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五章 三好長慶の決断
海の柳生新陰流
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ただ、現実というのは時に残酷である。
久々の大口取引に舞い上がったこんな時ほど、あっさりと地に落とされる。
それを口にしたのは引率役であった友野屋。駿河今川家では商人頭の立場にあり、事実上駿河国内での商取引を取り仕切っている。例え俺と太原 崇孚の二人が同意したとしても、商取引に於いては友野屋の承諾が無ければ実行される事は無い。
そう、今回二人の話を友野屋が御破算にした。「交易の不均衡」という理由で。
友野屋の言い分としては、今回同意した内容では駿河今川家の負担が大き過ぎて承諾できないというものであった。
当然太原 崇孚は反論する。
第二次小豆坂の戦いを終わらせたばかりの駿河今川家ではあったが、未だ三河国に平穏は訪れない。特に安城松平家当主の死亡は手痛く、その後継者が不在のままでは纏まりさえも欠く状況である。それを収拾するべく近く今一度の軍事行動を起こす予定となれば、新兵器で戦局を有利に進めたいというのは誰もが納得する考えであった。
軍事機密を平気でバラすのはどうかと思うが、改良型弓胎弓購入の話を出した時点で何に使うかは明白である。敢えて隠す理由は無いという所か。
とは言え、俺は別の立場を示す。
「それでは遠州細川家が駿河より産物を購入すれば良いのでは。完全に不均衡を無くすのはできないにしても、空荷だけは回避できます」
この辺が俺と太原 崇孚の違いではないか。友野屋が言っている不均衡が、「空荷を何とかしなければ、輸送コストが倍になって改良型弓胎弓の価格が跳ね上がる」という意味だとあっさり気付く。それが土佐から駿河までという長い距離であれば尚更であろう。
ある意味経験の賜物と言うべきか。俺達は長い間、奈半利で食料買取を進めながら産物を販売するという事業を展開してきた。商人が空荷を嫌う習性を利用したものだ。こちらとしては、購入より売り上げが上回れば利益が出るという考えである。これがあるからこそ、友野屋の言い分には素直に納得できた。
それに政治的な役割を果たさないといけないとは言え、友野屋自身は商人である。折角土佐まで出向いたというのに、何の成果も無く駿河に帰る訳にはいかないだろう。この機会に土佐を商圏として取り込みたいと考えているに違いない。
太原 崇孚との話に集中し過ぎて、ついついその基本を忘れてしまっていた。
「ただ友野屋、悪いが当家で駿河の産物に詳しい者がいない。きちんと準備はしているのか?」
「その辺はお任せあれ」
俺の言葉に喜色満面で答える友野屋、が言うが早いか風呂敷を広げ見本を出してくる。さすがは「東国の都」、もしくは「今川文化」と評される駿河の産物だ。土佐ではお目に掛かれない洗練された商品ばかりであった。
しかし、ここで気付いた点がある。
「友野屋、事前に今回の結果を予測しろというのが無理な話だと思うが、全種類買っても捕鯨船には届かないと思うぞ。弓胎弓ですら、数を必要とするならこちらが駿河の産物を大量に買わなければならないからな。今見せてもらった分は興味があるので一通りは購入するが、数はまだそこまで必要無い。だが、駿河今川家にとって弓胎弓は数が必要。この差をどう埋める?」
「あっ……」
今回友野屋がこちらに持ち込んだ産物は日用品ばかりであり、武具や鎧などは皆無であった。そもそもが一回目の取引から武具の大量購入などあり得ないのだから、友野屋の判断は何ら間違っていない。
そうした不幸から始まったものの、やはり弓胎弓と日用品では一つ当たりの単価が違い過ぎる。その上でより多くの弓胎弓を購入したいとするなら、こちらはそれ以上の数量を購入しなければ釣り合いは取れない。
そうなればこちらが購入する駿河の産物は、個人所有や贈答用からは逸脱してしまう。販売が前提の仕入れとなる。だが悲しいかな、領内の民の現状ではまだ実用が主流であるために、工芸品に手を伸ばすのは難しいと言わざるを得ない。強いて挙げれば反物が関の山である。服飾に於いては大内家のご令嬢の影響もあり、着たきりスズメは良くないと替えの衣服を手にする者が増えつつあった。
つまり、不均衡を商品の購入で賄おうとすると、不良在庫の山となるのが見えているのでまず無理という話になる。
どうやら土佐の元々の生活水準の低さを考慮していなかったものと思われる。奈半利の活況は土佐全体から見れば一部だ。いずれは生活水準も上がり駿河の産物が重宝するにしても、現時点では時期尚早である。
話を整理すると、両家が望む取引には商品単価と購入数に大きな隔たりがあった。
「なら友野屋、ここで相談だ。土佐に職人を派遣してくれるか? 特に織物や染色、それにこの『志戸呂焼』の職人は幾らでも欲しい。一人につき幾らと換算する。現役職人は問題あるだろうから、引退した元職人で構わない。これなら釣り合いも取れるだろう」
「ほ、細川様……そのような真似をすれば、いずれ土佐の産物に駿河の産物が取って代わられるのではないでしょうか……?」
「うむ。友野屋、細川様の希望通りに職人を手配するように」
「太原 崇孚様……良いのですか……」
「問題は無い。細川様の事だ。駿河の産物とは違う、土佐独自の産物を作るであろう」
「……よく分かってらっしゃる」
ほぼ人身売買のような提案であったが、こうして俺の提案は通り、まずは改良型弓胎弓一五〇の販売が決定する。一五〇程度では戦の大局に与える影響は微々たるものになるにしろ、それでも精鋭部隊として機能させるなら使い道も十分にある。後は采配次第という所だ。太原 崇孚なら、俺が言わなくてもそれを理解するだろう。
残る懸念は捕鯨船となるが、これはどうしても太原 崇孚が欲しいと駄々を捏ねたので、金の支払いで決着する形となった。
個人的には遠州細川家に山と積まれている証文 (手形)の買取でも構わないと話を振りつつも、それはあっさりと拒否されてしまう。友野屋が現物に拘った結果であった。曰く証文の回収に変な業者が介在すると、駿河今川家の名に傷が付くかもしれないというものだ。俺自身は変な所から銭を借りた記憶は無いが、傍目にはそう見えるのかもしれない。
それはさて置き、この職人派遣は遠州細川家には追い風となる。領内で静かに盛り上がりつつある繊維産業への梃入れは当然として、何よりもこれまで手付かずだった陶器の産業がようやく興せる。江戸時代から始まる土佐の「尾戸焼」を前倒しにする形だ。
しかも、良質の粘土が採れる能茶山では白土まで手に入るというのだから、夢もまた広がる。備前から納入される陶土を絡めれば、磁器にボーンチャイナ、その中間とも言えるジビエボーンチャイナと三種類の付加価値商品が展開可能となる。土佐での焼き物と言えば農家の副業で作られた土器が主流であるが、それが終わりを迎える日も近付くというものだ。
そうそう、今度津田 算長には対馬長石を発注しておかないといけない。フリット釉製造には絶対に必要な素材である。これを忘れてしまえば画竜点睛を欠く結果になってしまう所であった。
こうして初回の取引は何とか目処が立ったものの、次回以降は小規模な取引に収まるのが決定的となる。工芸品は広く民に受け入れられてナンボの商品だ。当たれば大きな利益となるとは言え、それが浸透するにはまだまだ時間が必要である。どうにも濡れ手に粟というのは俺には似合わないらしい。
名残惜しそうな顔をする太原 崇孚を優しく見送る。最低限の成果は出したものの、次回以降の取引に不満なのだろう。その気持ちは俺も同じだ。しかし、商いに焦りは禁物である。臭水が品目に入ればまた変わってくる上、友野屋が面白い商品を見つけてくれば、それだけで取引量は爆増する。それもまた楽しみの一つと言えよう。
今回は時間が無かったために一緒に食事をする事もできなかったが、次回はゆっくりと語り合いたいものだ。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
駿河今川家との定期的な取引が決まったとは言え、実行には大きな壁が残っている。
それは運搬業者への手配だ。
今度こそ海部家を使って太平洋航路を確保したいという思惑が湧き上がってくるが、如何せん遠州細川家は現在土佐一条家と絶賛交戦中である。ここで戦力の分散を行う訳にはいかない。
当主である海部 友光自身が土佐一条家との決戦には積極的に関わりたいらしく、一層無理な話であった。
そんな海部家が現在何をしているかと言うと……当家の海賊大将である惟宗 国長と共に、須崎港の南に位置する佐賀港や下田港近海を荒らし回るという充実した日々を送っている最中である。
そうした経緯により駿河今川家への荷はいつも通り雑賀衆頼りとなるのだが、こんな時ほど厄介事というのは持ち込まれる。
「なっ、能島村上家の保護? 乗り気にはなれないが、話だけは聞くぞ」
「実はな……」
保護の話を持ってきた佐々木 刑部助の言う内容自体はそう特別なものではなかった。力を失った嫡流が庶流に取って代わられるという、この時代どこにでも落ちているお家騒動である。能島村上家もその真っただ中……というよりは滅亡寸前なのだという。
だからと言って面倒を見てくれと言われても、俺達相手には筋違いでかしかない。能島村上家は大物崩れの戦いでは細川 晴元に味方した。晴元派陣営とも言える。しかも細川 高国様より塩飽の代官職を頂いた恩を忘れてあっさりと裏切った経緯まであるとなれば、どうなろうと知った事ではない。
しかし、話は意外な方向へと転がる。
それは簡単に言えば身売りであった。自分達を保護し、反旗を翻した庶流の打倒を手伝ってくれるなら、能島村上家当主の座を明け渡して良いと言う。その過程で能島村上家そのものも家臣化してくれて構わないのだとか。
「よく分からんがそこまでの覚悟があるなら、保護はするか。一時的な転向とは違うしな。それに、当家にとっても悪い話じゃなさそうだ」
「国虎様ならそう言うと思ってたよ。こちらとしては大助かりだ。待ってろよ、今連れてくるからな……」
このような経緯で能島村上家当主村上 義益に会う形となるのだが、そこで俺はこの時代に来て久々に清々しい気分にさせられた。
「ゴホッ……細川様とようやくお会いできたというのに、この様な姿で誠に申し訳ございませぬ。何卒お頼み申す。能島村上家をお守りくだされ」
「なるほど。これが保護の理由か」
やって来たのは、青白い顔をした男であった。体を屈強な家臣に支えられながら部屋へと入ってくる。生まれながらに体が弱く病気がちで、普段は拠点としている中途島からあまり出ないらしい。今回は無理を押して土佐行きを決行したという。
本人を見て確信したが、これが当主として認められない理由であろう。能島村上家と言えば、かの有名な村上水軍だ。水軍衆を率いる当主がこれでは誰も付いてこないという庶流の言い分はとても理解できる。
「楽にしてくれて良いぞ。この状態の者に話を聞くのは申し訳ないと思うが、手短に終わらせるので答えて欲しい。その体で当主を従兄弟の村上 武吉に譲れない理由は何だ? 無理に争う必要は無いと思うんだが」
「武吉を推す一派は周防大内家の傘下に入りました。周防大内家は我が父の仇です。だからこそ、絶対に奴等に能島村上の家督を渡す訳にはいかないのです。例えどんな手段を使ってでも……」
「分かった。ありがとう。その覚悟があるなら、能島村上中途衆は当家で保護する。生活の保障はしよう。薬もある。今薬師を呼ぶから待ってろよ」
当主の座を譲り渡す覚悟のある者が何故庶流と和解できなかったのか? この話を聞いた時点でずっと気になっていたが、これほど分かり易い理由はない。
大方村上 武吉及びその擁立者は、保身のために周防大内家に屈したのだろう。海賊衆と言っても命は大事だ。長い物には巻かれる選択をして生き残ろうとするのも分かる。
だが、そうではない者もいた。例え相手が強大で絶望的な戦いを続けるしかないと分かっていても、例え自らの体が弱く海賊衆としては役に立たないとしても、自身を信じて付いてきてくれる部下のために最善を尽くす。
しかもその方法がまた良い。先に違う者に渡してしまえば、当主の座を村上 武吉に奪われないという考えだ。こんな馬鹿はそうそういない。
面白い。これはもう遠州細川家が協力する案件である。土佐一条家との戦いが終われば、能島村上庶流と争ってやろうじゃないか。相手が世に聞く村上水軍であろうと関係無い。叩き潰してやる。
「これで亡くなった父に顔向けできます。能島村上家は好きにお使いくだされ……」
「中途衆を守り武吉一派に敵対する限りは、だな。分かっているから無理はするな」
それにしても一部とは言え、村上水軍が手に入った形だ。しかも、当主を俺の息の掛かった者に据えられるというなら、遠州細川水軍の戦力増強だけではなく魔改造もできるという意味にもなる。
やるなら徹底的にならないとな。
そっと後ろに控えている柳生 宗直の顔を見る。
「宗直、水軍を率いる気はあるか?」
「某ですか? 船乗りの経験はありませんが、務まるのでしょうか?」
「今回においてそれは関係無い。船の上でも戦えるかどうかだ。宗直なら船の上でも十分に戦えるんじゃないかと思ってな。柳生の剣術で村上 武吉を一刀両断してくれるか? あっ、後見は叔父の村上 隆重らしいから、そいつでも良いぞ」
「例え足場が悪くとも達人でない限りは勝つ自信はあります。ですが、そのような決め方をして良いのでしょうか?」
「俺が許す。柳生 宗直の力で能島村上中途衆を本気の戦闘集団に変えてしまえ。抜刀隊の組織だ。俸禄もたんまり出すから、故郷から人を呼び寄せろ!」
「はっ、かしこまりました! 今より某は村上 宗直を名乗ります!」
こういった時に俺が馬鹿な事を言いだすのは最早お約束だ。焙烙玉等の飛び道具を捨てさせ、白兵戦に特化する。それも柳生の者達を集めるという徹底さで。使い方さえ間違わなければ凶悪な部隊となる。
それというのも、遠州細川家では元々遠距離攻撃主体としているのが大きい。陸は勿論海においてもである。ここで特性の似ている部隊が加わったとしても存在感を示すのは難しいだろう。ならば、欲しいのは特攻隊だ。
宗直は操船の経験の無さを心配していたが、今回に限ってはそれを心配する必要は無い。宗直は中途衆の前で堂々と「反逆者を倒すためにやって来た」と言い、手の早いゴロツキを何人か拳で教育する。そうすれば彼らも全面的に協力してくれるというもの。良いか悪いか分からないが、船乗りの世界は一種腕力の世界だ。腕っぷしが強ければ、誰も文句は言うまい。
海の柳生新陰流とでも言うべきか。今日を境に村上水軍には新しい風が吹き込む。
気が早いと思うが、村上水軍同士の戦いがどうなるか楽しみで堪らない。
久々の大口取引に舞い上がったこんな時ほど、あっさりと地に落とされる。
それを口にしたのは引率役であった友野屋。駿河今川家では商人頭の立場にあり、事実上駿河国内での商取引を取り仕切っている。例え俺と太原 崇孚の二人が同意したとしても、商取引に於いては友野屋の承諾が無ければ実行される事は無い。
そう、今回二人の話を友野屋が御破算にした。「交易の不均衡」という理由で。
友野屋の言い分としては、今回同意した内容では駿河今川家の負担が大き過ぎて承諾できないというものであった。
当然太原 崇孚は反論する。
第二次小豆坂の戦いを終わらせたばかりの駿河今川家ではあったが、未だ三河国に平穏は訪れない。特に安城松平家当主の死亡は手痛く、その後継者が不在のままでは纏まりさえも欠く状況である。それを収拾するべく近く今一度の軍事行動を起こす予定となれば、新兵器で戦局を有利に進めたいというのは誰もが納得する考えであった。
軍事機密を平気でバラすのはどうかと思うが、改良型弓胎弓購入の話を出した時点で何に使うかは明白である。敢えて隠す理由は無いという所か。
とは言え、俺は別の立場を示す。
「それでは遠州細川家が駿河より産物を購入すれば良いのでは。完全に不均衡を無くすのはできないにしても、空荷だけは回避できます」
この辺が俺と太原 崇孚の違いではないか。友野屋が言っている不均衡が、「空荷を何とかしなければ、輸送コストが倍になって改良型弓胎弓の価格が跳ね上がる」という意味だとあっさり気付く。それが土佐から駿河までという長い距離であれば尚更であろう。
ある意味経験の賜物と言うべきか。俺達は長い間、奈半利で食料買取を進めながら産物を販売するという事業を展開してきた。商人が空荷を嫌う習性を利用したものだ。こちらとしては、購入より売り上げが上回れば利益が出るという考えである。これがあるからこそ、友野屋の言い分には素直に納得できた。
それに政治的な役割を果たさないといけないとは言え、友野屋自身は商人である。折角土佐まで出向いたというのに、何の成果も無く駿河に帰る訳にはいかないだろう。この機会に土佐を商圏として取り込みたいと考えているに違いない。
太原 崇孚との話に集中し過ぎて、ついついその基本を忘れてしまっていた。
「ただ友野屋、悪いが当家で駿河の産物に詳しい者がいない。きちんと準備はしているのか?」
「その辺はお任せあれ」
俺の言葉に喜色満面で答える友野屋、が言うが早いか風呂敷を広げ見本を出してくる。さすがは「東国の都」、もしくは「今川文化」と評される駿河の産物だ。土佐ではお目に掛かれない洗練された商品ばかりであった。
しかし、ここで気付いた点がある。
「友野屋、事前に今回の結果を予測しろというのが無理な話だと思うが、全種類買っても捕鯨船には届かないと思うぞ。弓胎弓ですら、数を必要とするならこちらが駿河の産物を大量に買わなければならないからな。今見せてもらった分は興味があるので一通りは購入するが、数はまだそこまで必要無い。だが、駿河今川家にとって弓胎弓は数が必要。この差をどう埋める?」
「あっ……」
今回友野屋がこちらに持ち込んだ産物は日用品ばかりであり、武具や鎧などは皆無であった。そもそもが一回目の取引から武具の大量購入などあり得ないのだから、友野屋の判断は何ら間違っていない。
そうした不幸から始まったものの、やはり弓胎弓と日用品では一つ当たりの単価が違い過ぎる。その上でより多くの弓胎弓を購入したいとするなら、こちらはそれ以上の数量を購入しなければ釣り合いは取れない。
そうなればこちらが購入する駿河の産物は、個人所有や贈答用からは逸脱してしまう。販売が前提の仕入れとなる。だが悲しいかな、領内の民の現状ではまだ実用が主流であるために、工芸品に手を伸ばすのは難しいと言わざるを得ない。強いて挙げれば反物が関の山である。服飾に於いては大内家のご令嬢の影響もあり、着たきりスズメは良くないと替えの衣服を手にする者が増えつつあった。
つまり、不均衡を商品の購入で賄おうとすると、不良在庫の山となるのが見えているのでまず無理という話になる。
どうやら土佐の元々の生活水準の低さを考慮していなかったものと思われる。奈半利の活況は土佐全体から見れば一部だ。いずれは生活水準も上がり駿河の産物が重宝するにしても、現時点では時期尚早である。
話を整理すると、両家が望む取引には商品単価と購入数に大きな隔たりがあった。
「なら友野屋、ここで相談だ。土佐に職人を派遣してくれるか? 特に織物や染色、それにこの『志戸呂焼』の職人は幾らでも欲しい。一人につき幾らと換算する。現役職人は問題あるだろうから、引退した元職人で構わない。これなら釣り合いも取れるだろう」
「ほ、細川様……そのような真似をすれば、いずれ土佐の産物に駿河の産物が取って代わられるのではないでしょうか……?」
「うむ。友野屋、細川様の希望通りに職人を手配するように」
「太原 崇孚様……良いのですか……」
「問題は無い。細川様の事だ。駿河の産物とは違う、土佐独自の産物を作るであろう」
「……よく分かってらっしゃる」
ほぼ人身売買のような提案であったが、こうして俺の提案は通り、まずは改良型弓胎弓一五〇の販売が決定する。一五〇程度では戦の大局に与える影響は微々たるものになるにしろ、それでも精鋭部隊として機能させるなら使い道も十分にある。後は采配次第という所だ。太原 崇孚なら、俺が言わなくてもそれを理解するだろう。
残る懸念は捕鯨船となるが、これはどうしても太原 崇孚が欲しいと駄々を捏ねたので、金の支払いで決着する形となった。
個人的には遠州細川家に山と積まれている証文 (手形)の買取でも構わないと話を振りつつも、それはあっさりと拒否されてしまう。友野屋が現物に拘った結果であった。曰く証文の回収に変な業者が介在すると、駿河今川家の名に傷が付くかもしれないというものだ。俺自身は変な所から銭を借りた記憶は無いが、傍目にはそう見えるのかもしれない。
それはさて置き、この職人派遣は遠州細川家には追い風となる。領内で静かに盛り上がりつつある繊維産業への梃入れは当然として、何よりもこれまで手付かずだった陶器の産業がようやく興せる。江戸時代から始まる土佐の「尾戸焼」を前倒しにする形だ。
しかも、良質の粘土が採れる能茶山では白土まで手に入るというのだから、夢もまた広がる。備前から納入される陶土を絡めれば、磁器にボーンチャイナ、その中間とも言えるジビエボーンチャイナと三種類の付加価値商品が展開可能となる。土佐での焼き物と言えば農家の副業で作られた土器が主流であるが、それが終わりを迎える日も近付くというものだ。
そうそう、今度津田 算長には対馬長石を発注しておかないといけない。フリット釉製造には絶対に必要な素材である。これを忘れてしまえば画竜点睛を欠く結果になってしまう所であった。
こうして初回の取引は何とか目処が立ったものの、次回以降は小規模な取引に収まるのが決定的となる。工芸品は広く民に受け入れられてナンボの商品だ。当たれば大きな利益となるとは言え、それが浸透するにはまだまだ時間が必要である。どうにも濡れ手に粟というのは俺には似合わないらしい。
名残惜しそうな顔をする太原 崇孚を優しく見送る。最低限の成果は出したものの、次回以降の取引に不満なのだろう。その気持ちは俺も同じだ。しかし、商いに焦りは禁物である。臭水が品目に入ればまた変わってくる上、友野屋が面白い商品を見つけてくれば、それだけで取引量は爆増する。それもまた楽しみの一つと言えよう。
今回は時間が無かったために一緒に食事をする事もできなかったが、次回はゆっくりと語り合いたいものだ。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
駿河今川家との定期的な取引が決まったとは言え、実行には大きな壁が残っている。
それは運搬業者への手配だ。
今度こそ海部家を使って太平洋航路を確保したいという思惑が湧き上がってくるが、如何せん遠州細川家は現在土佐一条家と絶賛交戦中である。ここで戦力の分散を行う訳にはいかない。
当主である海部 友光自身が土佐一条家との決戦には積極的に関わりたいらしく、一層無理な話であった。
そんな海部家が現在何をしているかと言うと……当家の海賊大将である惟宗 国長と共に、須崎港の南に位置する佐賀港や下田港近海を荒らし回るという充実した日々を送っている最中である。
そうした経緯により駿河今川家への荷はいつも通り雑賀衆頼りとなるのだが、こんな時ほど厄介事というのは持ち込まれる。
「なっ、能島村上家の保護? 乗り気にはなれないが、話だけは聞くぞ」
「実はな……」
保護の話を持ってきた佐々木 刑部助の言う内容自体はそう特別なものではなかった。力を失った嫡流が庶流に取って代わられるという、この時代どこにでも落ちているお家騒動である。能島村上家もその真っただ中……というよりは滅亡寸前なのだという。
だからと言って面倒を見てくれと言われても、俺達相手には筋違いでかしかない。能島村上家は大物崩れの戦いでは細川 晴元に味方した。晴元派陣営とも言える。しかも細川 高国様より塩飽の代官職を頂いた恩を忘れてあっさりと裏切った経緯まであるとなれば、どうなろうと知った事ではない。
しかし、話は意外な方向へと転がる。
それは簡単に言えば身売りであった。自分達を保護し、反旗を翻した庶流の打倒を手伝ってくれるなら、能島村上家当主の座を明け渡して良いと言う。その過程で能島村上家そのものも家臣化してくれて構わないのだとか。
「よく分からんがそこまでの覚悟があるなら、保護はするか。一時的な転向とは違うしな。それに、当家にとっても悪い話じゃなさそうだ」
「国虎様ならそう言うと思ってたよ。こちらとしては大助かりだ。待ってろよ、今連れてくるからな……」
このような経緯で能島村上家当主村上 義益に会う形となるのだが、そこで俺はこの時代に来て久々に清々しい気分にさせられた。
「ゴホッ……細川様とようやくお会いできたというのに、この様な姿で誠に申し訳ございませぬ。何卒お頼み申す。能島村上家をお守りくだされ」
「なるほど。これが保護の理由か」
やって来たのは、青白い顔をした男であった。体を屈強な家臣に支えられながら部屋へと入ってくる。生まれながらに体が弱く病気がちで、普段は拠点としている中途島からあまり出ないらしい。今回は無理を押して土佐行きを決行したという。
本人を見て確信したが、これが当主として認められない理由であろう。能島村上家と言えば、かの有名な村上水軍だ。水軍衆を率いる当主がこれでは誰も付いてこないという庶流の言い分はとても理解できる。
「楽にしてくれて良いぞ。この状態の者に話を聞くのは申し訳ないと思うが、手短に終わらせるので答えて欲しい。その体で当主を従兄弟の村上 武吉に譲れない理由は何だ? 無理に争う必要は無いと思うんだが」
「武吉を推す一派は周防大内家の傘下に入りました。周防大内家は我が父の仇です。だからこそ、絶対に奴等に能島村上の家督を渡す訳にはいかないのです。例えどんな手段を使ってでも……」
「分かった。ありがとう。その覚悟があるなら、能島村上中途衆は当家で保護する。生活の保障はしよう。薬もある。今薬師を呼ぶから待ってろよ」
当主の座を譲り渡す覚悟のある者が何故庶流と和解できなかったのか? この話を聞いた時点でずっと気になっていたが、これほど分かり易い理由はない。
大方村上 武吉及びその擁立者は、保身のために周防大内家に屈したのだろう。海賊衆と言っても命は大事だ。長い物には巻かれる選択をして生き残ろうとするのも分かる。
だが、そうではない者もいた。例え相手が強大で絶望的な戦いを続けるしかないと分かっていても、例え自らの体が弱く海賊衆としては役に立たないとしても、自身を信じて付いてきてくれる部下のために最善を尽くす。
しかもその方法がまた良い。先に違う者に渡してしまえば、当主の座を村上 武吉に奪われないという考えだ。こんな馬鹿はそうそういない。
面白い。これはもう遠州細川家が協力する案件である。土佐一条家との戦いが終われば、能島村上庶流と争ってやろうじゃないか。相手が世に聞く村上水軍であろうと関係無い。叩き潰してやる。
「これで亡くなった父に顔向けできます。能島村上家は好きにお使いくだされ……」
「中途衆を守り武吉一派に敵対する限りは、だな。分かっているから無理はするな」
それにしても一部とは言え、村上水軍が手に入った形だ。しかも、当主を俺の息の掛かった者に据えられるというなら、遠州細川水軍の戦力増強だけではなく魔改造もできるという意味にもなる。
やるなら徹底的にならないとな。
そっと後ろに控えている柳生 宗直の顔を見る。
「宗直、水軍を率いる気はあるか?」
「某ですか? 船乗りの経験はありませんが、務まるのでしょうか?」
「今回においてそれは関係無い。船の上でも戦えるかどうかだ。宗直なら船の上でも十分に戦えるんじゃないかと思ってな。柳生の剣術で村上 武吉を一刀両断してくれるか? あっ、後見は叔父の村上 隆重らしいから、そいつでも良いぞ」
「例え足場が悪くとも達人でない限りは勝つ自信はあります。ですが、そのような決め方をして良いのでしょうか?」
「俺が許す。柳生 宗直の力で能島村上中途衆を本気の戦闘集団に変えてしまえ。抜刀隊の組織だ。俸禄もたんまり出すから、故郷から人を呼び寄せろ!」
「はっ、かしこまりました! 今より某は村上 宗直を名乗ります!」
こういった時に俺が馬鹿な事を言いだすのは最早お約束だ。焙烙玉等の飛び道具を捨てさせ、白兵戦に特化する。それも柳生の者達を集めるという徹底さで。使い方さえ間違わなければ凶悪な部隊となる。
それというのも、遠州細川家では元々遠距離攻撃主体としているのが大きい。陸は勿論海においてもである。ここで特性の似ている部隊が加わったとしても存在感を示すのは難しいだろう。ならば、欲しいのは特攻隊だ。
宗直は操船の経験の無さを心配していたが、今回に限ってはそれを心配する必要は無い。宗直は中途衆の前で堂々と「反逆者を倒すためにやって来た」と言い、手の早いゴロツキを何人か拳で教育する。そうすれば彼らも全面的に協力してくれるというもの。良いか悪いか分からないが、船乗りの世界は一種腕力の世界だ。腕っぷしが強ければ、誰も文句は言うまい。
海の柳生新陰流とでも言うべきか。今日を境に村上水軍には新しい風が吹き込む。
気が早いと思うが、村上水軍同士の戦いがどうなるか楽しみで堪らない。
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