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リブノール村救出戦編
第98話 足りない音は全員で
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「ルイス。あのとき、何かが甦ったんじゃないのか?」
フラッシュバック的な何か。それは心的外傷が生じたときに起こるとされる。ルイスのあいまいな記憶と照らし合わせると、明らかにあの村で起こった何かが原因となるはずだ。
ルイスの身体が身震いするようにビクッと震えた。顔面が見る見るうちに蒼白になり、息が浅くなる。
「大丈夫だ。ルイス。無理に話す必要はないし、無理に思い出す必要もない」
「いいえ……大丈夫」
ルイスは右手で左腕を抑えつけると、ぐっと力を込めた。
「どうしてかわからないけど、私、忘れていた。……毎日、毎夜、泣いていたあの子ども。村では貧しい中だけど幸せだったと言っていたけど、決してそうじゃなかった。来る日も来る日も殴られて暴言を吐かれ、たぶん、それは、私だった――それから気がつけば私はカロリーナ様のピアノをうっとりと眺め、その次には校舎の中庭でヴァイオリンを弾いていた。アニタとドリスとともに。ねえ、教えて、マリー様を救ったあんたならわかるでしょ? 私がどうしちゃったのか!?」
詰問するようにカッと見開いた瞳から慎重に逃れるように視線を外す。残念ながら正しい答えを得られるわけではない。もしこれが、過去の何かしらの出来事に端を発し、ルイスの心の内に混乱を招いているとするならば、その解決は基本的にはルイスにしか担えない。ディサナスのマリーのそれのように。過去に、そしてそれが及ぼす現在に共感することはできたとしても、同情することはできやしない。
「今の話を聞く限り、どこかからどこかまでの記憶がそっくり抜け落ちている、ということなのか?」
ルイスは勢いよくうなずいた。短い赤髪の毛先が揺れる。
「ハルトに指摘されるまではわからなかったけど、私にはあの村で過ごしていた記憶がほとんどなかった。今まで気にすることもなかったし、学院では話題にも上らなかった。だけど、あのとき、あの女の子が殺されそうになったとき、浮かび上がったの。そしたらもう私は、あの場にはいなかった」
ディサナスもそうではないかと思われる解離性障害は、いくつかの症状に分かれていると聞いたことがある。一番重いものがいわゆる多重人格と呼ばれる解離性同一性障害、そのほかにも一時的にいなくなる解離性遁走、自分を外側から見ているような感覚に陥る離人症性障害、そしてある一時期の記憶が欠落している解離性健忘。おそらく、ルイスの状態は、この解離性健忘が最も近い。
「たぶん、繰り返すがあくまでも仮説として。耐え難い苦痛から逃れるために、村での記憶の一部を忘れてしまっていたんじゃないか?」
それはきっと片親か、あるいは両親から受けた暴力や暴言――虐待とも言える仕打ち。
「そうだとしたら、私はどうしたらいいの!? こんなんじゃまともに戦えない。何の……何の役にも立たないじゃない!」
ルイスは声を荒げた。その目には薄っすらと涙の膜すら張っている。僕はただ。
「そんなことはない」
と何の根拠もなく否定することしかできなかった。
「以前のマリーのように全く魔法が使えないわけではないだろう? 王宮防衛戦のときだって戦えたはずだ。心の傷に触れるような」
それはきっと子どもへの過剰な暴力なのだろうが。
「事態が起きなければ十分に戦える。そうじゃないのか?」
「それじゃ、ダメなのよ……」
激しく首を振ると、ルイスは両手で顔を覆って膝に顔をつけた。
「私はバルバロッサ家の長女で唯一の跡取り。どんな状況でもどんな戦況でも成果を挙げなければ、私は…私は!」
それ以上は言葉にならなかった。悔しさを噛み締めるように体だけを震わせて、ルイスは泣いた。涙こそ出てはいなかったが、それは涙を流すのと同じ行為のように僕には見えた。バルバロッサ家の養子ということに加えて、カロリナにも通じる負けん気の強さが、もしかしたらルイスを突き動かす原動力になっていたのかもしれない。
「ルイス。ルイスがどう思っているのかと関係なく、現状のこの寄せ集めのような部隊にとっては、ルイスのヴァイオリンは貴重な音だ、と僕は思っている。僕の音とヴェルヴを汲み取って即座に反応できる、その力はある意味で僕にとってはコンサートマスターと同じなんだ」
「……コンサートマスター」
体の震えは止まった。少しだけ、ほんの少しだけ顔が上げる。
「ああ。今のこの寄せ集めの楽団で第一ヴァイオリニストはルイスしかいない。足りない音は全員で補えばいい。それが部隊《オーケストラ》だろう」
それ以上はルイスと言葉を交わすことはなかった。交わす必要もなかった。ディサナスを取り戻す次の戦いで音を合わせることだけが、きっと答えを導き出すことができる唯一の方策なんだ。
ルイスが部屋を出ていった後に僕はふわふわとした白い羽のダヴに手紙を渡して、窓の外に広がる空の中へ飛び立たせた。自然と、アンブロシウスのピアノ協奏曲が頭の中を流れていく。
フラッシュバック的な何か。それは心的外傷が生じたときに起こるとされる。ルイスのあいまいな記憶と照らし合わせると、明らかにあの村で起こった何かが原因となるはずだ。
ルイスの身体が身震いするようにビクッと震えた。顔面が見る見るうちに蒼白になり、息が浅くなる。
「大丈夫だ。ルイス。無理に話す必要はないし、無理に思い出す必要もない」
「いいえ……大丈夫」
ルイスは右手で左腕を抑えつけると、ぐっと力を込めた。
「どうしてかわからないけど、私、忘れていた。……毎日、毎夜、泣いていたあの子ども。村では貧しい中だけど幸せだったと言っていたけど、決してそうじゃなかった。来る日も来る日も殴られて暴言を吐かれ、たぶん、それは、私だった――それから気がつけば私はカロリーナ様のピアノをうっとりと眺め、その次には校舎の中庭でヴァイオリンを弾いていた。アニタとドリスとともに。ねえ、教えて、マリー様を救ったあんたならわかるでしょ? 私がどうしちゃったのか!?」
詰問するようにカッと見開いた瞳から慎重に逃れるように視線を外す。残念ながら正しい答えを得られるわけではない。もしこれが、過去の何かしらの出来事に端を発し、ルイスの心の内に混乱を招いているとするならば、その解決は基本的にはルイスにしか担えない。ディサナスのマリーのそれのように。過去に、そしてそれが及ぼす現在に共感することはできたとしても、同情することはできやしない。
「今の話を聞く限り、どこかからどこかまでの記憶がそっくり抜け落ちている、ということなのか?」
ルイスは勢いよくうなずいた。短い赤髪の毛先が揺れる。
「ハルトに指摘されるまではわからなかったけど、私にはあの村で過ごしていた記憶がほとんどなかった。今まで気にすることもなかったし、学院では話題にも上らなかった。だけど、あのとき、あの女の子が殺されそうになったとき、浮かび上がったの。そしたらもう私は、あの場にはいなかった」
ディサナスもそうではないかと思われる解離性障害は、いくつかの症状に分かれていると聞いたことがある。一番重いものがいわゆる多重人格と呼ばれる解離性同一性障害、そのほかにも一時的にいなくなる解離性遁走、自分を外側から見ているような感覚に陥る離人症性障害、そしてある一時期の記憶が欠落している解離性健忘。おそらく、ルイスの状態は、この解離性健忘が最も近い。
「たぶん、繰り返すがあくまでも仮説として。耐え難い苦痛から逃れるために、村での記憶の一部を忘れてしまっていたんじゃないか?」
それはきっと片親か、あるいは両親から受けた暴力や暴言――虐待とも言える仕打ち。
「そうだとしたら、私はどうしたらいいの!? こんなんじゃまともに戦えない。何の……何の役にも立たないじゃない!」
ルイスは声を荒げた。その目には薄っすらと涙の膜すら張っている。僕はただ。
「そんなことはない」
と何の根拠もなく否定することしかできなかった。
「以前のマリーのように全く魔法が使えないわけではないだろう? 王宮防衛戦のときだって戦えたはずだ。心の傷に触れるような」
それはきっと子どもへの過剰な暴力なのだろうが。
「事態が起きなければ十分に戦える。そうじゃないのか?」
「それじゃ、ダメなのよ……」
激しく首を振ると、ルイスは両手で顔を覆って膝に顔をつけた。
「私はバルバロッサ家の長女で唯一の跡取り。どんな状況でもどんな戦況でも成果を挙げなければ、私は…私は!」
それ以上は言葉にならなかった。悔しさを噛み締めるように体だけを震わせて、ルイスは泣いた。涙こそ出てはいなかったが、それは涙を流すのと同じ行為のように僕には見えた。バルバロッサ家の養子ということに加えて、カロリナにも通じる負けん気の強さが、もしかしたらルイスを突き動かす原動力になっていたのかもしれない。
「ルイス。ルイスがどう思っているのかと関係なく、現状のこの寄せ集めのような部隊にとっては、ルイスのヴァイオリンは貴重な音だ、と僕は思っている。僕の音とヴェルヴを汲み取って即座に反応できる、その力はある意味で僕にとってはコンサートマスターと同じなんだ」
「……コンサートマスター」
体の震えは止まった。少しだけ、ほんの少しだけ顔が上げる。
「ああ。今のこの寄せ集めの楽団で第一ヴァイオリニストはルイスしかいない。足りない音は全員で補えばいい。それが部隊《オーケストラ》だろう」
それ以上はルイスと言葉を交わすことはなかった。交わす必要もなかった。ディサナスを取り戻す次の戦いで音を合わせることだけが、きっと答えを導き出すことができる唯一の方策なんだ。
ルイスが部屋を出ていった後に僕はふわふわとした白い羽のダヴに手紙を渡して、窓の外に広がる空の中へ飛び立たせた。自然と、アンブロシウスのピアノ協奏曲が頭の中を流れていく。
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