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八章 王二人
永禄黄巾の乱
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摂津国戦線は概ね予想通りの展開に進む。
元々茶臼山で室町幕府軍が負けた段階で、撤退は検討していたのだろう。幾ら三好 長慶が俺との決戦を覚悟していたとは言え、自殺願望までは持ち合わせていない。負けが確定する戦いに自ら飛び込んでいく方がどうかしている。
これまで退却をしなかったのは、後背を突く予定の俺達が石山本願寺から動かなかったためだと推測できる。要は様子見だ。動いた時の軍勢の規模で迎え撃つか退却するかを判断するつもりだったのだろう。
だからこそ荒木 村重の挙兵は、撤退する良い口実を与える羽目となった。これにより三好宗家の軍勢は、本拠地芥川山城へと悠々と退却する。
対峙する足利 義栄率いる上洛軍四万に平気で背を向けて。
これには理由がある。結論から言えば、上洛軍が追撃ができなかったのだ。追撃を阻んだのは地雷。この時代では埋火と呼ばれており、それが大量に地面に設置されていたと報告書に書かれていた。
つまりは地雷原が上洛軍の動きを封じた形となる。そうとは知らずに追撃を行った久米 義広殿が埋火の餌食となり戦死。これ以上は犠牲者を増やせないとなり、退却する三好宗家の軍勢を唇を噛みしめて眺めるしかできなかったらしい。
まさかと言うしかない。大事な決戦の場で出てくる秘密兵器が地雷だと誰が考えよう。しかも地雷は、初見ではまず見抜けない兵器である。それだけにもし俺が決戦の場に駆け付けられていれば、犠牲者になっていた可能性は十分にある。
……相変わらず恐ろしい男だ。改めて足利 義栄に対して慎重な行動をするよう伝えていた俺の判断は間違ってなかったと言える。
さて俺達は、これからどうするか。
確定なのは、池田城の荒木 村重を討伐した上での摂津国中部の制圧だ。ただ、この時点で三好 長慶が更に兵を退き、淀川を防衛線として強固に守りを固めてくるのが予想される。新たな本拠地を河内国の城とするだろう。
三好 長慶がこの行動を取る理由は明白だ。茶臼山での戦いで大きく損耗した尾州畠山家が、最早単独では河内国を守れないからに他ならない。三好宗家が芥川山城の死守に拘れば、こちらは河内国へと侵攻して尾州畠山家に追い打ちをかける。
京は無政府状態であり、日本海側の戦線は当家有利に進んでいる。ここで河内国が義栄派の手に落ちれば、三好宗家は孤立を招く最悪の事態となろう。そのため、例え河内国が尾州畠山家の領地であっても、緊急事態として城を接収するのが見えている。
この行動によって、三好宗家は新たな援軍を得る機会を得よう。防備を固めている間に尾州畠山家には立て直しをさせるだけでなく、美濃一色家や伊勢北畠家に働き掛けをする。この二家が新たに義輝派に加われば、巻き返しも十分可能だ。
いやそれよりも、寺社勢力に加勢を頼む方が確実かもしれない。大和国には興福寺、紀伊国には高野山がある。特に興福寺は本願寺教団と仲が悪い。尾州畠山家が制圧した大和国の興福寺領を返還すると持ち掛ければ、本願寺教団と関係の深い当家に刃を向けるのも喜んで行うのではないか。
また、茶臼山の戦いで大量に死亡した日蓮宗信者の話は、興福寺にも伝わっていよう。そうなれば明日は我が身と考え、より積極的な行動をしたとしてもおかしくはない。万を超す兵が合流する可能性は十分にある。
寺社勢力は本願寺教団や日蓮宗のような新興宗派よりも、こうした古くから地域に土着している勢力の方が厄介さは上と言えよう。
それをさせないためにはどうすべきか。一瞬長島の一向宗に一揆を起こしてもらう邪な考えが頭を過ったが、直ぐにそれを打ち消す。石山本願寺の武装蜂起を、俺自身が迷惑と言ったのを忘れてはならない。ここは宗教勢力を頼らず自力で何とかすべきだ。
「考えても仕方ないか。今できる事をしよう。とりあえず、まずは摂津国の中部制圧だな。地雷の処理は義栄に任せて、肥後津野家の援軍が到着次第、池田城を落とすか」
案ずるより産むが易しとでも言えば良いのか。どの道予定通りに事は進まない。ならばいっそ割り切って、状況が動いてから考えた方が悩まなくて済む。
「申し上げます! 国虎様、土居 清良様率いる黄巾賊が晴元派残党及び伊勢宗家軍を撃破。京の町を制圧したと報告が入りました」
「そうそう。こんな風に予想外の事態が起こ……何? 黄巾賊が京の町を制圧しただと?」
「はっ。土居 清良様が、至急上洛軍もしくは当家の軍勢に入京して欲しいと要望を出しております」
「次から次に、全く……。無理だ! こちらにも予定がある。三好宗家が摂津国を捨てるまで何とか耐えろと使者に伝えておけ! しかし無理をする必要は無い。上洛軍が到着するまでに近江六角家等が攻めてきた場合は、形振り構わず逃げろという言葉も加えてくれ。その時は洛外の西岡衆を頼るようにと」
「それで宜しいのですか?」
「問題無い。京はいつでも取り返せる。ここで焦ると、上洛軍が京入りした瞬間に義輝派に包囲されるからな。それよりも優先すべきは、摂津国全域を支配下に置く事だ」
種を撒いたのが俺とは言え、さすがにこれには対応できない。というより、離別霊体しか渡していない貧弱装備の黄巾賊が、何故京の町を制圧できたのか? それ自体が間違っている。
本当、ままならないものだ。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「この書状、『略奪されないためにはどうすれば良いか?』の回答を見ているような気分になるな」
京の町を制圧した土居 清良から届いた書状には、今回の顛末の一部始終がが書かれていた。
内容としては、伊勢 貞孝殿が呼び込んだ晴元派残党が京で放火・略奪等を行ったため、成敗したら結果的に京の町を制圧したとなっていたとなる。ただ、その過程で京の町衆の過半数が黄巾賊化してしまったそうだ。
全ては俺の指示が悪かったと言わざるを得ない。米の卸売市場への襲撃という義輝派への嫌がらせは、京の町衆を狂喜乱舞させる痛快な事件となった。
だからこそ、町衆が助太刀に駆け付ける。そうなれば卸売市場に勤める者は多勢に無勢。抵抗するだけ無駄である。ならばと俺達よりもっと悪い奴がいるからと仲間となって新たな襲撃先を提案する。一箇所だけの襲撃では満足できない黄巾賊と予備軍はその提案に乗っかる。後はその繰り返し。
どうせ奪われるなら、奪う側に回ってお零れを頂いた方が得だと考えた者達が続出した結果、京の町では略奪の嵐が吹き荒れた。被害に合ったのが四府駕輿丁座に属する商家のみだというのだから、ご愁傷様としか言うしかない。その下で働く者達はほぼ全員が黄巾賊に入り、裏切ったそうだ。その気持ちは良く分かる。
ただ、ここが問題なのだが、黄巾賊の行動は晴元派残党の利害と相容れなかった。
それはそうだ。現状の晴元派残党に真の目的など無い。単純に三好宗家憎しで動いているだけだ。義栄派に合流しようとは更々考えてはいないだろう。もし合流を考えていたなら事前に接触をしてくる。
つまり晴元派残党が京の町で起こした行動は、自分達の懐を温める純粋な略奪であり、京の町衆の命や生活を一切考慮していない。野盗と変わらないのが実態である。
両者が激突するのは火を見るより明らかであった。
とは言え晴元派残党は腐っても鯛。野盗崩れでも長年三好宗家と戦った歴戦の強者である。しかも完全武装だ。真正面からぶつかれば、素人集団で装備も貧弱な黄巾賊では勝ち目は無い。
結果、黄巾賊の纏め役である土居 清晴やその息子達が、討ち死にをする。
だがこれで京の町衆もとい、黄巾賊は大人しくはならなかった。むしろ逆に復讐の炎が燃え盛る。生き残った土居 清晴の息子である土居 清良を頭領に担ぎ出し、今度は地の利を生かしたゲリラ戦で対抗し始めた。
要は正規の軍隊対非正規の戦いへと形を変える。黄巾賊は正面からはぶつからず、不意討ちを主体に展開。晴元派残党が少数でいる所を大勢で囲んで滅多打ちにする。狭い場所に誘い込んで離別霊体をぶっ放す。建物の影や屋根の上から弓矢で狙撃する等々と、正々堂々とは真逆の戦いを行ったそうだ。
もし晴元派残党が万を超えるような大軍であったなら話は別だが、実態は一〇〇〇にも届かないような中途半端な兵力である。対する黄巾賊は、直接戦いに参加する数だけでも万を超える。しかも黄巾賊かどうかの見極めは、黄色い布を体に巻き付けているかどうかといういい加減さだ。外してしまえば町衆に戻るのだから、これ程厄介な事は無い。当然ながら京の町衆は、黄巾賊に協力的である。
何が言いたいかというと、離別霊体が語源の通り解放者として活躍をした。
所詮晴元派残党は、三好宗家憎しで戦っていた軍勢である。支援者であった近江六角家が三好宗家と和解している現状、逃亡した所でその先が続かない。比叡山延暦寺も三好宗家との対立を避けて我関せずの立場を表明している以上は、頼る事もできない。
晴元派残党の大半が黄巾賊に降ったのは当然の成り行きだろう。三好宗家や義輝派には降りたくない。かと言って細川京兆家に降るのもまた違う。消去法として残ったのが、黄巾賊への降伏となる。
そこで名を改め一から出直せば、晴元派残党としての肩書が洗い流せると考えたのではなかろうか。俺も俺で晴元派残党を直臣にしたいとは思わないが、陪臣ならとやかく言うつもりはない。
その後はどうなったかは読まなくとも分かる。降った晴元派残党が手引きして、船岡山に陣を張る伊勢 貞孝殿の軍勢を不意討ちで蹴散らしたのだろう。
これにて京の町の制圧が完了する。ただ……制圧というよりは、京の町が独立自治になったと表現した方が正しいかもしれない。今回の事件で当家が京の町を手に入れたとするのは、実態とかけ離れ過ぎている。だからこそこの名目を既成事実とするため、土居 清良は上洛軍もしくは当家の軍勢が至急入京するのを望んでいるのだろう。ようやく意図が分かった。
「実態はどうあれ、満足な武装も支給しない、軍勢も送らない、兵糧も米と塩のみというお粗末な状態で京の町を制圧したのだから、土居 清良にはたっぷり褒美を出せないとな。それと俸禄も増やす必要があるか」
「国虎様、土佐土居家は当主の土居 清晴殿だけでなく、嫡男と次男も討ち死にしております。その分の見舞金も上乗せするべきではないでしょうか?」
「忠澄、良い所に気付いてくれた。その方針で手配してくれ。後は土居 清良の土佐土居家当主就任を認める手続きも頼むぞ」
右筆の谷 忠澄に指摘されて気が付く。土居 清良は父親と兄二人を亡くしたのだと。それなのに悲しむ暇も無く素人の黄巾賊を使い、晴元派残党を撃退する。しかもまだ一六歳という若さでだ。
これだけの成果が出せる者は滅多にいない。年齢を考えれば今回の戦いが初陣だった可能性すらある。そう考えれば、尚の事凄いと言うしかない。
俺も同様に早くに父親や兄を亡くして一四歳の若さで当主を継いだ身ではある。だが俺の場合は奈半利衆がいて、一羽がいて、何より親信がいた。俺を支えてくれる者達が多くいたからこそ、ここまでの快進撃ができたと言える。
似ているようで俺と土居 清良の環境は違う。これほどの逆境の中でも踏ん張れる者がいるのかと思うと、やはりこの時代の人々は俺が思うよりも逞しいと感じる。
「……嫁を世話するか」
「国虎様、どうしたんですか。突然」
「いや何、土居 清良には父親や兄二人を亡くした悲しみを乗り越えて欲しいと思ってな。死人を生き返らせるのはできないが、所帯を持てば気持ちが前向きになれるだろうと」
「……分かります。それにしても随分と土居殿に肩入れしますね」
「似ているからな。俺が土佐安芸家の当主になった時を思い出したよ」
「……」
「忠澄、手間を掛けるが、家中に年頃の娘がいないか調べるよう土佐に指示も出しておいてくれ。いや待て。土居 清良に思い人がいる可能性もあるか。その女性を妻に迎えたいなら、俺の養女にしても良いな。忠澄、どちらになっても良いように手配をしておいてくれ」
「はっ。かしこまりました! これも何かの縁です。全力で協力致します」
加えて晴元派残党との戦いで活躍した者を、土佐土居家の家臣に抜擢するようにと指示を出しておく。土居 清良がここまでの成果を残せたのは、黄巾賊が積極的に支えた結果であろう。ならその者達は、土居 清良にとって掛け替えのない仲間に違いない。これで離ればなれとなるのは切な過ぎるというもの。
……結構なお節介だな。俺は。
「それにしても、永禄の世に再び黄巾の乱が起こるとは思わなかったよ。これからは土居 清良を天公将軍と呼んだ方が良いかもな」
「……仕掛けたのは国虎様ですよ。その名は国虎様の方が相応しいかと」
「俺には既に今朶思 大王の二つ名があるからな。遠慮しておこう」
「誰もその二つ名で呼ぶ方はいませんよ」
「……まあ良いさ。ともかく、これで晴元派残党も壊滅した。その事実を喜ぶとしよう。肩の荷が下りたような気がするよ」
俺が生まれる以前から畿内で続いていた晴元派との戦いが、これにて決着となる。俺のこれまでの戦いは、晴元派との戦いが半分近くを占めていただけに、達成感を感じずにはいられない。
とは言え、まだ戦いそのものは続いている。残すは三好 長慶の首一つ。これを実現するまでは駆け抜ける。
「申し上げます! 国虎様、肥後津野家の軍勢五〇〇〇が到着。津野 越前様が面会を求めております」
「ついにか。今から向かう。忠澄、行くぞ」
「はっ」
さあここからは、三好 長慶という王将を詰ませる寄せの局面だ。
元々茶臼山で室町幕府軍が負けた段階で、撤退は検討していたのだろう。幾ら三好 長慶が俺との決戦を覚悟していたとは言え、自殺願望までは持ち合わせていない。負けが確定する戦いに自ら飛び込んでいく方がどうかしている。
これまで退却をしなかったのは、後背を突く予定の俺達が石山本願寺から動かなかったためだと推測できる。要は様子見だ。動いた時の軍勢の規模で迎え撃つか退却するかを判断するつもりだったのだろう。
だからこそ荒木 村重の挙兵は、撤退する良い口実を与える羽目となった。これにより三好宗家の軍勢は、本拠地芥川山城へと悠々と退却する。
対峙する足利 義栄率いる上洛軍四万に平気で背を向けて。
これには理由がある。結論から言えば、上洛軍が追撃ができなかったのだ。追撃を阻んだのは地雷。この時代では埋火と呼ばれており、それが大量に地面に設置されていたと報告書に書かれていた。
つまりは地雷原が上洛軍の動きを封じた形となる。そうとは知らずに追撃を行った久米 義広殿が埋火の餌食となり戦死。これ以上は犠牲者を増やせないとなり、退却する三好宗家の軍勢を唇を噛みしめて眺めるしかできなかったらしい。
まさかと言うしかない。大事な決戦の場で出てくる秘密兵器が地雷だと誰が考えよう。しかも地雷は、初見ではまず見抜けない兵器である。それだけにもし俺が決戦の場に駆け付けられていれば、犠牲者になっていた可能性は十分にある。
……相変わらず恐ろしい男だ。改めて足利 義栄に対して慎重な行動をするよう伝えていた俺の判断は間違ってなかったと言える。
さて俺達は、これからどうするか。
確定なのは、池田城の荒木 村重を討伐した上での摂津国中部の制圧だ。ただ、この時点で三好 長慶が更に兵を退き、淀川を防衛線として強固に守りを固めてくるのが予想される。新たな本拠地を河内国の城とするだろう。
三好 長慶がこの行動を取る理由は明白だ。茶臼山での戦いで大きく損耗した尾州畠山家が、最早単独では河内国を守れないからに他ならない。三好宗家が芥川山城の死守に拘れば、こちらは河内国へと侵攻して尾州畠山家に追い打ちをかける。
京は無政府状態であり、日本海側の戦線は当家有利に進んでいる。ここで河内国が義栄派の手に落ちれば、三好宗家は孤立を招く最悪の事態となろう。そのため、例え河内国が尾州畠山家の領地であっても、緊急事態として城を接収するのが見えている。
この行動によって、三好宗家は新たな援軍を得る機会を得よう。防備を固めている間に尾州畠山家には立て直しをさせるだけでなく、美濃一色家や伊勢北畠家に働き掛けをする。この二家が新たに義輝派に加われば、巻き返しも十分可能だ。
いやそれよりも、寺社勢力に加勢を頼む方が確実かもしれない。大和国には興福寺、紀伊国には高野山がある。特に興福寺は本願寺教団と仲が悪い。尾州畠山家が制圧した大和国の興福寺領を返還すると持ち掛ければ、本願寺教団と関係の深い当家に刃を向けるのも喜んで行うのではないか。
また、茶臼山の戦いで大量に死亡した日蓮宗信者の話は、興福寺にも伝わっていよう。そうなれば明日は我が身と考え、より積極的な行動をしたとしてもおかしくはない。万を超す兵が合流する可能性は十分にある。
寺社勢力は本願寺教団や日蓮宗のような新興宗派よりも、こうした古くから地域に土着している勢力の方が厄介さは上と言えよう。
それをさせないためにはどうすべきか。一瞬長島の一向宗に一揆を起こしてもらう邪な考えが頭を過ったが、直ぐにそれを打ち消す。石山本願寺の武装蜂起を、俺自身が迷惑と言ったのを忘れてはならない。ここは宗教勢力を頼らず自力で何とかすべきだ。
「考えても仕方ないか。今できる事をしよう。とりあえず、まずは摂津国の中部制圧だな。地雷の処理は義栄に任せて、肥後津野家の援軍が到着次第、池田城を落とすか」
案ずるより産むが易しとでも言えば良いのか。どの道予定通りに事は進まない。ならばいっそ割り切って、状況が動いてから考えた方が悩まなくて済む。
「申し上げます! 国虎様、土居 清良様率いる黄巾賊が晴元派残党及び伊勢宗家軍を撃破。京の町を制圧したと報告が入りました」
「そうそう。こんな風に予想外の事態が起こ……何? 黄巾賊が京の町を制圧しただと?」
「はっ。土居 清良様が、至急上洛軍もしくは当家の軍勢に入京して欲しいと要望を出しております」
「次から次に、全く……。無理だ! こちらにも予定がある。三好宗家が摂津国を捨てるまで何とか耐えろと使者に伝えておけ! しかし無理をする必要は無い。上洛軍が到着するまでに近江六角家等が攻めてきた場合は、形振り構わず逃げろという言葉も加えてくれ。その時は洛外の西岡衆を頼るようにと」
「それで宜しいのですか?」
「問題無い。京はいつでも取り返せる。ここで焦ると、上洛軍が京入りした瞬間に義輝派に包囲されるからな。それよりも優先すべきは、摂津国全域を支配下に置く事だ」
種を撒いたのが俺とは言え、さすがにこれには対応できない。というより、離別霊体しか渡していない貧弱装備の黄巾賊が、何故京の町を制圧できたのか? それ自体が間違っている。
本当、ままならないものだ。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「この書状、『略奪されないためにはどうすれば良いか?』の回答を見ているような気分になるな」
京の町を制圧した土居 清良から届いた書状には、今回の顛末の一部始終がが書かれていた。
内容としては、伊勢 貞孝殿が呼び込んだ晴元派残党が京で放火・略奪等を行ったため、成敗したら結果的に京の町を制圧したとなっていたとなる。ただ、その過程で京の町衆の過半数が黄巾賊化してしまったそうだ。
全ては俺の指示が悪かったと言わざるを得ない。米の卸売市場への襲撃という義輝派への嫌がらせは、京の町衆を狂喜乱舞させる痛快な事件となった。
だからこそ、町衆が助太刀に駆け付ける。そうなれば卸売市場に勤める者は多勢に無勢。抵抗するだけ無駄である。ならばと俺達よりもっと悪い奴がいるからと仲間となって新たな襲撃先を提案する。一箇所だけの襲撃では満足できない黄巾賊と予備軍はその提案に乗っかる。後はその繰り返し。
どうせ奪われるなら、奪う側に回ってお零れを頂いた方が得だと考えた者達が続出した結果、京の町では略奪の嵐が吹き荒れた。被害に合ったのが四府駕輿丁座に属する商家のみだというのだから、ご愁傷様としか言うしかない。その下で働く者達はほぼ全員が黄巾賊に入り、裏切ったそうだ。その気持ちは良く分かる。
ただ、ここが問題なのだが、黄巾賊の行動は晴元派残党の利害と相容れなかった。
それはそうだ。現状の晴元派残党に真の目的など無い。単純に三好宗家憎しで動いているだけだ。義栄派に合流しようとは更々考えてはいないだろう。もし合流を考えていたなら事前に接触をしてくる。
つまり晴元派残党が京の町で起こした行動は、自分達の懐を温める純粋な略奪であり、京の町衆の命や生活を一切考慮していない。野盗と変わらないのが実態である。
両者が激突するのは火を見るより明らかであった。
とは言え晴元派残党は腐っても鯛。野盗崩れでも長年三好宗家と戦った歴戦の強者である。しかも完全武装だ。真正面からぶつかれば、素人集団で装備も貧弱な黄巾賊では勝ち目は無い。
結果、黄巾賊の纏め役である土居 清晴やその息子達が、討ち死にをする。
だがこれで京の町衆もとい、黄巾賊は大人しくはならなかった。むしろ逆に復讐の炎が燃え盛る。生き残った土居 清晴の息子である土居 清良を頭領に担ぎ出し、今度は地の利を生かしたゲリラ戦で対抗し始めた。
要は正規の軍隊対非正規の戦いへと形を変える。黄巾賊は正面からはぶつからず、不意討ちを主体に展開。晴元派残党が少数でいる所を大勢で囲んで滅多打ちにする。狭い場所に誘い込んで離別霊体をぶっ放す。建物の影や屋根の上から弓矢で狙撃する等々と、正々堂々とは真逆の戦いを行ったそうだ。
もし晴元派残党が万を超えるような大軍であったなら話は別だが、実態は一〇〇〇にも届かないような中途半端な兵力である。対する黄巾賊は、直接戦いに参加する数だけでも万を超える。しかも黄巾賊かどうかの見極めは、黄色い布を体に巻き付けているかどうかといういい加減さだ。外してしまえば町衆に戻るのだから、これ程厄介な事は無い。当然ながら京の町衆は、黄巾賊に協力的である。
何が言いたいかというと、離別霊体が語源の通り解放者として活躍をした。
所詮晴元派残党は、三好宗家憎しで戦っていた軍勢である。支援者であった近江六角家が三好宗家と和解している現状、逃亡した所でその先が続かない。比叡山延暦寺も三好宗家との対立を避けて我関せずの立場を表明している以上は、頼る事もできない。
晴元派残党の大半が黄巾賊に降ったのは当然の成り行きだろう。三好宗家や義輝派には降りたくない。かと言って細川京兆家に降るのもまた違う。消去法として残ったのが、黄巾賊への降伏となる。
そこで名を改め一から出直せば、晴元派残党としての肩書が洗い流せると考えたのではなかろうか。俺も俺で晴元派残党を直臣にしたいとは思わないが、陪臣ならとやかく言うつもりはない。
その後はどうなったかは読まなくとも分かる。降った晴元派残党が手引きして、船岡山に陣を張る伊勢 貞孝殿の軍勢を不意討ちで蹴散らしたのだろう。
これにて京の町の制圧が完了する。ただ……制圧というよりは、京の町が独立自治になったと表現した方が正しいかもしれない。今回の事件で当家が京の町を手に入れたとするのは、実態とかけ離れ過ぎている。だからこそこの名目を既成事実とするため、土居 清良は上洛軍もしくは当家の軍勢が至急入京するのを望んでいるのだろう。ようやく意図が分かった。
「実態はどうあれ、満足な武装も支給しない、軍勢も送らない、兵糧も米と塩のみというお粗末な状態で京の町を制圧したのだから、土居 清良にはたっぷり褒美を出せないとな。それと俸禄も増やす必要があるか」
「国虎様、土佐土居家は当主の土居 清晴殿だけでなく、嫡男と次男も討ち死にしております。その分の見舞金も上乗せするべきではないでしょうか?」
「忠澄、良い所に気付いてくれた。その方針で手配してくれ。後は土居 清良の土佐土居家当主就任を認める手続きも頼むぞ」
右筆の谷 忠澄に指摘されて気が付く。土居 清良は父親と兄二人を亡くしたのだと。それなのに悲しむ暇も無く素人の黄巾賊を使い、晴元派残党を撃退する。しかもまだ一六歳という若さでだ。
これだけの成果が出せる者は滅多にいない。年齢を考えれば今回の戦いが初陣だった可能性すらある。そう考えれば、尚の事凄いと言うしかない。
俺も同様に早くに父親や兄を亡くして一四歳の若さで当主を継いだ身ではある。だが俺の場合は奈半利衆がいて、一羽がいて、何より親信がいた。俺を支えてくれる者達が多くいたからこそ、ここまでの快進撃ができたと言える。
似ているようで俺と土居 清良の環境は違う。これほどの逆境の中でも踏ん張れる者がいるのかと思うと、やはりこの時代の人々は俺が思うよりも逞しいと感じる。
「……嫁を世話するか」
「国虎様、どうしたんですか。突然」
「いや何、土居 清良には父親や兄二人を亡くした悲しみを乗り越えて欲しいと思ってな。死人を生き返らせるのはできないが、所帯を持てば気持ちが前向きになれるだろうと」
「……分かります。それにしても随分と土居殿に肩入れしますね」
「似ているからな。俺が土佐安芸家の当主になった時を思い出したよ」
「……」
「忠澄、手間を掛けるが、家中に年頃の娘がいないか調べるよう土佐に指示も出しておいてくれ。いや待て。土居 清良に思い人がいる可能性もあるか。その女性を妻に迎えたいなら、俺の養女にしても良いな。忠澄、どちらになっても良いように手配をしておいてくれ」
「はっ。かしこまりました! これも何かの縁です。全力で協力致します」
加えて晴元派残党との戦いで活躍した者を、土佐土居家の家臣に抜擢するようにと指示を出しておく。土居 清良がここまでの成果を残せたのは、黄巾賊が積極的に支えた結果であろう。ならその者達は、土居 清良にとって掛け替えのない仲間に違いない。これで離ればなれとなるのは切な過ぎるというもの。
……結構なお節介だな。俺は。
「それにしても、永禄の世に再び黄巾の乱が起こるとは思わなかったよ。これからは土居 清良を天公将軍と呼んだ方が良いかもな」
「……仕掛けたのは国虎様ですよ。その名は国虎様の方が相応しいかと」
「俺には既に今朶思 大王の二つ名があるからな。遠慮しておこう」
「誰もその二つ名で呼ぶ方はいませんよ」
「……まあ良いさ。ともかく、これで晴元派残党も壊滅した。その事実を喜ぶとしよう。肩の荷が下りたような気がするよ」
俺が生まれる以前から畿内で続いていた晴元派との戦いが、これにて決着となる。俺のこれまでの戦いは、晴元派との戦いが半分近くを占めていただけに、達成感を感じずにはいられない。
とは言え、まだ戦いそのものは続いている。残すは三好 長慶の首一つ。これを実現するまでは駆け抜ける。
「申し上げます! 国虎様、肥後津野家の軍勢五〇〇〇が到着。津野 越前様が面会を求めております」
「ついにか。今から向かう。忠澄、行くぞ」
「はっ」
さあここからは、三好 長慶という王将を詰ませる寄せの局面だ。
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