聖戦協奏曲〜記憶喪失の僕は王女の執事をしながら音楽魔法で覚醒する〜

フクロウ

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リブノール村救出戦編

第90話 魂の殺人

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 馬車──というよりも実際にはトナカイに近く、雪道では馬よりも移動が安定するらしい──の移動は思ったよりも快適だった。もちろん舗装された道を行くわけではないので、振動は激しく乗るだけで体力が消耗されていくが、心配していた防寒対策はバッチリだった。

 幌の後ろに設置された鉄製の薪ストーブの灯りが疲れた身体を優しく暖めてくれる。

 宮殿から走り始めて約12時間ほど、すっかり夜も更け、トナカイも体力を消耗していたから適当な所で野営することになった。こんな一面雪景色のなかでどうやってと思っていたが、クラーラ王女が炎を現出させて雪を融かし扇形の雪壁をつくり、次いで1ヶ所に大穴を開けてちょうど大型のかまくらをつくることで簡易休憩所を造り上げてしまった。元の世界で言えばビバークみたいなものなんだろうか。それに有した時間はものの数分。つくづく魔法は便利だと思う。

 それならいっそのこと全ての雪を融かしてしまえばと冗談めかして言ってみたが、「それは自然の理に反するのでできません」と真面目すぎる返答がかえってきた。まあ、でも、この景色はきっとここでしか見ることはできないのだろうが。

 幌の入口を少し開けて上空を眺めると、星空が広がっていた。満天の星空という装飾語はよく聞かれるが、実際にそれがピタリ当てはまる場景を見るのは初めてのことだった。一つ一つの星がそれぞれ瞬き、輝きを放っている。宮殿から見える景色も絵画のそれのように美しかったが、外で直接肉眼で見る星空はまた格別だった。

「よぉ、ハルト」

 帯剣をした細身のシルエットが入口に近づき声をかけてきた。が、なにやら足元がおぼつかない。

「クリス、その格好寒くないのか?」

「これくらい、いい酔いざましになるよ。それにあの中けっこう暑いだろ?」

 ストーブのほのかな灯りに照らされたその目はどこか焦点があっていなかった。完全に酒に酔ってんな……だから止めたのに。アルコール度数30とか40%の酒をあおる夕飯時のクリスの様子が頭をよぎる。

「クリス、飲み過ぎだろ。さっさと戻って寝ろよ。明日中にはエンストア町に行かなきゃいけないんだろ?」

 馬の運行はクリスとゾーヤに任せていた。僕とディサナスはそもそもが馬を扱えないし、クラーラ王女に任せるわけにもいかない。さすがに移動中外に出ていられる時間は限られるため、2人が交代で表に出ていた。

 だから、大酒を飲んでもあまり口出しせずにいたのだが。

「向こうに戻るのめんどうだな。ハルト、一晩2人きりで過ごさないか?」

 立派な酔っぱらいのでき上がりだ。

「何を言ってる。男は僕一人だから幌で寝て、女性陣はシューグローブで寝るっていう話だったろ。さっさと戻れ」

 入り口を閉じようとするも、クリスは中へ侵入しようとしてくる。片手に酒瓶を持ったまま。

「じゃあ、少しだけ話しよう。な、いいだろ? このまま外に女の子を放っておくような冷たいやつじゃないだろ、ハルト」

 すぐにでも追い返したかったが、帰りそうもなかった。それにたぶん無理やり帰らせても、また来るに違いない。僕は思い切り嫌な顔をしてクリスを迎え入れることにした。

「わかったよ。ただし入り口付近までだ。それに本当に短時間だけだ。他のメンバーに、特にディサナスには誤解されたくないからな」

「つれないね~まあ、いいさ。私もディサナスには誤解されたくないからね」

 幌の中へ入ると、さっそくクリスは持ってきた酒をいわゆるラッパ飲みでのどに流し込んだ。

「いや~美味いね! このお酒さっき雪の中に突っ込んでおいたんだけどさ、ちょうどいい具合に冷えてて最高だわ! ハルトも飲まないか?」

「もちろん、謹んでお断りしておく」

 だいたいいつ敵が迫ってくるかわからない状況で美味しくお酒なんて飲めないと思うのだが。一応、帯剣はしているとはいえ、ふらふらな足取りで果たして王女を護衛できるのだろうか。

「ふふっ」

 謎のウインクをすると、クリスは悪戯っぽい笑顔になった。空いた片手で前髪を触る。

「そんなに酒飲んでて大丈夫か、とか思っただろ。大丈夫大丈夫。近くに敵の気配はないから。疑うんなら、ゾーヤにも聞いてみなよ」

 確かにゾーヤの嗅覚というか、直感というか、何かの気配を察知する能力はずば抜けていると思う。この場所を提案したのもゾーヤだったしな。

「ゾーヤほどじゃないが、私にも敵とか危険を察知する力はある。それにな、ディサナスをずっと見ていると、こうして酔って発散でもしないと、と思ってしまってな」

 クリスは酒瓶を下に置くと、急にまゆと口角を下げてシリアスな表情になった。柔かな灯りがくっきりと陰影をつくっている。

「重なるんだよ、どうしても昔の私に。いや、私なんかよりもずっと小さいころから長期間にわたってひどい目に遭っていると思う。まだ詳しく話は聞いてないし、聞きたくもないけどわかるんだよ。目にさ、色がないんだ。何も見たくないし、何も感じたくないからそうなるんだけどね。私も昔――」

 やや間があった。その間、クリスは瓶をくるくると回しながら、右斜め下をじっと見つめていた。おそらく、たぶん、きっと、過去を思い返しているのだろう。やがて息を漏らすと、いつものように軽やかに笑って「いや、いいや」とクリスは手をヒラヒラと振った。

「あまりいろいろ話してもハルトに負担になるだけだろう? もしバレたら後でクラーラ様に小言を言われるかもしれないしな。とにかくいろいろあったが今の私はこの通り元気だってことだ。人を好きになることもできたしな」

 とろんとした目で僕を見るが、それは一瞬のことで、クリスは酒瓶を傾ける。

「クリス」

「なんだ? もう出てけってか?」

「いや違う。ディサナスをどうしたらいいのかと思って。このまま辛い記憶を取り戻していくことが、人格を統合することが一番の治療だとは思う。だが、ディサナスは本当にそれを望んでいるのかどうか、それが正しいことなのかどうか」

「ああ」

 瓶をドンッと音を立てて置くと、クリスは首をかしげた。

「私はディサナスの状態についてハルトほど詳しくはないが、私の体験から言えば、レイプっていうのは魂の殺人なんだ」

 ……魂の殺人。体や心ではなく、魂。

「バラバラにされた魂の状態が今のディサナスなんじゃないかと、私は勝手に思ってる。もちろん、他にも要因はあるんだろうし、複数の人格がいつからあるのかわからないけどな。ただ、いくつかの人格はそのときのショックが原因で生まれているんだろ?」

 そう、少なくともノーラの人格はそのときに明確に枝分かれされた。度重なる暴行から、ディサナス本人を救う盾として。

「だったらその魂が癒されることは永遠にないんじゃないか。そのときの記憶や感情はきっと、忘れたとしても消えることはないから。だけどな」

 クリスはまた酒をあおると目を細めて微笑んだ。

「それ以上の幸せな記憶を積み重ねることはできる。そのためにはきっと、前を向かなきゃいけないんだ。そして、ディサナスは前を向き始めている。安心できるハルトの側でね。だから、ディサナスが進みたいと思ったときに背中を押せるよう、その側で歩いていればいいんじゃないか」

 歩いていればいい──それがどんなに困難なことか。歩調を合わせているつもりでも、気づけば離れていることだってあるんだ。

 だが。

「ディサナスと合奏したとき、あの不協和音から今までの苦しみが怒りが僕の中に流れ込んでくるようだった。あれをそのまま呑み込まれることなく受け止めて、僕なりに返すことができれば、ディサナスの横で歩けるかもしれない」

 そして、それがディサナスの未来に──。僕はポケットに手を入れて、しまい込んだタクトを握り締めた。

「ハルト、あまり気負うんじゃないよ。優しいお姉さんもその隣にいるんだから。現状維持も大切なことだ」

 クリスはまたウィンクすると、酒瓶を手に取り立ち上がった。

「じゃあ、そろそろ戻るよ。明日も早いからな」

「ああ、お休み」

 幌の入口でクリスは思いついたように振り返った。

「クラーラ王女もハルトのそういう性格は気にしてたな。優しすぎるって。だからつい頼ってしまう。だから、たまにはこういう風に頼ってほしい。じゃあな、お休み」

 クリスが出ていったあと、ずいぶんと広くなった幌のなかで毛布を羽織って横になる。

 ふと、誰かの顔が夜空に浮かんだ。輪郭はぼやけていてハッキリとしない。その誰かにも「頼ってほしい」と言われたことがある──ような気がする。ディサナスの記憶をたどるうちにやっぱり僕の記憶も蘇ってきているんだろうか。

 そんなことを思い返しているうちに、まぶたが閉じていく。冬独特の静寂な音が僕の周りを包んでいた。
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