聖戦協奏曲〜記憶喪失の僕は王女の執事をしながら音楽魔法で覚醒する〜

フクロウ

文字の大きさ
111 / 116
ノーゲスト市街戦編

第106話 再びの対峙

しおりを挟む
 ルイスが演奏を開始すると同時に、嬉々としたグラティスの剣が僕に向かって飛び降りてきた。後ろに大きく跳んで、その一撃を避ける。

「厄介だな……」

 グラティスに対峙するには本物の武器か、黒のヴェルヴを発動させるしかないが、武器の扱いはほぼ皆無で、ヴェルヴでの戦闘はまた暴走しかねなかった。

「今、クラーラ様がゾーヤを回復させている。ゾーヤが戻ればなんとかなるでしょ?」

「ゾーヤが戦闘に復帰できるのなら、逃げ出すタイミングは作れるとは思うが……」

「だったら、ハルトはそいつに集中して。私は、バルバロッサを食い止める!」

「ああ……」

 だが、大丈夫なのか? 今さっきまで動けないでいたはずなのに。ルイスは死んだだの、ルイスの大の親友のハンナだの、ルイスの過去はわからないが、バルバロッサとの間には明らかな確執がある。そんな相手と戦うのは──。

「大丈夫」

 と、僕の心内を読んだようにルイスは柔らかな声を出した。

「今はなんとか、あの子どもたちを守るためになら立ち上がれたから」

 その言葉を聞いたとき、鮮明に浮かんだのは子ども時代のルイスの姿だった。無論、見たことなんてないが、一人でうずくまってひたすらに涙を流すその姿が僕の目に映った。

「その負けん気は、ルイスらしいな」

「ええ。それだけはカロリーナ様にも負けないわ」

 ルイスは弓を、僕はヴェルヴをそれぞれ握ると、演奏を開始した。ヴァイオリン協奏曲とでも表現すればいいだろうか。

 飛び抜けた高音のアクートの音で始まったルイスの演奏は、勢いに任せたアジタートアッレグロへと移り変わり、渦状の風の塊へとその溢れる怒りを変化させた。空気を切り刻むような鋭い音が絶え間なく鳴り続ける。

「そのヴェルヴで戦うつもりかい?」

 僕に対するグラティスが剣を下段に構えたまま呆れたような声を出した。

「あの黒い刃を出しなよ。あれじゃないと、すぐに殺されるよ?」

「すぐに殺されるつもりはないし、お前を殺すつもりもない」

「ふーん、優しいね」

 その言葉とともにグラティスの姿が消えた。すぐさま横へ跳ぶと、僕のいた場所に斬撃が現れる。

「よくかわしたね。でも、次はどうかな?」

 再び姿を消すグラティス。雪の上に倒れた体を急いで起こすも、上空から黒い影が襲い掛かってきた。

 ヴェルヴの柄でその重い一撃を防ぐも、身体は後ろへと移動させられた。息をつく間もなく繰り出される剣撃に追い詰められていく。

「どうしたの? これならさっきの子の方がまだましだったよ。本気出してさ、楽しませてよ!」

 ダメだ、全く手が出せない。このまま防戦一方ではジリジリと追い詰められるだけ。一瞬だけでもあれを使えれば……。

「ダメです、ハルト! 今、もし貴方が暴走すれば誰も止められない!!」

「ちょっとその気になってたのに! 余計なお姫様だな」

 刃の軌道が変わった。いや、違う。変わったのは標的だ。

「待て!!」

 その背中に声を投げつけるも、みるみるうちに離れていく。グラティスの無邪気な笑顔が振り返った。

「あのお姫様を殺せば、君は本気を出すかな?」

 背筋が凍りつくのを感じた。王宮防衛戦のときに感じた足がすくむほどの恐怖が。

 グラティスは、ゾーヤに手を当てて治療を続けるクラーラの手前で止まった。その手に握る剣が頭上高く振り上げられ、上を向いたクラーラの顔に真新しい血が滴り落ちる。

 がむしゃらに前へ進む。間に合え、と心の中で叫びながら。

「死んで」

 間に合え、間に合え、間に合え!

 凶剣が残酷に冷徹に振り下ろされる。考えている猶予はなかった。

「なっ、ハルト!」

 鈍痛が、身体全体を貫いた。声も出ないほどの強烈な痛みに神経回路全てが悲鳴を上げていた。

 思わずクラーラの前に飛び込んだ僕の背中をグラティスの剣が閃光のように斬った。

 なんとかゾーヤを巻き込まないように雪中へ雪崩れ込むも、脚が麻痺したみたいに言うことを聞かなかった。まるで立つことも、それどころか動き回ることもできず、ただ苦痛に顔を歪ませることしかできなかった。

「……なんで……?」

 なぜか呆気にとられたように立ち尽くすグラティスを視界の端で捉える。

「意味がわからない。なんで、なんでだよっ!」

 いったい何が起こった? なぜ、グラティスの方が動揺している?

「わからない、わからない、わからない、わからない!!!!!」

 2つのヴァイオリンの激情の音のぶつかりに呼応するように、グラティスは叫び声を上げた。

「ハルト」

 クラーラが小声で話しかけ、僕の背に指が触れた。柔らかな掌の感触から温かさが広がっていく。

「ゾーヤの応急処置は完了しました。直に目が覚めるはずです。そうすれば、この場から退避して子どもたちとともにアーテムヘルの地へ逃れる算段が立つ。そのために、ハルト、回復に集中してください」

 集中と言われても。グラティスの叫び声の理由にルイスの音の行方、それに逃げる算段だって考えないわけにはいかなかった。

 いや、落ち着け。まず考えるべきはここから逃げる方法だ。並みの敵ならまた魔法で分厚い壁を創り上げれば時間は稼げる。問題は魔法の効かないグラティスへの対処だが。

「うっ……すみません、隊長」

 ゾーヤが上体を起こした。やはりまだ傷が痛むのか、一直線に切り裂かれた外衣の上から胸を手でおさえる。

「ゾーヤ。動けますか?」

「問題ありません。指示をお願いします」

 メガネの奥の瞳を心配そうに瞬かせながら、ゾーヤは僕の言葉を待った。その答えはもちろん。

「全員──撤退……だ」

 すぐに「了解」と返事をするとゾーヤは立ち上がる。その目が見据える先には、うなだれたままのグラティスの姿が。

「君はなぜそんなことができる?」

 別人とも思えるほどのどす黒い声が、まるで独り言のように何かを呟いた。

「自分を犠牲にしてまで、誰かを守ろうとするなんて愚かだよ。魔物だって人間だって、その本能は利己的にできてるんだ。僕は知ってる君の中には何もない。僕と同じように空っぽのはずなんだ!」

 銀色にも見える真っ白な髪の毛を強風がかき上げた。その金と赤の瞳が獰猛な肉食獣のそれのように収縮した。

「逃がさないよ、ハルト」

 姿が消えたと同時にゾーヤが体を横にひねらせ後ろへと回転しながら跳ぶ。着地した途端に上段から剣が振り下ろされ、短刀で防ぐ。が、次の瞬間には、ゾーヤは後方へと投げ出され、雪面に背中をつけていた。

 その白い首筋に刃が突きつけられた。

「どう? このまま僕が力を入れれば、この子は簡単に死ぬけど、また助けに入る? 助けに入ってもいいんだよ? できるものならね」

 グラティスにはもはや笑顔がなかった。そこにいるのは、殺戮本能だけで動く獣、あるいは、殺戮だけをインプットされた機械だった。

 クラーラを押しのけて起き上がるも、身体が悲鳴を上げた。ゾーヤの首の皮が破られ、赤い血が溢れ出る。

 ──そのとき、どこからか雨音を連想させるピアノの音が、確かに聞こえた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

男爵家の厄介者は賢者と呼ばれる

暇野無学
ファンタジー
魔法もスキルも授からなかったが、他人の魔法は俺のもの。な~んちゃって。 授けの儀で授かったのは魔法やスキルじゃなかった。神父様には読めなかったが、俺には馴染みの文字だが魔法とは違う。転移した世界は優しくない世界、殺される前に授かったものを利用して逃げ出す算段をする。魔法でないものを利用して魔法を使い熟し、やがては無敵の魔法使いになる。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

ギルドの片隅で飲んだくれてるおっさん冒険者

哀上
ファンタジー
チートを貰い転生した。 何も成し遂げることなく35年…… ついに前世の年齢を超えた。 ※ 第5回次世代ファンタジーカップにて“超個性的キャラクター賞”を受賞。 ※この小説は他サイトにも投稿しています。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実
ファンタジー
新しい人生が唐突に始まった男が一人。目覚めた場所は人のいない森の中の廃村。生きるのに精一杯で、大層な目標もない。しかしある日の出会いから物語は動き出す。 神様の土下座・謝罪もない、スキル特典もレベル制もない、転生トラックもそれほど走ってない。突然の転生に戸惑うも、前世での経験があるおかげで図太く生きられる。生きるのに『隠してたけど実は最強』も『パーティから追放されたから復讐する』とかの設定も必要ない。人はただ明日を目指して歩くだけで十分なんだ。 『王道とは歩むものではなく、その隣にある少しずれた道を歩くためのガイドにするくらいが丁度いい』 平凡な生き方をしているつもりが、結局騒ぎを起こしてしまう男の冒険譚。困ったときの魔術頼み!大丈夫、俺上手に魔術使えますから。※主人公は結構ズルをします。正々堂々がお好きな方はご注意ください。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...