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八章 王二人
一条 兼定の覚悟
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現在の当家は来年の豊後大友家討伐に向けて準備が着々と進んでいる。九州も残す所は二国のみ。これで背後を気にする必要もなくなる。三好との争いに全力を出せる日も近い。
ただ、この大事な時期に狙いすましたかのように、厄介事が持ち込まれるのが当家らしい所だ。
それは豊後大友家との和睦交渉ではない。豊後大友家は、前公方 足利 義晴の時代から室町幕府と深い繋がりを持っているため、最早相容れない存在だ。今更交渉の席を設けはしない。当主 大友 義鎮には、今年就任した九州探題を花道としてこの世から退場してもらうつもりである。
当然ながら朝敵に認定される事態は絶対に起こり得ない。当家は今年、正親町天皇が即位の礼を挙げられるようにと五〇〇〇貫の献金をしたばかりである。二枚舌外交が得意な朝廷なら、例え近衛 稙家に何を言われようとも金づると敵対しようとは思わないだろう。
ましてや現在は摂関家の一条 内基を保護しているのだ。これにより、疑似的な摂関家同士の対立構造も作り上げているとも言えるだろう。一条 内基の存在が朝廷を日和見にさせる。義栄派と義輝派のどちらにも朝廷は肩入れできなくなった。
問題があるとすれば、当の一条 内基が自身の重要性を認識している点であろうか。こういう時、公家という生き物は大人しくできないのだと痛感する。
「難波殿、この時期にそれを言われましても、当家では最早どうする事もできないと思うのですが……」
「何卒土佐一条家の関係者をお救いください。このままでは戦に巻き込まれて命を落としてしまいます」
そう、一条本家 諸大夫の難波 常久から持ち込まれた厄介事というのは、豊後国へと追放した土佐一条家関係者を、本格的な侵攻が始まる前に助けて欲しいというものであった。
先代の一条本家当主 一条 房通は土佐一条家の出身である。それがあり、土佐一条家の動向には以前から気に掛けていたそうだ。
亡命先での土佐一条家は、豊後大友家内で厄介者に近い扱いを受けて生活が窮乏している。かと言って、一条本家も生きていくのが精一杯。ここ数年は当家の援助で生活が少し上向いたものの、土佐一条家へ援助できるほどではなかった。
しかしながら、この状況はもうすぐ強制終了させられてしまう。それは豊後大友家が滅亡するからだ。現在の土佐一条家に亡命先は無い。これにより土佐一条家は、豊後大友家と運命を共にするのが確定していた。
とは言え、
「大袈裟ですよ。戦が始まる前に逃げ出して、帰農すれば良いじゃないですか。荒れた土地を一から耕すのは大変かと思いますが、食べていく事はできるでしょう」
「細川様、土佐一条家は公家です。それをお忘れなきよう」
「もう一つ、土佐一条家関係者は当家に……というより私個人にですね、かなりの恨みを持っています。ですので、当家の助けは必要としないのではないですか? 屈辱的な思いをするなら、死を選ぶと思いますが」
「細川様、それは武家の考えです。公家と武家とは根本が違います」
泥船に乗って一緒に沈むよりは先に逃げ出す。ムカつく相手に頭を下げるよりは死を選ぶ。俺としては亡命先が無いなら、このどちらかを選べば良い。だから当家の助けは必要無いと考えていた。
ただ、それは武家の価値観らしく、公家には公家の価値観があるという話なのだが……個人的にはこれが逆に足を引っ張っているとしか感じない。
その証拠が豊後大友家内での扱いだ。土佐一条家 現当主一条 兼定の母親は大友 義鎮の姉である。ならば、貴種でもある一条 兼定やその妹は丁重に扱われるのが本来だ。生活が窮乏するというのは本来考えられない。
結局の所、周りにいる者達が立場を悪くさせているのだろう。自分達は公家に仕える身だ。武家の風下には立たないと言っていたとしてもおかしくはない。
加えて土佐一条家は土佐の幡多荘で繁栄を享受していた。これが仇となり、没落しても身の丈に合った生活や態度に改められていないのが実情ではなかろうか。要するに、なるべくして今の生活を送っていると見た方が良い。
そうなれば土佐一条家を窮乏から救うというのは、火中の栗を拾うのと同じとなる。何が悲しくて我儘放題の連中を迎え入れなければならないのか。土佐一条家を受け入れたくないのが正直な気持ちである。
同族を救いたい一条 内基の気持ちは分からんでもないが、それとこれとは話が別だと言いたい。
しかしながら三好との決戦を前に一条本家や朝廷との関係を悪くしたくないというのもあり、今回の話をきっぱりと断れないのが実情であった。
だからこそここで妥協案を提示する。
「分かりました。でしたら土佐一条家が養子を受け入れ、当家からの家臣を受け入れて武家になるというなら、何とかしましょう。言葉を取り繕う事無く言うと、土佐一条家の乗っ取りをしても良いなら、最低限現当主とそのご家族は救います。関係者に付いては新当主の方針に従えるかどうかですね。従えないなら、殺すなり放逐なりをさせて頂きます」
「細川様、そのお話では、これまで土佐一条家に尽くしてきた者達が哀れです。慈悲はないのでしょうか?」
「難波殿、何を優先すべきかをしっかりと考えてください。幾ら土佐が昔に比べて裕福になったとは言え、土佐一条家の全てを面倒見る余裕はありません。救えるのは一部だけです。それをしっかりと肝に銘じてください。後の判断は難波殿や一条 内基様に託しましょう」
要するに、土佐一条家の看板を寄越せば家族の面倒を見ようというのがこの案の意味となる。土佐一条家は公家だ。だというのに規模が大き過ぎる。これを丸抱えするのは最初から不可能だ。俺が土佐から追い出した理由の一つもこれとなる。
そんな土佐一条家を何とか受け入れろというなら、当家で受け入れられる形に作り替えるしかない。事実上の土佐一条家の解体。残るのは名前だけであり、中身は別物となる。
この妥協案は難波 常久や一条 内基は不本意であるに違いない。名目は先代当主の実家を救って欲しいというものでも、その実一条本家の組織拡大が裏に隠されている。当家に土佐一条家を丸抱えさせて、一条本家の子会社、いや下位組織として機能させるつもりだったのだろう。荘園を全て無くして没落した一条本家には、またとない好機に映った筈だ。
それを許す俺ではない。
だからこそ土佐一条家は当家の管理下に置く。加えて当家の指示に従う人員を派遣する。はっきり「乗っ取り」と言ったのは、「お前等の好きにはさせない」という明確な意思表示でもあった。そのため現当主 一条 兼定には、出家をしてもらおうと考えている。
これにより土佐一条家は戦える集団へと大きく生まれ変わる筈だ。
ただ、この案には二つ問題がある。一つは案自体を土佐一条家関係者が受け入れられないというもの。自分達が解雇される案を喜ぶ者はまずいない。
よって、この救済策は破談になると考えている。
これにて「当家は土佐一条家を救おうとしたが、向こうが拒否した」という構図が成り立つ。全ての責任を相手に追わせる形だ。土佐一条家を受け入れたくない俺としては、理想的な形で決着をすると言えよう。
もう一つの問題はかなり切実だ。万が一この救済策が了承された場合、ねじ込む養子を誰にするかで迷っている。万年人手不足の当家では、こういう時の人材に困るのが現実であった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「溺れる者は藁をも掴む」という諺がある。意味は、窮地に陥れば頼りにならないものまで縋ろうとするというものだ。
何が言いたいかというと、俺が提示した妥協案を土佐一条家が了承をしてしまった。何かが間違っている。
しかも豊後国府内から急ぎ脱出して、撫養港まで船でやって来るというのだから始末に負えない。
こちらの受け入れ準備など考えない、いやそれ以前に豊後大友家が逃亡を許す筈がないと思ったのだが、よくよく考えれば現在の豊後大友家は戦の準備に忙しい。厄介者の土佐一条家の行動を気にする余裕が無いのが実情であろう。その上豊後大友家の現在の本拠地は府内ではなく、南に遠く離れた臼杵へと移転している。
この二つの理由により逃亡を見逃されたと見た方が良い。その思惑は、当主一条 兼定の母親が大友 義鎮の姉だという点を利用して、当家との和睦を見据えているのだと考える。戦が長期化すれば、必ず仲介役を買って出てこよう。
そんな思惑が透けて見えるからこそ、俺は土佐一条家の撫養港入港に際して厳重な警戒を行うよう家臣達に命じた。
結果人死にが発生する騒動が起こる。
理由はとても単純なものだ。とにかく土佐一条家関係者がこちらの言う事を聞かない。
まずは当主及びその家族だけを引き受けると言っても、護衛と称して完全武装の家臣達がぞろぞろと船から降りてこようとする。決して武装解除をしようとしない。
この時点で怒りが沸点を超えた責任者の清水 宗治が、見せしめに数人の首を刎ねた。
最早いつ戦になっても不思議ではない状況であったろう。それでも決して譲ろうとしない清水 宗治の気迫によって、土佐一条家関係者は折れた。
これで終われば良かったのだが、懲りるようなタマではない。
武装解除をして降りてくる者達が武器を隠し持っていないか身体検査を行おうとした瞬間に、侍女が「無礼者」と叫び出す。
この時点でも数人の首が飛んだ。
何かある度これの繰り返しだったという。そのお陰で当主家族に従っていた関係者は半数以下の二〇人に減ったそうだ。いち早く報告に戻ってきた右筆の谷 忠澄が、げんなりした顔で事の詳細を愚痴ってくれた。
「宗治には面倒な役目を与えてしまったな。俺が出れば良かったか」
「いえ、もし国虎様があの場にいれば、もっと凄惨な現場になっていたでしょう。清水殿はよく耐えたと思います」
「そんなに態度が悪かったのか。救いようがないな」
企業が末期になると、優秀な者から辞めていくという話がある。今回の一件はそれと同じと考えた方が良い。つまりは早期に見切りを付けた者は既に再仕官を果たし、決断ができない者ほど土佐一条家にしがみ付く。一部には忠誠心から残っている者もいるだろうが、それは極少数。多くは土佐一条家の過去の栄光が今も通用すると勘違いしているに違いない。
何となくではあるが、俺の名は未だに「安芸」と呼んでいるのではないかと思ったりもする。要は、未だ自分達が上で俺達は下だという認識でいるのだろう。それ自体を止めさせようとは考えないが、なら当家に頼らず生きて欲しいものだ。
それはそれとして、
「これはまた酷い。一条殿、体調が優れないようでしたら、私との話し合いは後日に回しても問題ありません。無理なさらないでください」
土佐一条家の面々が揃ったと報告を受けて部屋に向かった所、そこでは想像以上の光景が広がっていた。大半の者が派手に殴られたと分かる顔をしており、それ以外の者は顔を青ざめて怯えている。しかも周りを完全武装の兵で固めているとなると、まるで刑務所送りにされたかのように感じてしまう。
そのためか、本来なら御簾を隔てて直接のやり取りを禁じられる所を、俺の一条 兼定への問いかけに誰もが異議を唱えようとしない。
「いえ、大丈夫です。それよりも細川様に一つお願いがございます」
「お話しください」
「妹の阿喜多の命だけは奪わないで頂けますでしょうか? 妹へはきっちりと言い聞かせておきます。ですが妹はまだ若いゆえ、粗相をするやもしれません。その際は寛大なお心で接して頂けるよう切に願います」
「了解しました。ただ粗相も何も、今後阿喜多殿とはお会いする機会もほぼ無いでしょうから、杞憂かと思われますよ」
「えっ?」
「……一条殿、もしかして私が阿喜多殿を側室にすると勘違いしてませんか?」
「ち、違うのですか?」
「きっと何かの行き違いがあったのでしょう。今回私が望むのは土佐一条家の法人格……もとい家名のみとなります。こちらが用意した者を一条殿の養子として頂き、当主の座を譲って頂くというものです。その上でこちらから家臣を数名派遣させて頂きます」
「それでは私はどうなるのでしょうか?」
「隠居して出家して頂きます。阿波の寺を大幅改築して、ご家族と共に不自由なく過ごせる住まいを用意させて頂きますのでご安心ください。阿喜多殿もそこで暮らして頂く予定です」
俺がこう言った途端、土佐一条家関係者全員が口をあんぐりと開け動きが固まる。明らかに「そんな話は聞いていない」と言わんばかりの態度だ。予想外の内容だったのだろう。
この時点で確信した。今回の一件は間違って伝わっていたのだという事を。誰が仕掛けたかは分からない。一条本家の可能性もあれば、土佐一条家の何者かが勝手に捻じ曲げて伝えた可能性もある。目的は土佐一条家を当家の外戚にして、利益の最大化を図ろうとしたという所か。しかも俺が望んだという形にして。
意図は分からないでもない。土佐一条家を保護するなら、遅かれ早かれ俺が阿喜多殿を側室に望むと考えるのが通常だ。それにより一条本家との繋がりを作る。悪くない策と言えよう。どの道側室を娶るなら先手を打っておけば、一条 兼定が土佐一条家当主に残れる可能性も十分にある。
ただ仕掛け人の読みが甘かったのは、俺自身がこれ以上の側室を望んでいないというのを知らない点だ。その上で一条本家との付き合いは、三好との決戦が終わるまでの短期間となる。俺は畿内での権力闘争に関わるつもりがない。
……言葉通りに看板だけを欲しがる俺の方が間違っているだけであった。
「お待ちください細川様。でしたら今後はずっと寺に閉じ込められるという事でしょうか? 失礼しました。阿喜多です」
「いえ、あくまでも不自由しない生活の場を用意するという意味です。阿喜多殿が望むなら事業を始めても良いですし、何処かの家の正室に入っても良いと考えています。当然ながらそれは一条殿も同じくです。出家して家を譲れば、好きな時期に還俗頂いて構いませんし、僧のままで一条本家と行動を共にされても構いません」
ただこの内容に不満なのか、突然待ったが掛かる。しかも阿喜多殿本人から。望まぬ婚姻をしなくとも良いのだから本来は喜ぶと思うのだが、違うのだろうか。とは言え、俺には阿喜多殿の今後は興味が無いため、好きにしてくれて良いと考えている。
それは一条 兼定に対しても同じだ。頂く物さえ頂けば、こちらで生き方を強制するつもりはない。
「それでしたら、今後は武家として生きても良いのでしょうか?」
「一条殿、その場合はいつでもご相談ください。仕官先や養子先を斡旋させて頂きます」
「細川様、感謝致します!」
けれどもここで、一条 兼定が面白い言葉を発する。何故武家なのか? 一度出家するとは言え、体に流れるのは公家の血だ。それならば、中央に返り咲くのが本来であろう。きっと一条本家もそれを望んでいる。
そんな思いから、一条 兼定が何を考えているのか腹の内を聞きくなってしまった。
「それよりも一条殿、正直にお話頂きたいのですが、ご自身は当家や私に対して恨みは無いのでしょうか? それに今回の騒動でも多くの人死にが出ました。ここまでの事態になっても当家に保護を求める理由が分からないのです」
「失礼を承知で正直な気持ちをお話ししますと、細川様には恨みの気持ちしかありません。中村を追われ、府内で貧しい暮らしをする羽目となりましたし、目の前で多くの家臣を殺されたのですから当然かと思います」
「貴様! 国虎様に向かって無礼だぞ!!」
「宗治、大丈夫だから気にするな。一条殿、続きをお願いします」
「あっ、はい。ですがその恨み以上に私は自分自身が情けないのです。今でも覚えています。土佐に潜入した家臣達が殺された際、私は何も行動を起こそうしなかった事を。家臣達が奮起して手に入れた伊予国の日振島を守る戦でも、私は府内にいて何もしませんでした」
「五年以上前の話です。一条殿はまだ幼かったのですから、責める必要は無いと思いますが」
「当時はそう考えていました。だからこそ自身が元服した際には遠州細川家に対して蜂起しようと」
「それで、現在はそうも言ってられない状況になってしまったと」
「言葉を選ばず言えば、私は変わりたいのです。過去の自分自身を捨て強くなる。そのためには例え親の仇であろうと利用しようと。今回阿波行きを決断したのはこれが大きな理由となります」
「なるほど。強くなるためにも今ここで死ぬ訳にはいかないと。一時の感情に流されてしまえば、事は成せないと。だから今日の一件には目を瞑り、いつか私を殺せるほどの力を手に入れると」
「国虎様、危険です! 今すぐ殺すべきです!」
「宗治、大丈夫だ。だから刀を抜くな。一条殿、それを三好相手ではなく、私の前で言った所を気に入りました。正直に話して頂き、ありがとうございます。分かりました。全力で支援しましょう。但し道のりは厳しいですよ」
「国虎様!!」
「宗治、心配するな。覚悟だけで達人になれるなら、日の本は達人だらけだ。そう簡単にはなれない。だからこそ面白いじゃないか。それに一条殿が俺を殺しに来た時は、宗治が返り討ちにすれば良い。そうだろ、宗治?」
「確かにそうですが……」
これは面白い。この時代で親の仇を利用してでものし上がろうと考える者がいるとは思わなかった。それも国を追われ、当主の座も奪われて、裸一貫からの再出発である。
それだけに是非成功して欲しい。そんな思いからつい支援を約束してしまった。
覚悟だけなら誰でもできる。その考えが間違いだったと認める日が来るのが楽しみで仕方ない。
「それで後ろに控える土佐一条家の家臣達で、一条殿と共に修羅の道を歩もうする者はいるか? いれば名乗り出ろ」
この言葉に反応したのがたった三名だという所に、この覚悟の前途多難さを感じる。
ただ、この大事な時期に狙いすましたかのように、厄介事が持ち込まれるのが当家らしい所だ。
それは豊後大友家との和睦交渉ではない。豊後大友家は、前公方 足利 義晴の時代から室町幕府と深い繋がりを持っているため、最早相容れない存在だ。今更交渉の席を設けはしない。当主 大友 義鎮には、今年就任した九州探題を花道としてこの世から退場してもらうつもりである。
当然ながら朝敵に認定される事態は絶対に起こり得ない。当家は今年、正親町天皇が即位の礼を挙げられるようにと五〇〇〇貫の献金をしたばかりである。二枚舌外交が得意な朝廷なら、例え近衛 稙家に何を言われようとも金づると敵対しようとは思わないだろう。
ましてや現在は摂関家の一条 内基を保護しているのだ。これにより、疑似的な摂関家同士の対立構造も作り上げているとも言えるだろう。一条 内基の存在が朝廷を日和見にさせる。義栄派と義輝派のどちらにも朝廷は肩入れできなくなった。
問題があるとすれば、当の一条 内基が自身の重要性を認識している点であろうか。こういう時、公家という生き物は大人しくできないのだと痛感する。
「難波殿、この時期にそれを言われましても、当家では最早どうする事もできないと思うのですが……」
「何卒土佐一条家の関係者をお救いください。このままでは戦に巻き込まれて命を落としてしまいます」
そう、一条本家 諸大夫の難波 常久から持ち込まれた厄介事というのは、豊後国へと追放した土佐一条家関係者を、本格的な侵攻が始まる前に助けて欲しいというものであった。
先代の一条本家当主 一条 房通は土佐一条家の出身である。それがあり、土佐一条家の動向には以前から気に掛けていたそうだ。
亡命先での土佐一条家は、豊後大友家内で厄介者に近い扱いを受けて生活が窮乏している。かと言って、一条本家も生きていくのが精一杯。ここ数年は当家の援助で生活が少し上向いたものの、土佐一条家へ援助できるほどではなかった。
しかしながら、この状況はもうすぐ強制終了させられてしまう。それは豊後大友家が滅亡するからだ。現在の土佐一条家に亡命先は無い。これにより土佐一条家は、豊後大友家と運命を共にするのが確定していた。
とは言え、
「大袈裟ですよ。戦が始まる前に逃げ出して、帰農すれば良いじゃないですか。荒れた土地を一から耕すのは大変かと思いますが、食べていく事はできるでしょう」
「細川様、土佐一条家は公家です。それをお忘れなきよう」
「もう一つ、土佐一条家関係者は当家に……というより私個人にですね、かなりの恨みを持っています。ですので、当家の助けは必要としないのではないですか? 屈辱的な思いをするなら、死を選ぶと思いますが」
「細川様、それは武家の考えです。公家と武家とは根本が違います」
泥船に乗って一緒に沈むよりは先に逃げ出す。ムカつく相手に頭を下げるよりは死を選ぶ。俺としては亡命先が無いなら、このどちらかを選べば良い。だから当家の助けは必要無いと考えていた。
ただ、それは武家の価値観らしく、公家には公家の価値観があるという話なのだが……個人的にはこれが逆に足を引っ張っているとしか感じない。
その証拠が豊後大友家内での扱いだ。土佐一条家 現当主一条 兼定の母親は大友 義鎮の姉である。ならば、貴種でもある一条 兼定やその妹は丁重に扱われるのが本来だ。生活が窮乏するというのは本来考えられない。
結局の所、周りにいる者達が立場を悪くさせているのだろう。自分達は公家に仕える身だ。武家の風下には立たないと言っていたとしてもおかしくはない。
加えて土佐一条家は土佐の幡多荘で繁栄を享受していた。これが仇となり、没落しても身の丈に合った生活や態度に改められていないのが実情ではなかろうか。要するに、なるべくして今の生活を送っていると見た方が良い。
そうなれば土佐一条家を窮乏から救うというのは、火中の栗を拾うのと同じとなる。何が悲しくて我儘放題の連中を迎え入れなければならないのか。土佐一条家を受け入れたくないのが正直な気持ちである。
同族を救いたい一条 内基の気持ちは分からんでもないが、それとこれとは話が別だと言いたい。
しかしながら三好との決戦を前に一条本家や朝廷との関係を悪くしたくないというのもあり、今回の話をきっぱりと断れないのが実情であった。
だからこそここで妥協案を提示する。
「分かりました。でしたら土佐一条家が養子を受け入れ、当家からの家臣を受け入れて武家になるというなら、何とかしましょう。言葉を取り繕う事無く言うと、土佐一条家の乗っ取りをしても良いなら、最低限現当主とそのご家族は救います。関係者に付いては新当主の方針に従えるかどうかですね。従えないなら、殺すなり放逐なりをさせて頂きます」
「細川様、そのお話では、これまで土佐一条家に尽くしてきた者達が哀れです。慈悲はないのでしょうか?」
「難波殿、何を優先すべきかをしっかりと考えてください。幾ら土佐が昔に比べて裕福になったとは言え、土佐一条家の全てを面倒見る余裕はありません。救えるのは一部だけです。それをしっかりと肝に銘じてください。後の判断は難波殿や一条 内基様に託しましょう」
要するに、土佐一条家の看板を寄越せば家族の面倒を見ようというのがこの案の意味となる。土佐一条家は公家だ。だというのに規模が大き過ぎる。これを丸抱えするのは最初から不可能だ。俺が土佐から追い出した理由の一つもこれとなる。
そんな土佐一条家を何とか受け入れろというなら、当家で受け入れられる形に作り替えるしかない。事実上の土佐一条家の解体。残るのは名前だけであり、中身は別物となる。
この妥協案は難波 常久や一条 内基は不本意であるに違いない。名目は先代当主の実家を救って欲しいというものでも、その実一条本家の組織拡大が裏に隠されている。当家に土佐一条家を丸抱えさせて、一条本家の子会社、いや下位組織として機能させるつもりだったのだろう。荘園を全て無くして没落した一条本家には、またとない好機に映った筈だ。
それを許す俺ではない。
だからこそ土佐一条家は当家の管理下に置く。加えて当家の指示に従う人員を派遣する。はっきり「乗っ取り」と言ったのは、「お前等の好きにはさせない」という明確な意思表示でもあった。そのため現当主 一条 兼定には、出家をしてもらおうと考えている。
これにより土佐一条家は戦える集団へと大きく生まれ変わる筈だ。
ただ、この案には二つ問題がある。一つは案自体を土佐一条家関係者が受け入れられないというもの。自分達が解雇される案を喜ぶ者はまずいない。
よって、この救済策は破談になると考えている。
これにて「当家は土佐一条家を救おうとしたが、向こうが拒否した」という構図が成り立つ。全ての責任を相手に追わせる形だ。土佐一条家を受け入れたくない俺としては、理想的な形で決着をすると言えよう。
もう一つの問題はかなり切実だ。万が一この救済策が了承された場合、ねじ込む養子を誰にするかで迷っている。万年人手不足の当家では、こういう時の人材に困るのが現実であった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「溺れる者は藁をも掴む」という諺がある。意味は、窮地に陥れば頼りにならないものまで縋ろうとするというものだ。
何が言いたいかというと、俺が提示した妥協案を土佐一条家が了承をしてしまった。何かが間違っている。
しかも豊後国府内から急ぎ脱出して、撫養港まで船でやって来るというのだから始末に負えない。
こちらの受け入れ準備など考えない、いやそれ以前に豊後大友家が逃亡を許す筈がないと思ったのだが、よくよく考えれば現在の豊後大友家は戦の準備に忙しい。厄介者の土佐一条家の行動を気にする余裕が無いのが実情であろう。その上豊後大友家の現在の本拠地は府内ではなく、南に遠く離れた臼杵へと移転している。
この二つの理由により逃亡を見逃されたと見た方が良い。その思惑は、当主一条 兼定の母親が大友 義鎮の姉だという点を利用して、当家との和睦を見据えているのだと考える。戦が長期化すれば、必ず仲介役を買って出てこよう。
そんな思惑が透けて見えるからこそ、俺は土佐一条家の撫養港入港に際して厳重な警戒を行うよう家臣達に命じた。
結果人死にが発生する騒動が起こる。
理由はとても単純なものだ。とにかく土佐一条家関係者がこちらの言う事を聞かない。
まずは当主及びその家族だけを引き受けると言っても、護衛と称して完全武装の家臣達がぞろぞろと船から降りてこようとする。決して武装解除をしようとしない。
この時点で怒りが沸点を超えた責任者の清水 宗治が、見せしめに数人の首を刎ねた。
最早いつ戦になっても不思議ではない状況であったろう。それでも決して譲ろうとしない清水 宗治の気迫によって、土佐一条家関係者は折れた。
これで終われば良かったのだが、懲りるようなタマではない。
武装解除をして降りてくる者達が武器を隠し持っていないか身体検査を行おうとした瞬間に、侍女が「無礼者」と叫び出す。
この時点でも数人の首が飛んだ。
何かある度これの繰り返しだったという。そのお陰で当主家族に従っていた関係者は半数以下の二〇人に減ったそうだ。いち早く報告に戻ってきた右筆の谷 忠澄が、げんなりした顔で事の詳細を愚痴ってくれた。
「宗治には面倒な役目を与えてしまったな。俺が出れば良かったか」
「いえ、もし国虎様があの場にいれば、もっと凄惨な現場になっていたでしょう。清水殿はよく耐えたと思います」
「そんなに態度が悪かったのか。救いようがないな」
企業が末期になると、優秀な者から辞めていくという話がある。今回の一件はそれと同じと考えた方が良い。つまりは早期に見切りを付けた者は既に再仕官を果たし、決断ができない者ほど土佐一条家にしがみ付く。一部には忠誠心から残っている者もいるだろうが、それは極少数。多くは土佐一条家の過去の栄光が今も通用すると勘違いしているに違いない。
何となくではあるが、俺の名は未だに「安芸」と呼んでいるのではないかと思ったりもする。要は、未だ自分達が上で俺達は下だという認識でいるのだろう。それ自体を止めさせようとは考えないが、なら当家に頼らず生きて欲しいものだ。
それはそれとして、
「これはまた酷い。一条殿、体調が優れないようでしたら、私との話し合いは後日に回しても問題ありません。無理なさらないでください」
土佐一条家の面々が揃ったと報告を受けて部屋に向かった所、そこでは想像以上の光景が広がっていた。大半の者が派手に殴られたと分かる顔をしており、それ以外の者は顔を青ざめて怯えている。しかも周りを完全武装の兵で固めているとなると、まるで刑務所送りにされたかのように感じてしまう。
そのためか、本来なら御簾を隔てて直接のやり取りを禁じられる所を、俺の一条 兼定への問いかけに誰もが異議を唱えようとしない。
「いえ、大丈夫です。それよりも細川様に一つお願いがございます」
「お話しください」
「妹の阿喜多の命だけは奪わないで頂けますでしょうか? 妹へはきっちりと言い聞かせておきます。ですが妹はまだ若いゆえ、粗相をするやもしれません。その際は寛大なお心で接して頂けるよう切に願います」
「了解しました。ただ粗相も何も、今後阿喜多殿とはお会いする機会もほぼ無いでしょうから、杞憂かと思われますよ」
「えっ?」
「……一条殿、もしかして私が阿喜多殿を側室にすると勘違いしてませんか?」
「ち、違うのですか?」
「きっと何かの行き違いがあったのでしょう。今回私が望むのは土佐一条家の法人格……もとい家名のみとなります。こちらが用意した者を一条殿の養子として頂き、当主の座を譲って頂くというものです。その上でこちらから家臣を数名派遣させて頂きます」
「それでは私はどうなるのでしょうか?」
「隠居して出家して頂きます。阿波の寺を大幅改築して、ご家族と共に不自由なく過ごせる住まいを用意させて頂きますのでご安心ください。阿喜多殿もそこで暮らして頂く予定です」
俺がこう言った途端、土佐一条家関係者全員が口をあんぐりと開け動きが固まる。明らかに「そんな話は聞いていない」と言わんばかりの態度だ。予想外の内容だったのだろう。
この時点で確信した。今回の一件は間違って伝わっていたのだという事を。誰が仕掛けたかは分からない。一条本家の可能性もあれば、土佐一条家の何者かが勝手に捻じ曲げて伝えた可能性もある。目的は土佐一条家を当家の外戚にして、利益の最大化を図ろうとしたという所か。しかも俺が望んだという形にして。
意図は分からないでもない。土佐一条家を保護するなら、遅かれ早かれ俺が阿喜多殿を側室に望むと考えるのが通常だ。それにより一条本家との繋がりを作る。悪くない策と言えよう。どの道側室を娶るなら先手を打っておけば、一条 兼定が土佐一条家当主に残れる可能性も十分にある。
ただ仕掛け人の読みが甘かったのは、俺自身がこれ以上の側室を望んでいないというのを知らない点だ。その上で一条本家との付き合いは、三好との決戦が終わるまでの短期間となる。俺は畿内での権力闘争に関わるつもりがない。
……言葉通りに看板だけを欲しがる俺の方が間違っているだけであった。
「お待ちください細川様。でしたら今後はずっと寺に閉じ込められるという事でしょうか? 失礼しました。阿喜多です」
「いえ、あくまでも不自由しない生活の場を用意するという意味です。阿喜多殿が望むなら事業を始めても良いですし、何処かの家の正室に入っても良いと考えています。当然ながらそれは一条殿も同じくです。出家して家を譲れば、好きな時期に還俗頂いて構いませんし、僧のままで一条本家と行動を共にされても構いません」
ただこの内容に不満なのか、突然待ったが掛かる。しかも阿喜多殿本人から。望まぬ婚姻をしなくとも良いのだから本来は喜ぶと思うのだが、違うのだろうか。とは言え、俺には阿喜多殿の今後は興味が無いため、好きにしてくれて良いと考えている。
それは一条 兼定に対しても同じだ。頂く物さえ頂けば、こちらで生き方を強制するつもりはない。
「それでしたら、今後は武家として生きても良いのでしょうか?」
「一条殿、その場合はいつでもご相談ください。仕官先や養子先を斡旋させて頂きます」
「細川様、感謝致します!」
けれどもここで、一条 兼定が面白い言葉を発する。何故武家なのか? 一度出家するとは言え、体に流れるのは公家の血だ。それならば、中央に返り咲くのが本来であろう。きっと一条本家もそれを望んでいる。
そんな思いから、一条 兼定が何を考えているのか腹の内を聞きくなってしまった。
「それよりも一条殿、正直にお話頂きたいのですが、ご自身は当家や私に対して恨みは無いのでしょうか? それに今回の騒動でも多くの人死にが出ました。ここまでの事態になっても当家に保護を求める理由が分からないのです」
「失礼を承知で正直な気持ちをお話ししますと、細川様には恨みの気持ちしかありません。中村を追われ、府内で貧しい暮らしをする羽目となりましたし、目の前で多くの家臣を殺されたのですから当然かと思います」
「貴様! 国虎様に向かって無礼だぞ!!」
「宗治、大丈夫だから気にするな。一条殿、続きをお願いします」
「あっ、はい。ですがその恨み以上に私は自分自身が情けないのです。今でも覚えています。土佐に潜入した家臣達が殺された際、私は何も行動を起こそうしなかった事を。家臣達が奮起して手に入れた伊予国の日振島を守る戦でも、私は府内にいて何もしませんでした」
「五年以上前の話です。一条殿はまだ幼かったのですから、責める必要は無いと思いますが」
「当時はそう考えていました。だからこそ自身が元服した際には遠州細川家に対して蜂起しようと」
「それで、現在はそうも言ってられない状況になってしまったと」
「言葉を選ばず言えば、私は変わりたいのです。過去の自分自身を捨て強くなる。そのためには例え親の仇であろうと利用しようと。今回阿波行きを決断したのはこれが大きな理由となります」
「なるほど。強くなるためにも今ここで死ぬ訳にはいかないと。一時の感情に流されてしまえば、事は成せないと。だから今日の一件には目を瞑り、いつか私を殺せるほどの力を手に入れると」
「国虎様、危険です! 今すぐ殺すべきです!」
「宗治、大丈夫だ。だから刀を抜くな。一条殿、それを三好相手ではなく、私の前で言った所を気に入りました。正直に話して頂き、ありがとうございます。分かりました。全力で支援しましょう。但し道のりは厳しいですよ」
「国虎様!!」
「宗治、心配するな。覚悟だけで達人になれるなら、日の本は達人だらけだ。そう簡単にはなれない。だからこそ面白いじゃないか。それに一条殿が俺を殺しに来た時は、宗治が返り討ちにすれば良い。そうだろ、宗治?」
「確かにそうですが……」
これは面白い。この時代で親の仇を利用してでものし上がろうと考える者がいるとは思わなかった。それも国を追われ、当主の座も奪われて、裸一貫からの再出発である。
それだけに是非成功して欲しい。そんな思いからつい支援を約束してしまった。
覚悟だけなら誰でもできる。その考えが間違いだったと認める日が来るのが楽しみで仕方ない。
「それで後ろに控える土佐一条家の家臣達で、一条殿と共に修羅の道を歩もうする者はいるか? いれば名乗り出ろ」
この言葉に反応したのがたった三名だという所に、この覚悟の前途多難さを感じる。
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