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七章 鞆の浦幕府の誕生
山が動く
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八月に入った辺りから陶軍の攻撃は激しくなる。これまでは一日に一度か二度程度の緩慢なものだったのが、突然尻に火が点いたかのように何度も押し寄せるようになった。倒してもも追い返してもまたやって来る。これぞ数の暴力と言うべきか。何の学習も無い無策の侵攻も、それが度重なればいずれは守りは決壊する。こういった単純さほど、小手先の策では覆せないというのが戦の難しさと言えよう。
それに伴い皆の疲労は蓄積されていき、体が思うように動かなくなる者も増えてくる。そうなれば自然と敵兵の討ち漏らしも増え、より深くまで侵入を許す機会も増えていった。
事実、俺自身の身が危うい場面も幾度か起こる。逆茂木を壊され、囲いをすり抜けられ、その表情までもがはっきりと分かる距離まで敵兵が迫る。それでも命を保ち続けられているのは、全ては皆の踏ん張りによるものだった。息を切らしながらも迷いなく敵兵に体当たりを行い、泥塗れとなって突撃を止める場面を何度見た事か。
こうした皆の体を張った奮戦の結果によって、虎の子である水平二連種子島の隊が無傷だったのが、隊を崩壊させずに済んだ理由と言って良い。それ以外では純粋な死者こそまだ多くないものの、大なり小なりの傷を負って満身創痍となっているのが実情である。ドミノ倒しのようにバタバタと倒れ、戦闘不能となる日がいつやって来てもおかしくはない。
意外だったのは、雨の日における陶軍の攻撃である。種子島銃の特性を知っていれば、火薬が湿気てしまう雨の日こそ猛攻があるものだと思ったいた。だが、現実にはそうならない。むしろ雨の日は体を休められる日であった。
理由は街道の状態の悪さに尽きる。要するに雨の日は道がぬかるんで、進軍がおぼつかずにこちらの攻撃の良い的になってしまうという運の悪さだ。戦場が山道ならではの事情である。
勢い込んで雪崩れ込んだ敵兵達が一斉に足を滑らせて転倒する。緊張感漂う戦場でこのようなコントを見せられるとは思ってもみなかった。
「こちらも辛いが敵さんはもっと辛い。この猛攻を耐え忍べば必ず活路は見える。ここが踏ん張り所だ。絶対に守り切るぞ!」
カラ元気も元気の内。大声を張り上げるだけなら安いものだ。兎に角こういった場面で俺が黙ってしまうと皆の士気に関わる。それを肝に銘じて絶対に弱気な姿を見せない。今の俺にできる事はただそれだけであった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「大新宮がやらねば誰がやる! 突撃ぃ!!」
俺の言葉は現実へと変わる。いつ終わるともない陶軍の猛攻を跳ね除けるべく、頼もしい味方が援軍としてやって来た。
援軍は尼子 敬久率いる大新宮。その数一二〇〇。基礎訓練を途中で切り上げ、急遽安芸国の山里地域に派遣されてきた。勿論俺からは援軍の申請は行っていない。全ては土佐にいる裏方の安国寺 恵瓊が独断で行ったという話である。
党首の尼子 敬久から受け取った書状には、「別途酒が必要との連絡に何か不測の事態が起こったと考え、此度の遠征で役目に就いていない予備の隊を念のための後詰として送ります。拙僧の独断で行った手配ですので、全ての咎は拙僧が負います」という素っ気ない内容が書かれていた。
安国寺 恵瓊は以前より切れ者だと思っていたが、まさか訓練途中の大新宮を当たり前のように援軍に使うとは。恐れ入ると言うしかない。
現状土佐国や阿波国に残っている兵達には、守りを固めるという立派な役目がある。阿波国のすぐ側には三好の大要塞 淡路国が居座っているのだ。これを無視して援軍を派遣するなど、本来はあり得ない。今回の遠征で援軍を求めるとするなら、兵を出していない讃岐国に依頼する以外は考えられないだろう。
だがそれでは、時間が掛かり過ぎる。事前に讃岐国を治める畑山 長秀に話を通していないのだから、「援軍をお願いします」「はい。分かりました」という都合の良い流れはまず無理だ。例え常備兵制度を採用しているとしても、畑山 長秀なりの都合があるというもの。
なら素早く兵を送るにはどうすれば良いか? そうなった時目を付けたのが、大新宮となる。訓練途中という点に目を瞑れば、派遣先も役割も決まっていないこんな都合の良い部隊は他には無いと考えたのだろう。無茶も良い所だが、お陰で助かった。
しかも大新宮は実験部隊である。当家では新兵の訓練に三年という期間を設定しているというのに、基礎訓練を半年と設定したのには訳があった。
それは単純な動作の反復練習である。素人に多くを要求しても、混乱するだけで何も身に付かないという考えからこれを選択した。
具体的にはトンボの構えから太刀を勢い良く振り下ろす。一撃で敵をねじ伏せるというものだ。走り込んで目標の前でそれを行う。その後は滅多打ちにする。疑似的な薬丸自顕流である。
「おお、スゲー。強い。あっさりと陶軍を蹴散らしているじゃねぇか。けど纏まりがねー。団子になって突っ込んでいるだけだな」
真面目に剣術を学べばどれ程時間があっても足りはしない。まさに一点突破のこの技は、実験部隊に相応しいと言える。
一騎打ちならまだしも、乱戦の中で華麗な剣技を披露する機会はそうそう訪れない。それよりも必要なのは、敵に負けないという強い気持ちと一歩前に出る勇気だ。そのために必要なのは、これさえ当てれば確実に敵を倒せるという自信である。戦場では上手く立ち回ろうとする者から死んでいき、逆に前に出る気持ちが生を手繰り寄せる。
とは言え組織的な動きができず、手持無沙汰となる者が出るのは御愛嬌というもの。訓練途中の実験部隊に多くは望めない。
それでも一撃の下に敵を昏倒させるこの破壊力によって、流れはこちら側へと引き寄せられた。敵の最前列を滅多打ちにした途端、敵後続部隊の動きがぴたりと止まる。
不揃いな動きで大新宮が少しずつ前へ前へと進んで行けば、陶軍はじりじりと後退する。やがてその雰囲気に耐えられなくなった者から無謀な突撃を行い、あっさりと撃沈。それを合図として敵兵は、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
ここからは狩りの時間がやって来る。
『大新宮がある限り、この世に悪の栄えた試しなし!』
敵を打ち払った後、そこかしこで勝鬨の声が上がる。そんな中、聞こえてくる大新宮の決め台詞に苦笑していたのは俺だけであろうか。こんな口上、一体誰が考えたんだと。
これが大新宮の初陣だというのだから、世の中というのは良く分からない。
まあ、格好良いから良しとしよう。
それから日々はこれまでの劣勢が嘘ではないかと思う程、常にこちら側有利で推移する。勿論それは、大新宮が八面六臂の活躍をしたからという訳ではない。これまでギリギリでやり繰りしていた所に余裕ができ、きちんと皆が休息を取れるようになったというだけである。
実力そのものはこちらの方が上だ。後れを取っていたのは、敵の波状攻撃で体力を奪われ、動きが鈍くなっていたためである。言わば士気の低下によるものだ。そんな状態では正常な判断もできず、戦いは常に後手へと回る。俺の近くまで侵入を許したのも、全ては疲れが原因だったと言って良い。
お陰でほぼ野戦病院化していた後方でも良い傾向が現れる。運び込まれる怪我人が目に見えて減っていた。それに伴って怪我人への対処が素早く行われるようになり、重症化して助からない将兵を殺す頻度が一気に低下する。戦場の常とは言え、折角助かった命を味方が奪う現場というのは見るに堪えない。
こういった時、まだ痛みに耐えきれずに介錯を求められるのはマシな方だ。最悪なのは、泣き叫ぶ兵を取り押さえて喉を一突きする場面だ。せめて死ぬ前に家族に会いたいという懇願を無視して止めを刺す。そんな時ほど手元が狂い、余計に血が流れる場面を何度見た事か。断末魔の叫びが辺り一帯に広がり事切れる。地面をどす黒い血が染め、物言わぬ肉塊となる。
華々しい栄誉の影には、こうした不幸が山となって積み上がっているのが現実であった。
また、状況が好転したとなれば、大新宮に対する皆の評価も目に見えて変わっていく。
大新宮は設立自体が問題となっただけではなく、実は一点突破の育成方針にも多くの家臣から苦言を呈されていた。こんなものは剣術でも何でもない。単なるまやかしだという考えである。
基礎を疎かにする姿勢は、真面目に剣術を学んでいる者にとって認められないものだ。当家は指南役の柳生 重巌に指導を長年受けている者が多い。そうなれば大新宮のやり方がお遊戯に見えてしまうのだろう。その気持ちは分かる。
けれどもこうして目の前で結果を見せられれば、最早否定はできない。その実力を認めざるを得なくなる。まだまだ足りない点は多いにしろ、大新宮の活躍によって俺達は戦線の崩壊を免れた。
それにより、山里地域の戦いに参加している者限定ではあるものの、尼子 敬久達との交流も進んでいく。中にはトンボの構えを教わり、見よう見真似で同じ動作をする者まで現れる程であった。
「良かったな。最初はどうなるかと心配だったが、ようやく実力が認められたんじゃないのか。この戦が終わった後は、しばらく中国地方での任務となる。大戦に参加できないからとクサるなよ。修行と思って、もう一段上の実力を身に着けてくれ。本番の対出雲尼子戦での活躍を楽しみにしているぞ」
「はっ。この清水 宗知、国虎様の期待に応えられるよう精一杯励みまする」
「そうかしこまるな。楽にしてくれ。あっ、そうそう。この戦が終われば、宗知専用に大太刀を作る予定だ。宗知が大新宮の顔になるのを楽しみにしているからな」
いつの時代も人の評価というのは、些細な切っ掛けで簡単に変わる。
皆が大新宮と交流を持つようになると、備中から出向してきた清水 宗知は一躍人気者となっていた。
元々が武芸に優れていたためか、大新宮では常に先頭を走る。この姿が強く印象に残ったのだろう。
それにしても、よくぞこの偽薬丸自顕流の鍛錬を受け入れたものだと感心する。武芸者気質のある者なら、通常なら自身の流派に拘るものだ。海の物とも山の物ともつかない、こんな馬鹿げた鍛錬は拒否されるのが関の山である。
まさに郷に入っては郷に従えの言葉通りの行動であった。元々が武者修行を目的として土佐にやって来たという初心を忘れなかったのが幸いしたとも言える。
百戦錬磨の当家の武闘派連中に完膚なきまでに叩きのめされ、自らの未熟さを知る。だが大口を叩いて土佐に来た手前、故郷にすごすごと戻る訳にもいかない。逃げてしまえば、実家の備中清水家が笑いものとなるだけではなく、出来の良い弟に対して一生引け目を感じてしまう。そんなもどかしい思いがあったのだろう。
清水 宗知の大新宮への誘いは、新たな活路を見出す切っ掛けになったと思いたい。
大新宮は寄せ集めの集団である。それでも半年にも満たない期間の鍛錬である程度の形に仕上がったのは、清水 宗知のように事情を抱えた者が多く集まったからだと考える。
党首の尼子 敬久自体がそうだ。新宮党の名を継承した新たな部隊で無様な姿を晒す訳にはいかない。出雲国でぬくぬくと新宮党の党首に収まっている甥の尼子 氏久に目に物見せる必要がある。他にも家族のため、没落した家を再興させるためと、大新宮に人生の逆転を託して参加した者ばかりが集まっているという。
寄せ集めであろうとその覚悟が違う訳だ。きっと日々の鍛錬もかなり真面目に取り組んでいたに違いない。そうでなければ、安国寺 恵瓊が派遣しても問題無いと判断しない筈だ。
瓢箪から駒というのはこういう事を言うのだろう。
なお、大新宮はあくまでも偶然の産物であり、他の部隊が劣っているという訳ではない。他の部隊は集団での運用を第一としているために、初期は基礎体力作りや団体行動の鍛錬を主としているだけである。そのため大新宮は整然とした部隊移動など絶対にできない上、仲間内での喧嘩が絶えない。顔がパンパンに腫れた状態で敵兵に突っ込んでいる姿を俺は何度も見ている。この辺も御愛嬌というもの。
こうして大新宮という心強い援軍によって余裕のある戦いができるようになると、またも陶軍の活動が徐々に緩慢になっていく。そうなれば、温存していた馬路党が夜襲朝駆けと水を得た魚のように派手に暴れ出し、更に日々の撃退が楽になる。
本当、隊長の馬路 長正はここまでよく耐えてくれたものだ。陶軍の攻勢が激しい時期には毎日のように夜襲の提案がされ、その都度「今はその時ではない。耐えてくれ」と言って悔しい思いをさせていたのが懐かしく感じてしまう。
夜襲で戦局は変わらない。無謀な夜襲はただ命を縮めるだけの行為だ。そうである以上、俺は絶対に馬路 長正の提案を聞き入れる訳にはいかなかった。
ともあれ陶の軍の士気の低下と馬路党の活躍により、山里地域の戦いは膠着状態へと移行する。始めは一日置きに、その次には二、三日を置いて思い出したかのように進軍を行うという、動きに変化が見られるようになった。
この時点で陶軍に厭戦気分が蔓延しているのは間違いない。また重臣の江良 房栄を誅殺した手前、陶 晴賢は撤退や和睦という選択をできない状況にある。なら、他所に目を向けるには頃合いと言えよう。厳島での決戦の日は近い。
そう俺が確信していた九月半ば、ついに待っていた報せが訪れる。
「申し上げます! 陶軍が部隊を二つに割り、約半数が南下し始めました!!」
ようやく、ようやくだ。山が動いた。
それに伴い皆の疲労は蓄積されていき、体が思うように動かなくなる者も増えてくる。そうなれば自然と敵兵の討ち漏らしも増え、より深くまで侵入を許す機会も増えていった。
事実、俺自身の身が危うい場面も幾度か起こる。逆茂木を壊され、囲いをすり抜けられ、その表情までもがはっきりと分かる距離まで敵兵が迫る。それでも命を保ち続けられているのは、全ては皆の踏ん張りによるものだった。息を切らしながらも迷いなく敵兵に体当たりを行い、泥塗れとなって突撃を止める場面を何度見た事か。
こうした皆の体を張った奮戦の結果によって、虎の子である水平二連種子島の隊が無傷だったのが、隊を崩壊させずに済んだ理由と言って良い。それ以外では純粋な死者こそまだ多くないものの、大なり小なりの傷を負って満身創痍となっているのが実情である。ドミノ倒しのようにバタバタと倒れ、戦闘不能となる日がいつやって来てもおかしくはない。
意外だったのは、雨の日における陶軍の攻撃である。種子島銃の特性を知っていれば、火薬が湿気てしまう雨の日こそ猛攻があるものだと思ったいた。だが、現実にはそうならない。むしろ雨の日は体を休められる日であった。
理由は街道の状態の悪さに尽きる。要するに雨の日は道がぬかるんで、進軍がおぼつかずにこちらの攻撃の良い的になってしまうという運の悪さだ。戦場が山道ならではの事情である。
勢い込んで雪崩れ込んだ敵兵達が一斉に足を滑らせて転倒する。緊張感漂う戦場でこのようなコントを見せられるとは思ってもみなかった。
「こちらも辛いが敵さんはもっと辛い。この猛攻を耐え忍べば必ず活路は見える。ここが踏ん張り所だ。絶対に守り切るぞ!」
カラ元気も元気の内。大声を張り上げるだけなら安いものだ。兎に角こういった場面で俺が黙ってしまうと皆の士気に関わる。それを肝に銘じて絶対に弱気な姿を見せない。今の俺にできる事はただそれだけであった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「大新宮がやらねば誰がやる! 突撃ぃ!!」
俺の言葉は現実へと変わる。いつ終わるともない陶軍の猛攻を跳ね除けるべく、頼もしい味方が援軍としてやって来た。
援軍は尼子 敬久率いる大新宮。その数一二〇〇。基礎訓練を途中で切り上げ、急遽安芸国の山里地域に派遣されてきた。勿論俺からは援軍の申請は行っていない。全ては土佐にいる裏方の安国寺 恵瓊が独断で行ったという話である。
党首の尼子 敬久から受け取った書状には、「別途酒が必要との連絡に何か不測の事態が起こったと考え、此度の遠征で役目に就いていない予備の隊を念のための後詰として送ります。拙僧の独断で行った手配ですので、全ての咎は拙僧が負います」という素っ気ない内容が書かれていた。
安国寺 恵瓊は以前より切れ者だと思っていたが、まさか訓練途中の大新宮を当たり前のように援軍に使うとは。恐れ入ると言うしかない。
現状土佐国や阿波国に残っている兵達には、守りを固めるという立派な役目がある。阿波国のすぐ側には三好の大要塞 淡路国が居座っているのだ。これを無視して援軍を派遣するなど、本来はあり得ない。今回の遠征で援軍を求めるとするなら、兵を出していない讃岐国に依頼する以外は考えられないだろう。
だがそれでは、時間が掛かり過ぎる。事前に讃岐国を治める畑山 長秀に話を通していないのだから、「援軍をお願いします」「はい。分かりました」という都合の良い流れはまず無理だ。例え常備兵制度を採用しているとしても、畑山 長秀なりの都合があるというもの。
なら素早く兵を送るにはどうすれば良いか? そうなった時目を付けたのが、大新宮となる。訓練途中という点に目を瞑れば、派遣先も役割も決まっていないこんな都合の良い部隊は他には無いと考えたのだろう。無茶も良い所だが、お陰で助かった。
しかも大新宮は実験部隊である。当家では新兵の訓練に三年という期間を設定しているというのに、基礎訓練を半年と設定したのには訳があった。
それは単純な動作の反復練習である。素人に多くを要求しても、混乱するだけで何も身に付かないという考えからこれを選択した。
具体的にはトンボの構えから太刀を勢い良く振り下ろす。一撃で敵をねじ伏せるというものだ。走り込んで目標の前でそれを行う。その後は滅多打ちにする。疑似的な薬丸自顕流である。
「おお、スゲー。強い。あっさりと陶軍を蹴散らしているじゃねぇか。けど纏まりがねー。団子になって突っ込んでいるだけだな」
真面目に剣術を学べばどれ程時間があっても足りはしない。まさに一点突破のこの技は、実験部隊に相応しいと言える。
一騎打ちならまだしも、乱戦の中で華麗な剣技を披露する機会はそうそう訪れない。それよりも必要なのは、敵に負けないという強い気持ちと一歩前に出る勇気だ。そのために必要なのは、これさえ当てれば確実に敵を倒せるという自信である。戦場では上手く立ち回ろうとする者から死んでいき、逆に前に出る気持ちが生を手繰り寄せる。
とは言え組織的な動きができず、手持無沙汰となる者が出るのは御愛嬌というもの。訓練途中の実験部隊に多くは望めない。
それでも一撃の下に敵を昏倒させるこの破壊力によって、流れはこちら側へと引き寄せられた。敵の最前列を滅多打ちにした途端、敵後続部隊の動きがぴたりと止まる。
不揃いな動きで大新宮が少しずつ前へ前へと進んで行けば、陶軍はじりじりと後退する。やがてその雰囲気に耐えられなくなった者から無謀な突撃を行い、あっさりと撃沈。それを合図として敵兵は、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
ここからは狩りの時間がやって来る。
『大新宮がある限り、この世に悪の栄えた試しなし!』
敵を打ち払った後、そこかしこで勝鬨の声が上がる。そんな中、聞こえてくる大新宮の決め台詞に苦笑していたのは俺だけであろうか。こんな口上、一体誰が考えたんだと。
これが大新宮の初陣だというのだから、世の中というのは良く分からない。
まあ、格好良いから良しとしよう。
それから日々はこれまでの劣勢が嘘ではないかと思う程、常にこちら側有利で推移する。勿論それは、大新宮が八面六臂の活躍をしたからという訳ではない。これまでギリギリでやり繰りしていた所に余裕ができ、きちんと皆が休息を取れるようになったというだけである。
実力そのものはこちらの方が上だ。後れを取っていたのは、敵の波状攻撃で体力を奪われ、動きが鈍くなっていたためである。言わば士気の低下によるものだ。そんな状態では正常な判断もできず、戦いは常に後手へと回る。俺の近くまで侵入を許したのも、全ては疲れが原因だったと言って良い。
お陰でほぼ野戦病院化していた後方でも良い傾向が現れる。運び込まれる怪我人が目に見えて減っていた。それに伴って怪我人への対処が素早く行われるようになり、重症化して助からない将兵を殺す頻度が一気に低下する。戦場の常とは言え、折角助かった命を味方が奪う現場というのは見るに堪えない。
こういった時、まだ痛みに耐えきれずに介錯を求められるのはマシな方だ。最悪なのは、泣き叫ぶ兵を取り押さえて喉を一突きする場面だ。せめて死ぬ前に家族に会いたいという懇願を無視して止めを刺す。そんな時ほど手元が狂い、余計に血が流れる場面を何度見た事か。断末魔の叫びが辺り一帯に広がり事切れる。地面をどす黒い血が染め、物言わぬ肉塊となる。
華々しい栄誉の影には、こうした不幸が山となって積み上がっているのが現実であった。
また、状況が好転したとなれば、大新宮に対する皆の評価も目に見えて変わっていく。
大新宮は設立自体が問題となっただけではなく、実は一点突破の育成方針にも多くの家臣から苦言を呈されていた。こんなものは剣術でも何でもない。単なるまやかしだという考えである。
基礎を疎かにする姿勢は、真面目に剣術を学んでいる者にとって認められないものだ。当家は指南役の柳生 重巌に指導を長年受けている者が多い。そうなれば大新宮のやり方がお遊戯に見えてしまうのだろう。その気持ちは分かる。
けれどもこうして目の前で結果を見せられれば、最早否定はできない。その実力を認めざるを得なくなる。まだまだ足りない点は多いにしろ、大新宮の活躍によって俺達は戦線の崩壊を免れた。
それにより、山里地域の戦いに参加している者限定ではあるものの、尼子 敬久達との交流も進んでいく。中にはトンボの構えを教わり、見よう見真似で同じ動作をする者まで現れる程であった。
「良かったな。最初はどうなるかと心配だったが、ようやく実力が認められたんじゃないのか。この戦が終わった後は、しばらく中国地方での任務となる。大戦に参加できないからとクサるなよ。修行と思って、もう一段上の実力を身に着けてくれ。本番の対出雲尼子戦での活躍を楽しみにしているぞ」
「はっ。この清水 宗知、国虎様の期待に応えられるよう精一杯励みまする」
「そうかしこまるな。楽にしてくれ。あっ、そうそう。この戦が終われば、宗知専用に大太刀を作る予定だ。宗知が大新宮の顔になるのを楽しみにしているからな」
いつの時代も人の評価というのは、些細な切っ掛けで簡単に変わる。
皆が大新宮と交流を持つようになると、備中から出向してきた清水 宗知は一躍人気者となっていた。
元々が武芸に優れていたためか、大新宮では常に先頭を走る。この姿が強く印象に残ったのだろう。
それにしても、よくぞこの偽薬丸自顕流の鍛錬を受け入れたものだと感心する。武芸者気質のある者なら、通常なら自身の流派に拘るものだ。海の物とも山の物ともつかない、こんな馬鹿げた鍛錬は拒否されるのが関の山である。
まさに郷に入っては郷に従えの言葉通りの行動であった。元々が武者修行を目的として土佐にやって来たという初心を忘れなかったのが幸いしたとも言える。
百戦錬磨の当家の武闘派連中に完膚なきまでに叩きのめされ、自らの未熟さを知る。だが大口を叩いて土佐に来た手前、故郷にすごすごと戻る訳にもいかない。逃げてしまえば、実家の備中清水家が笑いものとなるだけではなく、出来の良い弟に対して一生引け目を感じてしまう。そんなもどかしい思いがあったのだろう。
清水 宗知の大新宮への誘いは、新たな活路を見出す切っ掛けになったと思いたい。
大新宮は寄せ集めの集団である。それでも半年にも満たない期間の鍛錬である程度の形に仕上がったのは、清水 宗知のように事情を抱えた者が多く集まったからだと考える。
党首の尼子 敬久自体がそうだ。新宮党の名を継承した新たな部隊で無様な姿を晒す訳にはいかない。出雲国でぬくぬくと新宮党の党首に収まっている甥の尼子 氏久に目に物見せる必要がある。他にも家族のため、没落した家を再興させるためと、大新宮に人生の逆転を託して参加した者ばかりが集まっているという。
寄せ集めであろうとその覚悟が違う訳だ。きっと日々の鍛錬もかなり真面目に取り組んでいたに違いない。そうでなければ、安国寺 恵瓊が派遣しても問題無いと判断しない筈だ。
瓢箪から駒というのはこういう事を言うのだろう。
なお、大新宮はあくまでも偶然の産物であり、他の部隊が劣っているという訳ではない。他の部隊は集団での運用を第一としているために、初期は基礎体力作りや団体行動の鍛錬を主としているだけである。そのため大新宮は整然とした部隊移動など絶対にできない上、仲間内での喧嘩が絶えない。顔がパンパンに腫れた状態で敵兵に突っ込んでいる姿を俺は何度も見ている。この辺も御愛嬌というもの。
こうして大新宮という心強い援軍によって余裕のある戦いができるようになると、またも陶軍の活動が徐々に緩慢になっていく。そうなれば、温存していた馬路党が夜襲朝駆けと水を得た魚のように派手に暴れ出し、更に日々の撃退が楽になる。
本当、隊長の馬路 長正はここまでよく耐えてくれたものだ。陶軍の攻勢が激しい時期には毎日のように夜襲の提案がされ、その都度「今はその時ではない。耐えてくれ」と言って悔しい思いをさせていたのが懐かしく感じてしまう。
夜襲で戦局は変わらない。無謀な夜襲はただ命を縮めるだけの行為だ。そうである以上、俺は絶対に馬路 長正の提案を聞き入れる訳にはいかなかった。
ともあれ陶の軍の士気の低下と馬路党の活躍により、山里地域の戦いは膠着状態へと移行する。始めは一日置きに、その次には二、三日を置いて思い出したかのように進軍を行うという、動きに変化が見られるようになった。
この時点で陶軍に厭戦気分が蔓延しているのは間違いない。また重臣の江良 房栄を誅殺した手前、陶 晴賢は撤退や和睦という選択をできない状況にある。なら、他所に目を向けるには頃合いと言えよう。厳島での決戦の日は近い。
そう俺が確信していた九月半ば、ついに待っていた報せが訪れる。
「申し上げます! 陶軍が部隊を二つに割り、約半数が南下し始めました!!」
ようやく、ようやくだ。山が動いた。
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四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
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