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婚約者を妹に奪われたら、年下の王子様に求婚されました
後編
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「エシェル?」
名を呼ばれて、エシェルはぼんやりしていた思考から覚める。周囲を見回し、薔薇の中からひょっこり顔を覗かせる黒髪の少年を見付けた。
ユリアスの末の弟、第八王子ヴァルツである。
「ヴァルツ様、そんなところにいらしては風邪を引きますよ」
霧雨とはいえ、濡れれば体に悪い。手招きすると、ヴァルツは小走りで東屋へ駆け込んだ。
しっとり濡れたヴァルツの黒髪を、寒さで白くなった頬を、エシェルはハンカチで拭う。
「エシェル、あの……」
言いにくそうに、ヴァルツは口ごもる。その様子に、エシェルは密かに溜め息を吐いた。
どうやら婚約破棄の話はこの王子の耳にも届いたらしい。
自分より十歳年下の少年が心を痛める姿を見たくなくて、無理に微笑んだ。
「ヴァルツ様が気になさる事はありませんわ」
「でも!」
勢い良く顔を上げて、ヴァルツは反論する。拳の形に握られた小さな掌が震えた。
「ユリアス兄様は勝手過ぎます!ぼくなら……」
ぼくなら、キミを手放したりしないのに。
項垂れたヴァルツの、絞り出す様な声。エシェルは胸をつかれた。
エシェルの色違いの瞳を「綺麗だね」と褒めてくれたのは、人生の中でただ一人、ヴァルツだけだった。
人々から異相を忌避されたエシェルと、側室である母の身分が低かったが故に冷遇された第八王子ヴァルツ。
どこか通じ合うものがあったのかも知れない。
ヴァルツは兄弟達から爪弾きにされ、誰からも見向きも期待もされていなかった。城の片隅で膝を抱えていたヴァルツを見兼ねたエシェルは時折、彼の話し相手になった。
傲慢なユリアスと違い、ヴァルツは知識を得る事に貪欲だった。
最初こそ語彙も知識も乏しく、拙い話し方だったヴァルツは、エシェルとの出会いによって劇的な変化を遂げた。
最初はただ話を聞くだけだった少年は、エシェルと会話を重ねるにつれて自分で考えて意見を言うようになった。疑問点を見付けてはエシェルを質問攻めにしたり、それでも解決出来なければ城内の書庫に入り浸って書籍を読み耽った。その甲斐あって、ヴァルツの頭の良さは今やエシェルを凌駕している。
そうやって、二人きりの時間を過ごして来たけれど、それは姉と弟の様な関係だと思っていた。少なくともエシェルは。
ヴァルツはエシェルの手を掬い上げた。
エシェルがびくりと身を震わせたのは霧雨に濡れた掌の冷たさのせいだったのか、それとも強い眼差しに射抜かれたからだったのか。
「ぼくが大きくなったら結婚してください、エシェル」
エシェルを見上げる真っ直ぐな瞳。
まだ声変わりを迎えていない少年の、真摯な声音。
エシェルは色が異なる双眸を大きく見開き……頷いた。溢れる涙をそのままに笑った。胸を温かく満たす嬉しさと喜びに。
「はい、ヴァルツ様」
薔薇園で約束を交わした日から五年後、国を疫病が襲った。
それはかつて王の命を奪った病だった。
市井の民のみならず貴族や王族をも等しく牙を向く病魔になす術もなく、実に国民の半数近くと大半の貴族や王族が命を奪われた。
王ユリアスと王妃ローレインも例外ではなかった。
疲弊と混乱で乱れる国を導いたのは、王位継承者で唯一生き残ったヴァルツ王子だった。
本来ならば即位の可能性などゼロに等しい、王位継承権の低かった十七歳のヴァルツは、転がり込んだ王位に戸惑いながら、それでも民の為、国の復興の為に懸命に尽くした。
かくして国は見事に復興を遂げた。
民に慕われ、支持された国王ヴァルツ。
彼の傍らには、仲睦まじく寄り添い支える異相の妃の姿があったと伝えられている。
名を呼ばれて、エシェルはぼんやりしていた思考から覚める。周囲を見回し、薔薇の中からひょっこり顔を覗かせる黒髪の少年を見付けた。
ユリアスの末の弟、第八王子ヴァルツである。
「ヴァルツ様、そんなところにいらしては風邪を引きますよ」
霧雨とはいえ、濡れれば体に悪い。手招きすると、ヴァルツは小走りで東屋へ駆け込んだ。
しっとり濡れたヴァルツの黒髪を、寒さで白くなった頬を、エシェルはハンカチで拭う。
「エシェル、あの……」
言いにくそうに、ヴァルツは口ごもる。その様子に、エシェルは密かに溜め息を吐いた。
どうやら婚約破棄の話はこの王子の耳にも届いたらしい。
自分より十歳年下の少年が心を痛める姿を見たくなくて、無理に微笑んだ。
「ヴァルツ様が気になさる事はありませんわ」
「でも!」
勢い良く顔を上げて、ヴァルツは反論する。拳の形に握られた小さな掌が震えた。
「ユリアス兄様は勝手過ぎます!ぼくなら……」
ぼくなら、キミを手放したりしないのに。
項垂れたヴァルツの、絞り出す様な声。エシェルは胸をつかれた。
エシェルの色違いの瞳を「綺麗だね」と褒めてくれたのは、人生の中でただ一人、ヴァルツだけだった。
人々から異相を忌避されたエシェルと、側室である母の身分が低かったが故に冷遇された第八王子ヴァルツ。
どこか通じ合うものがあったのかも知れない。
ヴァルツは兄弟達から爪弾きにされ、誰からも見向きも期待もされていなかった。城の片隅で膝を抱えていたヴァルツを見兼ねたエシェルは時折、彼の話し相手になった。
傲慢なユリアスと違い、ヴァルツは知識を得る事に貪欲だった。
最初こそ語彙も知識も乏しく、拙い話し方だったヴァルツは、エシェルとの出会いによって劇的な変化を遂げた。
最初はただ話を聞くだけだった少年は、エシェルと会話を重ねるにつれて自分で考えて意見を言うようになった。疑問点を見付けてはエシェルを質問攻めにしたり、それでも解決出来なければ城内の書庫に入り浸って書籍を読み耽った。その甲斐あって、ヴァルツの頭の良さは今やエシェルを凌駕している。
そうやって、二人きりの時間を過ごして来たけれど、それは姉と弟の様な関係だと思っていた。少なくともエシェルは。
ヴァルツはエシェルの手を掬い上げた。
エシェルがびくりと身を震わせたのは霧雨に濡れた掌の冷たさのせいだったのか、それとも強い眼差しに射抜かれたからだったのか。
「ぼくが大きくなったら結婚してください、エシェル」
エシェルを見上げる真っ直ぐな瞳。
まだ声変わりを迎えていない少年の、真摯な声音。
エシェルは色が異なる双眸を大きく見開き……頷いた。溢れる涙をそのままに笑った。胸を温かく満たす嬉しさと喜びに。
「はい、ヴァルツ様」
薔薇園で約束を交わした日から五年後、国を疫病が襲った。
それはかつて王の命を奪った病だった。
市井の民のみならず貴族や王族をも等しく牙を向く病魔になす術もなく、実に国民の半数近くと大半の貴族や王族が命を奪われた。
王ユリアスと王妃ローレインも例外ではなかった。
疲弊と混乱で乱れる国を導いたのは、王位継承者で唯一生き残ったヴァルツ王子だった。
本来ならば即位の可能性などゼロに等しい、王位継承権の低かった十七歳のヴァルツは、転がり込んだ王位に戸惑いながら、それでも民の為、国の復興の為に懸命に尽くした。
かくして国は見事に復興を遂げた。
民に慕われ、支持された国王ヴァルツ。
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