59 / 116
ユセフィナのご帰還編
第54話 カロリナの訪問
しおりを挟む
暖炉というものは、空気と同じように必要不可欠なものだ。部屋を暖めてくれるだけでなく、熱湯まで沸かしてくれる。
カロリナ曰く特別に焙煎してもらったらしいコーヒー粉の上に2、3滴お湯を垂らすと、蒸気とともに鼻腔《びこう》を刺激する芳《かぐわ》しい香りがふわっと舞い上がった。その香りに誘われるようにさらにお湯を注いでいくと、布フィルターを通じて金色のラインが施されたカップにポタポタと滴が落ちていく。その音までもが美味しそうだった。
香り、音と続いて視覚でも美味しさを堪能しようとするが、その試みに邪魔が入る。
「だから、私が淹れてあげるって言ったじゃない!」
スルノア国第一王女であるカロリナ・カールステッドのその漆黒の瞳には、赤い怒りの焔が宿っていた。
「ですから、王女であるカロリーナ様にコーヒーを淹れてもらうなど、執事の身分では到底お願いできないことでありまして──」
カロリナは花にたとえるのならまさにバラのように赤の似合う女性だった。大きく開いた瞳に高い鼻、そして分厚い唇と遠目からでもわかる目立つ顔立ちに、肩まで出した真っ赤なドレス姿の似合う抜群のプロポーション。それらを腰の高さまでのシルクのようなしなやかな黒髪が際立たてせている。すぐ紅潮し怒り出すところすら、カロリナらしかった。
「──それにいくら『帰還の日』とはいえ、早朝からドタバタと人の部屋に上がり込んで、唯一と言っていい至福の時間を奪ったんだから、文句を言われる筋合いはないと思うが」
睨み付けるカロリナの視線を合わせないようにもう一つのコーヒーカップにもお湯を注ぐ。
「む……まあ、それはほんの少し配慮が足りなかったわ。けれど、いいじゃない。貴方は私の執事なんだから。執事の部屋に入るのは私の権利よ」
ワガママな論理だが、そこは王女様なのだから仕方がない。僕の吐いた息を肯定と捉えたのか、カロリナの顔に上品な微笑みが戻った。
「いい香りね」
並々と注がれたカップを手元に引き寄せながらカロリナは言った。 僕も暖かみのある椅子に軽く腰掛け、コーヒーを一口、口に含む。美味しい。深いコクと渋味が口奥へ流れ込み、その香りとともに心を落ち着かせてくれた。こうやってよく憎まれ口を叩くものの、わざわざ自分用に豆を用意してくれたカロリナには感謝しているのだ。……いや、実際に市場から手配してくれているのは、シェフたちなのだけど。
カロリナも目を瞑ってコーヒーを飲むと、くもった窓の外を眺めながら深い息を吐き出した。
「それで、鉄製のスケート靴は買えたのか?」
「スケート? ああ、そう、ちょうどそのことでも話があってきたのよ」
そのこと……でも?
「今日の午後にギルドから何人か鍛治師が来るのよ。それで子どもたち一人ひとりに合わせた靴を作ってもらえることになったの!」
なんと豪華な。オーダーメイドの靴なんてそれなりにお金が掛かるだろうに。おそらく大臣たちは眩暈《めまい》を起こしているに違いない。
「それで急なんだけど、貴方にもその場に立ち会ってもらうことにしたわ。午前中のご帰還以外何の予定もないでしょ?」
「いや、普通に講義が──」
「休めばいいじゃない。その代わりに私が時間をつくって特別演習してあげるわ」
「また特別演習か……」
あの王宮防衛戦以降、カロリナはなにかとレッスンをつけたがっていた。推測すると理由は3つある。1つは国内各地で散発的に起こっていたゲリラとの衝突事件が、王宮防衛戦以降、明確な「解放軍」という名の下に組織だって行われるようになったこと。2つは、僕が非公式ながら一部隊を率いる部隊長の任務を得たこと。そして3つめは、僕が未だに音楽魔法──つまり、楽器を用いた上級魔法を使えないということだ。不安定な情勢下で仮にも部隊長が十分な戦力を持たないというのは問題なわけで、懸命に努力はしているつもりなのだが、残念ながら全く成長が感じられなかった。
とは言え、この寒さの中で雪を割って──カロリナの魔法を使えば一瞬で雪を融かすことはできるのだろうが──までレッスンを受ける気にはなれなかった。それに口が割けても言葉にはできないが、カロリナのスパルタ式の教え方よりは、オーケ先生やマリーの教え方の方が僕には合っているような……気がする。
カロリナはガシャンっと音を立ててカップをソーサーの上に置いた。真っ直ぐ見つめる瞳のなかにはまた炎がほとばしっている。
「何かご不満でも?」
「いや」
少しばかり焦った気持ちを呑み込むようにコーヒーを飲む。
「ところで、他にも用事があったんじゃないのか?」
カロリナ曰く特別に焙煎してもらったらしいコーヒー粉の上に2、3滴お湯を垂らすと、蒸気とともに鼻腔《びこう》を刺激する芳《かぐわ》しい香りがふわっと舞い上がった。その香りに誘われるようにさらにお湯を注いでいくと、布フィルターを通じて金色のラインが施されたカップにポタポタと滴が落ちていく。その音までもが美味しそうだった。
香り、音と続いて視覚でも美味しさを堪能しようとするが、その試みに邪魔が入る。
「だから、私が淹れてあげるって言ったじゃない!」
スルノア国第一王女であるカロリナ・カールステッドのその漆黒の瞳には、赤い怒りの焔が宿っていた。
「ですから、王女であるカロリーナ様にコーヒーを淹れてもらうなど、執事の身分では到底お願いできないことでありまして──」
カロリナは花にたとえるのならまさにバラのように赤の似合う女性だった。大きく開いた瞳に高い鼻、そして分厚い唇と遠目からでもわかる目立つ顔立ちに、肩まで出した真っ赤なドレス姿の似合う抜群のプロポーション。それらを腰の高さまでのシルクのようなしなやかな黒髪が際立たてせている。すぐ紅潮し怒り出すところすら、カロリナらしかった。
「──それにいくら『帰還の日』とはいえ、早朝からドタバタと人の部屋に上がり込んで、唯一と言っていい至福の時間を奪ったんだから、文句を言われる筋合いはないと思うが」
睨み付けるカロリナの視線を合わせないようにもう一つのコーヒーカップにもお湯を注ぐ。
「む……まあ、それはほんの少し配慮が足りなかったわ。けれど、いいじゃない。貴方は私の執事なんだから。執事の部屋に入るのは私の権利よ」
ワガママな論理だが、そこは王女様なのだから仕方がない。僕の吐いた息を肯定と捉えたのか、カロリナの顔に上品な微笑みが戻った。
「いい香りね」
並々と注がれたカップを手元に引き寄せながらカロリナは言った。 僕も暖かみのある椅子に軽く腰掛け、コーヒーを一口、口に含む。美味しい。深いコクと渋味が口奥へ流れ込み、その香りとともに心を落ち着かせてくれた。こうやってよく憎まれ口を叩くものの、わざわざ自分用に豆を用意してくれたカロリナには感謝しているのだ。……いや、実際に市場から手配してくれているのは、シェフたちなのだけど。
カロリナも目を瞑ってコーヒーを飲むと、くもった窓の外を眺めながら深い息を吐き出した。
「それで、鉄製のスケート靴は買えたのか?」
「スケート? ああ、そう、ちょうどそのことでも話があってきたのよ」
そのこと……でも?
「今日の午後にギルドから何人か鍛治師が来るのよ。それで子どもたち一人ひとりに合わせた靴を作ってもらえることになったの!」
なんと豪華な。オーダーメイドの靴なんてそれなりにお金が掛かるだろうに。おそらく大臣たちは眩暈《めまい》を起こしているに違いない。
「それで急なんだけど、貴方にもその場に立ち会ってもらうことにしたわ。午前中のご帰還以外何の予定もないでしょ?」
「いや、普通に講義が──」
「休めばいいじゃない。その代わりに私が時間をつくって特別演習してあげるわ」
「また特別演習か……」
あの王宮防衛戦以降、カロリナはなにかとレッスンをつけたがっていた。推測すると理由は3つある。1つは国内各地で散発的に起こっていたゲリラとの衝突事件が、王宮防衛戦以降、明確な「解放軍」という名の下に組織だって行われるようになったこと。2つは、僕が非公式ながら一部隊を率いる部隊長の任務を得たこと。そして3つめは、僕が未だに音楽魔法──つまり、楽器を用いた上級魔法を使えないということだ。不安定な情勢下で仮にも部隊長が十分な戦力を持たないというのは問題なわけで、懸命に努力はしているつもりなのだが、残念ながら全く成長が感じられなかった。
とは言え、この寒さの中で雪を割って──カロリナの魔法を使えば一瞬で雪を融かすことはできるのだろうが──までレッスンを受ける気にはなれなかった。それに口が割けても言葉にはできないが、カロリナのスパルタ式の教え方よりは、オーケ先生やマリーの教え方の方が僕には合っているような……気がする。
カロリナはガシャンっと音を立ててカップをソーサーの上に置いた。真っ直ぐ見つめる瞳のなかにはまた炎がほとばしっている。
「何かご不満でも?」
「いや」
少しばかり焦った気持ちを呑み込むようにコーヒーを飲む。
「ところで、他にも用事があったんじゃないのか?」
0
あなたにおすすめの小説
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
男爵家の厄介者は賢者と呼ばれる
暇野無学
ファンタジー
魔法もスキルも授からなかったが、他人の魔法は俺のもの。な~んちゃって。
授けの儀で授かったのは魔法やスキルじゃなかった。神父様には読めなかったが、俺には馴染みの文字だが魔法とは違う。転移した世界は優しくない世界、殺される前に授かったものを利用して逃げ出す算段をする。魔法でないものを利用して魔法を使い熟し、やがては無敵の魔法使いになる。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
ギルドの片隅で飲んだくれてるおっさん冒険者
哀上
ファンタジー
チートを貰い転生した。
何も成し遂げることなく35年……
ついに前世の年齢を超えた。
※ 第5回次世代ファンタジーカップにて“超個性的キャラクター賞”を受賞。
※この小説は他サイトにも投稿しています。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
世の中は意外と魔術で何とかなる
ものまねの実
ファンタジー
新しい人生が唐突に始まった男が一人。目覚めた場所は人のいない森の中の廃村。生きるのに精一杯で、大層な目標もない。しかしある日の出会いから物語は動き出す。
神様の土下座・謝罪もない、スキル特典もレベル制もない、転生トラックもそれほど走ってない。突然の転生に戸惑うも、前世での経験があるおかげで図太く生きられる。生きるのに『隠してたけど実は最強』も『パーティから追放されたから復讐する』とかの設定も必要ない。人はただ明日を目指して歩くだけで十分なんだ。
『王道とは歩むものではなく、その隣にある少しずれた道を歩くためのガイドにするくらいが丁度いい』
平凡な生き方をしているつもりが、結局騒ぎを起こしてしまう男の冒険譚。困ったときの魔術頼み!大丈夫、俺上手に魔術使えますから。※主人公は結構ズルをします。正々堂々がお好きな方はご注意ください。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる