運営を手放す訳にはいかないのです。御理解ください」
まさかまさかだ。本願寺は街金に不動産取引に通行税徴収もしていないと言う。勿論、投機もだ。債権回収業者など以ての外だろう。しかも寺の代表の態度ではそれを誇るような仕草である。それは良く分かる。阿漕な商売には一切手を出していないとでも言いたいのだ。
寺の代表からは信者に商工業者が多いのも港の運営を手放せない理由の一つだと教えてくれた。これは……本願寺が織田 信長と渡り合えた理由が良く分かる。つまり本願寺のしている事は、門前町に商工業者を囲い込み、産業の保護・育成を行い、そのアガリで食っていると言っているようなものだ。どこぞの楽市楽座よりも遥かに効率が良い。寺が持つ知識や技術を信者間で共有する。これで発展しない方が嘘になる。
きっと教団の信者から見れば、織田 信長というヤクザは単なる簒奪者にしか見えなかったのだろうな。徹底抗戦するしかないと考えるのは普通の考えだ。誰だって安定した生活を捨てたいとは思わない。
……いや、ちょっと待て。よく考えれば本願寺のしている事は遠州細川家の事業とそう大差無いのではないか? 阿波国南部に限って言えば、事業規模は現状よりこちらの方が大きくなるぞ。
──この交渉は、正しい金勘定ができるかどうかが決め手だ。
「なるほど。分かりました。それなら尚の事、港の運営を手放してもらいましょうか。遠州細川家は今後この地を大きく栄えさせるべく大規模な開発を行ないます。期間も全て終わるには一〇年、二〇年、もしくはそれ以上の長い時が必要となります。そうである以上、管理者が複数いると開発に支障を来たすのです。ですので、当家の事業に本願寺から人を出しませんか? 出して頂いた人は当家で雇い入れますので給金が発生致します。これが信行寺が全ての寺領と利権を手放して頂く恩恵となります」
「ふむ。『大規模な』と仰いましたが、どの程度の数を想定されておりますか? 一〇〇人や二〇〇人程度でしたら、お話になりませんが」
「最低限、一桁違うとお話致します。勿論上です。ただ、物理的な制約で受け入れは月毎になります。人を受け入れるにしても、住む場所や食料その他を整えなければなりませんので」
「むっ…………むむむぅ」
本願寺教団の収益は信者からの寄付が大きいと言っていた。ならば阿波国南部に信者を数多く派遣すれば、やがては信者からの寄付が港の運営益を上回る。あくまでも大量の信者を受け入れるという前提が必要となるが、その根拠が大規模な開発だ。つまり俺の提案に乗れば、上手くすれば倍以上の収益も……もう一押しするか。
「そうですね。いっそ、遠州細川家に保証金という形で銭を預けませんか? 事実上の借財ですが、この名目なら教団も文句は言えないでしょう。目的は開発の初期投資です。これでこの地の開発が広範囲に渡って行なえるようになりますので、受け入れ数も増やせます。当家がこれまで借財を踏み倒していないのは根来寺にでも御確認ください。事業計画書も必要とあれば提出致します」
単なる言葉遊びと言えばそれまでだが、こういう形にすれば様々な備品が早期に確保できるし、人件費も賄える。口ぶりから、より多くの信者の受け入れがあるなら考えるように見受けられたからこその提案だ。きっと信行寺の代表は、今頭の中の算盤をはじいて損益分岐点を見つけようとしているに違いない。
──何故、この人を受け入れるという提案がより魅力的に映るか?
その答えは定期的な安定収入である。寄付という一段階を置いた形となるが、今月は〇〇貫の収益が見込めるという見通しが立てられるのが大きい。それの意味する所はより計画的な経営が可能となる点だ。俺が月々の補助金を寺社に提案するのも同じ理由である。
港の運営も確かに手堅い収入を期待できるが、言うなれば店の経営に似ている。収益の多い月もあれば少ない月もある。安定はしない。ましてやこの時代の商いは掛売り掛買いが主流だ。言い換えればツケが基本。現金商売などまず行なわない。
──そうすると最悪の場合は、殺人的に忙しいのに収益が無いという事態さえ起こり得る。
現代的に言えば、フリーランスと会社勤めではどちらがより生活が安定するかという話であった。
「はっはっは。細川様の口から保証金などという言葉が出るとは思いませんでした。これはもう拙僧の負けでございますな。では、初年は最低でも五〇〇〇人は受け入れてください。それを一〇年間は続けて頂く形で。利権を奪い取った上に教団から銭を引き出すのですから、これ位はやってもらわないといけませんな。今後とも仲良く参りましょうぞ」
……勝った。
さすがはこの地域を任せられる寺の代表というしかない。俺の提案に十分利があると判断できた。遠州細川家は人足を確保できてニッコニコ。信行寺は補助金と安定収入が手に入ってニッコニコ。これぞ理想的な姿と言えよう。
「吹っ掛けてきますね。分かりました。それで行きましょう。……で最後に一つだけ我儘を言っても良いでしょうか? 受け入れる信者は中嶋門徒で生活に困っている者を最優先したいと考えております」
「それは……何故ですかな?」
「全ては遠州細川家が高国派だからです。細川 晴国殿が最後に戦った仲間が中嶋門徒だと聞きましたので、戦友として保護を考えております」
危なくこのまま交渉を切り上げる所だったが、最後にリスク回避も行なっておく。
高国派云々は勿論嘘である。一向衆を領内に受け入れるに当たって懸念しなければならないのが一揆の問題だ。特に畿内では政治利用されたとは言え、一〇万とも二〇万とも言える信者が武装蜂起したのを俺は知っている。
そんなテロリスト予備軍とも言える者達を無条件で迎え入れるなどできない。もし、何らかの形で信行寺が信者を扇動すれば、簡単に阿波国南部は一向衆の地となる。
だからこそここで仕掛けを入れた。「中嶋門徒」というのは本願寺教団の命令を無視して細川 晴国殿と共に細川 晴元と戦った信者達である。当時の本願寺は、それまで細川 晴元と争っていたというのに方針を変えて突然和睦をした。それを不服とした集まりである。
つまり、「中嶋門徒」は教団における反主流派と言って良い。それを積極的に内に抱える。そうすれば、信者の意思統一が図れず大胆な行動が取れなくなる。これで一揆の心配が少なくなるという寸法だ。
……その分、衣食住をしっかりと面倒見て不満を溜め込まさないという前提条件を満たさなければいけないが。
けれども、その程度の俺の考えなど見透かしていたのか、信行寺の代表はこれまで顔に貼り付けていた笑顔を捨てて鋭い目つきでこう問い掛けてくる。
「中嶋門徒は気が荒い者が多いと聞きますが」
「御安心ください。港湾の仕事は気が荒くなければ務まりません。うってつけと言えるでしょう」
もはや狐と狸の化かし合いと言うしかない。
代表は今の時点で一揆の心配をするのか? そのために敢えて言う事を聞かない無頼者を内に抱えるのかと目で語り、覚悟の上だと答える。その時の二人の会話は声に出した内容とは全く違ったものとなっていた。
「そうした理由でしたら拙僧は断れませんな」
「ありがとうございます。では詳細は後日詰めましょう。中嶋門徒に顔の利く方を派遣してください。こちらも担当の者を準備しておきます」
「それにしても細川様は本当に武家の方ですかな? お噂は聞いておりましたが、御本人を前にすると噂以上の人物だと痛感致しました。拙僧も港の運営に関わってきたので利には聡い方ですが、なかなかどうして。拙僧以上ですな」
そうして緊迫した交渉もようやく終りを告げる。俺が武家らしくないと評されるのはこれで何度目だろうか? 例え僧であろうと霞だけを食って生きていくのは無理だし、人が集まれば何かと銭が必要となるという当たり前を理解しているだけなのだが、これまで出会った武家はそうは考えてくれなかったのだろうな。
「いえいえ、買い被り過ぎですよ。それでですね……最後にお伺いしないといけない点がございまして……これより足利様の館を包囲しようと考えているのですが、御身は信行寺にお預けすれば良いでしょうか? 足利様には手荒な真似はするつもりもありませんし、下手な野心は抱いておりません。足利様の御身はどこに移せば良いのかと思いまして」
「足利様ですか……いえ、細川様の御判断でいかようにもしてくださって結構です。但し、殺害したり、拷問したりといった真似だけは御遠慮ください。面倒でしたら阿波細川家に送り返すのが良いかと思われます」
「ではそのように……えっ?! それで良いのですか?」
「はい。ですので最初に『全面協力する』とお話したではないですか」
「あっ……あれはそういう意味だったのですか……ありがとうございます」
最後の最後に本来の目的であった足利 義維問題を確認する。てっきり「信行寺で預かる」と言うと思ったのだが、予想外の回答が出てきてしまった。代表からは「信行寺にお連れ頂いても大丈夫です」とは言ってくれたが、素振りから明らかにそれだけは止めて欲しいという雰囲気が伝わってくる。もしかして彼は信行寺の者達に嫌われているのだろうか?
状況は良く分からないが、これで言質は取った。今後義維関係で信行寺と揉め事は起こらない。ならば善は急げと皆の下へと戻ろうとしたその時、俺はぼそりと呟いた代表の言葉を聞き逃さなかった。
それは、
「ふぅ、これでやっと教団に銭を無心されなくなるわい」
というとんでもない内容である。
どうやら足利 義維問題は違った意味で問題だったようだ。
笑顔で重意を送り出す。彼には立江地区の占拠と櫛渕城の攻略を任せた。信行寺に対しては寺領こそ認めないものの、建物及び関係者は保護した上で生活に困らないように補助金も出すと約束すると、安堵の表情を浮かべたのが印象的であった。
嘘は言っていない。
特別扱いはできないが、他の寺社と同じ扱いをするという意味だ。とは言え、今回ばかりは懐柔のためにそれなりの融通を利かせる必要もあるかとは考えている。
あの後仁木 伊賀守殿から話を聞いたが、信行寺は阿波における一向衆の橋頭堡となるべく建立されたという。いや、捉え方が悪いな。阿波国での重要拠点と認識する方が正しい。概ね予想通りだ。阿波細川家の勝瑞城と同じ役割と言えるだろう。
「……重意を先に送り出して正解だったな。もし信行寺との交渉が拗れたらと思うと、一向衆の重意は近くに置いておけない」
間違いなく今回の作戦の山場が信行寺との交渉になる。
決裂は一向衆の蜂起を招き、阿波国南部を混乱へと誘う。下手をすると、畿内より海を越えて門徒というの名の兵を送り込まれる事態さえ覚悟しなければならない。加賀国で、そして畿内で一向衆が巻き起こした事件は悪名高くまだその爪跡は各地に残っていると言う。また、織田 信長の天下統一を最も遅らせたのは本願寺とも言われている程だ。それだけ危険な相手である。
しかし、もし友好関係を築けるならこれ程心強い相手はいない。懸案の足利 義維問題も解決に向けて大きく前進するし、何より今後の阿波国南部の統治の難易度が一気に下がる。また、軍事面においても侮れない。阿波細川家や阿波三好家と事を構えた際には牽制の役割さえ期待できるだろう。
──とそんな風に考えていた時もありました。
行き掛けの駄賃とばかりに今津城を落とし、その勢いのまま信行寺へと向かう。寺を包囲し、物々しい雰囲気の中で相手の代表と会談を行なったが、得られた回答は大きく肩透かしを食らわされたものであった。それは遠州細川家への「全面協力」という言葉である。
とは言え、交渉というのはここからが難しい所。笑顔で握手を求めながらナイフで突き刺すなどという事例は幾らでもある。ここで言う「全面協力」とは、互いが交渉のテーブルに付いたという程度の枕詞にしか過ぎない。それでも話の通じる相手だと分かるだけでも大きいと言える。
そして予想通りに本当の意味での熾烈な戦いが始まった。初手は信行寺側が当然のように俺達に大幅な譲歩を求めてくる。
いや、正確には現状を追認しろという意味なのだが、相手は平嶋の港の管理・運営を信行寺に任せて欲しいと要求してきた。これまで平嶋港の管理は信行寺が行なっていたらしく、足利 義維及びその家臣は一切関わっていないのだと。関わっているのは利益の一部を渡す時だけという状態であった。
これは現在の足利 義維には港を切り盛りする家臣の人的余裕が無いのがその理由だ。何でも足利 義維の公方就任を最も後押ししてくれていた三好 元長 (三好 長慶の父)が自害した際、義維の家臣の多くが後を追って自害する殉死を行なったらしい。結果、義維は三〇〇〇貫もの収益のある平嶋を自身の領地としているにも関わらず、一番収益の出る港の利権を信行寺に委ねる決断をしなければならなかった。この利権構造が信行寺を足利 義維の庇護者とする根本である。
三好 元長の自害の理由は一向一揆だったというのに、その親玉に頼らなければ生きられないという足利 義維の悲しさ。皮肉としか言いようがない。
義維の境遇には同情をするが、残念ながらそれはそれ。俺達には関係無い事情である。この地が遠州細川家の領土となる以上は信行寺の主張は認められない。既にこちらが実効支配しているのだから、返す気など更々無い。その上で寺領も全て没収する。これだけは今後を考えて絶対に譲れない部分であった。
だからこそ俺もしっかりと反撃する。
「平嶋港の管理・運営は結局の所、信行寺の収入源という意味でしょう。なら、それに代わる新たな収入源があれば手放しても良いのではないですか? 当家からは信行寺に対して月々の補助金を出します。これで生活への不安は無くなる筈です。それでもまだ足りないというなら、当家にこの地を開発するための銭を融通してください。そうすれば利息で大いに懐が暖まると思われます」
この時代の寺は多くが貸金業に手を染めている。地域経済の要である寺社に多くの銭が集まるのだから、それを運用するのはおかしな発想ではない。宗教関係者も人だ。食べなければ死ぬし、時には酒だって飲みたいだろう。ましてや本願寺は妻帯を許す宗派だ。人が生きる以上、銭は切っても切れない。
だからこそ夢の不労所得生活を提案する。俺が同じ立場なら利権を手放しても良いと思えるような条件でなければ相手は納得しない。これでまずは向こうの出方を伺い、問題点を浮き彫りにしようと考えたのだが……話は意外な方向へと転がっていった。
「細川様の申し出はとても嬉しいのですが、なにぶん本願寺派は土倉業 (金貸し)はしていないのです。教団の収益は主に信者からの寄進と町の運営で成り立っております」
「えっ……本願寺教団は土倉を行なっていないのですか? しかも寄付と町の運営だけで賄っている? そんな……あり得ない」
「荘園管理による益も関の収入も得ておりません。ですので、港の運営を手放す訳にはいかないのです。御理解ください」
まさかまさかだ。本願寺は街金に不動産取引に通行税徴収もしていないと言う。勿論、投機もだ。債権回収業者など以ての外だろう。しかも寺の代表の態度ではそれを誇るような仕草である。それは良く分かる。阿漕な商売には一切手を出していないとでも言いたいのだ。
寺の代表からは信者に商工業者が多いのも港の運営を手放せない理由の一つだと教えてくれた。これは……本願寺が織田 信長と渡り合えた理由が良く分かる。つまり本願寺のしている事は、門前町に商工業者を囲い込み、産業の保護・育成を行い、そのアガリで食っていると言っているようなものだ。どこぞの楽市楽座よりも遥かに効率が良い。寺が持つ知識や技術を信者間で共有する。これで発展しない方が嘘になる。
きっと教団の信者から見れば、織田 信長というヤクザは単なる簒奪者にしか見えなかったのだろうな。徹底抗戦するしかないと考えるのは普通の考えだ。誰だって安定した生活を捨てたいとは思わない。
……いや、ちょっと待て。よく考えれば本願寺のしている事は遠州細川家の事業とそう大差無いのではないか? 阿波国南部に限って言えば、事業規模は現状よりこちらの方が大きくなるぞ。
──この交渉は、正しい金勘定ができるかどうかが決め手だ。
「なるほど。分かりました。それなら尚の事、港の運営を手放してもらいましょうか。遠州細川家は今後この地を大きく栄えさせるべく大規模な開発を行ないます。期間も全て終わるには一〇年、二〇年、もしくはそれ以上の長い時が必要となります。そうである以上、管理者が複数いると開発に支障を来たすのです。ですので、当家の事業に本願寺から人を出しませんか? 出して頂いた人は当家で雇い入れますので給金が発生致します。これが信行寺が全ての寺領と利権を手放して頂く恩恵となります」
「ふむ。『大規模な』と仰いましたが、どの程度の数を想定されておりますか? 一〇〇人や二〇〇人程度でしたら、お話になりませんが」
「最低限、一桁違うとお話致します。勿論上です。ただ、物理的な制約で受け入れは月毎になります。人を受け入れるにしても、住む場所や食料その他を整えなければなりませんので」
「むっ…………むむむぅ」
本願寺教団の収益は信者からの寄付が大きいと言っていた。ならば阿波国南部に信者を数多く派遣すれば、やがては信者からの寄付が港の運営益を上回る。あくまでも大量の信者を受け入れるという前提が必要となるが、その根拠が大規模な開発だ。つまり俺の提案に乗れば、上手くすれば倍以上の収益も……もう一押しするか。
「そうですね。いっそ、遠州細川家に保証金という形で銭を預けませんか? 事実上の借財ですが、この名目なら教団も文句は言えないでしょう。目的は開発の初期投資です。これでこの地の開発が広範囲に渡って行なえるようになりますので、受け入れ数も増やせます。当家がこれまで借財を踏み倒していないのは根来寺にでも御確認ください。事業計画書も必要とあれば提出致します」
単なる言葉遊びと言えばそれまでだが、こういう形にすれば様々な備品が早期に確保できるし、人件費も賄える。口ぶりから、より多くの信者の受け入れがあるなら考えるように見受けられたからこその提案だ。きっと信行寺の代表は、今頭の中の算盤をはじいて損益分岐点を見つけようとしているに違いない。
──何故、この人を受け入れるという提案がより魅力的に映るか?
その答えは定期的な安定収入である。寄付という一段階を置いた形となるが、今月は〇〇貫の収益が見込めるという見通しが立てられるのが大きい。それの意味する所はより計画的な経営が可能となる点だ。俺が月々の補助金を寺社に提案するのも同じ理由である。
港の運営も確かに手堅い収入を期待できるが、言うなれば店の経営に似ている。収益の多い月もあれば少ない月もある。安定はしない。ましてやこの時代の商いは掛売り掛買いが主流だ。言い換えればツケが基本。現金商売などまず行なわない。
──そうすると最悪の場合は、殺人的に忙しいのに収益が無いという事態さえ起こり得る。
現代的に言えば、フリーランスと会社勤めではどちらがより生活が安定するかという話であった。
「はっはっは。細川様の口から保証金などという言葉が出るとは思いませんでした。これはもう拙僧の負けでございますな。では、初年は最低でも五〇〇〇人は受け入れてください。それを一〇年間は続けて頂く形で。利権を奪い取った上に教団から銭を引き出すのですから、これ位はやってもらわないといけませんな。今後とも仲良く参りましょうぞ」
……勝った。
さすがはこの地域を任せられる寺の代表というしかない。俺の提案に十分利があると判断できた。遠州細川家は人足を確保できてニッコニコ。信行寺は補助金と安定収入が手に入ってニッコニコ。これぞ理想的な姿と言えよう。
「吹っ掛けてきますね。分かりました。それで行きましょう。……で最後に一つだけ我儘を言っても良いでしょうか? 受け入れる信者は中嶋門徒で生活に困っている者を最優先したいと考えております」
「それは……何故ですかな?」
「全ては遠州細川家が高国派だからです。細川 晴国殿が最後に戦った仲間が中嶋門徒だと聞きましたので、戦友として保護を考えております」
危なくこのまま交渉を切り上げる所だったが、最後にリスク回避も行なっておく。
高国派云々は勿論嘘である。一向衆を領内に受け入れるに当たって懸念しなければならないのが一揆の問題だ。特に畿内では政治利用されたとは言え、一〇万とも二〇万とも言える信者が武装蜂起したのを俺は知っている。
そんなテロリスト予備軍とも言える者達を無条件で迎え入れるなどできない。もし、何らかの形で信行寺が信者を扇動すれば、簡単に阿波国南部は一向衆の地となる。
だからこそここで仕掛けを入れた。「中嶋門徒」というのは本願寺教団の命令を無視して細川 晴国殿と共に細川 晴元と戦った信者達である。当時の本願寺は、それまで細川 晴元と争っていたというのに方針を変えて突然和睦をした。それを不服とした集まりである。
つまり、「中嶋門徒」は教団における反主流派と言って良い。それを積極的に内に抱える。そうすれば、信者の意思統一が図れず大胆な行動が取れなくなる。これで一揆の心配が少なくなるという寸法だ。
……その分、衣食住をしっかりと面倒見て不満を溜め込まさないという前提条件を満たさなければいけないが。
けれども、その程度の俺の考えなど見透かしていたのか、信行寺の代表はこれまで顔に貼り付けていた笑顔を捨てて鋭い目つきでこう問い掛けてくる。
「中嶋門徒は気が荒い者が多いと聞きますが」
「御安心ください。港湾の仕事は気が荒くなければ務まりません。うってつけと言えるでしょう」
もはや狐と狸の化かし合いと言うしかない。
代表は今の時点で一揆の心配をするのか? そのために敢えて言う事を聞かない無頼者を内に抱えるのかと目で語り、覚悟の上だと答える。その時の二人の会話は声に出した内容とは全く違ったものとなっていた。
「そうした理由でしたら拙僧は断れませんな」
「ありがとうございます。では詳細は後日詰めましょう。中嶋門徒に顔の利く方を派遣してください。こちらも担当の者を準備しておきます」
「それにしても細川様は本当に武家の方ですかな? お噂は聞いておりましたが、御本人を前にすると噂以上の人物だと痛感致しました。拙僧も港の運営に関わってきたので利には聡い方ですが、なかなかどうして。拙僧以上ですな」
そうして緊迫した交渉もようやく終りを告げる。俺が武家らしくないと評されるのはこれで何度目だろうか? 例え僧であろうと霞だけを食って生きていくのは無理だし、人が集まれば何かと銭が必要となるという当たり前を理解しているだけなのだが、これまで出会った武家はそうは考えてくれなかったのだろうな。
「いえいえ、買い被り過ぎですよ。それでですね……最後にお伺いしないといけない点がございまして……これより足利様の館を包囲しようと考えているのですが、御身は信行寺にお預けすれば良いでしょうか? 足利様には手荒な真似はするつもりもありませんし、下手な野心は抱いておりません。足利様の御身はどこに移せば良いのかと思いまして」
「足利様ですか……いえ、細川様の御判断でいかようにもしてくださって結構です。但し、殺害したり、拷問したりといった真似だけは御遠慮ください。面倒でしたら阿波細川家に送り返すのが良いかと思われます」
「ではそのように……えっ?! それで良いのですか?」
「はい。ですので最初に『全面協力する』とお話したではないですか」
「あっ……あれはそういう意味だったのですか……ありがとうございます」
最後の最後に本来の目的であった足利 義維問題を確認する。てっきり「信行寺で預かる」と言うと思ったのだが、予想外の回答が出てきてしまった。代表からは「信行寺にお連れ頂いても大丈夫です」とは言ってくれたが、素振りから明らかにそれだけは止めて欲しいという雰囲気が伝わってくる。もしかして彼は信行寺の者達に嫌われているのだろうか?
状況は良く分からないが、これで言質は取った。今後義維関係で信行寺と揉め事は起こらない。ならば善は急げと皆の下へと戻ろうとしたその時、俺はぼそりと呟いた代表の言葉を聞き逃さなかった。
それは、
「ふぅ、これでやっと教団に銭を無心されなくなるわい」
というとんでもない内容である。
どうやら足利 義維問題は違った意味で問題だったようだ。
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