聖戦協奏曲〜記憶喪失の僕は王女の執事をしながら音楽魔法で覚醒する〜

フクロウ

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選抜試験編

第21話 暴走

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 しかし、やはり何も起こらなかった。マリーは目を瞑り、もう一度鍵盤を叩いた。それでも、同じ景色が続くだけ。何度も何度も鍵盤を弾き、奏で、叩くが何も変わらなかった。変わったとすれば、悲しげな虚ろな旋律が流れるのみ。

「もういい、もういいよマリー」

 僕の呟く声を掻き消すように悲壮なメロディが続く。揃わない粒が、せかす旋律がマリーの心の内を物語っていた。

「マリー様。そのご覚悟は受け取りましたが、どうかもうおやめください。その演奏は……カールステッド家の、我々の王家の演奏ではないのではありませんか?」

 ルイスの言葉に音が跳んでも、マリーは懸命に弾き続けた。よりによってなんで対戦相手がルイスなんだ。止めに入りたくなる自分を唇を強く噛むことででなんとか留めていた。

「わかりました。では、行かせていただきます!」

 ルイスの音とともに小さな複数の火球がマリーの方へ向かう。そんなに早くもない、かわそうと思えばいくらでもかわせるそれは、しかし、守る術を持たないマリーに当たり、小さな焦げ目を残していく。

 それでも、何かに取り憑かれたようにマリーはピアノを弾き続けた。

 ルイスは再び優雅にヴァイオリンを奏で始める。一つ一つの音が際立つ情熱的でいて、しっかりと凝縮され構成された音の連なりが、カロリナのそれに似た大きなドラゴンを創り出した。

 最後の一音が終わると同時にそれがマリーに猛然と襲いかかる。あれを生身で受けてはただの怪我ではすまない。

「どうぞ、私の全力をお受け止めください」

 マリーはなおも演奏に執着する。迫り来る火の塊に怯えた表情を浮かべながらも、まだ演奏の手は止まらない。

「マリー! 逃げろ!!」

 思わず大声を張り上げてしまう。周りからも悲鳴に似た声が上がった。

 ドラゴンがマリーの身体にぶつかる寸前。ピアノの激しいアレグロが走った。別のドラゴンがマリーの前に出現し、ルイスのドラゴンを飛散させた。

「カ、カロリーナ様!!」

 マリーの後ろに赤いピアノに座るカロリナがいた。カロリナはルイスを一瞥すると、立ち上がり、ピアノを消した。

 そして、マリーの肩に優しく手を置き、「カロリーナ・ジクスムント・ヴァーサ・ユセフィナ・カールステッドの名において、この勝負、マリー・ジクスムント・ベルナドッデ・ユセフィナ・カールステッドの負けとする」と宣言した。

 ルイスの取り巻きがまばらな拍手をするなか、気づいたら僕は小刻みに肩を震わすマリーの元へ駆け寄っていた。

 階段を下りる度に大きくなるマリーの姿に胸を締め付けられる。ルイスが僕をちらりと見てすぐに席に戻っていく。カロリナがマリーの手を取り立ち上がらせる。僕に気付いたマリーが顔を上げる。まるで大雨でも降ったんじゃないかと思わされる、ぐしゃぐしゃに歪んだその顔が、僕の肩に飛びついてきた。

「マリー!!」

 ふわりと漂う石けんの香りと焦げ臭さが合わさった何とも言えない匂いが鼻をついた。滴り落ちる涙が制服を濡らす。

 僕の腕から顔を離したマリーは、何かを告げようと懸命に口を動かした。溢れる言葉を、感情を、想いを、決して震えることのない声に乗せようと。


 僕はカロリナとともに、ひとまずマリーを教会へと連れていった。マリーの負けは決定したが、もちろん選抜試験は続行される。

 試験が告知された3日前と同じように、教会のなかにはステンドガラスを通じて眩しい陽光が注ぎ込み、壁や長椅子の背もたれがキラキラと光輝いているように見えた。

 3日間、マリーはきっと一人で闘っていたんだ。オーケ先生には理由を言わずにピアノで試験に臨むことを決め、葛藤と恐怖と闘いながら今日を迎えた。

 水で濡らしたハンカチで顔を拭いたマリーは、鞄からノートを取り出し、言葉を綴った。試験会場から教会まで少し歩いて、だいぶ落ち着いたようだった。

〈ごめん、変なところ見せちゃって〉

〈大丈夫だよ。みんなの前で抱きつかれたのはちょっと恥ずかしかったけど〉

〈ごめん……〉

 カロリナは教会の外にいた。「マリーの本音を聞くのなら、二人きりの方がいいと思うのよ」と耳打ちして、すぐに席を外したのだ。

〈どうしてリベラメンテを使わなかったの、って思ってるよね?〉

〈うん。でも、オーケ先生がカールステッド家っていうプライドじゃないかって言ってたけど〉

 マリーは、考え込むようにじっと一点を見つめて、止まった手を動かした。

〈それもあると思う。だけど、なんかピアノから逃げたら負けたみたいでいや、だったのかな〉

〈ずっと頑張ってきたことが無駄になる、みたいな感じ?〉

 マリーはためらいながらもゆっくりと頷いた。

 僕はしばし迷ったが、率直にあのとき感じた思いを伝えることにした。すなわち。

「そんなに頑張る必要あるのかな?」

 マリーは驚いたように口と目を大きく開けて僕の顔を見る。その目をじっと見つめながら、僕は言葉を続けた。

「そこまで無理をして、傷ついて、そこまでしないとダメなのかい?」

 マリーは引ったくるように僕の手からノートを取ると、文字を書き連ねた。

〈だって、頑張らないといけないから。私は、魔法を使えないといけないの! だから、頑張って、頑張って、この声だって出せないとダメなの!〉

 後半の文字はぐしゃぐしゃに崩れていた。昂|《たかぶ》る感情のまま書いたせいもあるが、またその涼しげな青色の瞳一杯に涙が貯まっていた。

 その瞳はいったいいくつの哀しみを見つめてきたのだろう。いくつの痛みを閉じ込めてきたのだろう。

 自分の両親を目の前で亡くしたマリーは、声を失うほどの衝撃を受けた。マリーはずっとそれに捕らわれたまま生きてきたんだ。

「マリー。いくらカールステッドの名を持つとしても、そこまで頑張る必要はないんじゃない?」

〈違う! そうじゃない! カールステッドだから頑張ってるわけじゃない! 私は、私は〉

 言葉はそこで途切れてしまった。溢れ出た涙を止めるために両手で顔を覆わなければいけなかったから。

「マリー」

 言わない選択肢もあった。言わない方がよかったのかもしれない。だけど、今の僕にはどうしても言わざるをえなかった。

「クーデターのとき、マリーの目の前で両親が殺されたのは知ってる」

 マリーの手がピタッと止まった。

「単純かもしれないけど、それが原因で話せなくなったんじゃないかって、思ったんだ。魔法が使えなくなったことも。だから、無理をする必要はないと思うんだ。頑張れば頑張るだけ、そのことがマリーを苦しめる」

 マリーは涙を流しながら首を横に振った。何度も、何度も。僕の言葉を否定するように、過去の出来事を否定するように。そして、ノートに震える手で文字を綴る。

 その文字が僕の目に飛び込んできた。

〈違う。私が殺したの。私が、私が、私が、私が!〉

「なん……だって?」

 私が、殺した? なにを? 両親を? なんで? どうして?

 疑問の眼差しを向けると、マリーは苦しそうに身体を屈め、頭を両手で押さえつけていた。過呼吸状態のように呼吸が乱れ、止まらない涙が椅子を濡らし、地面に垂れる。

 いや、涙の量がこんなにあるわけない。これは──。

 マリーの身体が青白く包まれたかと思ったら眩い光が放出され、教会中が光に包まれた。
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