71 / 116
ユセフィナのご帰還編
第66話 コーヒーは格別
しおりを挟む
ふんふんとクラーラの長台詞を促しながら、僕も食後のデザートを手に取った。口のなかが甘ったるさでいっぱいになり、コーヒーがほしくなる。
「それなのにです。貴方はこうも冷静でいるし、外に出ようともしない、この世界の姿を探ろうともしない。与えられた任務をまっとうし、次から次へと出される難問をなんだかんだと言いながら引き受けてしまう。戦いにだって巻き込まれて危うく命を落とし掛けたのに、貴方はいったい、なんでここにいるんですか?」
時と場所が違えば、あるいは好奇心旺盛で知識欲豊富な王女の性格を知らなければ、詰問されているようにも聞こえるだろう。けれどその子どものような純真な瞳は、質問がまったく知的好奇心から聞いていることをうかがわせる。
「なんでここにいるのか……」
腕を組んで考える。こうして言われてみれば、なんでここにいることにしたのかその理由は明確ではないことに気がつく。最初は、行くあてもないなかで執事と学院の生徒になってマリーの声を取り戻しなさいと言われて、日々を追われていたが、マリーは声を出せるようになったし、戦いの基礎は身につけたと自分でも思う。ここで命の危険がある任務に携わらなくても、ユセフィナギルドに行って簡単な依頼をこなしながら生きていくことだってできるわけだ。ヴェルヴを用いないで魔法を使うことは今のところできなそうだしな……。
「そもそも貴方はどうやってここへ来たのですか? 前の世界の生活が恋しくはないのですか?」
畳み掛けてくるクラーラの質問に答えを窮する。
「……自分でもよくわからないんだ。なぜここにいるのか、どうやってここへ来たのか」
その記憶はなぜかすっぽり消えてなくなっている。
「だけど、そうだな……。一つここにいて嬉しいことは──」
「嬉しいことは?」
「──好きなだけ美味しいコーヒーが飲めるということ」
スイーツを食べようと口を開けたその状態のまま、クラーラは数秒間止まった。
「いや、これは割と本心だよ。美味しいコーヒーは僕の生活には欠かすことのできない重要な問題なんだ」
美味しいコーヒーさえあればなんでもできる……とまではいかないにしろ、人生を楽しめる伴侶のような位置にあるわけで。
「すみません。さすがに驚きました。てっきりカロリナか、あのマリーのことが出されると思っていたものですから」
「カロリナやマリーにはもちろん感謝しているよ」
「いえ、そういう意味合いではなくてですね」
「? では、どういう意味が?」
「えっ……それはその、つまり……」
なぜか諦めたような息を吐くと、「これは難儀な方ですね」と評価され、「もういいです」と一方的に話を切り上げられてしまったから、僕は「はあ」とあいまいな受け答えをするしかなかった。
王女はお気に入りなのか、もう一つドーナツ状のスイーツを手に取った。
「いろいろ話してすみません。そちらの世界の様子などまだまだ聞きたいこともあったのですが、ここは第一の目的の話をしましょう」
「第一の目的?」
「はい。それは、ディサナスさん、いえ彼女、彼らについてです。このあと、どう対応するつもりですか? いくら稀人の貴方でも治療するなんてことはできないと考えますが。あの小さなマリーが話せるようになるまでも特別な魔法や技術を使ったわけではなさそうですしね」
王女は小さな口でスイーツを食べた。その視線はこちらに向けたまま。
「たとえば、クラーラの魔法でなんとか──」
「無理です。私達の魔法は、ケガなど体にしか働きかけられません」
予想通りキッパリと断られてしまった。
「聖性魔法を応用した技術も日に日に発展していますし、そうした心の病があることが明らかになってきてはいますが、まだまだ治療に結びつけられるところまでは来ていません。強いていうならば、教会の神父やシスターが援助に当たっているくらいですか」
再び腕組みをして天井を見つめる。シャンデリアの灯が心もとなそうに揺らめいた。
適切な薬も専門家もいやしないこの世界では、その病魔に立ち向かう武器や防具が足りな過ぎる。丸腰のようなものだ。
「はっきり言ってディサナスの不協和音が普通の音になるような援助はできないと思う。それに、与えられた任務は、ディサナスから反乱軍の情報を引き出すことのみ」
だが。ディサナスの冷たい手は僕の腕をぎゅっとつかんでいた。だから。
「それでも、側にいることはできる」
そう言い切り、クラーラに視線を合わせる。その碧色の視線はじっと見つめ返してきた。そして不意に笑った。
「なるほど。今、マリーやカロリナが貴方を慕う気持ちが少しわかりました。そして、貴方がここを離れられない理由もなんとなく。私も協力します。一応、言っておきますが知的関心とは別に、純粋に協力したいという気持ちですよ。必要なことはいつでもおっしゃってください」
そう言うと、クラーラはナプキンで口を拭いて立ち上がった。どこかで見計らっていたのか、給仕が緊張な面持ちながらも食器を片付けあっという間に元通りになる。
「このあと、コーヒーをお飲みになるんですか?」
クラーラが口角を上げて親しげに聞いてくる。
「そうだな。食後のコーヒーは格別だ」
「本当にお好きなんですね。覚醒作用で眠れなくなるかもしれませんよ? 他の飲み物もお勧めしますが」
「いや、いいんだ」
その微笑みに、こちらも笑顔で返す。クラーラは何か言いたげに目線を動かしたが、結局何も言うことはなくドアへと向かった。
「それでは明日、どこかの時間でご報告お待ちしています」
事務的な連絡を告げると音を立てないようにゆっくりと扉が閉まり、再び静けさが部屋に戻ってきた。
「……おっ、また雪か」
窓の外では雪が降りしきっていた。ほのかな灯りに照らされて手前の雪は少しオレンジ色に映るが、奥にいくにつれて暗闇が増していった。
ふと思う。雪は冷たいが、暖かくもあるのではないか、と。──あの子ども達の姿が思い出され、一人なのに笑顔が漏れる。
なんにせよ、今夜はまた冷え込むに違いない。早めにベッドに潜り込むと決めると、食後のコーヒーの準備に取りかかった。
「それなのにです。貴方はこうも冷静でいるし、外に出ようともしない、この世界の姿を探ろうともしない。与えられた任務をまっとうし、次から次へと出される難問をなんだかんだと言いながら引き受けてしまう。戦いにだって巻き込まれて危うく命を落とし掛けたのに、貴方はいったい、なんでここにいるんですか?」
時と場所が違えば、あるいは好奇心旺盛で知識欲豊富な王女の性格を知らなければ、詰問されているようにも聞こえるだろう。けれどその子どものような純真な瞳は、質問がまったく知的好奇心から聞いていることをうかがわせる。
「なんでここにいるのか……」
腕を組んで考える。こうして言われてみれば、なんでここにいることにしたのかその理由は明確ではないことに気がつく。最初は、行くあてもないなかで執事と学院の生徒になってマリーの声を取り戻しなさいと言われて、日々を追われていたが、マリーは声を出せるようになったし、戦いの基礎は身につけたと自分でも思う。ここで命の危険がある任務に携わらなくても、ユセフィナギルドに行って簡単な依頼をこなしながら生きていくことだってできるわけだ。ヴェルヴを用いないで魔法を使うことは今のところできなそうだしな……。
「そもそも貴方はどうやってここへ来たのですか? 前の世界の生活が恋しくはないのですか?」
畳み掛けてくるクラーラの質問に答えを窮する。
「……自分でもよくわからないんだ。なぜここにいるのか、どうやってここへ来たのか」
その記憶はなぜかすっぽり消えてなくなっている。
「だけど、そうだな……。一つここにいて嬉しいことは──」
「嬉しいことは?」
「──好きなだけ美味しいコーヒーが飲めるということ」
スイーツを食べようと口を開けたその状態のまま、クラーラは数秒間止まった。
「いや、これは割と本心だよ。美味しいコーヒーは僕の生活には欠かすことのできない重要な問題なんだ」
美味しいコーヒーさえあればなんでもできる……とまではいかないにしろ、人生を楽しめる伴侶のような位置にあるわけで。
「すみません。さすがに驚きました。てっきりカロリナか、あのマリーのことが出されると思っていたものですから」
「カロリナやマリーにはもちろん感謝しているよ」
「いえ、そういう意味合いではなくてですね」
「? では、どういう意味が?」
「えっ……それはその、つまり……」
なぜか諦めたような息を吐くと、「これは難儀な方ですね」と評価され、「もういいです」と一方的に話を切り上げられてしまったから、僕は「はあ」とあいまいな受け答えをするしかなかった。
王女はお気に入りなのか、もう一つドーナツ状のスイーツを手に取った。
「いろいろ話してすみません。そちらの世界の様子などまだまだ聞きたいこともあったのですが、ここは第一の目的の話をしましょう」
「第一の目的?」
「はい。それは、ディサナスさん、いえ彼女、彼らについてです。このあと、どう対応するつもりですか? いくら稀人の貴方でも治療するなんてことはできないと考えますが。あの小さなマリーが話せるようになるまでも特別な魔法や技術を使ったわけではなさそうですしね」
王女は小さな口でスイーツを食べた。その視線はこちらに向けたまま。
「たとえば、クラーラの魔法でなんとか──」
「無理です。私達の魔法は、ケガなど体にしか働きかけられません」
予想通りキッパリと断られてしまった。
「聖性魔法を応用した技術も日に日に発展していますし、そうした心の病があることが明らかになってきてはいますが、まだまだ治療に結びつけられるところまでは来ていません。強いていうならば、教会の神父やシスターが援助に当たっているくらいですか」
再び腕組みをして天井を見つめる。シャンデリアの灯が心もとなそうに揺らめいた。
適切な薬も専門家もいやしないこの世界では、その病魔に立ち向かう武器や防具が足りな過ぎる。丸腰のようなものだ。
「はっきり言ってディサナスの不協和音が普通の音になるような援助はできないと思う。それに、与えられた任務は、ディサナスから反乱軍の情報を引き出すことのみ」
だが。ディサナスの冷たい手は僕の腕をぎゅっとつかんでいた。だから。
「それでも、側にいることはできる」
そう言い切り、クラーラに視線を合わせる。その碧色の視線はじっと見つめ返してきた。そして不意に笑った。
「なるほど。今、マリーやカロリナが貴方を慕う気持ちが少しわかりました。そして、貴方がここを離れられない理由もなんとなく。私も協力します。一応、言っておきますが知的関心とは別に、純粋に協力したいという気持ちですよ。必要なことはいつでもおっしゃってください」
そう言うと、クラーラはナプキンで口を拭いて立ち上がった。どこかで見計らっていたのか、給仕が緊張な面持ちながらも食器を片付けあっという間に元通りになる。
「このあと、コーヒーをお飲みになるんですか?」
クラーラが口角を上げて親しげに聞いてくる。
「そうだな。食後のコーヒーは格別だ」
「本当にお好きなんですね。覚醒作用で眠れなくなるかもしれませんよ? 他の飲み物もお勧めしますが」
「いや、いいんだ」
その微笑みに、こちらも笑顔で返す。クラーラは何か言いたげに目線を動かしたが、結局何も言うことはなくドアへと向かった。
「それでは明日、どこかの時間でご報告お待ちしています」
事務的な連絡を告げると音を立てないようにゆっくりと扉が閉まり、再び静けさが部屋に戻ってきた。
「……おっ、また雪か」
窓の外では雪が降りしきっていた。ほのかな灯りに照らされて手前の雪は少しオレンジ色に映るが、奥にいくにつれて暗闇が増していった。
ふと思う。雪は冷たいが、暖かくもあるのではないか、と。──あの子ども達の姿が思い出され、一人なのに笑顔が漏れる。
なんにせよ、今夜はまた冷え込むに違いない。早めにベッドに潜り込むと決めると、食後のコーヒーの準備に取りかかった。
0
あなたにおすすめの小説
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
男爵家の厄介者は賢者と呼ばれる
暇野無学
ファンタジー
魔法もスキルも授からなかったが、他人の魔法は俺のもの。な~んちゃって。
授けの儀で授かったのは魔法やスキルじゃなかった。神父様には読めなかったが、俺には馴染みの文字だが魔法とは違う。転移した世界は優しくない世界、殺される前に授かったものを利用して逃げ出す算段をする。魔法でないものを利用して魔法を使い熟し、やがては無敵の魔法使いになる。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
ギルドの片隅で飲んだくれてるおっさん冒険者
哀上
ファンタジー
チートを貰い転生した。
何も成し遂げることなく35年……
ついに前世の年齢を超えた。
※ 第5回次世代ファンタジーカップにて“超個性的キャラクター賞”を受賞。
※この小説は他サイトにも投稿しています。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
世の中は意外と魔術で何とかなる
ものまねの実
ファンタジー
新しい人生が唐突に始まった男が一人。目覚めた場所は人のいない森の中の廃村。生きるのに精一杯で、大層な目標もない。しかしある日の出会いから物語は動き出す。
神様の土下座・謝罪もない、スキル特典もレベル制もない、転生トラックもそれほど走ってない。突然の転生に戸惑うも、前世での経験があるおかげで図太く生きられる。生きるのに『隠してたけど実は最強』も『パーティから追放されたから復讐する』とかの設定も必要ない。人はただ明日を目指して歩くだけで十分なんだ。
『王道とは歩むものではなく、その隣にある少しずれた道を歩くためのガイドにするくらいが丁度いい』
平凡な生き方をしているつもりが、結局騒ぎを起こしてしまう男の冒険譚。困ったときの魔術頼み!大丈夫、俺上手に魔術使えますから。※主人公は結構ズルをします。正々堂々がお好きな方はご注意ください。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる