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#13 ジャック・ランタンの涙
光射す道
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男の姿がどうしてランタンなのか、そんな答えの無いことは考えるだけ時間の無駄、いやいや、無駄に出来るほど時間は無限にあるのだが、何時まで経っても答えを見つけることが出来ない場合、男は適当に推定するようになった。例えばランタンの姿であることは最初、それを凶器として使用したからだろうと考えていたが、隣にランタンが出現したことで偶然とは思えなくなった。そこで、誰かの意思であって、単なる悪趣味である、といった結論に至った。それが正解であるかはどうでも良く、それで困ることもないので、答えを見出したこと自体に意味があり、それで満足した男である。
こうして狂いそうな長い時間を耐えていると、かれこれ数百年の時が過ぎた。これらの時間を合計すると、おそらく男の時間は千年以上は経っていただろう。そのせいなのかどうか、または少し許されたのかどうかは分からないが、ある時期を境にランタンの数が急に増えたようだ。といっても数年に数個のペースだったが、『時』に弄ばれている男にとっては大して問題でもなかっただろう。
仲間が増えたということは話し相手が増えたということであり、それは男にとっては暇つぶしどころか『生き甲斐』そのものになった。そして次々と増えるランタンによって暫くは話が尽きないだろうと思うだけで男の心は踊ったようだ。それでも、ゆっくりと、じっくりと話をしようと考えた男である。それは、有限である話と違って時間は無限にあったからだ。
◇
どこまでも伸びるロープ、それにぶら下がるランタンの数々。それは一体どのくらいあるのだろうか、とそんな疑問を持ったランタンが居たようだ。そう、数が増えてくれば、その数だけ様々な考えが浮かんでくるというものだ。
そこで、端から順々に「1、2、3——」と伝達していき、最後の者が数字を最初に戻せば総数が分かるというものである。それで数え始めた訳だが、考えてみれば、これらのランタンの元は相当な罪人であって、真っ当な人生を歩んだものは一人も居ないだろう。よって教育を受けたことの無い者も居るはずで、最初に戻ってきた数字は『37』という、とても信じがたいものであった。いくら全体を視認できないとはいえ、チラッと見ただけでも端が全く見えない程、ずらずらと並んでいるランタンである。
仮に隣の者が数えられない場合、隣接する者が代わりに数えれば良いだけなのだが、残念ながらそれを良しとしない輩も居るのだろう。どこまでいっても人の為になることを嫌う性質は、なかなか是正されないものだ。しかし、それもここでは時間の問題だろう。何故なら何人も無限の時間に購えるものではないからだ。
全体の数を数えるという試みは上手くはいかなかったが、その現象を利用して面白いことを考えた者がいた。それは、適当に話したことを次々と伝えて行くという伝言ゲームである。例えば、「曇りの日に限って鼻が痒くならないか」という問いを投げると、数週間後、または数ヶ月後に、「時計塔の音が癪に障る」という具合に返ってくる。これなら話が尽きることもなく、聞いた話を少しだけ変える、ということ自体が面白く感じられ、大変都合の良い遊びとなったようだ。それでも一応は聞いた話をそっくりそのまま伝えるというルールは有ったが、それを守るものは誰一人としていないランタンたちである。
◇
こうして始まった伝言ゲームであるが、それは次第に身の上話が多くなったようだ。それは、ここで洒落を利かせるような者が少なく、自身を語る方が容易だったからだろう。それを何故か武勇伝のように語りたがる者が多くいたが、それはそのままランタンにされた遠縁でもあるのかもしれない。
そんな話を聞くことが多くなった男は、ある疑問が湧いたようだ。それは、それぞれの話の中には必ずと言って「いついつどこで生まれた」というものが含まれていたのだが、その年代が余りにも『まちまち』であったことだ。
ここでは古株の男にとって、殆どの者が自分よりも若いと思っていたが、自分よりも数百年も前の者や、ごく近い年代の者も居たことに驚いたようだ。しかし、飽くまで言い伝えで聞いている以上、それが正しく伝わって来たとは言い難い。それに端から嘘を言っている可能性も高いのだ。
それでも、ここで見栄や虚勢を張ったところで、それはら『時』の経過で削ぎ落とされ、捻じ曲がった性質も次第に緩やかになって行くものである。しかしそれで善人や正直者に成る訳ではないが、それらが鳴りを潜めるのは確かのようだ。それが『時』の経過による罰であり効用なのかもしれない。
それともう一つ、男にとって興味が注がれる話もあった。それは、男が最後に暮らしていた街の断片が話題になった時だが、男には何年経っても望郷の念というものがあったのだろう。そこで男が何をしたかについては、既に遠い昔の出来事であり、都合よく『ただの記憶』として残っているだけのようである。
しかし、ここの連中の話は故郷を懐かしがる類のものではなく、どこそこを襲ったとか、誰かを殺めたなどの話に終始し、とても聞いていて気分の良くなる話ではなかったが、男にとってはどうでもよいと感じていたようだ。所詮は他人事であり、また、遥か大昔の話なのだからと関心を寄せることはなかった。
だが、運命の悪戯なのか、それとも罰なのか。男の家があった近くの話も伝え聞くこともあったが、そこに、ある名前が頻繁に登場するようになった時、男は無関心ではいられなくなったようだ。その名前とは、男が生れて間もない娘に付けた名前であり、その娘が10歳くらいになった時からずっと付け狙っていたという話を聞いた時から、何がしらの不安を覚えた男である。
男がここに現れてから、相当の時が過ぎている。だから街が同じだとしても男の娘であるはずがない。そう何度も自分に言い聞かせるが、一度抱いた不安を拭う手立ては男には無く、かつ娘を思うような男ではなかったはずなのにである。それでも落ち着かず、娘の事を心配する気持ちは、一体どこから芽生えて来たのだろうか、と思い始めたことが自体が不思議でならない男だった。
それでも男は街の情報だけを集めようと、それこそ何度も話を振ったが、その返答が得られるまで数十年を要し、かつ男の問い掛けからは掛け離れていた。そこで男は、
「おーい! 俺の話を真面目に聞けよー」と怒鳴り散らすようになったが、却って情報が集まらなくなってしまった。それでも何年も騒ぎ続けた男である。
◇
長い間、騒ぎ続けている男だが、それとは関係なく新しい発見があったようだ。それは男の近くに新たな柱が出現したことだ。勿論それに張られたロープには数え切れない程のランタンが吊るされていた。それが何時からそこに有ったのかは男には分からず、気が付いたら『それらがあった』ということだ。
そして更に目を凝らして見れば、同じようなものが幾つも点在していることが分かった。そこで男は近くの『グループ』、とでもしておくが、そのグループから情報を得ようと声を掛けたが全く反応が無かった。それでもずっと声を張り上げ続けたが、それで数百年を費やした結果、グループ間の会話は不可能だと思い知らされた男である。
だが、『時』は無情に過ぎただけではなかったようだ。男の問い掛けに返答が来るようになり、その頻度も上がった。それは男が怒鳴るのを止め、頼むように、そして願うようにしたことも要因と思われたが、実際は『時』が、それぞれの男たちの心を良い意味で削ぎ落としていったからだろう。それでも話の信憑性には疑わしいものがあるが、それを言ったら切りがない、と落ち着きを見せる男である。
しかし、男が住んでいた街の様子を聞くにつれ、良い話など全くなく、芳しくない話ばかりだった。その中で、というか不思議なことではあるが、話の殆どが男が去って間もない頃の出来事であったのは何かの偶然なのかもしれない。それとも誰かが気を利かしてくれたのだろうか。
そうして話を集めた男は、頭の中で何とか時系列を合わせると、残された家族の様子が朧げながら分かってきたようだ。しかしそれは悲惨な物語であり、救うことの出来なかった不甲斐なさを嘆いた。
それらは遠い昔、男が安易に投げ捨てた己の運命であり、不幸に巻き込んだ張本人である男は、流せない涙の代わりに、ただ叫ぶことしか出来ないでいた。そしてそれに追い討ちをかけるように、家族が住む家が火災で無くなったという話が舞い込んでくる。それも失火ではなく、「俺が家に火をつけた」と、放火した本人からの告白だったようだ。
それを聞いた男は、どこの誰だか分からない相手に、「殺してやる、必ず殺してやるからな」と叫び続けた後、暫く無言になった。これらの期間は数時間というものではなく、抱えきれない程の『時』によって数年単位である。
そうして男が沈黙を止めたのは、何かをブツブツと歌い始めてからだ。それは次第に大きな声となり、その下手くそな歌い方は誰にとっても耳障りとなる。それでも男が歌い続けたのは、下手なことを気にしなくなったからなのか、それとも歌わずにはいられない心境だったからだろう。
その歌は誰でも知っているようなものであったせいか、一緒になって歌い出す者が出てきた。それは、もしかしたら伝言のつもりだったかもしれないが、歌は伝染し、多くの者が、それぞれ勝手に歌い始めた。そうして憂さを晴らそうとしていたのかもしれないが、それが数年も続くと、バラバラだった歌も不思議と合うようになってくる。その頃になると、自分たちが歌っている理由さえ分からなくなり、そのせいなのか、誰も止める者は居なかったようだ。
歌は大合唱となり、この世界を揺るがすのではないかと思えるくらいだったが、ここは広く深く、その歌声も隅々まで轟かすには小さ過ぎたようだ。それは、どんなに大声で歌おうが時計塔が刻む『時』の音だけはしっかりと聞こえ、その存在を忘れさせてはくれなかった。それでも男は歌に合わせて体を、つまりランタンを揺らし始めた。それで何がしたいのかは分からないが、大きく揺らすことだけに集中していたのかもしれない。それで隣と当たることはなく、どんなに多くのランタンがぶら下がっていようとも十分な間隔が取れるほど、長くて広い世界である。
男が揺れ始めると、それを見た他の者も真似して揺れ始めた。その揺れは、長く伸びたロープでも最後まで行き渡り、そのことにより、より多くの者が『揺れ』を楽しみ始めた。それはうねりとなって全体を揺るがし、もしこの光景を傍から見れば、暴れ狂うランタンは異様に見えたことだろう。
しかし、一瞬でもそれを『楽しい』と感じたことが誰かの怒りに触れたのかもしれない。それは、揺れていたランタンの紐が切れ、地面に落ちてしまったのだ。ただし、揺れていたランタン全てではなく数百程度である。その選別、というか運命の分岐となった要因は分からない。もしかしたら適当に『選ばれた』のかも知れないが、運の悪さと言えばその中に男も含まれていたことだろう。
「おい! 大丈夫か」と隣の者が声を掛けたが返答はなかった。それはきっと、ここでの『死』を意味するのだろうと隣には思えた。それは単に男の声が聞こえないだけなのかもしれない、と思いたいが、落ちた衝撃でランタンのガラスが割れたことで、もう男はここには居ないのだと察したようだ。それに、そう、ランタンのガラスが割れたのは見渡す限り男のランタンのみであり、炎も消えてしまっていた。それで男の存在が消えたと考えたとしても、たぶんそれが正解になるのだろう。
男が落下してから砕け散るまでの間、これで『時』の呪縛から解放されることを喜んだか、それとも何がしらの未練が有ったかどうかは誰にも分からない。恐らくその一瞬に思い巡らした事が、男にとって幸ある夢であれば、罪から救われたことだろう。但し、それが許されていればの話である。
◇
ある街の外れに並木道がある。そこは茂った枝などで光を遮られ昼間でも薄暗く、日が暮れればトンネルのように暗くなる道である。そして更にその先に進むと、余り裕福ではない者たちが住む住宅が以前はあったが、今では工場地帯となっており、並木道が唯一の通り道となっている。
そこを行き交う人々の間では並木道について都市伝説のような噂があったようだ。その噂とは、昔まだ住宅があった頃、ある家が火事になり、逃げ出した住人が街まで避難しようと並木道を通った際に起きた『ある出来事』の話である。
夕刻に出火した家は他の家とは離れていたため他に被害は無かったそうだが、出火した家の娘に入れ込んでいた男が家に火を放ったという。その時、家には娘しかおらず、火災には気が付かなかったそうだが、運良く帰宅した母親と共に燃え盛る家から無事脱出すことが出来たとある。
この時、娘には誰が放火したのかは直ぐに分かったようだが、それを問題にするよりも、早くその場から離れたいという思いの方が強かったそうだ。それは、家が他の家と離れていたことも関係していたようだが、それ以上の事は分からない。
とにかく、身近に世話になれないとなれば街に行くしかない。そう考えた母と娘は裸足のまま街に向かって歩き出した。そうして並木道に差し掛かると既に陽は暮れており、その先は、まるで道が無いかのような暗闇だった。それは今でも同じことであるが、足元を照らす明かりを持たぬ母と娘にとっては、それでもここで立ち止まる訳ににはいかず、闇の中を進んだ。
もしこの時、誰か先を行く者が居れば良かったのだが、運に突き放されたかのようにその望みは叶わず、恐る恐る歩き進めるしかなかった。しかし、全く先が見えないという訳でもない。次第に暗闇に目が慣れてくると多少は見えてきたが、それよりも不気味な闇が母と娘の心に追い討ちをかけていたことだろう。
街に行くと決めたものの、特に当てがある訳でもなく、この先の事を考える余裕も無い、街までの道もよく見えないなど、全てが負の方向に向かっているという不運を堰き止める柱を持てぬまま、このまま闇の中に溶け込んでしまいたいと思っても無理はないだろう。
そんな、挫けた心を引き摺りながら、今にも折れそうな娘が、遠くに小さな明かりを見つけた。それを見た時、娘はその先に誰かが居るのだろうと期待し歩みを速めたが、小さな明かりが動く様子はなく、それが人ではないと分かると落胆し、立ち止まってしまった娘である。
それでも先に進もうと母親が娘の手を取り促すと、小さな明かりが急に増えだし、それは並木道を照らす光となった。それは一体、何が起こったのか分からなかった母と娘だったが、とにかく光のあるところまで進んだ。
すると、小さな明かりはランタンであることが分かった。それもかなりの数が木の枝にぶら下がり、それは並木道の終わりまで続いているようだった。そのランタンはどれも古いものばかりで、何故明かりがついているのかさえ不思議な程だった。
だが、明るくなったおかげで楽に並木道を通り抜けられた母と娘は無事に街に着いたという。その後、その話を聞いた別の者がその並木道を訪ねたが、ランタンも、それらしい物も見つからず、きっと星の光と見間違えたのだろうと噂したが、時々、ランタンの明かりを見た、という噂も一緒に広まったようである。
これらの話の真意は確かめようがないが、もしかしたら、あの男の仕業だったのかもしれないと思わずにはいられない。それはあの男の意志ではなかったとしても、少なくとも誰かの意志があったのだろうと思いたいものである。
【おわり】
こうして狂いそうな長い時間を耐えていると、かれこれ数百年の時が過ぎた。これらの時間を合計すると、おそらく男の時間は千年以上は経っていただろう。そのせいなのかどうか、または少し許されたのかどうかは分からないが、ある時期を境にランタンの数が急に増えたようだ。といっても数年に数個のペースだったが、『時』に弄ばれている男にとっては大して問題でもなかっただろう。
仲間が増えたということは話し相手が増えたということであり、それは男にとっては暇つぶしどころか『生き甲斐』そのものになった。そして次々と増えるランタンによって暫くは話が尽きないだろうと思うだけで男の心は踊ったようだ。それでも、ゆっくりと、じっくりと話をしようと考えた男である。それは、有限である話と違って時間は無限にあったからだ。
◇
どこまでも伸びるロープ、それにぶら下がるランタンの数々。それは一体どのくらいあるのだろうか、とそんな疑問を持ったランタンが居たようだ。そう、数が増えてくれば、その数だけ様々な考えが浮かんでくるというものだ。
そこで、端から順々に「1、2、3——」と伝達していき、最後の者が数字を最初に戻せば総数が分かるというものである。それで数え始めた訳だが、考えてみれば、これらのランタンの元は相当な罪人であって、真っ当な人生を歩んだものは一人も居ないだろう。よって教育を受けたことの無い者も居るはずで、最初に戻ってきた数字は『37』という、とても信じがたいものであった。いくら全体を視認できないとはいえ、チラッと見ただけでも端が全く見えない程、ずらずらと並んでいるランタンである。
仮に隣の者が数えられない場合、隣接する者が代わりに数えれば良いだけなのだが、残念ながらそれを良しとしない輩も居るのだろう。どこまでいっても人の為になることを嫌う性質は、なかなか是正されないものだ。しかし、それもここでは時間の問題だろう。何故なら何人も無限の時間に購えるものではないからだ。
全体の数を数えるという試みは上手くはいかなかったが、その現象を利用して面白いことを考えた者がいた。それは、適当に話したことを次々と伝えて行くという伝言ゲームである。例えば、「曇りの日に限って鼻が痒くならないか」という問いを投げると、数週間後、または数ヶ月後に、「時計塔の音が癪に障る」という具合に返ってくる。これなら話が尽きることもなく、聞いた話を少しだけ変える、ということ自体が面白く感じられ、大変都合の良い遊びとなったようだ。それでも一応は聞いた話をそっくりそのまま伝えるというルールは有ったが、それを守るものは誰一人としていないランタンたちである。
◇
こうして始まった伝言ゲームであるが、それは次第に身の上話が多くなったようだ。それは、ここで洒落を利かせるような者が少なく、自身を語る方が容易だったからだろう。それを何故か武勇伝のように語りたがる者が多くいたが、それはそのままランタンにされた遠縁でもあるのかもしれない。
そんな話を聞くことが多くなった男は、ある疑問が湧いたようだ。それは、それぞれの話の中には必ずと言って「いついつどこで生まれた」というものが含まれていたのだが、その年代が余りにも『まちまち』であったことだ。
ここでは古株の男にとって、殆どの者が自分よりも若いと思っていたが、自分よりも数百年も前の者や、ごく近い年代の者も居たことに驚いたようだ。しかし、飽くまで言い伝えで聞いている以上、それが正しく伝わって来たとは言い難い。それに端から嘘を言っている可能性も高いのだ。
それでも、ここで見栄や虚勢を張ったところで、それはら『時』の経過で削ぎ落とされ、捻じ曲がった性質も次第に緩やかになって行くものである。しかしそれで善人や正直者に成る訳ではないが、それらが鳴りを潜めるのは確かのようだ。それが『時』の経過による罰であり効用なのかもしれない。
それともう一つ、男にとって興味が注がれる話もあった。それは、男が最後に暮らしていた街の断片が話題になった時だが、男には何年経っても望郷の念というものがあったのだろう。そこで男が何をしたかについては、既に遠い昔の出来事であり、都合よく『ただの記憶』として残っているだけのようである。
しかし、ここの連中の話は故郷を懐かしがる類のものではなく、どこそこを襲ったとか、誰かを殺めたなどの話に終始し、とても聞いていて気分の良くなる話ではなかったが、男にとってはどうでもよいと感じていたようだ。所詮は他人事であり、また、遥か大昔の話なのだからと関心を寄せることはなかった。
だが、運命の悪戯なのか、それとも罰なのか。男の家があった近くの話も伝え聞くこともあったが、そこに、ある名前が頻繁に登場するようになった時、男は無関心ではいられなくなったようだ。その名前とは、男が生れて間もない娘に付けた名前であり、その娘が10歳くらいになった時からずっと付け狙っていたという話を聞いた時から、何がしらの不安を覚えた男である。
男がここに現れてから、相当の時が過ぎている。だから街が同じだとしても男の娘であるはずがない。そう何度も自分に言い聞かせるが、一度抱いた不安を拭う手立ては男には無く、かつ娘を思うような男ではなかったはずなのにである。それでも落ち着かず、娘の事を心配する気持ちは、一体どこから芽生えて来たのだろうか、と思い始めたことが自体が不思議でならない男だった。
それでも男は街の情報だけを集めようと、それこそ何度も話を振ったが、その返答が得られるまで数十年を要し、かつ男の問い掛けからは掛け離れていた。そこで男は、
「おーい! 俺の話を真面目に聞けよー」と怒鳴り散らすようになったが、却って情報が集まらなくなってしまった。それでも何年も騒ぎ続けた男である。
◇
長い間、騒ぎ続けている男だが、それとは関係なく新しい発見があったようだ。それは男の近くに新たな柱が出現したことだ。勿論それに張られたロープには数え切れない程のランタンが吊るされていた。それが何時からそこに有ったのかは男には分からず、気が付いたら『それらがあった』ということだ。
そして更に目を凝らして見れば、同じようなものが幾つも点在していることが分かった。そこで男は近くの『グループ』、とでもしておくが、そのグループから情報を得ようと声を掛けたが全く反応が無かった。それでもずっと声を張り上げ続けたが、それで数百年を費やした結果、グループ間の会話は不可能だと思い知らされた男である。
だが、『時』は無情に過ぎただけではなかったようだ。男の問い掛けに返答が来るようになり、その頻度も上がった。それは男が怒鳴るのを止め、頼むように、そして願うようにしたことも要因と思われたが、実際は『時』が、それぞれの男たちの心を良い意味で削ぎ落としていったからだろう。それでも話の信憑性には疑わしいものがあるが、それを言ったら切りがない、と落ち着きを見せる男である。
しかし、男が住んでいた街の様子を聞くにつれ、良い話など全くなく、芳しくない話ばかりだった。その中で、というか不思議なことではあるが、話の殆どが男が去って間もない頃の出来事であったのは何かの偶然なのかもしれない。それとも誰かが気を利かしてくれたのだろうか。
そうして話を集めた男は、頭の中で何とか時系列を合わせると、残された家族の様子が朧げながら分かってきたようだ。しかしそれは悲惨な物語であり、救うことの出来なかった不甲斐なさを嘆いた。
それらは遠い昔、男が安易に投げ捨てた己の運命であり、不幸に巻き込んだ張本人である男は、流せない涙の代わりに、ただ叫ぶことしか出来ないでいた。そしてそれに追い討ちをかけるように、家族が住む家が火災で無くなったという話が舞い込んでくる。それも失火ではなく、「俺が家に火をつけた」と、放火した本人からの告白だったようだ。
それを聞いた男は、どこの誰だか分からない相手に、「殺してやる、必ず殺してやるからな」と叫び続けた後、暫く無言になった。これらの期間は数時間というものではなく、抱えきれない程の『時』によって数年単位である。
そうして男が沈黙を止めたのは、何かをブツブツと歌い始めてからだ。それは次第に大きな声となり、その下手くそな歌い方は誰にとっても耳障りとなる。それでも男が歌い続けたのは、下手なことを気にしなくなったからなのか、それとも歌わずにはいられない心境だったからだろう。
その歌は誰でも知っているようなものであったせいか、一緒になって歌い出す者が出てきた。それは、もしかしたら伝言のつもりだったかもしれないが、歌は伝染し、多くの者が、それぞれ勝手に歌い始めた。そうして憂さを晴らそうとしていたのかもしれないが、それが数年も続くと、バラバラだった歌も不思議と合うようになってくる。その頃になると、自分たちが歌っている理由さえ分からなくなり、そのせいなのか、誰も止める者は居なかったようだ。
歌は大合唱となり、この世界を揺るがすのではないかと思えるくらいだったが、ここは広く深く、その歌声も隅々まで轟かすには小さ過ぎたようだ。それは、どんなに大声で歌おうが時計塔が刻む『時』の音だけはしっかりと聞こえ、その存在を忘れさせてはくれなかった。それでも男は歌に合わせて体を、つまりランタンを揺らし始めた。それで何がしたいのかは分からないが、大きく揺らすことだけに集中していたのかもしれない。それで隣と当たることはなく、どんなに多くのランタンがぶら下がっていようとも十分な間隔が取れるほど、長くて広い世界である。
男が揺れ始めると、それを見た他の者も真似して揺れ始めた。その揺れは、長く伸びたロープでも最後まで行き渡り、そのことにより、より多くの者が『揺れ』を楽しみ始めた。それはうねりとなって全体を揺るがし、もしこの光景を傍から見れば、暴れ狂うランタンは異様に見えたことだろう。
しかし、一瞬でもそれを『楽しい』と感じたことが誰かの怒りに触れたのかもしれない。それは、揺れていたランタンの紐が切れ、地面に落ちてしまったのだ。ただし、揺れていたランタン全てではなく数百程度である。その選別、というか運命の分岐となった要因は分からない。もしかしたら適当に『選ばれた』のかも知れないが、運の悪さと言えばその中に男も含まれていたことだろう。
「おい! 大丈夫か」と隣の者が声を掛けたが返答はなかった。それはきっと、ここでの『死』を意味するのだろうと隣には思えた。それは単に男の声が聞こえないだけなのかもしれない、と思いたいが、落ちた衝撃でランタンのガラスが割れたことで、もう男はここには居ないのだと察したようだ。それに、そう、ランタンのガラスが割れたのは見渡す限り男のランタンのみであり、炎も消えてしまっていた。それで男の存在が消えたと考えたとしても、たぶんそれが正解になるのだろう。
男が落下してから砕け散るまでの間、これで『時』の呪縛から解放されることを喜んだか、それとも何がしらの未練が有ったかどうかは誰にも分からない。恐らくその一瞬に思い巡らした事が、男にとって幸ある夢であれば、罪から救われたことだろう。但し、それが許されていればの話である。
◇
ある街の外れに並木道がある。そこは茂った枝などで光を遮られ昼間でも薄暗く、日が暮れればトンネルのように暗くなる道である。そして更にその先に進むと、余り裕福ではない者たちが住む住宅が以前はあったが、今では工場地帯となっており、並木道が唯一の通り道となっている。
そこを行き交う人々の間では並木道について都市伝説のような噂があったようだ。その噂とは、昔まだ住宅があった頃、ある家が火事になり、逃げ出した住人が街まで避難しようと並木道を通った際に起きた『ある出来事』の話である。
夕刻に出火した家は他の家とは離れていたため他に被害は無かったそうだが、出火した家の娘に入れ込んでいた男が家に火を放ったという。その時、家には娘しかおらず、火災には気が付かなかったそうだが、運良く帰宅した母親と共に燃え盛る家から無事脱出すことが出来たとある。
この時、娘には誰が放火したのかは直ぐに分かったようだが、それを問題にするよりも、早くその場から離れたいという思いの方が強かったそうだ。それは、家が他の家と離れていたことも関係していたようだが、それ以上の事は分からない。
とにかく、身近に世話になれないとなれば街に行くしかない。そう考えた母と娘は裸足のまま街に向かって歩き出した。そうして並木道に差し掛かると既に陽は暮れており、その先は、まるで道が無いかのような暗闇だった。それは今でも同じことであるが、足元を照らす明かりを持たぬ母と娘にとっては、それでもここで立ち止まる訳ににはいかず、闇の中を進んだ。
もしこの時、誰か先を行く者が居れば良かったのだが、運に突き放されたかのようにその望みは叶わず、恐る恐る歩き進めるしかなかった。しかし、全く先が見えないという訳でもない。次第に暗闇に目が慣れてくると多少は見えてきたが、それよりも不気味な闇が母と娘の心に追い討ちをかけていたことだろう。
街に行くと決めたものの、特に当てがある訳でもなく、この先の事を考える余裕も無い、街までの道もよく見えないなど、全てが負の方向に向かっているという不運を堰き止める柱を持てぬまま、このまま闇の中に溶け込んでしまいたいと思っても無理はないだろう。
そんな、挫けた心を引き摺りながら、今にも折れそうな娘が、遠くに小さな明かりを見つけた。それを見た時、娘はその先に誰かが居るのだろうと期待し歩みを速めたが、小さな明かりが動く様子はなく、それが人ではないと分かると落胆し、立ち止まってしまった娘である。
それでも先に進もうと母親が娘の手を取り促すと、小さな明かりが急に増えだし、それは並木道を照らす光となった。それは一体、何が起こったのか分からなかった母と娘だったが、とにかく光のあるところまで進んだ。
すると、小さな明かりはランタンであることが分かった。それもかなりの数が木の枝にぶら下がり、それは並木道の終わりまで続いているようだった。そのランタンはどれも古いものばかりで、何故明かりがついているのかさえ不思議な程だった。
だが、明るくなったおかげで楽に並木道を通り抜けられた母と娘は無事に街に着いたという。その後、その話を聞いた別の者がその並木道を訪ねたが、ランタンも、それらしい物も見つからず、きっと星の光と見間違えたのだろうと噂したが、時々、ランタンの明かりを見た、という噂も一緒に広まったようである。
これらの話の真意は確かめようがないが、もしかしたら、あの男の仕業だったのかもしれないと思わずにはいられない。それはあの男の意志ではなかったとしても、少なくとも誰かの意志があったのだろうと思いたいものである。
【おわり】
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三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
鬼の兵法伝承者、異世界に転世せしむる
書仙凡人
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俺の名は桜木小次郎。
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その時、自称神様の変なペンギンが現れて、ファンタジー世界の転生を持ちかけられた。
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