聖戦協奏曲〜記憶喪失の僕は王女の執事をしながら音楽魔法で覚醒する〜

フクロウ

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記憶旅行編

第67話 記憶旅行

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 さすがに手持ちぶさたを感じて窓の外を見ると、チラチラと小雪が舞っていた。朝目覚めたときの染み入るような寒さを思い出し、体がぶるっと震える。冬が到来して時間も経ったからか体も慣れてきたものの朝と夜の寒さは異常なほどだ。

 カロリナ曰く、この時期が冬期間の間でもっとも寒い時期らしい。人々はみな家の中に閉じこもり、暖かい暖炉のまわりで音楽を奏で、あるいは読書を楽しみ、また会話を深めるのだとか。そう言えば、近頃は子ども達も湖に出てこないし、生徒たちも寮や宮殿から校舎に通うときにだけ外に出るという必要最低限な生活を送っている。この厳しい冬を乗り越えれば、また暖かな柔らかい日差しが拝めるのだろうか。

 コーヒーをすする音に振り返ると、ディサナスではなくグスタフが現れていた。おそらく今日は、ここまでなのだろう。

「ハルト、その質問にはまだ答えられないらしい。正確に言うと、ディサナスやアーダは知らないし、オレは知っているが──」

「合意が取れなかったんだろ?」

 グスタフはにやっと笑うと、立ち上がって大きく伸びをした。

「そうだ。さすがにわかってきたな先生」

「先生はやめてくれ」

 ディサナスと会話を深めていくうちに、アーダとグスタフのほかにもさらに複数の人格がいることが判明した。そのうちの一人──『ノーラ』がバラバラになった記憶のなかでとりわけ重要な記憶を有している人格らしいのだが、極端な人見知りと男性恐怖症のために、いまだに会うことができていなかった。

「ディサナスも疲労しきっているし、今日はこれまでにしておいてくれないか?」

「ああ、いいよ」

 お互いにうなずきあって今日の「旅行」は終了した。時間にして約1時間ほど、か。グスタフはイスに座ると、ポケットに片手を突っ込んだまま背もたれにもたれかかった。足を組んで、冷め切っただろうコーヒーをゆっくりと味わう。

「今回の旅行は少し奥まで進んだぜ」

 どうやら少し雑談をしたいらしい。僕もテーブルを挟んで斜め向かいに置いたイスに座ってコーヒーを口に含んだ。

「ホントか? この間《かん》、全然進んでないような気がするが。相変わらず、孤児院のときの感情や気持ちは触れられないし」

「ディサナスの気持ちは読みづらいだろうが、揺れ動いているのは確かだ。他の人格たちもな」

 医者でも、心理士でもない僕はこの時間をなんて名づけるか迷った。

 カウンセリングなどと専門的な言葉は使えないし、使ったとしてもその意図はきっと伝わらない。性別も年齢もバラバラなディサナスたちの共通の言葉として、グスタフと相談し合い、この時間を「旅行」になぞらえることにした。みんなと僕とで記憶を探しつなぎ合わせる旅行。記憶旅行だ。

 僕に課せられた第一の任務は、ディサナスから反乱軍の情報をできる限り引き出すこと。しかし、ディサナスは断片的な記憶しか持っていなかった。王宮に攻め込んできたときの記憶もおぼろげで、反乱軍の行軍時や内部でのやり取りなど、あやふやなところも多かった。反乱軍に入る以前の記憶についてはほとんど覚えていなかった。

 それらの記憶は、別の人格に分かれて保有しているため、一つ一つ記憶をつなぎあわせる作業が必要だった。ただ、それは記憶を感情を思考をバラバラにせざるを得ないほどの、なにか・・・、を思い出すことにもつながる。堪えきれないほどの、抱えきれないほどのそれを思い出させる、かもしれないことには抵抗もあったし、ディサナス自身にも抵抗があった。

 未だに人格によっては抵抗を受けている状態だったから、作業は難航しているが、逆に言えば心が壊れるほどの急速な変化は起こっていないということで安心する部分でもある。

 ディサナスは明確に言葉にしていなかったが、牢屋で僕に言った「話したい」という言葉の意図はきっと自分のことを、重要なエピソードを、そのなにかを語りたい、という意味なんだろうと思う。今のところ、協力してくれているのもその証拠だ。

「それにしてもお前って本当に変わったやつだよな」

 グスタフが若干からかうような笑顔を向けてきた。グスタフの年齢は僕より10歳も離れているから、こんな風にときどき年下に接するような態度を取ってくる。

「俺たちのことを知ってなお、こんなに普通に接してくる人間は始めてだよ」

「その台詞何回目だ? 一応、褒め言葉として受け取っておくけど」

「何回言ったっていいじゃねえか。そうじゃなきゃディサナスや他の連中がここまで話すことはなかったぞ。お前は任務のつもりで取り組んでるのかもしれないが、俺らにとっては新鮮なんだ」

 旅行が牛歩のようにゆっくり進んでいるとはいえ、何も進展がなかったわけではない。

 たとえば、ディサナスという名が孤児院でつけられた名前だということは、旅行を始めた割合最初の頃にわかったことだ。ディサナスは物心ついたときにすでに孤児院にいたらしい。これはアーダの記憶から明らかになったことだが、「コップが目のまえに落ちて院長先生(アーダの言った服装の特徴からおそらく神父と思われる)がすごい怒っていた。たぶん、わたしがコップを割ったから」というのが一番最初の記憶らしい。

 ディサナスは「孤児院が燃えていた」と話し、そこから「アルヴィスたち(これがきっと反乱軍)と一緒にいた」と語った。おそらく何かのきっかけで孤児院が火災にあい、居場所をなくしたディサナスが反乱軍についていったと考えられる。それが自然発生的に起こった事故だったのか、あるいは人為的な理由による事件だったのかまではわからないが、少なくとも反乱軍がディサナスの何かを必要としたということはわかる。そして、その理由の一つは不協和音の魔法だったと考えられるのではないか。

 そんな反乱軍だが、その構成は「アルヴィスとグラティスと、あとね~何人か!」「黒いフードの人がときどき来てなんかこわかった」と言うように少数部隊だったようだ。グスタフによると、王宮の襲撃以前に大規模な事件を起こしたことはないようで、強盗まがいの金品や食糧、武具の調達をしながら各地を転々としていたらしい。そのさいに魔法を多用していたということから、少なくとも中級魔法以上を使える魔法使いは何人か所属しているのだろう。

 目的については、ほぼほぼ語られていない。話を聞いている限り、ディサナスはただの戦闘メンバーの一人で重要な作戦会議には関わっている様子がなかった。

 組んでいた足を戻し、両膝をピタリとつけたディサナスは飲み干したコーヒーカップをソーサーの上に静かに置いた。

 2つのカップを銀色のトレイに戻すと、僕はすかさず立ち上がった。

「お疲れ、ディサナス。また明日来るよ」

「…………………………………………………………うん」

 その小さなうなずきは、肯定なのか否定なのか、楽しいのか悲しいのか、まだ上手く感情を読み取ることができなかった。毎日訪れることが許されているから、嫌だというわけではないだろうが。

 部屋を出ると鍵をかけ、ひとまず一階下の厨房へと向かう。

 旅行の歩みが遅いと感じる原因はもう一つある。それは、感情が、本来記憶とともに付随するはずの感情がほとんど語られていないことだ。反乱軍と一緒にいてどう思ったのか、孤児院での暮らしはどうだったのかなどについてほとんど語られていない。何がディサナスらにとって重要なことなのか、つかみきれない。そこが旅行の抵抗と重なり、困難さを感じる原因となっている。
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