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七章 鞆の浦幕府の誕生
望んだ褒美
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四国統一によって遠州細川家の周囲からの評価は大きく変化していた。
一番分かり易いのは商家の行動となる。これまで以上に俺への面会を求めてくるようになり、生活用品から自称明の秘宝まで手を変え品を変えて様々な名物・珍品を見る機会が訪れるようになった。
平たく言えば「何か買え」という意味であり、裏を返せば田舎者の成金から銭を巻き上げようという魂胆である。
ただ、基本的に俺は名物と呼ばれる物には一切興味は無い。そのため、持ち込まれる品々の多くは購入に至らないのだが、資料用として珍品の類は時折購入するようにはしている。構造を調べて模倣するのが目的だ。それに持ち込んだ商家の顔を立てる意味もある。
そんな思いで購入してはいるものの、珍品は所詮珍品。初見では面白そうに見えても、殆どがガラクタだ。お陰で何度となく和葉に無駄遣いを咎められたか分からない。それでも懲りずに買うのだから俺も相当なものである。
面白かったのが、この時代で既に湯たんぽが存在していた点だ。但し、素材は陶器製である。この時点で明らかに耐久性に難有りなのが分かる。
しかし、しかしだ。この陶器製の湯たんぽは性能自体はやたら高い。肌を熱するような温かさではなく、優しい暖かさが長時間続く上に肌を乾燥させない。これなら老人や女性に喜ばれるのは確実と言えよう。早速商品化を決断した。
勿論当家で作るからには給油口にネジ切りをして確実に蓋ができるようにして、形状を波形にして表面積を増やした改良型とする。少し前に完成した新商品の圧力鍋でも散々に「技術の無駄遣い」と言われたものだが、一切気にしないで仕様書を書いた。
日用品として考えればどちらも価格が高くなるため、そうそう売れないのは分かっている。それでも皆の生活が少しでも豊かになるなら、今後もこうした商品開発は続けていこうと思っている。
また、武家も俺への面会を求めてくるようになった。
四国統一をした途端に、豊後大友家が友好を求めて使者を派遣してきたのは大爆笑である。現時点では同盟を持ち出すような素振りは見せず、互いに贈り物をして茶飲み話をする程度に留まっているのが何とも言えない。
事情は分かる。父親の暗殺という強引な当主交代を行ったためか、今は領国の安定を優先しているのだろう。だからこそ機先を制した形だ。
当家と豊後大友家の間には土佐一条家という爆弾が内包している。互いに戦を仕掛けられる大義名分だ。豊後大友家からすれば縁戚である点や後の勢力拡大を見越して匿ったのだと思うが、モタモタしている間に情勢が変化してしまう。
遠州細川家の四国統一により、下手をすると逆に攻め込まれる危険性が出てきたのだ。
かと言って何も考えずに当家と同盟を結ぶと、今度は面倒な畿内との関わりが増えてしまう可能性すらある。そうであれば答えは一つ。当家とは適度な距離を取り友好関係を保つのが無難というもの。こうすれば更なる情勢の変化が起きても対応できると踏んだのだろう。間違っても当家に全ベッドして心中するつもりなど毛頭無い。
平たく言えばお前達には関わりたくない。だから俺達にも関わるな。と、そんな思惑が透けて見える。
伊予国を併呑したばかりの頃では考えられないような対応であった。
とは言え、こうした態度は当家にとって上々である。正直な所、当家も九州に介入する余裕は無いのだから。
だが世の中というのは、皆が皆豊後大友家のようにはならない。空気が読めない……というよりは自分達の価値観が絶対だと信じて、他人にもそれを強要する者が数多くいる。
俺の場合は、海を挟んだ畿内からその御一行様がやって来た。
「ようやく目通りが叶いましたな。これは、細川様のお気持ちが我等の側に傾いていると捉えて良いですかな?」
「当家は氏綱派です。晴元派に転ぶというのは万に一つもあり得ません」
「ならば此度はどのような心境の変化があって、我等と会って頂けたのでしょうか?」
「阿波国まで近衛様が同行して来られるというのですから、門前払いをする訳にはいかないでしょう。それだけです。話は聞きますが、実のある交渉は無いとお考えください」
俺への面会を求めてきたのは近江六角家の重臣 三雲 定持殿となる。
ここに来てついに大領近江六角家が動いてきた。
また、三雲 定持殿の従者のように控えている人物には見覚えがある。先日公家の山科様と共にやって来た者だ。
改めて名を三雲 九左衛門と名乗る。この者は甲賀三雲家の一族で、京を拠点に商家として活動しているのだとか。これまで細川 晴元の関係者だと思っていたが、思わぬ不意打ちを喰らう形となる。
甲賀三雲家というのは特殊な家だ。領地自体は近江国甲賀郡の一地域であるものの、地方豪族としては破格の九万石を有している。これだけでも十分に凄いのだが、ここからが恐ろしい。
まず甲賀三雲家は、この領地を近くの三雲山永照院慧日寺の権威を利用して治めている。いや、伊賀国や甲賀郡の武家はほぼ地域の寺社の権威を利用して統治しているため、それ自体に特別な事情は見当たらない。
問題は三雲山永照院慧日寺の宗派だ。この寺は華厳宗という耳慣れない宗派に属す寺なのだが……華厳宗の大本山は東大寺となる。
そう、あの東大寺だ。しかも単に宗派を同じくしているというだけでなく、三雲山永照院慧日寺は東大寺と繋がりがある。
これの意味する所は何か? 日明貿易への食い込みである。東大寺が日明貿易に参画していた寺の一つであるのを利用していた。
日明貿易というのは、倭寇を利用した密貿易や直接海外まで行っての売買を除けば参入障壁はとても高い。往復するだけで莫大な利益が出るのだから、誰もがその利益を独占したいと考える。だからこそ後期は周防大内家と細川京兆家の二家が独占し、主導権争いをしてきた。
ただ貿易である以上は悲しいかな原資が必要となる。現物商売ではその規模が小さくなってしまう。無い袖は振れないというもの。
だからこそレバレッジ……もとい、借金して取引額を増やす。中央銀行の無い室町幕府では銭を増やせないために、有力寺社から借金をする。
こうすれば自分達の原資以上の利益が出せるというカラクリだ。利息付きで原本を返済したとしても、利益は計り知れない。
しかし寺社も馬鹿ではない。濡れ手に粟の商いなら、金を貸す代わりに俺達も混ぜろと催促をするという寸法だ。例えば興福寺が「永楽通宝を決済で受け入れろ」 (意訳)というお触れを出したのも、正規の日明貿易で永楽通宝を大量に手にしていたからだろう。
そうした寺社の介入の間隙を突いて、日明貿易の甘い汁を吸っていたのが甲賀三雲家となる。
更に更にだ。縁のある寺は東大寺だけではない。あの比叡山延暦寺にも当たり前のように伝手を持っている。その上で敢えてこの場に三雲 九左衛門を連れてきたのは、京の商家に対して影響力を持っていると言わんばかりの態度だ。
要するに甲賀三雲家は、近江六角家の家臣ながらその立ち位置は他の重臣達とは違う。甲賀五三家の一つでありながら、他の豪族達とは一線を画す。その本質は幅広い人脈を持つ政治家的な家だと言える。
だからこそ、
「まさに噂通りの人物だのう。摂関家を敬っているのか何とも思っていないのか分からぬ」
摂関家筆頭の当主であり、且つ幕府重鎮でもある 近衛 稙家を連れてくる事ができたのだろう。これ程の重要人物は滅多に地方へ下向しないだけに、甲賀三雲家の力をまざまざと見せつけられたような気分となった。
「まず直答をお許しください。初めてお目に掛かります近衛様。細川 国虎です。遥々阿波国までお出でくださりありがとうございました。むさ苦しい所ではありますが、おくつろぎください」
──「混ぜるな危険」。交渉相手として近衛 稙家を評するなら、この言葉が一番当て嵌まる。朝廷・幕府で同時に第二位の地位を得るというのは極めて稀だ。ある意味最強の存在ではなかろうか。
もし今が太平の世であれば、これ以上の権威を持つ使者はいない。白を黒と言いくるめてもそれが罷り通るのは確実である。近衛 稙家の言い分を全て飲む以外に俺の選択はないだろう。
惜しむらくは軍事力が伴っていない。
時代は戦国真っただ中である。秩序はまだまだ残っているとは言え、帝には力は無く頼みの公方は京にさえいない。
これが当家との関係性を、本来の形から変化させていた。
加えて現代の価値観を引き摺る俺には、この時代の権威が未だに良く分かっていない節がある。その証拠に近衛 稙家を見ても、「上品なジジイ」であったり「こいつが幕府の癌か」程度にしか見えない。「拝謁が誉れ」というのは単に知識として持っているだけである。感情は全く動かない。
どんなに最強の手札を出してもその効果が無効化されるなら、意味は無いという話であった。
「近衛様もこのような田舎では落ち着かないと思われます。面倒事はすぐに終わらせて、畿内にお戻りになる方が良いでしょう。ですので早速本題に入ります。本日の御用件をお聞かせください」
「そう急くでないと言いたいが、山科殿の先例があるからな。要件を伝えよう。遠州細川家は和泉国を攻めよ。近江六角家と公方様は京を攻める。遠州細川家は公方様が京へと戻る手伝いをせよ」
「お断りします」
結果として、近衛 稙家の提案を俺は何の躊躇いもなく拒否する。
確かに当家は堺とは決裂している。和泉国を攻めろと言ったのは、その因縁を利用したものだ。単純に三好宗家討伐に力を貸せと言わない辺りに老獪さが垣間見える。
勿論前提としては、当家が阿波三好家を追い出して四国統一を果たしたからであろう。氏綱派内部で仲違いをしている今こそ好機だと、揺さぶりを掛けてきたという所か。
良く状況が見えているのは、さすがと言うしかない。
「何ゆえ、憎き堺衆に武威を示そうと思わぬ? 遠州細川家は阿波国を領有しておるのだぞ。最早三好宗家には遠慮する必要など無かろう。我等は細川 氏綱殿まで害そうと考えてはいない。細川 氏綱殿を支える役目は遠州細川家が担えば良いではないか。此度の策に協力してくれるなら、島津宗家の件も水に流すぞ」
「もう一度言いましょう。当家が晴元派に転ぶというのは万に一つもあり得ません」
「……強情だな。分かった。幕府は細川 晴元殿とは手を切る。これなら我等に賛同できよう。公方様が京を奪還されれば、比叡山延暦寺や興福寺、東大寺のような寺社を遠州細川家に紹介する。商いが得意な遠州細川家には悪い話ではなかろう」
また、さらりと脅しも使う。この「寺社を紹介する」という意味は、断れば寺社との取引ができなくなるに等しい。三雲 九左衛門がこの場にいる理由も考えれば、京での取引はいつでも妨害できるとでも言いたいのだろう。
飴と鞭、いや軟鋼織り交ぜた交渉を仕掛けてくる辺り、これまでとは一枚も二枚も上手の相手なのは間違いない。これ程の交渉ができるからこそ、幕府の重鎮であり続けられるのだと思い知らされた。
条件は悪くない。いっそこのまま承諾してしまおうか……と、そんな誘惑に駆られる所を何とか踏み止まる。
「とても魅力的な提案ですね。ですが答えは否です。当家の立場は何ら変わりはしません。公方様が京を取り戻せば、今度は当家を切り捨てる。そうなる未来が見えてますので。後は、義父である私が次の公方様の足を引っ張りたくないというのがあります」
そう、細川 晴元の切り捨ては現在三好宗家が進めている丹波国侵攻が順調だという裏返しでもある。使えないと判断した道具は迷いなく捨てる。近衛 稙家の態度からはそうした考えが透けて見えた。
なら当家が今の幕府に協力をした所で、良いように使われてボロ雑巾となった所で捨てられる。こうした未来しか見えない。
一時的な利益に釣られて結果的に大損となるのは、いつの世もどんな所にも潜んでいる。ならば、それが俺の目の前に現れても何ら不思議はないというもの。
それに今の俺には、義栄に力を持ってもらわなければならない理由が一つあった。
「……四国統一の旗頭として利用しただけではないのか。細川殿は足利 義栄様を推戴して、畿内に攻め込もうと考えておるのか?」
「そこまではとてもとても。ただ、足利 義栄様がやろうとしている事を邪魔したくない。その程度です。ですので、現公方様に協力する気はありません」
「同じであろう。足利 義栄様が公方となれば、遠州細川家、ひいては細川殿は天下人となる。自らが天下人となるために公方様に協力する気は無いと言いたいのであろう」
「……分かりました。そこまで仰るなら、条件次第によっては今回の提案をお受けしましょう。これで私が天下を望んでいないと分かって頂けると思います」
「誠か! ならばその条件を早う言え。銭か? 官位か? 守護か? 何でも用意するぞ!」
「ならば私の願いは、近衛様、貴方の首です」
「…………そのような冗談など要らぬ。笑えぬわ。それよりも真面目に考えて答えよ」
「近衛様、私が足利 義栄様に力を持ってもらおうと考えている理由が、貴方が幕府にいるからです。島津宗家の件にしてもそう。出雲尼子家の件にしてもそう。今の幕府は足利の世を終わらせるために進んでいます。貴方の主導によって」
「何を言っておる」
「鎌倉から室町へと時代が移り足利の世となった。ですので、足利というのは本来絶対的な存在ではないのです。それを先人の努力によって、足利が武家の最高位として認められるようになった」
「……」
「ですが、幕府が率先してこれまで作り上げた秩序を壊すなら、足利は武家の棟梁でなくとも良いという考えに行き着くのです。銭と力があれば守護となれる。幕府がそれを認める。公方様でなくとも京は統治できる。天下人は足利でなくとも良い」
これまで義栄には、足利の血と家名を残す程度の領地を渡して、太平の世まで生き延びてくれるならそれで良いと考えていた。
だが南九州遠征を経て、三好 長慶との話し合いを経て、それでは駄目なのだと考えるようになる。このままでは足利の血は生き残れない。そう判断した。
何故なら、足利家がこれまで作り上げてきた物を率先して壊そうとしている人物が今目の前にいるからである。
そうなれば必要なのは力だ。現幕府に対抗するための。
勿論俺も足利の世が未来永劫続くとは思ってもいない。義栄が公方となり、中興の祖になれるとまでは考えていない。
ただ、幕府が自分自身を否定しているこの現状が悲し過ぎるのだ。
史実では何とか江戸時代まで残った足利の家があったが、五〇〇〇石や一〇〇石という大名未満の収入となる。これも全ては力を残せずにいた結果であろう。その最大の原因とも言えるのが、現公方の幕府であった。
今この場で近衛 稙家の首を望んだのは、そんな思いから出た言葉となる。
「何を言う! それゆえ、公方様が京を奪還されようとしておるのだろう! 分かったような口を聞くな!!」
「地方という足元はそのためにはどうなろうと知った事ではない、と言いたげですね」
「それのどこが悪い!! まずは五畿内をどうにかしなければ、地方に手は届かぬ。その程度が分からぬか!」
とは言え俺は、近衛 稙家がどうしてこのような考えになったのかが分かる。
戦国時代の日の本……と言うより、この戦国の世になるまで日の本は現代のソウルと同じようなものであった。人、物、銭といった経済を構成する多くの要素が五畿内に集中しており、日の本全体の五割を超えている。
そこから見れば、地方など取るに足らない存在なのだろう。事実、この時代の中央の人間は畿内が全てであり、地方は目に入っていない。それは悪銭の出回り方でも分かる。畿内さえ、天下さえ取れば全てはひっくり返せるという考えになるのは必然とも言えた。
言い換えれば、近衛 稙家は地方を捨てたのだ。だからこそ銭さえ積めば望む物を与えたのだろう。
「畿内だけが日の本ではない。それが分からないようで残念です。有史以来、地方が勢力を結集して何度中央政権を倒してきた事か。やはり貴方は幕府の重鎮には相応しくない」
しかし、それは悪手でしかない。少し歴史を知っていれば、如何に地方が軍事的に大事か分かるというもの。銭を毟り取るだけにしか使わないというのは、明らかに勿体無い。
要は近衛 稙家はやり方を間違っていたのだ。
「それは周防大内家の末路を見てから言え!!」
「その代わりに、遠州細川家という新たな勢力ができたという現実が見えていないようですね。今日この場に援軍を頼みにきた理由を考えるのをお勧めします」
「黙れ! 黙れ!」
最早当初の切れ者を感じされる姿はどこにもなかった。
俺の言葉にただ声を荒げて否定する。子供のように駄々を捏ねる。この時点で交渉は打ち切られる形となる。
だが、この時代最強の貴人をここまで怒らせたのだ。互いに笑顔で帰りの挨拶をするという、穏便な終わり方とはならないのが世の道理である。そのツケはしっかりと払わなければならない。
当然のように、
「細川殿、近衛様に対して数々の無礼千万! 最早黙って見ておれませぬ。某が二度とその口を聞けぬようにさせて頂きまする!」
三雲一族を含めて使者御一行は全員躊躇いもなく刀を抜き、俺に対してこれ以上無い敵意を示した。
ここからは予定調和である。
「だそうだ。長正準備はできているか? 馬路党、出てこいやぁ!!」
「押忍! 国から国に泣く民の涙背負って日の本の始末! 冥府案内人馬路党、お呼びとあらば即参上!!」
襖を開け、床板を跳ね上げ、天井から飛び降りといった具合で、完全武装の馬路党員がこの部屋に一斉に流れ込んできた。
最初から断るつもりだった交渉である。こちらとしては最大のおもてなしで迎えるのが礼儀というものだ。
こうして俺と近衛 稙家との初会合は、別れの時を迎える。顔面が腫れ、衣服もボロボロとなった御一行様の引きつった笑顔に応えるように、俺達は満面の笑みでお見送りをした。
終わり良ければ全て良し。
一番分かり易いのは商家の行動となる。これまで以上に俺への面会を求めてくるようになり、生活用品から自称明の秘宝まで手を変え品を変えて様々な名物・珍品を見る機会が訪れるようになった。
平たく言えば「何か買え」という意味であり、裏を返せば田舎者の成金から銭を巻き上げようという魂胆である。
ただ、基本的に俺は名物と呼ばれる物には一切興味は無い。そのため、持ち込まれる品々の多くは購入に至らないのだが、資料用として珍品の類は時折購入するようにはしている。構造を調べて模倣するのが目的だ。それに持ち込んだ商家の顔を立てる意味もある。
そんな思いで購入してはいるものの、珍品は所詮珍品。初見では面白そうに見えても、殆どがガラクタだ。お陰で何度となく和葉に無駄遣いを咎められたか分からない。それでも懲りずに買うのだから俺も相当なものである。
面白かったのが、この時代で既に湯たんぽが存在していた点だ。但し、素材は陶器製である。この時点で明らかに耐久性に難有りなのが分かる。
しかし、しかしだ。この陶器製の湯たんぽは性能自体はやたら高い。肌を熱するような温かさではなく、優しい暖かさが長時間続く上に肌を乾燥させない。これなら老人や女性に喜ばれるのは確実と言えよう。早速商品化を決断した。
勿論当家で作るからには給油口にネジ切りをして確実に蓋ができるようにして、形状を波形にして表面積を増やした改良型とする。少し前に完成した新商品の圧力鍋でも散々に「技術の無駄遣い」と言われたものだが、一切気にしないで仕様書を書いた。
日用品として考えればどちらも価格が高くなるため、そうそう売れないのは分かっている。それでも皆の生活が少しでも豊かになるなら、今後もこうした商品開発は続けていこうと思っている。
また、武家も俺への面会を求めてくるようになった。
四国統一をした途端に、豊後大友家が友好を求めて使者を派遣してきたのは大爆笑である。現時点では同盟を持ち出すような素振りは見せず、互いに贈り物をして茶飲み話をする程度に留まっているのが何とも言えない。
事情は分かる。父親の暗殺という強引な当主交代を行ったためか、今は領国の安定を優先しているのだろう。だからこそ機先を制した形だ。
当家と豊後大友家の間には土佐一条家という爆弾が内包している。互いに戦を仕掛けられる大義名分だ。豊後大友家からすれば縁戚である点や後の勢力拡大を見越して匿ったのだと思うが、モタモタしている間に情勢が変化してしまう。
遠州細川家の四国統一により、下手をすると逆に攻め込まれる危険性が出てきたのだ。
かと言って何も考えずに当家と同盟を結ぶと、今度は面倒な畿内との関わりが増えてしまう可能性すらある。そうであれば答えは一つ。当家とは適度な距離を取り友好関係を保つのが無難というもの。こうすれば更なる情勢の変化が起きても対応できると踏んだのだろう。間違っても当家に全ベッドして心中するつもりなど毛頭無い。
平たく言えばお前達には関わりたくない。だから俺達にも関わるな。と、そんな思惑が透けて見える。
伊予国を併呑したばかりの頃では考えられないような対応であった。
とは言え、こうした態度は当家にとって上々である。正直な所、当家も九州に介入する余裕は無いのだから。
だが世の中というのは、皆が皆豊後大友家のようにはならない。空気が読めない……というよりは自分達の価値観が絶対だと信じて、他人にもそれを強要する者が数多くいる。
俺の場合は、海を挟んだ畿内からその御一行様がやって来た。
「ようやく目通りが叶いましたな。これは、細川様のお気持ちが我等の側に傾いていると捉えて良いですかな?」
「当家は氏綱派です。晴元派に転ぶというのは万に一つもあり得ません」
「ならば此度はどのような心境の変化があって、我等と会って頂けたのでしょうか?」
「阿波国まで近衛様が同行して来られるというのですから、門前払いをする訳にはいかないでしょう。それだけです。話は聞きますが、実のある交渉は無いとお考えください」
俺への面会を求めてきたのは近江六角家の重臣 三雲 定持殿となる。
ここに来てついに大領近江六角家が動いてきた。
また、三雲 定持殿の従者のように控えている人物には見覚えがある。先日公家の山科様と共にやって来た者だ。
改めて名を三雲 九左衛門と名乗る。この者は甲賀三雲家の一族で、京を拠点に商家として活動しているのだとか。これまで細川 晴元の関係者だと思っていたが、思わぬ不意打ちを喰らう形となる。
甲賀三雲家というのは特殊な家だ。領地自体は近江国甲賀郡の一地域であるものの、地方豪族としては破格の九万石を有している。これだけでも十分に凄いのだが、ここからが恐ろしい。
まず甲賀三雲家は、この領地を近くの三雲山永照院慧日寺の権威を利用して治めている。いや、伊賀国や甲賀郡の武家はほぼ地域の寺社の権威を利用して統治しているため、それ自体に特別な事情は見当たらない。
問題は三雲山永照院慧日寺の宗派だ。この寺は華厳宗という耳慣れない宗派に属す寺なのだが……華厳宗の大本山は東大寺となる。
そう、あの東大寺だ。しかも単に宗派を同じくしているというだけでなく、三雲山永照院慧日寺は東大寺と繋がりがある。
これの意味する所は何か? 日明貿易への食い込みである。東大寺が日明貿易に参画していた寺の一つであるのを利用していた。
日明貿易というのは、倭寇を利用した密貿易や直接海外まで行っての売買を除けば参入障壁はとても高い。往復するだけで莫大な利益が出るのだから、誰もがその利益を独占したいと考える。だからこそ後期は周防大内家と細川京兆家の二家が独占し、主導権争いをしてきた。
ただ貿易である以上は悲しいかな原資が必要となる。現物商売ではその規模が小さくなってしまう。無い袖は振れないというもの。
だからこそレバレッジ……もとい、借金して取引額を増やす。中央銀行の無い室町幕府では銭を増やせないために、有力寺社から借金をする。
こうすれば自分達の原資以上の利益が出せるというカラクリだ。利息付きで原本を返済したとしても、利益は計り知れない。
しかし寺社も馬鹿ではない。濡れ手に粟の商いなら、金を貸す代わりに俺達も混ぜろと催促をするという寸法だ。例えば興福寺が「永楽通宝を決済で受け入れろ」 (意訳)というお触れを出したのも、正規の日明貿易で永楽通宝を大量に手にしていたからだろう。
そうした寺社の介入の間隙を突いて、日明貿易の甘い汁を吸っていたのが甲賀三雲家となる。
更に更にだ。縁のある寺は東大寺だけではない。あの比叡山延暦寺にも当たり前のように伝手を持っている。その上で敢えてこの場に三雲 九左衛門を連れてきたのは、京の商家に対して影響力を持っていると言わんばかりの態度だ。
要するに甲賀三雲家は、近江六角家の家臣ながらその立ち位置は他の重臣達とは違う。甲賀五三家の一つでありながら、他の豪族達とは一線を画す。その本質は幅広い人脈を持つ政治家的な家だと言える。
だからこそ、
「まさに噂通りの人物だのう。摂関家を敬っているのか何とも思っていないのか分からぬ」
摂関家筆頭の当主であり、且つ幕府重鎮でもある 近衛 稙家を連れてくる事ができたのだろう。これ程の重要人物は滅多に地方へ下向しないだけに、甲賀三雲家の力をまざまざと見せつけられたような気分となった。
「まず直答をお許しください。初めてお目に掛かります近衛様。細川 国虎です。遥々阿波国までお出でくださりありがとうございました。むさ苦しい所ではありますが、おくつろぎください」
──「混ぜるな危険」。交渉相手として近衛 稙家を評するなら、この言葉が一番当て嵌まる。朝廷・幕府で同時に第二位の地位を得るというのは極めて稀だ。ある意味最強の存在ではなかろうか。
もし今が太平の世であれば、これ以上の権威を持つ使者はいない。白を黒と言いくるめてもそれが罷り通るのは確実である。近衛 稙家の言い分を全て飲む以外に俺の選択はないだろう。
惜しむらくは軍事力が伴っていない。
時代は戦国真っただ中である。秩序はまだまだ残っているとは言え、帝には力は無く頼みの公方は京にさえいない。
これが当家との関係性を、本来の形から変化させていた。
加えて現代の価値観を引き摺る俺には、この時代の権威が未だに良く分かっていない節がある。その証拠に近衛 稙家を見ても、「上品なジジイ」であったり「こいつが幕府の癌か」程度にしか見えない。「拝謁が誉れ」というのは単に知識として持っているだけである。感情は全く動かない。
どんなに最強の手札を出してもその効果が無効化されるなら、意味は無いという話であった。
「近衛様もこのような田舎では落ち着かないと思われます。面倒事はすぐに終わらせて、畿内にお戻りになる方が良いでしょう。ですので早速本題に入ります。本日の御用件をお聞かせください」
「そう急くでないと言いたいが、山科殿の先例があるからな。要件を伝えよう。遠州細川家は和泉国を攻めよ。近江六角家と公方様は京を攻める。遠州細川家は公方様が京へと戻る手伝いをせよ」
「お断りします」
結果として、近衛 稙家の提案を俺は何の躊躇いもなく拒否する。
確かに当家は堺とは決裂している。和泉国を攻めろと言ったのは、その因縁を利用したものだ。単純に三好宗家討伐に力を貸せと言わない辺りに老獪さが垣間見える。
勿論前提としては、当家が阿波三好家を追い出して四国統一を果たしたからであろう。氏綱派内部で仲違いをしている今こそ好機だと、揺さぶりを掛けてきたという所か。
良く状況が見えているのは、さすがと言うしかない。
「何ゆえ、憎き堺衆に武威を示そうと思わぬ? 遠州細川家は阿波国を領有しておるのだぞ。最早三好宗家には遠慮する必要など無かろう。我等は細川 氏綱殿まで害そうと考えてはいない。細川 氏綱殿を支える役目は遠州細川家が担えば良いではないか。此度の策に協力してくれるなら、島津宗家の件も水に流すぞ」
「もう一度言いましょう。当家が晴元派に転ぶというのは万に一つもあり得ません」
「……強情だな。分かった。幕府は細川 晴元殿とは手を切る。これなら我等に賛同できよう。公方様が京を奪還されれば、比叡山延暦寺や興福寺、東大寺のような寺社を遠州細川家に紹介する。商いが得意な遠州細川家には悪い話ではなかろう」
また、さらりと脅しも使う。この「寺社を紹介する」という意味は、断れば寺社との取引ができなくなるに等しい。三雲 九左衛門がこの場にいる理由も考えれば、京での取引はいつでも妨害できるとでも言いたいのだろう。
飴と鞭、いや軟鋼織り交ぜた交渉を仕掛けてくる辺り、これまでとは一枚も二枚も上手の相手なのは間違いない。これ程の交渉ができるからこそ、幕府の重鎮であり続けられるのだと思い知らされた。
条件は悪くない。いっそこのまま承諾してしまおうか……と、そんな誘惑に駆られる所を何とか踏み止まる。
「とても魅力的な提案ですね。ですが答えは否です。当家の立場は何ら変わりはしません。公方様が京を取り戻せば、今度は当家を切り捨てる。そうなる未来が見えてますので。後は、義父である私が次の公方様の足を引っ張りたくないというのがあります」
そう、細川 晴元の切り捨ては現在三好宗家が進めている丹波国侵攻が順調だという裏返しでもある。使えないと判断した道具は迷いなく捨てる。近衛 稙家の態度からはそうした考えが透けて見えた。
なら当家が今の幕府に協力をした所で、良いように使われてボロ雑巾となった所で捨てられる。こうした未来しか見えない。
一時的な利益に釣られて結果的に大損となるのは、いつの世もどんな所にも潜んでいる。ならば、それが俺の目の前に現れても何ら不思議はないというもの。
それに今の俺には、義栄に力を持ってもらわなければならない理由が一つあった。
「……四国統一の旗頭として利用しただけではないのか。細川殿は足利 義栄様を推戴して、畿内に攻め込もうと考えておるのか?」
「そこまではとてもとても。ただ、足利 義栄様がやろうとしている事を邪魔したくない。その程度です。ですので、現公方様に協力する気はありません」
「同じであろう。足利 義栄様が公方となれば、遠州細川家、ひいては細川殿は天下人となる。自らが天下人となるために公方様に協力する気は無いと言いたいのであろう」
「……分かりました。そこまで仰るなら、条件次第によっては今回の提案をお受けしましょう。これで私が天下を望んでいないと分かって頂けると思います」
「誠か! ならばその条件を早う言え。銭か? 官位か? 守護か? 何でも用意するぞ!」
「ならば私の願いは、近衛様、貴方の首です」
「…………そのような冗談など要らぬ。笑えぬわ。それよりも真面目に考えて答えよ」
「近衛様、私が足利 義栄様に力を持ってもらおうと考えている理由が、貴方が幕府にいるからです。島津宗家の件にしてもそう。出雲尼子家の件にしてもそう。今の幕府は足利の世を終わらせるために進んでいます。貴方の主導によって」
「何を言っておる」
「鎌倉から室町へと時代が移り足利の世となった。ですので、足利というのは本来絶対的な存在ではないのです。それを先人の努力によって、足利が武家の最高位として認められるようになった」
「……」
「ですが、幕府が率先してこれまで作り上げた秩序を壊すなら、足利は武家の棟梁でなくとも良いという考えに行き着くのです。銭と力があれば守護となれる。幕府がそれを認める。公方様でなくとも京は統治できる。天下人は足利でなくとも良い」
これまで義栄には、足利の血と家名を残す程度の領地を渡して、太平の世まで生き延びてくれるならそれで良いと考えていた。
だが南九州遠征を経て、三好 長慶との話し合いを経て、それでは駄目なのだと考えるようになる。このままでは足利の血は生き残れない。そう判断した。
何故なら、足利家がこれまで作り上げてきた物を率先して壊そうとしている人物が今目の前にいるからである。
そうなれば必要なのは力だ。現幕府に対抗するための。
勿論俺も足利の世が未来永劫続くとは思ってもいない。義栄が公方となり、中興の祖になれるとまでは考えていない。
ただ、幕府が自分自身を否定しているこの現状が悲し過ぎるのだ。
史実では何とか江戸時代まで残った足利の家があったが、五〇〇〇石や一〇〇石という大名未満の収入となる。これも全ては力を残せずにいた結果であろう。その最大の原因とも言えるのが、現公方の幕府であった。
今この場で近衛 稙家の首を望んだのは、そんな思いから出た言葉となる。
「何を言う! それゆえ、公方様が京を奪還されようとしておるのだろう! 分かったような口を聞くな!!」
「地方という足元はそのためにはどうなろうと知った事ではない、と言いたげですね」
「それのどこが悪い!! まずは五畿内をどうにかしなければ、地方に手は届かぬ。その程度が分からぬか!」
とは言え俺は、近衛 稙家がどうしてこのような考えになったのかが分かる。
戦国時代の日の本……と言うより、この戦国の世になるまで日の本は現代のソウルと同じようなものであった。人、物、銭といった経済を構成する多くの要素が五畿内に集中しており、日の本全体の五割を超えている。
そこから見れば、地方など取るに足らない存在なのだろう。事実、この時代の中央の人間は畿内が全てであり、地方は目に入っていない。それは悪銭の出回り方でも分かる。畿内さえ、天下さえ取れば全てはひっくり返せるという考えになるのは必然とも言えた。
言い換えれば、近衛 稙家は地方を捨てたのだ。だからこそ銭さえ積めば望む物を与えたのだろう。
「畿内だけが日の本ではない。それが分からないようで残念です。有史以来、地方が勢力を結集して何度中央政権を倒してきた事か。やはり貴方は幕府の重鎮には相応しくない」
しかし、それは悪手でしかない。少し歴史を知っていれば、如何に地方が軍事的に大事か分かるというもの。銭を毟り取るだけにしか使わないというのは、明らかに勿体無い。
要は近衛 稙家はやり方を間違っていたのだ。
「それは周防大内家の末路を見てから言え!!」
「その代わりに、遠州細川家という新たな勢力ができたという現実が見えていないようですね。今日この場に援軍を頼みにきた理由を考えるのをお勧めします」
「黙れ! 黙れ!」
最早当初の切れ者を感じされる姿はどこにもなかった。
俺の言葉にただ声を荒げて否定する。子供のように駄々を捏ねる。この時点で交渉は打ち切られる形となる。
だが、この時代最強の貴人をここまで怒らせたのだ。互いに笑顔で帰りの挨拶をするという、穏便な終わり方とはならないのが世の道理である。そのツケはしっかりと払わなければならない。
当然のように、
「細川殿、近衛様に対して数々の無礼千万! 最早黙って見ておれませぬ。某が二度とその口を聞けぬようにさせて頂きまする!」
三雲一族を含めて使者御一行は全員躊躇いもなく刀を抜き、俺に対してこれ以上無い敵意を示した。
ここからは予定調和である。
「だそうだ。長正準備はできているか? 馬路党、出てこいやぁ!!」
「押忍! 国から国に泣く民の涙背負って日の本の始末! 冥府案内人馬路党、お呼びとあらば即参上!!」
襖を開け、床板を跳ね上げ、天井から飛び降りといった具合で、完全武装の馬路党員がこの部屋に一斉に流れ込んできた。
最初から断るつもりだった交渉である。こちらとしては最大のおもてなしで迎えるのが礼儀というものだ。
こうして俺と近衛 稙家との初会合は、別れの時を迎える。顔面が腫れ、衣服もボロボロとなった御一行様の引きつった笑顔に応えるように、俺達は満面の笑みでお見送りをした。
終わり良ければ全て良し。
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