46 / 116
スルノア王宮防衛戦
第44話 生きる方策
しおりを挟む
「なんだって!?」
ここを置いて後ろへ戻れと言うのか? いくら弦楽三重奏があっても兵士達が一斉に攻撃しようとも、あのグラティスと名乗った少年の圧倒的な暴力の前には、万が一にも勝ち目はないだろう。そんなこと──。
「いいから行って! ここで手をこまねいて見ているよりは全然いいでしょ! ハルト!!」
ルイスの叫ぶような声に体が動き出していた。
「あらら、逃げるのかい? 稀人くん。楽しくないなぁ」
その言葉を背に受けて止まりそうになる足を無理矢理前へと動かし、僕は王宮に向かって走った。そこには、空に轟く魔物の姿に恐れる者、武器や楽器を構え臨戦態勢に入る者、突然走り出した僕を訝しげに見る者、いろんな顔が心が音が入り乱れていた。けれど、そのどれ一つをも僕はまともに見ることができず、下を向いて走った。僕は、動けなかった。見ているだけだった。何も、何もできなかった。悔しさで奮い立つことも守るために身を呈することもできず、ただ、恐怖に呑み込まれるばかりだった。音楽が、もう、途切れてしまったんだ。
そんな僕の手を誰かがぐいっと引っ張る。顔を上げると、髭もじゃの顔がそこにあった。
「何やってるんだ! ハルト!!」
オーケ先生は僕の顔を見るなり、怒声を上げた。そりゃそうだろう。状況がわからない先生からしたら敵前逃亡したようなものだ。
「すみません。敵があまりにも強くて、カロリナの防壁が解けてしまったので、助けに」
「だったらもっと胸を張れ! 何を負けたような顔をしてる! そんな後ろ向きな状態ではカロリーナ様の足手まといになるだけだ!!」
オーケ先生の大きい手が僕の肩をつかむ。
「いいか、ハルト。戦場において、たたかいにおいて最も大切なことは諦めないことだ。勝つか負けるかの話ではない。生きることを諦めるな。どんなときでも生き抜く方法を考えろ。最後までしぶとく生き抜いたものが勝者だ。お前が生き抜かないと、お前のために死んでいった兵士達の死が無駄になる。ルイスもカロリーナ様も、エドガーも、そしてマリー様が永遠にお前を恨むことになる。無論私もだ。だから胸を張れ! 生きる方策を考え抜け!!」
オーケ先生の太い低音の声は、優しくしかし力強く響き、全身を貫いていった。
そうだ。ルイスも言っていた。「後ろにはまだたくさん味方がいるじゃない」と。
何もできなかったなら、今から何かすればいい。それだけだ。
前を見据えた途端、大量の音が雪崩のように流れ込んできた。人々が大声で叫ぶ声、地面を鳴らす音、ルイスたちの戦闘の音、そして弱々しく途切れがちなカロリナのピアノの音色。オーケストラのような音の合間に一つだけ微かに不気味な不協和音が聞こえる。
その音の源を見上げると、空中で演奏を続けるカロリナの姿が見えた。魔法で創った簡易的な足場の上で赤色の半透明なピアノが揺らめく。
カロリナの音が弱っている理由ははっきりとしていた。赤壁がなくなったときからずっと鳴り続けている悪寒が走るような不協和音だ。
敵にとって最も重要な攻略対象は、カロリーナ・カールステッドだと言うことは作戦会議でも指摘されていた。その対策は何か戦いが始まるまでわからなかったが、不協和音がその答えだったようだ。
「天使の手」と評され、どんな難解な曲でも完璧に弾きこなすカロリナは、おそらく絶対音感を持っている。人よりも音に敏感で学校の生徒たちの演奏にも眉をひそめるほどだ。不協和音はたいていの曲に含まれており、協和音と不協和音のその妙が心を動かす演奏になる。だが、今ずっと流れているこのフルートの音の羅列は全てが不協和音だった。
おそらく、この相手はパーフェクトなカロリナにとって最も苦手な相手。
王宮の目の前まで来たところでヴェルヴに緑色に光るリベラメンテを装着した。浮かべるのはもちろんエドのティンパニ。ここにエドがいればどんなに心強いかと思いながら。
心臓を鷲掴みにするような重低音。それなのにティンパニのヘッドを弾くごとに華やかに色鮮やかな世界が広がる。聞いていると勇気が湧いてくる演奏だ。
「エド、お前の音を借りるぞ」
背丈の2倍ほどの大きさに伸びたヴェルヴを横に払うと、何もない空間に岩が集まり人一人分の足場が出現した。そこへ飛び上がり、また足場を創る。
それを何度も重ねるのと比例して不協和音が大きくなっていった。わかるのはそれがフルートの音色だということと、演奏者が一人だけということ。そして、そこから類推されるのは、敵が優秀だということだ。いくつもの音を同時に出せるピアノと違ってフルートは基本的に一つの音しか出せない構造になっている。特殊な運指、息遣いを駆使して複数の音をそれも持続的にブレない音として出すには長い訓練が必要となる。
「カロリナ!」
ようやくカロリナの元へたどり着くと、カロリナは片手で耳を塞ぎながらもう片方の手でなんとか鍵盤を押していた。まともな演奏すらできていない状態だった。
「ハルト……」
ここを置いて後ろへ戻れと言うのか? いくら弦楽三重奏があっても兵士達が一斉に攻撃しようとも、あのグラティスと名乗った少年の圧倒的な暴力の前には、万が一にも勝ち目はないだろう。そんなこと──。
「いいから行って! ここで手をこまねいて見ているよりは全然いいでしょ! ハルト!!」
ルイスの叫ぶような声に体が動き出していた。
「あらら、逃げるのかい? 稀人くん。楽しくないなぁ」
その言葉を背に受けて止まりそうになる足を無理矢理前へと動かし、僕は王宮に向かって走った。そこには、空に轟く魔物の姿に恐れる者、武器や楽器を構え臨戦態勢に入る者、突然走り出した僕を訝しげに見る者、いろんな顔が心が音が入り乱れていた。けれど、そのどれ一つをも僕はまともに見ることができず、下を向いて走った。僕は、動けなかった。見ているだけだった。何も、何もできなかった。悔しさで奮い立つことも守るために身を呈することもできず、ただ、恐怖に呑み込まれるばかりだった。音楽が、もう、途切れてしまったんだ。
そんな僕の手を誰かがぐいっと引っ張る。顔を上げると、髭もじゃの顔がそこにあった。
「何やってるんだ! ハルト!!」
オーケ先生は僕の顔を見るなり、怒声を上げた。そりゃそうだろう。状況がわからない先生からしたら敵前逃亡したようなものだ。
「すみません。敵があまりにも強くて、カロリナの防壁が解けてしまったので、助けに」
「だったらもっと胸を張れ! 何を負けたような顔をしてる! そんな後ろ向きな状態ではカロリーナ様の足手まといになるだけだ!!」
オーケ先生の大きい手が僕の肩をつかむ。
「いいか、ハルト。戦場において、たたかいにおいて最も大切なことは諦めないことだ。勝つか負けるかの話ではない。生きることを諦めるな。どんなときでも生き抜く方法を考えろ。最後までしぶとく生き抜いたものが勝者だ。お前が生き抜かないと、お前のために死んでいった兵士達の死が無駄になる。ルイスもカロリーナ様も、エドガーも、そしてマリー様が永遠にお前を恨むことになる。無論私もだ。だから胸を張れ! 生きる方策を考え抜け!!」
オーケ先生の太い低音の声は、優しくしかし力強く響き、全身を貫いていった。
そうだ。ルイスも言っていた。「後ろにはまだたくさん味方がいるじゃない」と。
何もできなかったなら、今から何かすればいい。それだけだ。
前を見据えた途端、大量の音が雪崩のように流れ込んできた。人々が大声で叫ぶ声、地面を鳴らす音、ルイスたちの戦闘の音、そして弱々しく途切れがちなカロリナのピアノの音色。オーケストラのような音の合間に一つだけ微かに不気味な不協和音が聞こえる。
その音の源を見上げると、空中で演奏を続けるカロリナの姿が見えた。魔法で創った簡易的な足場の上で赤色の半透明なピアノが揺らめく。
カロリナの音が弱っている理由ははっきりとしていた。赤壁がなくなったときからずっと鳴り続けている悪寒が走るような不協和音だ。
敵にとって最も重要な攻略対象は、カロリーナ・カールステッドだと言うことは作戦会議でも指摘されていた。その対策は何か戦いが始まるまでわからなかったが、不協和音がその答えだったようだ。
「天使の手」と評され、どんな難解な曲でも完璧に弾きこなすカロリナは、おそらく絶対音感を持っている。人よりも音に敏感で学校の生徒たちの演奏にも眉をひそめるほどだ。不協和音はたいていの曲に含まれており、協和音と不協和音のその妙が心を動かす演奏になる。だが、今ずっと流れているこのフルートの音の羅列は全てが不協和音だった。
おそらく、この相手はパーフェクトなカロリナにとって最も苦手な相手。
王宮の目の前まで来たところでヴェルヴに緑色に光るリベラメンテを装着した。浮かべるのはもちろんエドのティンパニ。ここにエドがいればどんなに心強いかと思いながら。
心臓を鷲掴みにするような重低音。それなのにティンパニのヘッドを弾くごとに華やかに色鮮やかな世界が広がる。聞いていると勇気が湧いてくる演奏だ。
「エド、お前の音を借りるぞ」
背丈の2倍ほどの大きさに伸びたヴェルヴを横に払うと、何もない空間に岩が集まり人一人分の足場が出現した。そこへ飛び上がり、また足場を創る。
それを何度も重ねるのと比例して不協和音が大きくなっていった。わかるのはそれがフルートの音色だということと、演奏者が一人だけということ。そして、そこから類推されるのは、敵が優秀だということだ。いくつもの音を同時に出せるピアノと違ってフルートは基本的に一つの音しか出せない構造になっている。特殊な運指、息遣いを駆使して複数の音をそれも持続的にブレない音として出すには長い訓練が必要となる。
「カロリナ!」
ようやくカロリナの元へたどり着くと、カロリナは片手で耳を塞ぎながらもう片方の手でなんとか鍵盤を押していた。まともな演奏すらできていない状態だった。
「ハルト……」
0
あなたにおすすめの小説
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
男爵家の厄介者は賢者と呼ばれる
暇野無学
ファンタジー
魔法もスキルも授からなかったが、他人の魔法は俺のもの。な~んちゃって。
授けの儀で授かったのは魔法やスキルじゃなかった。神父様には読めなかったが、俺には馴染みの文字だが魔法とは違う。転移した世界は優しくない世界、殺される前に授かったものを利用して逃げ出す算段をする。魔法でないものを利用して魔法を使い熟し、やがては無敵の魔法使いになる。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
ギルドの片隅で飲んだくれてるおっさん冒険者
哀上
ファンタジー
チートを貰い転生した。
何も成し遂げることなく35年……
ついに前世の年齢を超えた。
※ 第5回次世代ファンタジーカップにて“超個性的キャラクター賞”を受賞。
※この小説は他サイトにも投稿しています。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
世の中は意外と魔術で何とかなる
ものまねの実
ファンタジー
新しい人生が唐突に始まった男が一人。目覚めた場所は人のいない森の中の廃村。生きるのに精一杯で、大層な目標もない。しかしある日の出会いから物語は動き出す。
神様の土下座・謝罪もない、スキル特典もレベル制もない、転生トラックもそれほど走ってない。突然の転生に戸惑うも、前世での経験があるおかげで図太く生きられる。生きるのに『隠してたけど実は最強』も『パーティから追放されたから復讐する』とかの設定も必要ない。人はただ明日を目指して歩くだけで十分なんだ。
『王道とは歩むものではなく、その隣にある少しずれた道を歩くためのガイドにするくらいが丁度いい』
平凡な生き方をしているつもりが、結局騒ぎを起こしてしまう男の冒険譚。困ったときの魔術頼み!大丈夫、俺上手に魔術使えますから。※主人公は結構ズルをします。正々堂々がお好きな方はご注意ください。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる