聖戦協奏曲〜記憶喪失の僕は王女の執事をしながら音楽魔法で覚醒する〜

フクロウ

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ユセフィナのご帰還編

第66話 コーヒーは格別

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 ふんふんとクラーラの長台詞を促しながら、僕も食後のデザートを手に取った。口のなかが甘ったるさでいっぱいになり、コーヒーがほしくなる。

「それなのにです。貴方はこうも冷静でいるし、外に出ようともしない、この世界の姿を探ろうともしない。与えられた任務をまっとうし、次から次へと出される難問をなんだかんだと言いながら引き受けてしまう。戦いにだって巻き込まれて危うく命を落とし掛けたのに、貴方はいったい、なんでここにいるんですか?」

 時と場所が違えば、あるいは好奇心旺盛で知識欲豊富な王女の性格を知らなければ、詰問されているようにも聞こえるだろう。けれどその子どものような純真な瞳は、質問がまったく知的好奇心から聞いていることをうかがわせる。

「なんでここにいるのか……」

 腕を組んで考える。こうして言われてみれば、なんでここにいることにしたのかその理由は明確ではないことに気がつく。最初は、行くあてもないなかで執事と学院の生徒になってマリーの声を取り戻しなさいと言われて、日々を追われていたが、マリーは声を出せるようになったし、戦いの基礎は身につけたと自分でも思う。ここで命の危険がある任務に携わらなくても、ユセフィナギルドに行って簡単な依頼をこなしながら生きていくことだってできるわけだ。ヴェルヴを用いないで魔法を使うことは今のところできなそうだしな……。

「そもそも貴方はどうやってここへ来たのですか? 前の世界の生活が恋しくはないのですか?」

 畳み掛けてくるクラーラの質問に答えを窮する。

「……自分でもよくわからないんだ。なぜここにいるのか、どうやってここへ来たのか」

 その記憶はなぜかすっぽり消えてなくなっている。

「だけど、そうだな……。一つここにいて嬉しいことは──」

「嬉しいことは?」

「──好きなだけ美味しいコーヒーが飲めるということ」

 スイーツを食べようと口を開けたその状態のまま、クラーラは数秒間止まった。

「いや、これは割と本心だよ。美味しいコーヒーは僕の生活には欠かすことのできない重要な問題なんだ」

 美味しいコーヒーさえあればなんでもできる……とまではいかないにしろ、人生を楽しめる伴侶のような位置にあるわけで。

「すみません。さすがに驚きました。てっきりカロリナか、あのマリーのことが出されると思っていたものですから」

「カロリナやマリーにはもちろん感謝しているよ」

「いえ、そういう意味合いではなくてですね」

「? では、どういう意味が?」

「えっ……それはその、つまり……」

 なぜか諦めたような息を吐くと、「これは難儀な方ですね」と評価され、「もういいです」と一方的に話を切り上げられてしまったから、僕は「はあ」とあいまいな受け答えをするしかなかった。

 王女はお気に入りなのか、もう一つドーナツ状のスイーツを手に取った。

「いろいろ話してすみません。そちらの世界の様子などまだまだ聞きたいこともあったのですが、ここは第一の目的の話をしましょう」

「第一の目的?」

「はい。それは、ディサナスさん、いえ彼女、彼らについてです。このあと、どう対応するつもりですか? いくら稀人の貴方でも治療するなんてことはできないと考えますが。あの小さなマリーが話せるようになるまでも特別な魔法や技術を使ったわけではなさそうですしね」

 王女は小さな口でスイーツを食べた。その視線はこちらに向けたまま。

「たとえば、クラーラの魔法でなんとか──」

「無理です。私達の魔法は、ケガなど体にしか働きかけられません」

 予想通りキッパリと断られてしまった。

「聖性魔法を応用した技術も日に日に発展していますし、そうした心の病があることが明らかになってきてはいますが、まだまだ治療に結びつけられるところまでは来ていません。強いていうならば、教会の神父やシスターが援助に当たっているくらいですか」

 再び腕組みをして天井を見つめる。シャンデリアの灯が心もとなそうに揺らめいた。

 適切な薬も専門家もいやしないこの世界では、その病魔に立ち向かう武器や防具が足りな過ぎる。丸腰のようなものだ。

「はっきり言ってディサナスの不協和音が普通の音になるような援助はできないと思う。それに、与えられた任務は、ディサナスから反乱軍の情報を引き出すことのみ」

 だが。ディサナスの冷たい手は僕の腕をぎゅっとつかんでいた。だから。

「それでも、側にいることはできる」

 そう言い切り、クラーラに視線を合わせる。その碧色の視線はじっと見つめ返してきた。そして不意に笑った。

「なるほど。今、マリーやカロリナが貴方を慕う気持ちが少しわかりました。そして、貴方がここを離れられない理由もなんとなく。私も協力します。一応、言っておきますが知的関心とは別に、純粋に協力したいという気持ちですよ。必要なことはいつでもおっしゃってください」

 そう言うと、クラーラはナプキンで口を拭いて立ち上がった。どこかで見計らっていたのか、給仕が緊張な面持ちながらも食器を片付けあっという間に元通りになる。

「このあと、コーヒーをお飲みになるんですか?」

 クラーラが口角を上げて親しげに聞いてくる。

「そうだな。食後のコーヒーは格別だ」

「本当にお好きなんですね。覚醒作用で眠れなくなるかもしれませんよ? 他の飲み物もお勧めしますが」

「いや、いいんだ」

 その微笑みに、こちらも笑顔で返す。クラーラは何か言いたげに目線を動かしたが、結局何も言うことはなくドアへと向かった。

「それでは明日、どこかの時間でご報告お待ちしています」

 事務的な連絡を告げると音を立てないようにゆっくりと扉が閉まり、再び静けさが部屋に戻ってきた。

「……おっ、また雪か」

 窓の外では雪が降りしきっていた。ほのかな灯りに照らされて手前の雪は少しオレンジ色に映るが、奥にいくにつれて暗闇が増していった。

 ふと思う。雪は冷たいが、暖かくもあるのではないか、と。──あの子ども達の姿が思い出され、一人なのに笑顔が漏れる。

 なんにせよ、今夜はまた冷え込むに違いない。早めにベッドに潜り込むと決めると、食後のコーヒーの準備に取りかかった。
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