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六章 大寧寺ショック
相国寺の提案
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津野 越前を筆頭とした土佐津野家家臣団に国境警備を担っていた兵五〇〇。それに加えて駿河今川家より人質としてやって来た足利御三家庶子の吉良 義安と三河の豪族奥平 貞友に土佐兵三〇〇の計八〇〇が京に逗留する警備兵の内訳となる。
当初の予定では国境警備の兵五〇〇だけのつもりだったが、三好 長慶との交渉で三〇〇を上乗せさせられる羽目となった。それに伴い今回物見遊山で連れて来ていた二人を追加人員とする。逗留する兵が増えた分、指揮をする将も増やさなければならないという考えであった。
この二人はまだ若いだけに、様々な経験を積むには良い機会である。それに土佐で変化の無い人質生活を送るよりも、憧れの京で過ごす方が喜ぶのではないかという建前だ。本音は同じ人質としてやって来た残り二人より勉学に身が入っていないので、現場で揉まれてこいという判断である。
京に逗留する土佐津野家には鬼軍曹公文 正信もいるのが尚更都合が良い。甘えた根性を少しは叩き直してくれると信じている。そうでなければ京の町で死ぬだけなのだから。
また引率役は、前回の山田 元氏の時と同様に山田 元義殿に依頼をした。こうした役割ではとても頼りとなる人材である。
さて、ここまでを決め終わった所で俺達が京を後にできるかと言えばそんな筈も無く、むしろここからが面倒な部分となる。
今回京に逗留する兵八〇〇という数は、万の兵を動かせる現在の当家からすれば一見すると大した数ではない。しかし戦とは違って、この逗留は一時的なものとは違う。継続的に宿泊ができる場所の選定や交渉に物資の集積場所、運搬方法を決めるといった裏方の仕事が待っていた。今回は義父の側近である今村 慶満殿がいないために、こちらで全て何とかしなければならない。
また、京で行う警備業務自体が曲者である。同僚が三好宗家という時点でいつ仲違いを起こすか分からない。最悪の場合は晴元派の侵入者そっちのけで互いが争いを起こす可能性すら考えられる。そうなれば、山田 元義殿一人だけでは事態に対処できないだろう。そうならないためにも、三好宗家の現場責任者との綿密な打ち合わせが必須となるのだが……すんなり話が進む未来が全く見えない。
あの時、場の雰囲気に流されて余計な真似をしなければ良かったと今は後悔をしている。
もう都心に一戸建てを買うのは諦めて、いっそ伝手のある埼玉にでも……もとい、洛中での宿泊を諦めて、世話になっている西岡の革島家に頼るしかないかと考えていた頃、思わぬ伏兵が協力者として名乗りを上げてくれた。
それは足利御三家の石橋 忠義様並びに相国寺の僧である。石橋 忠義様は俺が預けた支度金を使ってちゃっかりと洛中に居を構えていたために、当家の京入りや兵逗留の話を知っていたそうだ。噂好きの京雀の拡散力には脱帽する。
寝泊まりに使っている革島家を訪ねてきた二人は、当家の将兵達の宿泊場所に再建ままならない相国寺の一画を使ってくれて良いという提案をしてくれる。そればかりか生活全般の手助けや日々の警備業務にも人を出して協力をしてくれるという話だ。
全焼した相国寺は禅宗の中でも最高位の格を持つ五山 (京都五山)の一つである。そんじょそこらの末寺とは規模が違い、東京ドーム一〇一個分という桁違いの大きさだ。そうなれば例え荒廃していても、いや荒廃しているからこそ、兵が寝泊まりする場所など幾らでも建て放題という話である。事実、相国寺の僧も一部は散り散りとなっているものの、その多くがまだ寺領内で生活しているのだとか。
これだけでも十分にありがたい提案だが、更には三好宗家との仲介役まで買って出てくれるというのだから驚きだ。
要するに当家の将兵が警備業務だけに集中できるよう、煩わしい点は全面的に支援をしてくれるという話である。
──「全ては相国寺にお任せくだされ」 そう一言言って俺に微笑む相国寺の代表者は、まさに地獄で仏であった。
「それにな遠州殿、京の町衆や僧達は遠州細川家が食うに困っている散所民を土佐で受け入れておるのを知っておる。柳原は天台宗の寺領なれど、実はこの件だけは宗派の垣根を越えて裏では繋がっていてな。今では多くの者の最後の駆け込み寺のような存在になっておるのだ」
「石橋様、過大評価ですよ。単純に土佐では人手が足りないだけですから。それに誰でも受け入れている訳ではないですよ」
「そう言うでない。とにかく京の町衆や僧達は、遠州細川家に感謝している者が多いというのは覚えておいてくれ。黄巾賊の件も含めてな」
「ありがとうございます。皆が生活に困らないよう、何卒ご支援をお願い致します」
「うむ。任せておけ。決して悪いようにはせん」
「では、後日土佐に使いを寄越してください。相国寺の再建計画を含めて物資の運搬等、細かな点を話し合いましょう」
武家をしていると、利権を追い求める者ばかりと付き合う機会が多く殺伐とした世に見えてしまうものだが、そればかりではない。幾ら当家が相国寺の再建費用を出すからとは言え、そうそうここまで親身にはなってくれない。
一見伏魔殿のように見える京も、パンドラの箱宜しくいざ開けてみるとその奥底には希望が眠っていた。今回の一件はそんな所かもしれない。
それにしても「黄巾賊の件」というのは、一体何だったのだろうか?
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
京から戻った俺達を待っていたのは平凡な日常……であったならどんなに幸せであったろうか。
今更ながら南九州遠征でのツケが回ってくる。それもかなり面倒な形で。
「話は理解できます。しかし土橋殿、私の知る限り雑賀は武家の支配を嫌う地です。当家が兵を出せば逆効果となりませんか?」
「国虎様の言葉は尤もです。ですが、そうも言ってられない状況となり申した。このまま何もせねば雑賀衆そのものが壊滅してしまいます。何卒兵を出してくだされ。騒動終結の暁には雑賀荘及び十ヶ郷は、遠州細川家の傘下に入ります」
「いや、私としてはこれまで通りで問題無いのですが……分かりました。当家の管理下に収まらないと、また内乱状態に戻ると言いたいのですね」
そのツケというのは、雑賀五絡の雑賀荘と十ヶ郷の全域を巻き込んだ内戦であった。南九州で壊滅的な被害を受けた雑賀衆の生き残りが紀伊国へと戻って何をしていたか? 素直に体を休めて傷を癒していたならどんなに幸せだったろうか。
しかし、そうはならない。人は時として責任転嫁をする。全体としては大勝利で幕を閉じたというのに、雑賀衆だけは面目丸潰れになったのだ。当然ながら当家の家臣や阿波海部家、根来衆が責めたてた訳ではない。遠征参戦の経緯が経緯だけに、戦利品を抱えて凱旋できなかったのを恥と感じたに違いない。
だからこそ犯人探しをする。
始まりは些細な口喧嘩であった。それが殴り合いの喧嘩へと発展し、次は得物を持ち出すようになる。ここまで来れば人死にが出るのは時間の問題であった。
そうなれば事態は拡大の一途となる。一人が倒されると五人が報復を行い、今度は二〇人がその仕返しをするという負の連鎖が始まった。
ここまでなら雑賀衆では良くある話らしい。元々雑賀衆は内部での争いが激しい集団のようで、紀伊土橋家が仕切る宇治の市場運営を巡る対立や宮郷との水利権を巡っての問題で人死にが出るのはままあるのだとか。それも地域間の対立ではなく、同じ地域内でも揉め事が起こるというのだから呆れる。
よくこれで傭兵家業ができるものだと素直に思う。俺なら同じ雑賀衆内による裏切りの心配をしてしまうために背中は預けたくはない。要はそれだけ銭に対する執着心が強い集団なのだろう。利害が一致すれば手を取り合える仲というべきか。一向門徒が多いというのも、そこに利があるからと見た方が良い。
さて問題はここからだ。普段ならこうした問題が発生しても、泥沼にならないようにと誰かが仲介して和睦となるのだが、遠征の被害によって有力者が多く死亡していためか事態の収拾に乗り出すのが遅れてしまう羽目となる。武家のような上位存在がいない弊害だろう。それで気付いた時にはあちこちに飛び火して、敵味方が入り乱れた混沌状態に陥っていたというのだ。結果、死傷者はうなぎ登りに増え続けている。内戦状態と言って良い。
その混乱を鎮めるために、当家の力を借りたいというのが土橋殿の話であった。悲しいかなこの雑賀荘と十ヶ郷の内戦では一向門徒同士でも争っているからか、本願寺教団は中立を決め込んで我関せずの立場を貫いているという。こういった時、宗教は無力だ。
「ありがとうございます。これで身内同士が争わなくて済みます」
「そう言えば根来寺と関係の深い中郷……は中立になるとして、宮郷の太田党と南郷の鈴木党に何故助けを求めなかったのですか?」
「それが此度の土佐訪問でして……」
「やられた」
つまり、太田 定久殿と鈴木 重意の二人が結託して俺を巻き込んだという意味だ。恐らくこの機に乗じて雑賀荘と十ヶ郷を当家の管理下に置かそうと画策したに違いない。それに何の意味があるのかとなると……雑賀衆の再統一だ。内実がバラバラであった雑賀衆を遠州細川家傘下という一つの大枠の中に入れて、意思統一をしようと考えたのだろう。二人なりに先の遠征での負けを悔いていたとすれば辻褄は合う。
それが証拠に土橋 守重殿の話によると、混乱が宮郷や南郷に及ばないようにと現状ただ守りを固めている二人が、当家が軍を率いてやって来るなら援軍を出して鎮静化に協力するという話だ。武家の支配を受け付けずに全てを自らで運営する惣村的な性格の雑賀衆が、こうも掌を返してしまうと呆れ返るしかない。
「誠に妹の早瀬や婿の岡林殿から聞いていた通りの方ですな。他の武家なら喜んで介入しようとする所を、欲が無いと言うのか。この機に乗じて雑賀の利権全てを手にしたいとは考えぬのですかな?」
「繰り返しになりますが私自身は現状維持で良いと思っています。雑賀五絡は武家が支配をするには向いていない土地柄ですので。とは言え、そうも言ってられない事情というなら仕方ないですね。木沢 相政はいるか?」
「はっ。こちらに」
「相政悪いが、兵一五〇〇を率いて紀伊国入りをしてくれ。そこで土橋殿や太田殿、重意と協力して事態の鎮静化を頼む。無事内乱を鎮め終わったら、十ヶ郷をそのまま木沢家の領地にして良いぞ。以後は雑賀衆での軍事的な統率をする役割を果たしてくれ。土橋殿、当家の木沢 相政に十ヶ郷を領有させても良いでしょうか?」
「それは構いませんが、雑賀荘はどうされるのでしょうか?」
「雑賀荘は土橋殿に任せます。これまでの雑賀五絡の背景を考えると、当家の影響は少ない方が良いでしょう。それに土橋殿には相政を手助けして欲しいですし。相政もそれで良いよな。確か、領地は狭くても良いから畿内に近い場所が希望だったと記憶している」
「はっ。国虎様、誠にありがとうございます。これで亡き祖父や父上に顔向けができます」
「という訳で土橋殿、当家の相政を雑賀衆の盟主にするというのでどうでしょうか? 内戦にまで発展したというなら、これまでのようなあり方では限界に達していると思われます。それに当家に助力を依頼したのは、三好宗家からの干渉も考慮されてでしょう。これに付いては相政は当家きっての武闘派ですので、安心してください。以後当家の相政が雑賀衆の盟主になるのですから、全力で三好宗家の脅威から守りますし、相政の手に余る事態が起きた場合は当家が助力いたします」
「な、何から何まで。さすがは国虎様です。今後、紀伊土橋家は遠州細川家に忠節を尽くします」
「そこは紀伊木沢家にしてください。私はあくまで雑賀衆とは、これまで通りに良い取引相手として付き合えれば問題ありません。こちらこそ今後ともよろしくお願いします」
太田殿や重意、それに土橋殿が一番心配をしていたのは内乱の拡大ではなく、それに付け込んで三好宗家を始めとした畿内の武家が雑賀五絡へと干渉してくるのをどう防げば良いかの一点である。
もし他国からの侵攻が絶対に起こらないという前提があったなら、今回の内戦は雑賀衆内で解決をしていたに違いない。混乱しているのは雑賀荘と十ヶ郷だけであり、残りは正常を保っている。これで太田殿や重意が、まるで兵を温存するかのように守りに徹しているのは明らかに過剰な反応だ。内戦だけでは終わらないと考えたからこそ、表に立とうとせずに当家を巻き込むという選択をした。
きっと土橋殿も加えて、誰と組むのが一番利益になるかというのを話し合ったに違いない。
今回の件は素直に光栄と思った方が良いか。下手をすると三好宗家に宇治の市場を握られていたのだから、そうなれば大きく当家の収益が落ち込む所であった。
それにようやく相政に報いられたというのも大きい。相政は俺が土佐安芸家の当主になった直後から家の再興を目指して頑張っていたのだ。二年前に亡くなった祖父の木沢 浮泛に今日を見せられなかったのは残念ではあるが、それでもこれで相政の肩の荷も一つ降りたろう。
また、十ヶ郷は砂地ばかりで米作には向かないものの交易の盛んな地だ。しっかりと港を整備すれば、莫大な収益が見込める。作物の栽培はサツマイモを中心とした野菜や果樹で問題無い。領地経営もそう難しくはないだろう。
ただこの一件で問題があるとすると、領地を得るのが確定となった相政よりも他の家臣達の喜びが大きい点だ。理由は分かる。ついに分かり易い形での畿内進出の足掛かりが手に入ったという考えがそうさせているのだろう。
いずれやって来る三好宗家との決戦。それに向けて一歩ずつ距離が縮まっていく感覚を肌に感じた。
当初の予定では国境警備の兵五〇〇だけのつもりだったが、三好 長慶との交渉で三〇〇を上乗せさせられる羽目となった。それに伴い今回物見遊山で連れて来ていた二人を追加人員とする。逗留する兵が増えた分、指揮をする将も増やさなければならないという考えであった。
この二人はまだ若いだけに、様々な経験を積むには良い機会である。それに土佐で変化の無い人質生活を送るよりも、憧れの京で過ごす方が喜ぶのではないかという建前だ。本音は同じ人質としてやって来た残り二人より勉学に身が入っていないので、現場で揉まれてこいという判断である。
京に逗留する土佐津野家には鬼軍曹公文 正信もいるのが尚更都合が良い。甘えた根性を少しは叩き直してくれると信じている。そうでなければ京の町で死ぬだけなのだから。
また引率役は、前回の山田 元氏の時と同様に山田 元義殿に依頼をした。こうした役割ではとても頼りとなる人材である。
さて、ここまでを決め終わった所で俺達が京を後にできるかと言えばそんな筈も無く、むしろここからが面倒な部分となる。
今回京に逗留する兵八〇〇という数は、万の兵を動かせる現在の当家からすれば一見すると大した数ではない。しかし戦とは違って、この逗留は一時的なものとは違う。継続的に宿泊ができる場所の選定や交渉に物資の集積場所、運搬方法を決めるといった裏方の仕事が待っていた。今回は義父の側近である今村 慶満殿がいないために、こちらで全て何とかしなければならない。
また、京で行う警備業務自体が曲者である。同僚が三好宗家という時点でいつ仲違いを起こすか分からない。最悪の場合は晴元派の侵入者そっちのけで互いが争いを起こす可能性すら考えられる。そうなれば、山田 元義殿一人だけでは事態に対処できないだろう。そうならないためにも、三好宗家の現場責任者との綿密な打ち合わせが必須となるのだが……すんなり話が進む未来が全く見えない。
あの時、場の雰囲気に流されて余計な真似をしなければ良かったと今は後悔をしている。
もう都心に一戸建てを買うのは諦めて、いっそ伝手のある埼玉にでも……もとい、洛中での宿泊を諦めて、世話になっている西岡の革島家に頼るしかないかと考えていた頃、思わぬ伏兵が協力者として名乗りを上げてくれた。
それは足利御三家の石橋 忠義様並びに相国寺の僧である。石橋 忠義様は俺が預けた支度金を使ってちゃっかりと洛中に居を構えていたために、当家の京入りや兵逗留の話を知っていたそうだ。噂好きの京雀の拡散力には脱帽する。
寝泊まりに使っている革島家を訪ねてきた二人は、当家の将兵達の宿泊場所に再建ままならない相国寺の一画を使ってくれて良いという提案をしてくれる。そればかりか生活全般の手助けや日々の警備業務にも人を出して協力をしてくれるという話だ。
全焼した相国寺は禅宗の中でも最高位の格を持つ五山 (京都五山)の一つである。そんじょそこらの末寺とは規模が違い、東京ドーム一〇一個分という桁違いの大きさだ。そうなれば例え荒廃していても、いや荒廃しているからこそ、兵が寝泊まりする場所など幾らでも建て放題という話である。事実、相国寺の僧も一部は散り散りとなっているものの、その多くがまだ寺領内で生活しているのだとか。
これだけでも十分にありがたい提案だが、更には三好宗家との仲介役まで買って出てくれるというのだから驚きだ。
要するに当家の将兵が警備業務だけに集中できるよう、煩わしい点は全面的に支援をしてくれるという話である。
──「全ては相国寺にお任せくだされ」 そう一言言って俺に微笑む相国寺の代表者は、まさに地獄で仏であった。
「それにな遠州殿、京の町衆や僧達は遠州細川家が食うに困っている散所民を土佐で受け入れておるのを知っておる。柳原は天台宗の寺領なれど、実はこの件だけは宗派の垣根を越えて裏では繋がっていてな。今では多くの者の最後の駆け込み寺のような存在になっておるのだ」
「石橋様、過大評価ですよ。単純に土佐では人手が足りないだけですから。それに誰でも受け入れている訳ではないですよ」
「そう言うでない。とにかく京の町衆や僧達は、遠州細川家に感謝している者が多いというのは覚えておいてくれ。黄巾賊の件も含めてな」
「ありがとうございます。皆が生活に困らないよう、何卒ご支援をお願い致します」
「うむ。任せておけ。決して悪いようにはせん」
「では、後日土佐に使いを寄越してください。相国寺の再建計画を含めて物資の運搬等、細かな点を話し合いましょう」
武家をしていると、利権を追い求める者ばかりと付き合う機会が多く殺伐とした世に見えてしまうものだが、そればかりではない。幾ら当家が相国寺の再建費用を出すからとは言え、そうそうここまで親身にはなってくれない。
一見伏魔殿のように見える京も、パンドラの箱宜しくいざ開けてみるとその奥底には希望が眠っていた。今回の一件はそんな所かもしれない。
それにしても「黄巾賊の件」というのは、一体何だったのだろうか?
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
京から戻った俺達を待っていたのは平凡な日常……であったならどんなに幸せであったろうか。
今更ながら南九州遠征でのツケが回ってくる。それもかなり面倒な形で。
「話は理解できます。しかし土橋殿、私の知る限り雑賀は武家の支配を嫌う地です。当家が兵を出せば逆効果となりませんか?」
「国虎様の言葉は尤もです。ですが、そうも言ってられない状況となり申した。このまま何もせねば雑賀衆そのものが壊滅してしまいます。何卒兵を出してくだされ。騒動終結の暁には雑賀荘及び十ヶ郷は、遠州細川家の傘下に入ります」
「いや、私としてはこれまで通りで問題無いのですが……分かりました。当家の管理下に収まらないと、また内乱状態に戻ると言いたいのですね」
そのツケというのは、雑賀五絡の雑賀荘と十ヶ郷の全域を巻き込んだ内戦であった。南九州で壊滅的な被害を受けた雑賀衆の生き残りが紀伊国へと戻って何をしていたか? 素直に体を休めて傷を癒していたならどんなに幸せだったろうか。
しかし、そうはならない。人は時として責任転嫁をする。全体としては大勝利で幕を閉じたというのに、雑賀衆だけは面目丸潰れになったのだ。当然ながら当家の家臣や阿波海部家、根来衆が責めたてた訳ではない。遠征参戦の経緯が経緯だけに、戦利品を抱えて凱旋できなかったのを恥と感じたに違いない。
だからこそ犯人探しをする。
始まりは些細な口喧嘩であった。それが殴り合いの喧嘩へと発展し、次は得物を持ち出すようになる。ここまで来れば人死にが出るのは時間の問題であった。
そうなれば事態は拡大の一途となる。一人が倒されると五人が報復を行い、今度は二〇人がその仕返しをするという負の連鎖が始まった。
ここまでなら雑賀衆では良くある話らしい。元々雑賀衆は内部での争いが激しい集団のようで、紀伊土橋家が仕切る宇治の市場運営を巡る対立や宮郷との水利権を巡っての問題で人死にが出るのはままあるのだとか。それも地域間の対立ではなく、同じ地域内でも揉め事が起こるというのだから呆れる。
よくこれで傭兵家業ができるものだと素直に思う。俺なら同じ雑賀衆内による裏切りの心配をしてしまうために背中は預けたくはない。要はそれだけ銭に対する執着心が強い集団なのだろう。利害が一致すれば手を取り合える仲というべきか。一向門徒が多いというのも、そこに利があるからと見た方が良い。
さて問題はここからだ。普段ならこうした問題が発生しても、泥沼にならないようにと誰かが仲介して和睦となるのだが、遠征の被害によって有力者が多く死亡していためか事態の収拾に乗り出すのが遅れてしまう羽目となる。武家のような上位存在がいない弊害だろう。それで気付いた時にはあちこちに飛び火して、敵味方が入り乱れた混沌状態に陥っていたというのだ。結果、死傷者はうなぎ登りに増え続けている。内戦状態と言って良い。
その混乱を鎮めるために、当家の力を借りたいというのが土橋殿の話であった。悲しいかなこの雑賀荘と十ヶ郷の内戦では一向門徒同士でも争っているからか、本願寺教団は中立を決め込んで我関せずの立場を貫いているという。こういった時、宗教は無力だ。
「ありがとうございます。これで身内同士が争わなくて済みます」
「そう言えば根来寺と関係の深い中郷……は中立になるとして、宮郷の太田党と南郷の鈴木党に何故助けを求めなかったのですか?」
「それが此度の土佐訪問でして……」
「やられた」
つまり、太田 定久殿と鈴木 重意の二人が結託して俺を巻き込んだという意味だ。恐らくこの機に乗じて雑賀荘と十ヶ郷を当家の管理下に置かそうと画策したに違いない。それに何の意味があるのかとなると……雑賀衆の再統一だ。内実がバラバラであった雑賀衆を遠州細川家傘下という一つの大枠の中に入れて、意思統一をしようと考えたのだろう。二人なりに先の遠征での負けを悔いていたとすれば辻褄は合う。
それが証拠に土橋 守重殿の話によると、混乱が宮郷や南郷に及ばないようにと現状ただ守りを固めている二人が、当家が軍を率いてやって来るなら援軍を出して鎮静化に協力するという話だ。武家の支配を受け付けずに全てを自らで運営する惣村的な性格の雑賀衆が、こうも掌を返してしまうと呆れ返るしかない。
「誠に妹の早瀬や婿の岡林殿から聞いていた通りの方ですな。他の武家なら喜んで介入しようとする所を、欲が無いと言うのか。この機に乗じて雑賀の利権全てを手にしたいとは考えぬのですかな?」
「繰り返しになりますが私自身は現状維持で良いと思っています。雑賀五絡は武家が支配をするには向いていない土地柄ですので。とは言え、そうも言ってられない事情というなら仕方ないですね。木沢 相政はいるか?」
「はっ。こちらに」
「相政悪いが、兵一五〇〇を率いて紀伊国入りをしてくれ。そこで土橋殿や太田殿、重意と協力して事態の鎮静化を頼む。無事内乱を鎮め終わったら、十ヶ郷をそのまま木沢家の領地にして良いぞ。以後は雑賀衆での軍事的な統率をする役割を果たしてくれ。土橋殿、当家の木沢 相政に十ヶ郷を領有させても良いでしょうか?」
「それは構いませんが、雑賀荘はどうされるのでしょうか?」
「雑賀荘は土橋殿に任せます。これまでの雑賀五絡の背景を考えると、当家の影響は少ない方が良いでしょう。それに土橋殿には相政を手助けして欲しいですし。相政もそれで良いよな。確か、領地は狭くても良いから畿内に近い場所が希望だったと記憶している」
「はっ。国虎様、誠にありがとうございます。これで亡き祖父や父上に顔向けができます」
「という訳で土橋殿、当家の相政を雑賀衆の盟主にするというのでどうでしょうか? 内戦にまで発展したというなら、これまでのようなあり方では限界に達していると思われます。それに当家に助力を依頼したのは、三好宗家からの干渉も考慮されてでしょう。これに付いては相政は当家きっての武闘派ですので、安心してください。以後当家の相政が雑賀衆の盟主になるのですから、全力で三好宗家の脅威から守りますし、相政の手に余る事態が起きた場合は当家が助力いたします」
「な、何から何まで。さすがは国虎様です。今後、紀伊土橋家は遠州細川家に忠節を尽くします」
「そこは紀伊木沢家にしてください。私はあくまで雑賀衆とは、これまで通りに良い取引相手として付き合えれば問題ありません。こちらこそ今後ともよろしくお願いします」
太田殿や重意、それに土橋殿が一番心配をしていたのは内乱の拡大ではなく、それに付け込んで三好宗家を始めとした畿内の武家が雑賀五絡へと干渉してくるのをどう防げば良いかの一点である。
もし他国からの侵攻が絶対に起こらないという前提があったなら、今回の内戦は雑賀衆内で解決をしていたに違いない。混乱しているのは雑賀荘と十ヶ郷だけであり、残りは正常を保っている。これで太田殿や重意が、まるで兵を温存するかのように守りに徹しているのは明らかに過剰な反応だ。内戦だけでは終わらないと考えたからこそ、表に立とうとせずに当家を巻き込むという選択をした。
きっと土橋殿も加えて、誰と組むのが一番利益になるかというのを話し合ったに違いない。
今回の件は素直に光栄と思った方が良いか。下手をすると三好宗家に宇治の市場を握られていたのだから、そうなれば大きく当家の収益が落ち込む所であった。
それにようやく相政に報いられたというのも大きい。相政は俺が土佐安芸家の当主になった直後から家の再興を目指して頑張っていたのだ。二年前に亡くなった祖父の木沢 浮泛に今日を見せられなかったのは残念ではあるが、それでもこれで相政の肩の荷も一つ降りたろう。
また、十ヶ郷は砂地ばかりで米作には向かないものの交易の盛んな地だ。しっかりと港を整備すれば、莫大な収益が見込める。作物の栽培はサツマイモを中心とした野菜や果樹で問題無い。領地経営もそう難しくはないだろう。
ただこの一件で問題があるとすると、領地を得るのが確定となった相政よりも他の家臣達の喜びが大きい点だ。理由は分かる。ついに分かり易い形での畿内進出の足掛かりが手に入ったという考えがそうさせているのだろう。
いずれやって来る三好宗家との決戦。それに向けて一歩ずつ距離が縮まっていく感覚を肌に感じた。
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聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
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