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七章 鞆の浦幕府の誕生
二度目の養子
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天文二三年 (一五五四年)一一月に入り、尼子 国久殿並びに新宮党は粛清された。備前国南部の平定を終え、阿波国へと戻った俺を待っていたのがこの報せとなる。
尼子 晴久の正室がその直前に亡くなり、弔問のために尼子 国久殿が月山富田城へと訪問しようとした所を襲撃されたそうだ。尼子 晴久の正室は尼子 国久殿の娘である。それが仇となった。
その同日には月山富田城の北にある新宮谷が襲われる。尼子 国久殿の嫡男である尼子 誠久も必死に抗戦したようだが、所詮は多勢に無勢。幹部含む精鋭が数多く討ち取られ、進退窮まった末に尼子 誠久は自害して果てた。壊滅と言っても差し支えない惨状である。
罪状は謀反だ。当然ながらでっち上げとなる。全員が黒を白と言えば白になるのと同じく、出雲尼子家中の主要家臣達が口を揃えて「新宮党に謀反の兆候あり」と大合唱すれば事実となるのがこの世の常。真実は闇の中へと埋もれる。
それにしても新宮谷の襲撃は随分と手際が良い。予め全てを取り決めていたかのように感じさせる鮮やかさだ。そこには新宮党内部からの手引きもあったのだろう。そう考えた方がしっくりとくる。
要は新宮党の備中国国境への派遣は、新宮党を一網打尽にする段取りを整えるためのものだったのだろう。遠州細川家が新宮党を討伐すれば良し、失敗しても出雲国内で仕留める。そんな二段構えの策だったと推察される。ここまで徹底していると、新宮党粛清に対する執念には並々ならぬものを感じさせた。
結果を知ると銀の使い損のように感じてしまうものの、それでも新宮党との戦は回避できたのだからと割り切った方が良い。渡した銀が尼子 国久殿親子の最後の晩餐に役立っていたなら安いものである。
とは言え、良い報せもある。
三男の尼子 敬久を保護したと、派遣していた鉢屋衆からの報告書に書かれていた。襲撃側が尼子 誠久の討伐を優先したため、居館が別であったのが幸いしたようだ。
まさに偶然の賜物としか言いようがない。幾ら居館が別であったとしても、襲撃者だらけの新宮谷ではそう簡単に逃げ切れるものではないからだ。よくぞ混乱の中尼子 敬久を発見し、保護できたものだと感心する。一歩間違えば、これ以上は逃げられないと自害していたと思われる。
そんな尼子 敬久は結構な傷を負っていたらしく、しばらくは追手の及ばない場所で治療に専念させるようだ。土佐にやって来るのは傷が癒えてからとなる。その間に鉢屋衆は、他の生き残りを捜索するという内容で報告書が締め括られていた。
「……想定以上の働きだな。これは」
欲を言えば今後の出雲尼子本隊との戦いを見据えて、尼子 国久殿を保護できていればというのはある。しかしそれは高望みというものだ。
それでも新宮党の現役幹部である尼子 敬久を保護した。これだけでも十分に大きい。間違いなく出雲尼子家に対する手札として使える。
後は当家に仕えてくれるかだな。
「本家新宮党、元祖新宮党、新宮党ゼット……うーん、どれもイマイチだな。無難に土佐新宮党辺りか。忠澄、新たな新宮党の名の案は無いか?」
「国虎様、一体何の話ですか?」
「いや、保護した尼子 敬久が当家に仕えてくれたなら、当家でも新宮党を作ろうと思ってな。忠澄も良い名を考えてくれ」
「……当家に仕官してくれるかすら分からないのにですか? そういうのは実際に隊を結成してからでも良いでしょう」
「そこを何とか」
「そんな暇があるなら、溜まった書類を一枚でも多く片付けてください」
「明日から頑張るよ」
「本日から始めてください!」
まだ仮定の話だとは分かっていても、当家に新宮党ができるかと思うと楽しみで仕方ない。
覆水盆に返らず。新宮党を粛清したのは失策だったと、尼子 晴久には後悔をさせてやろう。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
遠州細川家による中国地方への介入が本格化すると様々な影響が起きる。真っ先に反応するのが隣接国や幕府ではなく、身内だというのはよくある話だ。
それも薩摩国・大隅国の二カ国を預かる、一族の山田 元氏が突然俺を訪ねてきたなれば、一大事の臭いしかしないというもの。
両国の統治は樟脳の生産、製鉄、製塩といった新規事業が軌道に乗り、かなり上手く進んでいる。倭寇との密貿易も規模を小さくしながらも継続中であり、穀物の仲買いや土佐国や伊予国が買い入れるシラス土で安定的な収益を確保していた。既に黒字転換しているという。予想通りの成果であった。
このシラス土は土砂災害の元だという誤解を受けているが、実は違う。現代の鹿児島県で起こる土砂災害は、シラス土の表面を覆う土壌化した土が表面崩壊を起こすだけである。シラス土そのものは安定しており、雨に対しても強い。
そこから考えれば、シラス土は舗装材や盛り土として使うなら何の問題も無いというのが分かる。雨の多い土佐には適した素材であろう。気を付ける点と言えば、雨水の逃げ道をしっかりと考えた工事を行う位だ。これは緩い勾配を付けるなり、予め排水管を埋めるなりをしておけば問題とならない。
こうなれば南九州で厄介者扱いされていたシラス土は、外貨獲得の種となるだけではない。雇用にも寄与する存在へと変貌を遂げていた。
山田 元氏の成果は産業育成だけではない。周辺の離島への侵攻もしっかりと行っており、既に統治下に組み込んでいる。特に硫黄や珪石が産出される硫黄島や、鉄の製造と鍛冶が盛んな種子島の併呑は大きな収穫であった。但し、種子島は島民の約七割が日蓮宗という宗教島であるために、領主の種子島家を臣従させて間接統治に留めているという。
日蓮宗は天文法華の乱以来、堺と関係が深い。ここで日蓮宗を刺激すれば、結託して当家の敵に回る恐れがある。こうした事情を鑑み、干渉を最小限としたのだそうだ。
ここまで順調だと次の一手は一つしかない。外征となる。当家の中国地方介入を切っ掛けとして、「この波に乗り遅れてはならない」と鼻息が荒くなるのは土佐の血のなせる業か。利益を領国に投資をして発展させようという考えが微塵も起こらないのが、少々残念ではある。
しかしながら、ここで問題が起こる。ここまで薩摩国・大隅国を発展させて最低限ながらも民を食えるようにしたというのに、未だに反抗的な村が多いという話であった。端的に言えば、領国の約五割で税の滞納が起きているという。
「えっ、この税の滞納は南九州地方の伝統なのかよ。恐ろしい所だな」
「いえ、全ての地域という訳ではないのです。薩摩国・大隅国は貧しい村が多く、無い袖は振れないという話でして……」
「ちょっと待て。土佐から持ち込んだサツマイモの栽培はどうなっているんだ? サツマイモがあれば、最低限飢えに苦しむというのは無い筈だぞ。全額とは言わないまでも、少しなら納められるだろう」
「それが、サツマイモや大豆の栽培、養蚕を拒否する村が滞納をするのです」
「あっ、あー、なるほど。余所者扱いされている訳か。お前等の指図は受けないと。それで貧困に苦しんでいるのだから、救いようがないな。逆に栽培を受け入れる村や製鉄等の事業に人を出す村はきちんと税を納めると。大変だな、元氏。それでどんな対策をしているんだ」
「はっ。ここは心を鬼にして、反抗的な村は順に長を処罰しておりまする。それと併せて協力的な村からは、読み書きのできる者を少しずつ家中に登用しておりまする」
加えて、南九州では曹洞宗の僧が薩摩山田家の統治に協力をしてくれているのも大きい。文官としての出向は勿論の事、望む者への読み書きの指導や薩摩山田家と村とを結ぶ仲介役まで買ってくれているそうだ。これも全ては目に見える形で薩摩国・大隅国が発展しているのがその理由となる。それが巡り巡って、結果的に自分達の利益となると分かっているのは明白であった。
「上出来だ。時は必要になるが、それが確実だな。反抗的な村を一斉に処罰すれば収拾が付かなくなる。かと言って処罰もせずに放置するのは地域が荒れる元となる。真っ先に被害を受けるのは末端の民だからな。それを忘れないようにしてくれよ。ん? ちょっと待て。これで何が問題なんだ? 順調に進んでいるようにしか聞こえないが」
「それが……」
ここからが俺を訪ねてきた本題となる。薩摩山田家に反抗的な村が多いのは、余所者だからというだけではなく、家名自体に問題があると山田 元氏は考えていた。もし余所者だけが反抗的な理由であれば、事業全般の責任者である島津 源七郎の薩州島津家という看板が何ら役に立っていないとなる。統治の安定のために無理矢理養子にねじ込んだのが無駄となった形だ。
「元氏、それは薩摩山田家自体の家格の問題だと言いたい訳か?」
「やはり一番は、四国とは違って九州の地に細川の名が馴染んでいないのが原因かと愚考します」
「そうか。薩摩山田家は細川分家の一族だからな。元々の家格が低いから、島津の名を利用しても補い切れないという訳か。それでどうしたいんだ?」
「はっ。ここは割り切って名字を変えようかと考えております。このままでは領国が危う過ぎて外征ができる目処が立ちませぬ」
「確かに九州は薩摩山田家と総州畠山家に任せてはいるが、そう焦る必要はないだろうに。今のやり方を地道に続けていけば、いずれ民も完全に服従すると思うぞ。それに俺としては、元氏には北よりも南の琉球に目を向けてもらいたいと考えている」
「お言葉を返すようですが国虎様、今のままでは来るべき畿内での三好との決戦に薩摩山田家が参戦できない事態が発生しかねません。また仮に参戦できたとしても、将兵の練度が低いために国虎様のお役に立てぬやもしれぬのです」
「そこまで考えていてくれたのか。俺の考えが浅はかだったよ。てっきり中国地方での争いを知って、自分達も活躍したいと血気に逸っていたものだと思っていた。許してくれ」
「いえ、国虎様の見立ても間違ってはおりませぬ。その先を見据えているからこそ、焦りが出ているというのがあります」
「となると、家中では元氏が山田の名を捨てて、新たな名字になるのは承認されている訳か」
「はっ。既に叔父が薩摩山田家を継ぐ段取りは終えております。と言うより薩摩山田家の現在の地位が居心地悪いらしく、某に名を変えてくれと逆に叔父から頼まれました。家中も今では持て余す程の俸禄を手にするようになり、領地は分不相応で必要無いとまで言い出す始末です。某が阿波国南部の責任者となった際も皆はどうすれば良いか戸惑っていた程でしたので、過分な待遇だと感じているのでしょう」
「そ、そうか。元は地方の一領主だからな。家中はその感覚が抜け切っていない訳か。これまでの質素な生活を急に変えろと言ってもできはしない。銭を使おうにもどう使って良いか分からない。そんな所だろうな。それがあの私兵集団結成に繋がっていたかと思うと、ちょっと笑えてくるぞ。気負い過ぎじゃないのか?」
「某も含めてあるとは思いまする。そうだとしても、皆の気持ちを汲んでやって頂けないでしょうか? 我等が国虎様のお役に立てるのは戦働きです。そのためにも、足利 義栄様に入名字の打診をお願いします」
戦国時代は名門に取って代わって新興の家が勢力を大きくしている。この事実から、由緒正しい家柄など役に立たないと思いがちだ。だが現実は違う。例えば史実では、松平 家康が従五位下三河守への任官を認められるために、徳川 家康へと名を変えていた。
この事例から分かる通り、戦国時代はどんなに実力があろうとも名字一つで下に見られる。任官一つでこの有様である。それが他の場面にも様々に影響が出るのは自然とも言えた。要は民にもこの価値観が浸透しているので、国主と言えども名字一つで舐められるという話である。
そういった事情が入名字という制度と関わる。
この制度は簡単に言えば、公方が側近に取り立てる人物に一門衆の名字を与えて箔を付けるというものだ。扱いも足利一門衆と同じとなるために内外に舐められなくなる。有名な所では、細川 藤孝の曽祖父が入名字によって大原から細川へと名字を変えている。
「入名字と来たか。そう言えば義栄側近の畠山兄弟も祖父が入名字で畠山姓を名乗るようになったらしいな。ただ、あの制度は公方の側近登用へのものだぞ。まあ、側近云々は名義貸しでも良いだろうが、義栄は公方ではないから無理があるんじゃないか。……待てよ。元氏、いっそ斯波を名乗るか。入名字ではなく、養子入りになるがな」
「養子入りですか? それはどういった話でしょうか?」
「そうか。元氏は知らないか。今土佐には斯波 統雅殿と斯波 義虎殿が避難していてな。元々は親戚である義栄の大きくなった姿を見に土佐に遊びに来たんだが、土佐が気に入ってのんびりと滞在している間に尾張国で斯波武衛家当主含む一族が殺されて、戻るに戻れなくなっている」
「まさか、斯波武衛家のご当主がそのようになっていたとは……」
「当主の嫡男自体は織田弾正忠家が保護していると聞いている。ただ、保護されている身では一族を呼び寄せる訳にはいかないからな。かと言って、土佐にいる斯波殿達も何もせずに土佐に滞在し続けるのも気が引けるという話だ。要は身の振り方に困っている。最近はいっそ出家しようかという話もしているそうだ」
「では斯波様には薩摩にお出で頂き、新たに薩摩斯波家として分家を立てるという形でしょうか? その上で某が斯波様の養子になれば良いと」
「ああっ、元氏が了承してくれるならその話を斯波殿に勧めてみる。今のままだと斯波一族の生き残りがいたとしても、受け入れ先が無いからな。そういう意味でも元氏が了承してくれるとありがたい」
「承知しました。至急薩摩へと戻り、家臣達と話し合いを行います」
「次会う時は『斯波 元氏』になるのか。これで南九州の民が少しでも大人しくなってくれれば良いな。これからはお互い三管領の分家同士、仲良くしようぜ」
「何を仰いますか。例え斯波の名に変わろうと、某が国虎様の第一の家臣である事には変わりはありません。以後、九州はお任せくだされ」
南九州は長く近衛家の荘園であり、島津が治めてきた土地だ。余所者が我が物顔で入ってきたというだけでも気に食わないというのに、これまでとはまるで違う政を行うのだ。拒否反応が出るのも当然と言えば当然である。土佐で上手く行ったから、他の地でも上手く行く訳ではない。そんな単純な話を俺は忘れていた。
それにも関わらず、山田 元氏は試行錯誤をしながら何とかしようとしている。それを知り、改めて抜擢は正しかったと思い至る。これは今後が楽しみで仕方ない。上手くすれば九州に一大勢力を築く可能性すらあるのではないか。
来るべき三好宗家との戦いに、山田 元氏改め斯波 元氏の存在は欠かせぬものとなるだろう。
家臣の成長を間近に見るのは、とても心地良いものであった。
尼子 晴久の正室がその直前に亡くなり、弔問のために尼子 国久殿が月山富田城へと訪問しようとした所を襲撃されたそうだ。尼子 晴久の正室は尼子 国久殿の娘である。それが仇となった。
その同日には月山富田城の北にある新宮谷が襲われる。尼子 国久殿の嫡男である尼子 誠久も必死に抗戦したようだが、所詮は多勢に無勢。幹部含む精鋭が数多く討ち取られ、進退窮まった末に尼子 誠久は自害して果てた。壊滅と言っても差し支えない惨状である。
罪状は謀反だ。当然ながらでっち上げとなる。全員が黒を白と言えば白になるのと同じく、出雲尼子家中の主要家臣達が口を揃えて「新宮党に謀反の兆候あり」と大合唱すれば事実となるのがこの世の常。真実は闇の中へと埋もれる。
それにしても新宮谷の襲撃は随分と手際が良い。予め全てを取り決めていたかのように感じさせる鮮やかさだ。そこには新宮党内部からの手引きもあったのだろう。そう考えた方がしっくりとくる。
要は新宮党の備中国国境への派遣は、新宮党を一網打尽にする段取りを整えるためのものだったのだろう。遠州細川家が新宮党を討伐すれば良し、失敗しても出雲国内で仕留める。そんな二段構えの策だったと推察される。ここまで徹底していると、新宮党粛清に対する執念には並々ならぬものを感じさせた。
結果を知ると銀の使い損のように感じてしまうものの、それでも新宮党との戦は回避できたのだからと割り切った方が良い。渡した銀が尼子 国久殿親子の最後の晩餐に役立っていたなら安いものである。
とは言え、良い報せもある。
三男の尼子 敬久を保護したと、派遣していた鉢屋衆からの報告書に書かれていた。襲撃側が尼子 誠久の討伐を優先したため、居館が別であったのが幸いしたようだ。
まさに偶然の賜物としか言いようがない。幾ら居館が別であったとしても、襲撃者だらけの新宮谷ではそう簡単に逃げ切れるものではないからだ。よくぞ混乱の中尼子 敬久を発見し、保護できたものだと感心する。一歩間違えば、これ以上は逃げられないと自害していたと思われる。
そんな尼子 敬久は結構な傷を負っていたらしく、しばらくは追手の及ばない場所で治療に専念させるようだ。土佐にやって来るのは傷が癒えてからとなる。その間に鉢屋衆は、他の生き残りを捜索するという内容で報告書が締め括られていた。
「……想定以上の働きだな。これは」
欲を言えば今後の出雲尼子本隊との戦いを見据えて、尼子 国久殿を保護できていればというのはある。しかしそれは高望みというものだ。
それでも新宮党の現役幹部である尼子 敬久を保護した。これだけでも十分に大きい。間違いなく出雲尼子家に対する手札として使える。
後は当家に仕えてくれるかだな。
「本家新宮党、元祖新宮党、新宮党ゼット……うーん、どれもイマイチだな。無難に土佐新宮党辺りか。忠澄、新たな新宮党の名の案は無いか?」
「国虎様、一体何の話ですか?」
「いや、保護した尼子 敬久が当家に仕えてくれたなら、当家でも新宮党を作ろうと思ってな。忠澄も良い名を考えてくれ」
「……当家に仕官してくれるかすら分からないのにですか? そういうのは実際に隊を結成してからでも良いでしょう」
「そこを何とか」
「そんな暇があるなら、溜まった書類を一枚でも多く片付けてください」
「明日から頑張るよ」
「本日から始めてください!」
まだ仮定の話だとは分かっていても、当家に新宮党ができるかと思うと楽しみで仕方ない。
覆水盆に返らず。新宮党を粛清したのは失策だったと、尼子 晴久には後悔をさせてやろう。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
遠州細川家による中国地方への介入が本格化すると様々な影響が起きる。真っ先に反応するのが隣接国や幕府ではなく、身内だというのはよくある話だ。
それも薩摩国・大隅国の二カ国を預かる、一族の山田 元氏が突然俺を訪ねてきたなれば、一大事の臭いしかしないというもの。
両国の統治は樟脳の生産、製鉄、製塩といった新規事業が軌道に乗り、かなり上手く進んでいる。倭寇との密貿易も規模を小さくしながらも継続中であり、穀物の仲買いや土佐国や伊予国が買い入れるシラス土で安定的な収益を確保していた。既に黒字転換しているという。予想通りの成果であった。
このシラス土は土砂災害の元だという誤解を受けているが、実は違う。現代の鹿児島県で起こる土砂災害は、シラス土の表面を覆う土壌化した土が表面崩壊を起こすだけである。シラス土そのものは安定しており、雨に対しても強い。
そこから考えれば、シラス土は舗装材や盛り土として使うなら何の問題も無いというのが分かる。雨の多い土佐には適した素材であろう。気を付ける点と言えば、雨水の逃げ道をしっかりと考えた工事を行う位だ。これは緩い勾配を付けるなり、予め排水管を埋めるなりをしておけば問題とならない。
こうなれば南九州で厄介者扱いされていたシラス土は、外貨獲得の種となるだけではない。雇用にも寄与する存在へと変貌を遂げていた。
山田 元氏の成果は産業育成だけではない。周辺の離島への侵攻もしっかりと行っており、既に統治下に組み込んでいる。特に硫黄や珪石が産出される硫黄島や、鉄の製造と鍛冶が盛んな種子島の併呑は大きな収穫であった。但し、種子島は島民の約七割が日蓮宗という宗教島であるために、領主の種子島家を臣従させて間接統治に留めているという。
日蓮宗は天文法華の乱以来、堺と関係が深い。ここで日蓮宗を刺激すれば、結託して当家の敵に回る恐れがある。こうした事情を鑑み、干渉を最小限としたのだそうだ。
ここまで順調だと次の一手は一つしかない。外征となる。当家の中国地方介入を切っ掛けとして、「この波に乗り遅れてはならない」と鼻息が荒くなるのは土佐の血のなせる業か。利益を領国に投資をして発展させようという考えが微塵も起こらないのが、少々残念ではある。
しかしながら、ここで問題が起こる。ここまで薩摩国・大隅国を発展させて最低限ながらも民を食えるようにしたというのに、未だに反抗的な村が多いという話であった。端的に言えば、領国の約五割で税の滞納が起きているという。
「えっ、この税の滞納は南九州地方の伝統なのかよ。恐ろしい所だな」
「いえ、全ての地域という訳ではないのです。薩摩国・大隅国は貧しい村が多く、無い袖は振れないという話でして……」
「ちょっと待て。土佐から持ち込んだサツマイモの栽培はどうなっているんだ? サツマイモがあれば、最低限飢えに苦しむというのは無い筈だぞ。全額とは言わないまでも、少しなら納められるだろう」
「それが、サツマイモや大豆の栽培、養蚕を拒否する村が滞納をするのです」
「あっ、あー、なるほど。余所者扱いされている訳か。お前等の指図は受けないと。それで貧困に苦しんでいるのだから、救いようがないな。逆に栽培を受け入れる村や製鉄等の事業に人を出す村はきちんと税を納めると。大変だな、元氏。それでどんな対策をしているんだ」
「はっ。ここは心を鬼にして、反抗的な村は順に長を処罰しておりまする。それと併せて協力的な村からは、読み書きのできる者を少しずつ家中に登用しておりまする」
加えて、南九州では曹洞宗の僧が薩摩山田家の統治に協力をしてくれているのも大きい。文官としての出向は勿論の事、望む者への読み書きの指導や薩摩山田家と村とを結ぶ仲介役まで買ってくれているそうだ。これも全ては目に見える形で薩摩国・大隅国が発展しているのがその理由となる。それが巡り巡って、結果的に自分達の利益となると分かっているのは明白であった。
「上出来だ。時は必要になるが、それが確実だな。反抗的な村を一斉に処罰すれば収拾が付かなくなる。かと言って処罰もせずに放置するのは地域が荒れる元となる。真っ先に被害を受けるのは末端の民だからな。それを忘れないようにしてくれよ。ん? ちょっと待て。これで何が問題なんだ? 順調に進んでいるようにしか聞こえないが」
「それが……」
ここからが俺を訪ねてきた本題となる。薩摩山田家に反抗的な村が多いのは、余所者だからというだけではなく、家名自体に問題があると山田 元氏は考えていた。もし余所者だけが反抗的な理由であれば、事業全般の責任者である島津 源七郎の薩州島津家という看板が何ら役に立っていないとなる。統治の安定のために無理矢理養子にねじ込んだのが無駄となった形だ。
「元氏、それは薩摩山田家自体の家格の問題だと言いたい訳か?」
「やはり一番は、四国とは違って九州の地に細川の名が馴染んでいないのが原因かと愚考します」
「そうか。薩摩山田家は細川分家の一族だからな。元々の家格が低いから、島津の名を利用しても補い切れないという訳か。それでどうしたいんだ?」
「はっ。ここは割り切って名字を変えようかと考えております。このままでは領国が危う過ぎて外征ができる目処が立ちませぬ」
「確かに九州は薩摩山田家と総州畠山家に任せてはいるが、そう焦る必要はないだろうに。今のやり方を地道に続けていけば、いずれ民も完全に服従すると思うぞ。それに俺としては、元氏には北よりも南の琉球に目を向けてもらいたいと考えている」
「お言葉を返すようですが国虎様、今のままでは来るべき畿内での三好との決戦に薩摩山田家が参戦できない事態が発生しかねません。また仮に参戦できたとしても、将兵の練度が低いために国虎様のお役に立てぬやもしれぬのです」
「そこまで考えていてくれたのか。俺の考えが浅はかだったよ。てっきり中国地方での争いを知って、自分達も活躍したいと血気に逸っていたものだと思っていた。許してくれ」
「いえ、国虎様の見立ても間違ってはおりませぬ。その先を見据えているからこそ、焦りが出ているというのがあります」
「となると、家中では元氏が山田の名を捨てて、新たな名字になるのは承認されている訳か」
「はっ。既に叔父が薩摩山田家を継ぐ段取りは終えております。と言うより薩摩山田家の現在の地位が居心地悪いらしく、某に名を変えてくれと逆に叔父から頼まれました。家中も今では持て余す程の俸禄を手にするようになり、領地は分不相応で必要無いとまで言い出す始末です。某が阿波国南部の責任者となった際も皆はどうすれば良いか戸惑っていた程でしたので、過分な待遇だと感じているのでしょう」
「そ、そうか。元は地方の一領主だからな。家中はその感覚が抜け切っていない訳か。これまでの質素な生活を急に変えろと言ってもできはしない。銭を使おうにもどう使って良いか分からない。そんな所だろうな。それがあの私兵集団結成に繋がっていたかと思うと、ちょっと笑えてくるぞ。気負い過ぎじゃないのか?」
「某も含めてあるとは思いまする。そうだとしても、皆の気持ちを汲んでやって頂けないでしょうか? 我等が国虎様のお役に立てるのは戦働きです。そのためにも、足利 義栄様に入名字の打診をお願いします」
戦国時代は名門に取って代わって新興の家が勢力を大きくしている。この事実から、由緒正しい家柄など役に立たないと思いがちだ。だが現実は違う。例えば史実では、松平 家康が従五位下三河守への任官を認められるために、徳川 家康へと名を変えていた。
この事例から分かる通り、戦国時代はどんなに実力があろうとも名字一つで下に見られる。任官一つでこの有様である。それが他の場面にも様々に影響が出るのは自然とも言えた。要は民にもこの価値観が浸透しているので、国主と言えども名字一つで舐められるという話である。
そういった事情が入名字という制度と関わる。
この制度は簡単に言えば、公方が側近に取り立てる人物に一門衆の名字を与えて箔を付けるというものだ。扱いも足利一門衆と同じとなるために内外に舐められなくなる。有名な所では、細川 藤孝の曽祖父が入名字によって大原から細川へと名字を変えている。
「入名字と来たか。そう言えば義栄側近の畠山兄弟も祖父が入名字で畠山姓を名乗るようになったらしいな。ただ、あの制度は公方の側近登用へのものだぞ。まあ、側近云々は名義貸しでも良いだろうが、義栄は公方ではないから無理があるんじゃないか。……待てよ。元氏、いっそ斯波を名乗るか。入名字ではなく、養子入りになるがな」
「養子入りですか? それはどういった話でしょうか?」
「そうか。元氏は知らないか。今土佐には斯波 統雅殿と斯波 義虎殿が避難していてな。元々は親戚である義栄の大きくなった姿を見に土佐に遊びに来たんだが、土佐が気に入ってのんびりと滞在している間に尾張国で斯波武衛家当主含む一族が殺されて、戻るに戻れなくなっている」
「まさか、斯波武衛家のご当主がそのようになっていたとは……」
「当主の嫡男自体は織田弾正忠家が保護していると聞いている。ただ、保護されている身では一族を呼び寄せる訳にはいかないからな。かと言って、土佐にいる斯波殿達も何もせずに土佐に滞在し続けるのも気が引けるという話だ。要は身の振り方に困っている。最近はいっそ出家しようかという話もしているそうだ」
「では斯波様には薩摩にお出で頂き、新たに薩摩斯波家として分家を立てるという形でしょうか? その上で某が斯波様の養子になれば良いと」
「ああっ、元氏が了承してくれるならその話を斯波殿に勧めてみる。今のままだと斯波一族の生き残りがいたとしても、受け入れ先が無いからな。そういう意味でも元氏が了承してくれるとありがたい」
「承知しました。至急薩摩へと戻り、家臣達と話し合いを行います」
「次会う時は『斯波 元氏』になるのか。これで南九州の民が少しでも大人しくなってくれれば良いな。これからはお互い三管領の分家同士、仲良くしようぜ」
「何を仰いますか。例え斯波の名に変わろうと、某が国虎様の第一の家臣である事には変わりはありません。以後、九州はお任せくだされ」
南九州は長く近衛家の荘園であり、島津が治めてきた土地だ。余所者が我が物顔で入ってきたというだけでも気に食わないというのに、これまでとはまるで違う政を行うのだ。拒否反応が出るのも当然と言えば当然である。土佐で上手く行ったから、他の地でも上手く行く訳ではない。そんな単純な話を俺は忘れていた。
それにも関わらず、山田 元氏は試行錯誤をしながら何とかしようとしている。それを知り、改めて抜擢は正しかったと思い至る。これは今後が楽しみで仕方ない。上手くすれば九州に一大勢力を築く可能性すらあるのではないか。
来るべき三好宗家との戦いに、山田 元氏改め斯波 元氏の存在は欠かせぬものとなるだろう。
家臣の成長を間近に見るのは、とても心地良いものであった。
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