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ノーゲスト市街戦編
第103話 人格の役割
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「ヘイター!!」
あらん限りの大声で名前を叫ぶと、その氷のような冷たい顔が歪んだ。悪意に満ちたその表情に、ディサナスやアーダやグスタフやノーラの面影はもはやない。今、全人格を支配しているのは、暴力と残忍さですべてを解決しようとするヘイターだった。
「よくあの状況で生きてたな」
「……わざと生かしたんじゃないのか? あの山賊崩れだけを狙って」
「言ったはずだが、邪魔したら殺すと。お前もそこにいる他の連中も歯向かってくる者は全員殺したはず。まあ、今から死ぬから同じようなものか」
ヘイターがその手を突き出すと同時に一帯が白い水蒸気に包まれた。誰かの魔法ではない。ヘイターの手の平から出現した氷と僕のヴェルヴが発した炎が衝突し互いに消滅しただけだ。
今のでフルートを用いない、中級魔法程度であればヴェルヴで相殺することが可能なことはわかった。それとまた、やはりヘイターがディサナス以上の魔法の使い手だということも。
水蒸気で視界が塞がれているうちに、三つの音を頭の中で始動させる。地を振るう激しいティンパニのリズムに運命に抗うような情熱的なピアノが鳴り響く。それら一流の音楽を背景にして震わすのは、切なくも力強い歌声。三者の全く異なる音が一つの音楽として合わさり、ヴェルヴを鮮やかな唐紅《からくれない》に光らせる。
「何をする気だ?」
「他の人間は邪魔だから壁を構築する」
ヴェルヴを下から上へと振るうと、僕とヘイターを囲む全方位に超高熱によって光るマグマが沸き上がった。
「なっ……!?」
予想どおりヘイターはそれらに青い焔を飛ばして凍り付かせた。マグマは一瞬にして凍りつき、強固な氷壁と化した。
外からの音は一切聞こえなかった。上空すら塞いだ巨大な氷の防音室の中にカランカランとヴェルヴが投げ捨てた音が反響する。
「……何の真似だ?」
雪に埋もれたそれを見下ろしながら、テノールに近い声が疑念を呈する。
「見ての通り。ヴェルヴを放棄したんだ。楽器もないし、これで僕は魔法を使えない」
冷たい風が吹き上がり、苛立ったようにヘイターの青い髪の毛を逆立てた。雪のように真っ白な顔に宿る鋭い眼光が僕を睨み付ける。
「戦いすら放棄して何をするつもりなんだと聞いているんだ。ワタシになぶり殺しにされたいのか?」
フルートを小剣のように僕に向ける。フルートの先から透き通った氷の刃が生まれた。
僕は笑った。正確に言うとあえて笑ってみせた。
「君が僕を殺すことは絶対にできない」
「正気か?」
その瞳に動揺の色が見えた。ヘイターは今、予想外の出来事に遭遇している。武器を向けるでもなく、背を向けるでもなく、無防備な状態で立ち向かう存在に。恐怖で人を支配しようとするヘイターのやり方は、この反応に対する適切な答えを持ち合わせていないはずだった。なぜなら、他の手段を知っているのは、僕と一緒に旅行をしてきた他の人格だからだ。
ヘイターは笑みを溢した。自信からくる嘲りの笑みではない、そこには少なからず不安の色が含まれていた。
「なぜ、他の連中がお前を信頼したのか。やはりよくわからないな。無抵抗な人間だろうがなんだろうが、ワタシの邪魔をするのなら、排除するだけ」
喉仏目掛けて鋭利な氷の刃が迫る。しかし、それは僕の肌を貫くことなく突然に止まった。完全に凍りついていたはずの刃先から水滴がポタポタと垂れてゆく。
「っ! 邪魔をするな!!」
僕に吐いた言葉ではない。その言葉は自身のなかにいる他の人格に向けられていた。
「今はワタシだ。ワタシがやる。こんな状態をつくったやつらに、ワタシを生み出したこの世界に復讐をするんだ。全てを破壊する。それがワタシに与えられた唯一の役割だ」
溶け出した薄氷の小剣を再び硬質化させるも、それを握る手が震えていた。もう片方の手で震えを抑え込もうとするものの止まらないどころか、震えは体全体に波及していく。
「言うことを……聞け!」
その瞬間、目の色が変わった。感情の見えない色素の薄いブルーの目に。
「……………………ダメ」
ディサナスは僕に視線を向けた。その顔が心なしか微笑んでいるように見えた。──一瞬、だけだが。
「邪魔だ」
切り捨てるような言葉とともに吹雪が舞い上がり、ヘイターの体を渦巻くように回転し始めた。その中からフルートの音色が聞こえた。怒りと憎しみに満ちみちた不協和音は、同じメロディを繰り返すごとに次第に吹雪の範囲を拡大していく。
まず足元が氷の張った極寒の海に浸かったように急激に冷やされていった。次いで脚が腰が、胸が氷に覆われていく。
フルートの音が止まった。まだメロディラインの途中にも関わらず。
僕が頭のてっぺんまで氷像にされたからではない。ガラスのように透き通った半透明の青色に映るのは、ディサナスがヘイターを、つまり外見上で言えば自分自身を抱き締めている姿だった。
たぶん、僕が恐怖に呑み込まれていたノーラを抱き締めたときのように。
「……………………今までありがとう」
ディサナスがそう呟いた途端、たった一粒の涙が雪を解かし、氷の魔法が一斉に解かれた。
あらん限りの大声で名前を叫ぶと、その氷のような冷たい顔が歪んだ。悪意に満ちたその表情に、ディサナスやアーダやグスタフやノーラの面影はもはやない。今、全人格を支配しているのは、暴力と残忍さですべてを解決しようとするヘイターだった。
「よくあの状況で生きてたな」
「……わざと生かしたんじゃないのか? あの山賊崩れだけを狙って」
「言ったはずだが、邪魔したら殺すと。お前もそこにいる他の連中も歯向かってくる者は全員殺したはず。まあ、今から死ぬから同じようなものか」
ヘイターがその手を突き出すと同時に一帯が白い水蒸気に包まれた。誰かの魔法ではない。ヘイターの手の平から出現した氷と僕のヴェルヴが発した炎が衝突し互いに消滅しただけだ。
今のでフルートを用いない、中級魔法程度であればヴェルヴで相殺することが可能なことはわかった。それとまた、やはりヘイターがディサナス以上の魔法の使い手だということも。
水蒸気で視界が塞がれているうちに、三つの音を頭の中で始動させる。地を振るう激しいティンパニのリズムに運命に抗うような情熱的なピアノが鳴り響く。それら一流の音楽を背景にして震わすのは、切なくも力強い歌声。三者の全く異なる音が一つの音楽として合わさり、ヴェルヴを鮮やかな唐紅《からくれない》に光らせる。
「何をする気だ?」
「他の人間は邪魔だから壁を構築する」
ヴェルヴを下から上へと振るうと、僕とヘイターを囲む全方位に超高熱によって光るマグマが沸き上がった。
「なっ……!?」
予想どおりヘイターはそれらに青い焔を飛ばして凍り付かせた。マグマは一瞬にして凍りつき、強固な氷壁と化した。
外からの音は一切聞こえなかった。上空すら塞いだ巨大な氷の防音室の中にカランカランとヴェルヴが投げ捨てた音が反響する。
「……何の真似だ?」
雪に埋もれたそれを見下ろしながら、テノールに近い声が疑念を呈する。
「見ての通り。ヴェルヴを放棄したんだ。楽器もないし、これで僕は魔法を使えない」
冷たい風が吹き上がり、苛立ったようにヘイターの青い髪の毛を逆立てた。雪のように真っ白な顔に宿る鋭い眼光が僕を睨み付ける。
「戦いすら放棄して何をするつもりなんだと聞いているんだ。ワタシになぶり殺しにされたいのか?」
フルートを小剣のように僕に向ける。フルートの先から透き通った氷の刃が生まれた。
僕は笑った。正確に言うとあえて笑ってみせた。
「君が僕を殺すことは絶対にできない」
「正気か?」
その瞳に動揺の色が見えた。ヘイターは今、予想外の出来事に遭遇している。武器を向けるでもなく、背を向けるでもなく、無防備な状態で立ち向かう存在に。恐怖で人を支配しようとするヘイターのやり方は、この反応に対する適切な答えを持ち合わせていないはずだった。なぜなら、他の手段を知っているのは、僕と一緒に旅行をしてきた他の人格だからだ。
ヘイターは笑みを溢した。自信からくる嘲りの笑みではない、そこには少なからず不安の色が含まれていた。
「なぜ、他の連中がお前を信頼したのか。やはりよくわからないな。無抵抗な人間だろうがなんだろうが、ワタシの邪魔をするのなら、排除するだけ」
喉仏目掛けて鋭利な氷の刃が迫る。しかし、それは僕の肌を貫くことなく突然に止まった。完全に凍りついていたはずの刃先から水滴がポタポタと垂れてゆく。
「っ! 邪魔をするな!!」
僕に吐いた言葉ではない。その言葉は自身のなかにいる他の人格に向けられていた。
「今はワタシだ。ワタシがやる。こんな状態をつくったやつらに、ワタシを生み出したこの世界に復讐をするんだ。全てを破壊する。それがワタシに与えられた唯一の役割だ」
溶け出した薄氷の小剣を再び硬質化させるも、それを握る手が震えていた。もう片方の手で震えを抑え込もうとするものの止まらないどころか、震えは体全体に波及していく。
「言うことを……聞け!」
その瞬間、目の色が変わった。感情の見えない色素の薄いブルーの目に。
「……………………ダメ」
ディサナスは僕に視線を向けた。その顔が心なしか微笑んでいるように見えた。──一瞬、だけだが。
「邪魔だ」
切り捨てるような言葉とともに吹雪が舞い上がり、ヘイターの体を渦巻くように回転し始めた。その中からフルートの音色が聞こえた。怒りと憎しみに満ちみちた不協和音は、同じメロディを繰り返すごとに次第に吹雪の範囲を拡大していく。
まず足元が氷の張った極寒の海に浸かったように急激に冷やされていった。次いで脚が腰が、胸が氷に覆われていく。
フルートの音が止まった。まだメロディラインの途中にも関わらず。
僕が頭のてっぺんまで氷像にされたからではない。ガラスのように透き通った半透明の青色に映るのは、ディサナスがヘイターを、つまり外見上で言えば自分自身を抱き締めている姿だった。
たぶん、僕が恐怖に呑み込まれていたノーラを抱き締めたときのように。
「……………………今までありがとう」
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