聖戦協奏曲〜記憶喪失の僕は王女の執事をしながら音楽魔法で覚醒する〜

フクロウ

文字の大きさ
89 / 116
記憶旅行編

第84話 浮かぶ記憶

しおりを挟む
 ラッビアは怒りを表す音楽用語だ。ディサナスの内に秘める炎は、まさにこれがふさわしい。

 指が痛くなるんじゃないかというほど、何度も何度も鍵盤を叩き、弾く。心なしかディサナスのフルートのピッチも上がっていっている気がした。

 負の感情を見えなくすることは簡単だ。ない方が穏やかな状態で過ごせるかもしれない。だが、それを「無し」にすることはできない。どんなに蓋をきつく閉めても、気づかないふりをしても、たとえ自分が忘れてしまったとしても、それはどこまでも付きまとう。

 ピアノの演奏が走ってしまう。ディサナスの音に耳を傾けているはずなのに僕はなくしたはずの何かを探していた。奥底に眠っているはずの何か。忘れたはずの何かが指先を動かし感情を乱す。

 この間、確かに感じていたのに気にしないようにしていた微かな異変。脳裏に現れたその映像は、この世界のものではなかった。

 ──どこまでいっても光の見えない暗闇の底に落ちているような気分だった。でも、妙に静かで居心地がいい。それなのに、傍らにあるディスプレイから光が漏れ出す──

 ハッと意識を戻せば、ディサナスの演奏が、ピアノと競い合うようにスピードを増していた。気がつけば怒りのハーモニーが築かれ、ディサナスの瞳には炎が揺れて見えた。

 これは、まずい。

 おそらく共鳴には成功したものの、指が止まらない。次から次へと襲う身を焦がすような炎が音を伴って表に現れようと体を突き動かす。ディサナスの音が僕に響き、指先から真っ赤に燃える火が現れ出ていた。

 フルートの発する音はいよいよ狂気めいた音に変わり、ディサナスの視線は焦点が定まらずぐるぐると泳ぎ出した。焔が瞬いたかと思いきや、その表面の碧が剥がれ落ちるように飛び散る。なかから地獄を連想させるような剥き出しの赤が現出した。

 ダメだ……このままじゃ。しかしもう、コントロールが効かない。

 そのときだった。突然に音が止まり、ディサナスの口からフルートが離れた。そのままディサナスは前屈みに倒れ、紅い絨毯の上に全身を打ち付けた。

「ディサナス!!」

 僕が慌てて駆け寄ると同時に前方の扉が乱暴に開けられ、カロリナが部屋へ侵入してきた。

「カロリナ、待て!」

 それは危ない行為なんだ。僕とディサナスたちだけで話すという約束を反故にしてしまう。カロリナの突入は、あくまでも最終手段だったはずなのに。

「どう、して?」

 ディサナスが手をついて起き上がろうとしながら哀しげな言葉を発した。──待て、哀しげな?

 僕は、今一度無表情のはずのディサナスの表情を確認する。途端に。

「もう、やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 その絶叫はディサナスのものではなかった。

 ディサナス、いやおそらくノーラは両手で頭を押さえつけるも、喚き散らしながら頭を振り回した。

「やめて! やめて! 謝ります! 謝りますから! もう、花びん割りません! だからやめてぇぇぇ!!」

「落ち着いてノーラ!」

 後ろから衝動を止めようと手を近づける。

「やめて!!! もう、さわらないで!」

 背中に触れた瞬間に目の前で青い炎が舞った。咄嗟に後ろへ跳んで直撃は避けたが、前髪が雪玉を投げられたように冷たい。

「ハルト! このっ……!!」

 一部始終を見ていたカロリナが、動揺したのか胸の前に手をかざした。

「やめろ! カロリナ!!」

 大声を上げるとカロリナの動きが静止した。その隙に混乱しているノーラの前に移動する。そして、両手で押さえ付けている頭ごとノーラを抱き締めた。できるだけ、包み込むように。

「ノーラ。落ち着くんだノーラ」

 全身に衝撃が走った。氷柱を抱きかかえているような気分にさせられる。

「ハルト! そんな! 離れて、危険よ!!」

 そんなことはわかりきっている。それでも、これが考えつく最善の手だった。

 もはや言葉にもならない声を撒き散らすノーラに対し、僕は何度もここが安全であることを言い方を変えて繰り返した。次第に声も小さくなり、身体が温かさを取り戻していく。

 ようやく、声が聞こえなくなったところで、僕はノーラを離すと、涙で濡れた顔に向かって無理矢理微笑みかけた。

「お兄ちゃんが……ハルト……?」

 ノーラの目が僕に向くと、確かめるように視線が動いた。その怯えた仕草や話し方から、7、8歳くらいを想像する。ちょうど小学校低学年くらいだ。

「ああ、そうだよ。君はノーラだね?」

 ノーラは鼻をすすりながらコクン、とうなずくと小さく口を開いた。

「わたし、アーダといっしょに花びんわっちゃったの。だけど、いん長先生から、おしおきされたの、わたしだけ。もうしないって何回も何回も言ったのに、そのあとも何回も何回も。それからほかの知らない人にも何回も。男の人みんなにかこまれて体中さわられて、痛かった。すごい痛かった。」

 それは……まさか……。最悪の光景が頭の中をよぎる。だが、これ以上ここで思い出させるわけにはいかない。

「話してくれてありがとう、ノーラ」

 声が震えていた。

「別の話をしてもいいかな? 落ち着いたかもしれないけど、今、その話をするのはノーラにとって辛いことだと思うから」

 またうなずくと、ノーラは初めて笑顔を見せてくれた。

「グスタフが言ってたとおり」

「グスタフが?」

「うん。ハルトってすごいやさしいやつだから安心していいって」

 なるほど。そうやってグスタフはノーラに呼び掛けていたのか。

「その子、ノーラ、さん? だいぶ落ち着いたみたいね」

 頭上から降ってきた声に振り向き顔を上げると、カロリナがなんとも言えない厳しい表情で腕を組んで僕らを見下ろしていた。

「ああ、大丈夫みたいだ」

 ノーラの手をつかんでともに立ち上がると、カロリナの顔が見えるように1、2歩横へずれる。

「ノーラ。こちらがカロリーナ・カールステッド第一王女だ。黙っててすまないが──」

 突然、予想だにしない衝撃が顔面を襲い呼吸が止まった。

「ガハッ……」

 両手で顔を覆うと、生暖かいものが手の平についた。これは、鼻血?

「何するのよ!」

 殴られたことに気がついたときには、またカロリナが手を前に突き出して、魔法を唱えようとしていたときだった。急いで右手をカロリナの顔の前に伸ばして、その動きを止める。

「ハルト!? なんで? あなた今殴られたのよ!?」

「それは約束を破ったからだ、王女様。なあ、ハルト」

 グスタフは意地悪く嗤った。

「だが、王女様を配置したのは賢明な判断だった。もしあれ以上の暴走が起これば、オレたちにもどうすることもできないし、ハルト一人じゃ死んでたかもしれないな」

「死んでた、だって?」

 まだだらだらと血が流れる鼻を押さえながら疑問を口にするも、グスタフはその質問に答えることなく、椅子に座った。

「それより反乱軍のことが聞きたいんだろ? もう一度ノーラを呼ぶから、直接聞いてくれ。どうやら、ノーラもお前のことが気に入ったみたいだからな」

 そう言うと、グスタフの瞳から力が抜けた。そして、視線はしばし宙をさ迷い、再び光が宿った。まだ見慣れないのか、カロリナが喉を鳴らす。

 ノーラがにっこりと笑顔を向けた。

「ハルト兄ちゃん。わたし、あの人たちとあまり話しないの。キライだから。でも、こう言ってたよ。世界にふくしゅうする──って」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

男爵家の厄介者は賢者と呼ばれる

暇野無学
ファンタジー
魔法もスキルも授からなかったが、他人の魔法は俺のもの。な~んちゃって。 授けの儀で授かったのは魔法やスキルじゃなかった。神父様には読めなかったが、俺には馴染みの文字だが魔法とは違う。転移した世界は優しくない世界、殺される前に授かったものを利用して逃げ出す算段をする。魔法でないものを利用して魔法を使い熟し、やがては無敵の魔法使いになる。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

ギルドの片隅で飲んだくれてるおっさん冒険者

哀上
ファンタジー
チートを貰い転生した。 何も成し遂げることなく35年…… ついに前世の年齢を超えた。 ※ 第5回次世代ファンタジーカップにて“超個性的キャラクター賞”を受賞。 ※この小説は他サイトにも投稿しています。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実
ファンタジー
新しい人生が唐突に始まった男が一人。目覚めた場所は人のいない森の中の廃村。生きるのに精一杯で、大層な目標もない。しかしある日の出会いから物語は動き出す。 神様の土下座・謝罪もない、スキル特典もレベル制もない、転生トラックもそれほど走ってない。突然の転生に戸惑うも、前世での経験があるおかげで図太く生きられる。生きるのに『隠してたけど実は最強』も『パーティから追放されたから復讐する』とかの設定も必要ない。人はただ明日を目指して歩くだけで十分なんだ。 『王道とは歩むものではなく、その隣にある少しずれた道を歩くためのガイドにするくらいが丁度いい』 平凡な生き方をしているつもりが、結局騒ぎを起こしてしまう男の冒険譚。困ったときの魔術頼み!大丈夫、俺上手に魔術使えますから。※主人公は結構ズルをします。正々堂々がお好きな方はご注意ください。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...