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六章 大寧寺ショック
閑話:遊佐 長教の後継者
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天文二〇年 (一五五一年) 越水城内 松永 久秀
「松永、余計な事をしおって! 貴様の策で遠州細川家が調子付いておるわ! 今後は余計な真似をするな」
「申し訳ござらぬ」
天文二〇年も年の瀬に迫った頃、一つの報せが届く。それは、遠州細川家が伊予国の大部分を勢力下に収めたというものだった。
餌とした川之江の城を遠州細川家が手にせんと、伊予国に兵を進めたのは某の目論見通りである。なれど、そこから一気に国丸ごと飲み込むとは想定外だ。しかも、年が終わらぬ内に全てを成してしまう。これもまた某の想定を超えるものだった。
どんなに上手く事を運んだ所で東予の占領までと考えていたのが甘かった。このようになったのも伊予国の諸将が怖気付いたのが原因か、それとも遠州細川家が強かったのかまでは分からない。ただ一つ言えるのは、某の策が裏目と出て、憎き遠州細川家が更に厄介になったという事実があるだけである。「策士策に溺れる」という言葉が深く胸に突き刺さっていた。
三好 長逸様も一度は細川 国虎に良いようにあしらわれただけに、某が同じ轍を踏んだのに苛立ちを感じているのだろう。幾ら一国を差配しているとは言え、所詮は土佐国という地方の成り上がり者だと。知らず知らずの内にそのように思い、見くびっていたのかもしれぬ。
何にせよ某は此度の一件で十分に懲りた。今後は余程の事が無い限りは彼の家には関わらないようにするつもりである。
「長逸、そうカッカするな。誤算はあったが、これで久秀の目的である周防大内家への牽制は果たせるであろう。遠州細川家が伊予にいる限りは簡単には上洛できまい。我等は背後を気にしなくて良くなったではないか。今後は畿内の問題に集中できようぞ」
「いえ長慶様、そうとは言い切れますまい。今度は背後を遠州細川家が掻き乱しておりまする。堺の会合衆より苦情が出ておるのを聞いておりますでしょうか?」
「ああ、聞いたぞ。また木材が手に入らなくなったという話であろう」
「土佐一条家がああなって以来、土佐からは一切木材が手に入らなくなりましたからな。それに続いて伊予からも手に入らなくなったとなれば騒ぎもしましょう。本当にあそこは碌な事をしません」
「その件は、堺の会合衆が細川 国虎殿に頭を下げれば良いだけであろう。元は堺の方から遠州細川家との取引を一方的に停止したと聞いておるぞ。遠州細川家に非は無いと思うがな」
「確かにその通りではありますが、遠州細川家に非が無いとは言い切れませぬ。遠州細川家は度々商いの邪魔をしたという話ですから。今も木材の入りが先細っているのを良い事に、『合板』と呼ばれる新たな木材製品を貝塚の寺内町で売っておりますからな。それも売り出したのは、土佐一条家が滅ぼされて幡多の木材が堺に入らなくなった直後という話です。堺に対して戦を仕掛けているのと同じと考えまする」
「長逸、貝塚の地では数日前より新たに塩を売り出しておるという話だ。それも、これまでの塩より値も安く品質も良いらしい。出所は遠州細川家だろうて」
「そのような真似をされれば、皆が貝塚に塩を買いに走るではないですか。まったく、苦情を聞かされるこちらの身にもなって欲しいものですな」
ここで言う貝塚とは、堺より六里ほど南にある昨年に開かれた本願寺の新たな道場である。元は行基様が建てられた庵寺のあった地だという話だが、六年前の天文一四年 (一五四五年)に根来寺より僧が参って昨年に再興させた。これだけなら特に問題がある訳ではない。問題があるのは、この再興させた貝塚道場の寺内町で土佐国の産物が大々的に取り扱いされている点であろう。
遠州細川家と堺との決裂によって、堺では土佐国の産物が一切取り扱われなくなった。土佐国の産物は燻製や珍酡酒といった珍しき品が多く、悲しんだ者も多かったと聞く。それだけにこの貝塚の話は反響も大きく、日々賑わっているらしい。
そんな中で安価な木材が商品となればどのようになるか? 折しも堺の木材は入手が先細っており、値の高騰が続いているという。四国からは阿波北部のみになっているのが実情だ。他の地域からは既に遠州細川家の支配下というのもあり、一切入ってこない。これが堺の会合衆には面白くない状況なのだろう。文句の一つも言いたくなるのは分かる。
「長慶様、堺には法華宗と関わりのある者が多くいます。当家の後ろ盾でもある法華宗との友好を保つためにも、一度本願寺には警告を与えた方が良いのではないでしょうか?」
「久秀、それはならん。そのような真似をしてみろ、下手をすると因縁ある法華門徒と一向門徒との争いに発展しかねない。京で起こった法華門徒と一向門徒との争いを忘れた訳では無かろう。我等が本願寺に対して何かをすれば、真っ先に法華宗の差し金だと疑われかねないからな。それに本願寺からは度々銭の支援を受けておる。きっと、これで土佐の産物を扱うのを見逃せという意味合いであろう」
「……早計でした。であれば長慶様、貝塚へは何もしない方が良いという事ですかな?」
「あくまでも貝塚の件はな。その代わりと言っては何だが、弟の実休……というよりその子飼いの長宗我部党が河内で動いておる。それの支援をさせるのが良かろう」
「河内遊佐家乗っ取りの件ですな」
「弟の実休自体は、足利 義維様を公方にしようと動いておるため関われておらぬ。そんな中でも長宗我部党の手腕で、萱振家や野尻家にこちらの手の者を養子を送り込んだという報告が上がっておってな。後は安見 宗房殿を失脚させれば、河内遊佐家中を意のままにできるそうだ。儂自身はこの件にはそう乗り気ではないが、亡くなった義父である遊佐 長教殿の後継者候補が根来は杉之坊の院主だと言われれば、それを阻止するために助力せざるをえまい」
「根来の連中は和泉国に寺領を持っておりますからな。ここで河内遊佐家の当主が元根来寺の院主になれば、更に勢力が拡大して、より面倒な存在へとなるかと。今後の和泉国統治のためにも阻止せねばなりますまい。それに根来寺は遠州細川家と昵懇の仲です。このような厄介な所を河内遊佐家に関わらせては碌な事にならないかと」
「うむ。儂自身は細川 国虎殿を嫌っている訳ではないだがな。とは言え、遠州細川家家中では総州畠山家を抱えておると聞く。これで何もしないというのは考え難い」
「確かに……」
初めてこの策を聞いた時は某も耳を疑った。まさか長慶様の義父が殺されたのをまたとない機会と捉え、河内遊佐家自体を乗っ取ろうとするとはな。しかもそのやり方が一見迂遠に見えつつも、理に叶っておる。このまま進めば間違いなく成功するであろう。
河内遊佐家は南北朝時代よりの畠山家の重臣であり、代々河内国守護代を務めておる。由緒正しい家だと言っても相違ない。家格で言えば、三好宗家よりも明らかに上となる。
そうなれば幾ら長慶様が親族であったとしても家中の揉め事には直接口を挟めない。ましてや内容が後継者の選別となれば、部外者扱いされるのが見えている。
だからといって指を咥えて見ているだけであれば、最悪の事態を招きかねない。そういった事情もあり、当初は杉之坊院主反対派の筆頭である安見 宗房殿を支援してそれを回避しようと考えていた。直接の介入はできなくとも、こういった形でなら意見を反映できるからだ。
しかし、この方針に三好 実休様より待ったがかかる。それが河内遊佐家乗っ取りの策であった。
内容としては、まず遊佐 長教殿を殺害した誠の犯人を調査する所から始める。直接手を下した犯人は時宗の僧侶だと判明してはいても、その者は遊佐 長教殿と昵懇の仲であった。ならば恨みによって殺害に走ったとは考え難い。その裏には殺害を依頼した者がいる。それを解明するべく、調査団を河内国に派遣して解明しようというものだ。遅々として進まぬ真犯人探しに業を煮やして当家から人を派遣するという形なら、誰もが断れないという巧妙さである。
次に、その調査団が真犯人をでっち上げて殺害する。既に事件が起きてから日は経っているのだ。明らかな証拠など残っている筈がない。ならば、尾州畠山家中で遊佐 長教殿に恨みを持つ者に罪を被せて殺すのが最も合理的であろう。殺害を自ら行うのではなく依頼するのだから、同じ尾州畠山家中の何処かの家の当主が真犯人だとすれば誰も納得するというもの。
更にはその家が二度と間違いを犯さないようにと、指導を名目として養子を送り込む。ここで尾州畠山家中の誰かを養子に入れようとすれば、今度は誰を入れるかで揉め事となる。そうした争いを回避するためにも、中立の立場を取れる三好家から人を送るとするのが肝だ。
そうして最後は送り込んだ養子が多数派工作を行い、本丸である河内遊佐家の後継者人事に口を挟む。つまり、当初予定していた安見 宗房殿への支援を行わずに送り込んだ養子への支援に変更すれば、杉之坊院主が後継者となるのを回避できるだけではなく、当家から人を送り込めるようになる。本丸である後継者人事への介入のために、事前に尾州畠山家中に入り込んで親三好派の多数派工作を行うというのがこの策の全貌であった。
これだけでも唸るような内容であるが、この策にはまだ続きがある。
送り込んだ養子が活動しやすいよう、罪を被せる標的は裕福な家にするという。この時点で事実上、萱振家を狙い澄ましたものだと分かる。萱振家は尾州畠山家の家臣というよりは河内遊佐家の家臣だ。格は落ちるが、それでも河内遊佐家の中核を担う存在である。その当主となるならば河内遊佐家中で相当な発言権を得られよう。
だが、それはこれまでの河内遊佐家中においてだ。養子として入った者には新参者として見くびられる恐れがある。長慶様が言った河内国での本願寺の支援というのは、養子で入った者に本願寺が協力して拍を付けさせるというものだ。銭の面でもそうだが、後見をさせるのであろう。
そうなれば、虎の威を借りる狐とは言わぬが、誰もが一目置く存在となる。萱振家への養子であれば、支援するのは恵光寺だ。既に蓮淳殿は亡くなっているとは言え、その権威が今も絶大である以上は後見の効果は大きい。
この辺りの配慮ができるのは、長慶様ならではと言えよう。他の者ではこうはいくまい。
ただ、
「長慶様、本願寺に長宗我部党の支援を依頼しても大丈夫でしょうか? あ奴らは少々危険ではありませぬか? 遊佐 長教殿殺害の真犯人として萱振 賢継殿を誅殺するのはまだ分かりますが、野尻 治部殿まで殺害するのはやり過ぎかと考えまする。逆に反発を受けぬか心配です」
「それでも河内遊佐家の件は、長宗我部党に任せるつもりだ。結果的に杉ノ坊 明算殿を後継者に推す者はいない。儂はこれが目的だったのではと考えておる。まずは早急に杉ノ坊 明算殿を後継者から外す必要があると考えたのではないか? そうであるなら、久秀の懸念はそう現実化すまい」
「……なるほど。一理ありますな。後継者が定まらぬ前に、抜け駆けして根来寺と繋ぎを取るのを未然に防いだという訳ですか」
「この時点で我等の最低限の目的は果たしておる。ここから先どうなるかは、長宗我部党の手腕次第であろう」
いざ真犯人殺害の実行の際、長宗我部党は暴走をした。当初は萱振 賢継殿を殺害するだけであったのが、もう一人野尻 治部殿まで殺害するという失態を犯す。何があって予定より多くの殺害に及んだのか分からぬが、これでは策が成功するか分からぬ形となった。
それでも長慶様は咎めないと言う。ならば某はこれ以上は言うまい。最早後戻りのできない状況である。今できるのは結果を信じて待つ事であろう。
「長慶様、河内の件は今後長宗我部党に任せるとして、堺の件はどう致しましょうか?」
「叔父上、会合衆が本気で困っているなら、細川 氏綱様に和睦を仲介してもらえば良い。その際は儂が書状を書く。例え細川 国虎殿が堺に対して怒っておるとしても、細川 氏綱様の顔なら立てるであろう。必ず上手く行く。しかしながら無条件という訳にはいくまい。かなりの条件を突き付けられるであろうな」
「かしこまりました。伝えておきます」
それにしても堺の者達も困ったものだ。何ゆえ遠州細川家をあそこまで敵視するのであろうか? 確かに彼の家は武家よりも商家と見た方がしっくりくるのは分かる。それだけに脅威なのやもしれぬ。
ならば手を取り合って互いに利を追求するのが本来であろうに。武士とは違うのだから、面子を気にする必要もあるまい。某から見れば、堺の者達よりも遠州細川家の方がより商家らしく感じてしまう程だ。
……いや待てよ。堺がここまで敵視するなら、遠州細川家の相手は会合衆に任せても良いのか。今少し策を考えてみるか。
「松永、余計な事をしおって! 貴様の策で遠州細川家が調子付いておるわ! 今後は余計な真似をするな」
「申し訳ござらぬ」
天文二〇年も年の瀬に迫った頃、一つの報せが届く。それは、遠州細川家が伊予国の大部分を勢力下に収めたというものだった。
餌とした川之江の城を遠州細川家が手にせんと、伊予国に兵を進めたのは某の目論見通りである。なれど、そこから一気に国丸ごと飲み込むとは想定外だ。しかも、年が終わらぬ内に全てを成してしまう。これもまた某の想定を超えるものだった。
どんなに上手く事を運んだ所で東予の占領までと考えていたのが甘かった。このようになったのも伊予国の諸将が怖気付いたのが原因か、それとも遠州細川家が強かったのかまでは分からない。ただ一つ言えるのは、某の策が裏目と出て、憎き遠州細川家が更に厄介になったという事実があるだけである。「策士策に溺れる」という言葉が深く胸に突き刺さっていた。
三好 長逸様も一度は細川 国虎に良いようにあしらわれただけに、某が同じ轍を踏んだのに苛立ちを感じているのだろう。幾ら一国を差配しているとは言え、所詮は土佐国という地方の成り上がり者だと。知らず知らずの内にそのように思い、見くびっていたのかもしれぬ。
何にせよ某は此度の一件で十分に懲りた。今後は余程の事が無い限りは彼の家には関わらないようにするつもりである。
「長逸、そうカッカするな。誤算はあったが、これで久秀の目的である周防大内家への牽制は果たせるであろう。遠州細川家が伊予にいる限りは簡単には上洛できまい。我等は背後を気にしなくて良くなったではないか。今後は畿内の問題に集中できようぞ」
「いえ長慶様、そうとは言い切れますまい。今度は背後を遠州細川家が掻き乱しておりまする。堺の会合衆より苦情が出ておるのを聞いておりますでしょうか?」
「ああ、聞いたぞ。また木材が手に入らなくなったという話であろう」
「土佐一条家がああなって以来、土佐からは一切木材が手に入らなくなりましたからな。それに続いて伊予からも手に入らなくなったとなれば騒ぎもしましょう。本当にあそこは碌な事をしません」
「その件は、堺の会合衆が細川 国虎殿に頭を下げれば良いだけであろう。元は堺の方から遠州細川家との取引を一方的に停止したと聞いておるぞ。遠州細川家に非は無いと思うがな」
「確かにその通りではありますが、遠州細川家に非が無いとは言い切れませぬ。遠州細川家は度々商いの邪魔をしたという話ですから。今も木材の入りが先細っているのを良い事に、『合板』と呼ばれる新たな木材製品を貝塚の寺内町で売っておりますからな。それも売り出したのは、土佐一条家が滅ぼされて幡多の木材が堺に入らなくなった直後という話です。堺に対して戦を仕掛けているのと同じと考えまする」
「長逸、貝塚の地では数日前より新たに塩を売り出しておるという話だ。それも、これまでの塩より値も安く品質も良いらしい。出所は遠州細川家だろうて」
「そのような真似をされれば、皆が貝塚に塩を買いに走るではないですか。まったく、苦情を聞かされるこちらの身にもなって欲しいものですな」
ここで言う貝塚とは、堺より六里ほど南にある昨年に開かれた本願寺の新たな道場である。元は行基様が建てられた庵寺のあった地だという話だが、六年前の天文一四年 (一五四五年)に根来寺より僧が参って昨年に再興させた。これだけなら特に問題がある訳ではない。問題があるのは、この再興させた貝塚道場の寺内町で土佐国の産物が大々的に取り扱いされている点であろう。
遠州細川家と堺との決裂によって、堺では土佐国の産物が一切取り扱われなくなった。土佐国の産物は燻製や珍酡酒といった珍しき品が多く、悲しんだ者も多かったと聞く。それだけにこの貝塚の話は反響も大きく、日々賑わっているらしい。
そんな中で安価な木材が商品となればどのようになるか? 折しも堺の木材は入手が先細っており、値の高騰が続いているという。四国からは阿波北部のみになっているのが実情だ。他の地域からは既に遠州細川家の支配下というのもあり、一切入ってこない。これが堺の会合衆には面白くない状況なのだろう。文句の一つも言いたくなるのは分かる。
「長慶様、堺には法華宗と関わりのある者が多くいます。当家の後ろ盾でもある法華宗との友好を保つためにも、一度本願寺には警告を与えた方が良いのではないでしょうか?」
「久秀、それはならん。そのような真似をしてみろ、下手をすると因縁ある法華門徒と一向門徒との争いに発展しかねない。京で起こった法華門徒と一向門徒との争いを忘れた訳では無かろう。我等が本願寺に対して何かをすれば、真っ先に法華宗の差し金だと疑われかねないからな。それに本願寺からは度々銭の支援を受けておる。きっと、これで土佐の産物を扱うのを見逃せという意味合いであろう」
「……早計でした。であれば長慶様、貝塚へは何もしない方が良いという事ですかな?」
「あくまでも貝塚の件はな。その代わりと言っては何だが、弟の実休……というよりその子飼いの長宗我部党が河内で動いておる。それの支援をさせるのが良かろう」
「河内遊佐家乗っ取りの件ですな」
「弟の実休自体は、足利 義維様を公方にしようと動いておるため関われておらぬ。そんな中でも長宗我部党の手腕で、萱振家や野尻家にこちらの手の者を養子を送り込んだという報告が上がっておってな。後は安見 宗房殿を失脚させれば、河内遊佐家中を意のままにできるそうだ。儂自身はこの件にはそう乗り気ではないが、亡くなった義父である遊佐 長教殿の後継者候補が根来は杉之坊の院主だと言われれば、それを阻止するために助力せざるをえまい」
「根来の連中は和泉国に寺領を持っておりますからな。ここで河内遊佐家の当主が元根来寺の院主になれば、更に勢力が拡大して、より面倒な存在へとなるかと。今後の和泉国統治のためにも阻止せねばなりますまい。それに根来寺は遠州細川家と昵懇の仲です。このような厄介な所を河内遊佐家に関わらせては碌な事にならないかと」
「うむ。儂自身は細川 国虎殿を嫌っている訳ではないだがな。とは言え、遠州細川家家中では総州畠山家を抱えておると聞く。これで何もしないというのは考え難い」
「確かに……」
初めてこの策を聞いた時は某も耳を疑った。まさか長慶様の義父が殺されたのをまたとない機会と捉え、河内遊佐家自体を乗っ取ろうとするとはな。しかもそのやり方が一見迂遠に見えつつも、理に叶っておる。このまま進めば間違いなく成功するであろう。
河内遊佐家は南北朝時代よりの畠山家の重臣であり、代々河内国守護代を務めておる。由緒正しい家だと言っても相違ない。家格で言えば、三好宗家よりも明らかに上となる。
そうなれば幾ら長慶様が親族であったとしても家中の揉め事には直接口を挟めない。ましてや内容が後継者の選別となれば、部外者扱いされるのが見えている。
だからといって指を咥えて見ているだけであれば、最悪の事態を招きかねない。そういった事情もあり、当初は杉之坊院主反対派の筆頭である安見 宗房殿を支援してそれを回避しようと考えていた。直接の介入はできなくとも、こういった形でなら意見を反映できるからだ。
しかし、この方針に三好 実休様より待ったがかかる。それが河内遊佐家乗っ取りの策であった。
内容としては、まず遊佐 長教殿を殺害した誠の犯人を調査する所から始める。直接手を下した犯人は時宗の僧侶だと判明してはいても、その者は遊佐 長教殿と昵懇の仲であった。ならば恨みによって殺害に走ったとは考え難い。その裏には殺害を依頼した者がいる。それを解明するべく、調査団を河内国に派遣して解明しようというものだ。遅々として進まぬ真犯人探しに業を煮やして当家から人を派遣するという形なら、誰もが断れないという巧妙さである。
次に、その調査団が真犯人をでっち上げて殺害する。既に事件が起きてから日は経っているのだ。明らかな証拠など残っている筈がない。ならば、尾州畠山家中で遊佐 長教殿に恨みを持つ者に罪を被せて殺すのが最も合理的であろう。殺害を自ら行うのではなく依頼するのだから、同じ尾州畠山家中の何処かの家の当主が真犯人だとすれば誰も納得するというもの。
更にはその家が二度と間違いを犯さないようにと、指導を名目として養子を送り込む。ここで尾州畠山家中の誰かを養子に入れようとすれば、今度は誰を入れるかで揉め事となる。そうした争いを回避するためにも、中立の立場を取れる三好家から人を送るとするのが肝だ。
そうして最後は送り込んだ養子が多数派工作を行い、本丸である河内遊佐家の後継者人事に口を挟む。つまり、当初予定していた安見 宗房殿への支援を行わずに送り込んだ養子への支援に変更すれば、杉之坊院主が後継者となるのを回避できるだけではなく、当家から人を送り込めるようになる。本丸である後継者人事への介入のために、事前に尾州畠山家中に入り込んで親三好派の多数派工作を行うというのがこの策の全貌であった。
これだけでも唸るような内容であるが、この策にはまだ続きがある。
送り込んだ養子が活動しやすいよう、罪を被せる標的は裕福な家にするという。この時点で事実上、萱振家を狙い澄ましたものだと分かる。萱振家は尾州畠山家の家臣というよりは河内遊佐家の家臣だ。格は落ちるが、それでも河内遊佐家の中核を担う存在である。その当主となるならば河内遊佐家中で相当な発言権を得られよう。
だが、それはこれまでの河内遊佐家中においてだ。養子として入った者には新参者として見くびられる恐れがある。長慶様が言った河内国での本願寺の支援というのは、養子で入った者に本願寺が協力して拍を付けさせるというものだ。銭の面でもそうだが、後見をさせるのであろう。
そうなれば、虎の威を借りる狐とは言わぬが、誰もが一目置く存在となる。萱振家への養子であれば、支援するのは恵光寺だ。既に蓮淳殿は亡くなっているとは言え、その権威が今も絶大である以上は後見の効果は大きい。
この辺りの配慮ができるのは、長慶様ならではと言えよう。他の者ではこうはいくまい。
ただ、
「長慶様、本願寺に長宗我部党の支援を依頼しても大丈夫でしょうか? あ奴らは少々危険ではありませぬか? 遊佐 長教殿殺害の真犯人として萱振 賢継殿を誅殺するのはまだ分かりますが、野尻 治部殿まで殺害するのはやり過ぎかと考えまする。逆に反発を受けぬか心配です」
「それでも河内遊佐家の件は、長宗我部党に任せるつもりだ。結果的に杉ノ坊 明算殿を後継者に推す者はいない。儂はこれが目的だったのではと考えておる。まずは早急に杉ノ坊 明算殿を後継者から外す必要があると考えたのではないか? そうであるなら、久秀の懸念はそう現実化すまい」
「……なるほど。一理ありますな。後継者が定まらぬ前に、抜け駆けして根来寺と繋ぎを取るのを未然に防いだという訳ですか」
「この時点で我等の最低限の目的は果たしておる。ここから先どうなるかは、長宗我部党の手腕次第であろう」
いざ真犯人殺害の実行の際、長宗我部党は暴走をした。当初は萱振 賢継殿を殺害するだけであったのが、もう一人野尻 治部殿まで殺害するという失態を犯す。何があって予定より多くの殺害に及んだのか分からぬが、これでは策が成功するか分からぬ形となった。
それでも長慶様は咎めないと言う。ならば某はこれ以上は言うまい。最早後戻りのできない状況である。今できるのは結果を信じて待つ事であろう。
「長慶様、河内の件は今後長宗我部党に任せるとして、堺の件はどう致しましょうか?」
「叔父上、会合衆が本気で困っているなら、細川 氏綱様に和睦を仲介してもらえば良い。その際は儂が書状を書く。例え細川 国虎殿が堺に対して怒っておるとしても、細川 氏綱様の顔なら立てるであろう。必ず上手く行く。しかしながら無条件という訳にはいくまい。かなりの条件を突き付けられるであろうな」
「かしこまりました。伝えておきます」
それにしても堺の者達も困ったものだ。何ゆえ遠州細川家をあそこまで敵視するのであろうか? 確かに彼の家は武家よりも商家と見た方がしっくりくるのは分かる。それだけに脅威なのやもしれぬ。
ならば手を取り合って互いに利を追求するのが本来であろうに。武士とは違うのだから、面子を気にする必要もあるまい。某から見れば、堺の者達よりも遠州細川家の方がより商家らしく感じてしまう程だ。
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