花岡さんと詩春さん(アルファポリス版)

みきかなた

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秋分の日を過ぎて陽が傾くのが早くなった。カーナビが次の信号を左に曲がれと指示を出す。目の前の空が朱に染まっていくのを眺めながら、花岡勇吾はゆっくりとハンドルを切った。目的地まであと少し。無機質な幹線道路を離れ、車は趣のある街路樹を通り高級住宅街に乗り入れた。通りに面するどの家も豪奢な建物ばかりだ。花岡は、一つの家が自分の住むアパートの何倍あるのだろうと眉をひそめた。

ちらりと助手席に目をやると、異動したばかりの総務部部長の西山がムッと口を結んでいた。

「あの……」

「なんだ?」

「えっとその……俺でつとまるんでしょうか、女子高生のお守りなんて。」

「難しく考えることは無いさ。北向も、花岡なら番犬にうってつけだと太鼓判を押していたぞ。なにしろ後輩の女子社員を護って大事な取引先の御曹司をグーパンでノックアウトしちまうんだからなぁ。」

「ああっ!いやその……すみませんでした……」

異動の原因を指摘され、花岡は思わず縮こまる。西山は可笑しそうにクククと笑い声をあげた。

しかし番犬って何だよ。俺はドーベルマンか?前任の営業部部長、北向のニヤけ顔を思い浮かべ、花岡は小さく唸った。

やがて車は一軒の住宅の前で停止した。古めかしい木造の屋敷は、周りの華やかな建物に比べてこの家だけ時代に取り残されたかのようだ。古びた門をくぐり抜け玄関先まで石畳の上を歩く。広い庭は管理が行き届かないのか雑草が生い茂り荒れ果てた印象を与える。

西山が呼び鈴を鳴らすと、「はーい」と声がして中年のまるっこい女が現れた。西山と花岡の姿を見るなりムッとして睨みつけた。

「お世話になります。箕輪みのわ商事の西山でございます。」

「どうぞ、お嬢さんがお待ちです。」

仏頂面のまま女は西山と花岡を屋敷の奥へと案内した。女のあとについてギシギシと音を立てる廊下を歩く。年季は入っているが家の中は荒れてはおらず、掃除も行き届いている。なぜか田舎の祖母の家を懐かしく思い出した。鼻を突く匂いのせいだ。これは、線香の香りか?

「詩春さん、箕輪の方がおいでになりました。」

客間らしい畳敷きの部屋に、学校から帰ってそのままなのか紺のブレザーにチェックのスカート姿の少女がひとり待っていた。凛と背筋を伸ばし、きりっとまなじりを上げ花岡たちを見据えると深々と頭を下げた。

テーブルを挟んで真向かいに座り、西山が改めて挨拶する。花岡も合わせて頭を下げた。

「お忙しい中お時間をいただきありがとうございます。社長室の神戸ごうどに代わりまして、本日よりこちらのお屋敷のお世話をさせていただくことになりました総務部の西山でございます。並びに担当の花岡をご紹介に参りました。」

「そのお話はお断りしたはずです。」

花岡はハッとして少女を見た。大人しそうな顔をして気の強そうな声を放つ。真っ黒で真っ直ぐなミディアムショートの髪、大きく縁取られた利発げな瞳。なかなか美少女じゃないか。

「ですが、神戸からご説明があった通り、お嬢さん一人をこの屋敷に置いておくわけにはいきませんから……」

「いいんです。箕輪の方の手を煩わせるつもりはありません。ここは今まで通り、城田さんがいて下されば充分です。」

少女は横に控えていたまるっこい女に親しげな微笑みを送ると、キッと花岡たちを見返した。

なんだなんだ?話と違う。全然大丈夫じゃないだろ?花岡は膝に置いた手をぎゅっと握りしめた。

「これは社長直々の命ですから、あなたが拒絶されても我々ではどうしようもないのですよ。」

「だから、あの人に言ってください。私は今まで通りで大丈夫です。」

「そう言わずに。あなたは高校二年生だ。保護者がまだまだ必要ですよ。」

西山は自分の娘ほど年若い少女に対しゆったりと笑い、穏やかに説明していった。少女は納得していないようで時々反論しつつも西山にのらりくらりと交わされ不満げに口を結んだ。

「では今日はこの辺で失礼します。花岡、おいとまするぞ。」

「あ、はい!でもその前に、お線香をあげさせてもらってもよろしいですか?」

花岡が少女の後ろに設えてあった仏壇に目をやると、少女はきょとんと目を丸くしたが、すぐにどうぞと場所を譲った。

仏壇の前に正座し線香をあげ、花岡は西山と共に手を合わせた。遺影の女性はまだ若く、少女に良く似た顔立ちで気の強そうな笑顔を浮かべていた。

「お母さま、ですか?」

花岡が尋ねると少女はすっと顔を曇らせ小さく頷いた。

「お悔やみ申し上げます。お亡くなりになったのはいつですか?」

「二ヶ月前です。仕事の帰りに事故にあって……」

「それで、お嬢さんお一人に……」

「あなたには関係無いことです。」

ピシャリと言い切られ、花岡もそれ以上の追求は諦めた。代わりに名刺を差し出し少女に渡した。

「俺は花岡勇吾です。連絡先はここ。何かあったらいつでもどうぞ。」

「だから!」

「良かったら、お名前を教えてもらえますか?」

「……伊坂、詩春、です。」

むうと口を尖らせながらも詩春が名前を教えてくれたので、花岡はまだまだ親しくなるチャンスがあるかもしれないとグッと拳を握り、屋敷をあとにした。



「あの娘、社長室の奴らが投げ出すだけあって手強いな。」

帰りの車の中で、助手席に座った西山はむっつりと腕を組んで花岡にそう言った。

「今のところ、つけいる隙も無さそうですねぇ。」

総務部ウチに全部お任せだとよ。社長室あいつら、俺たちを雑用係とでも思っているんだ。」

西山はふんと鼻を鳴らした。

「しかし、花岡なら歳も近いからまだマシだろう。俺なんか、中学生の娘がいるけど、反抗期真っ只中で親父とは口もきかないんだよ。」

社内ではやり手で名を馳せる西山がしょんぼりする姿を眺め、花岡はこの先を思いやってブルルと震えた。

「悪い子ではなさそうですから、多分なんとかなりますよ。だけどウチの社とどういう関係なんですか?」

「隠しておくのもなんだしな……あの子は亡くなった先代の社長の隠し子さ。」

花岡は思わず息を飲んだ。

「母親は銀座のホステスでな。前社長と深い関係になって反対を押し切ってあの子を生んだ。前社長が本妻に内緒であの屋敷に囲っていたそうだよ。母親が亡くなって、手続きやらなんやらしているうちに今の社長の耳に彼女のことが入ったらしい。寝耳に水で社長の周辺じゃ大騒ぎだったんだ。」

「と言うことは、社長とは母親違いの兄妹なんですか……それで、お母さんを亡くして独りに……可哀想に……」

「とにかく俺たちは社長に言われた通りにするだけだ。ああそうだ、あの子のことは大っぴらに触れ回るなよ。父親の醜聞だって社長がご立腹だからな。」

「了解です。」

彼女には何の罪も無いのに……花岡はふっと眉を寄せ、すっかり闇に落ちた空をにらみまたハンドルを手繰った。



次の日は夜明け前に起き、社用車を運転して詩春の屋敷に向かった。高校への送迎を担うのだ。

屋敷の前に車を停め、昨日と同じように呼び鈴を押したが返事が無い。時刻は7時過ぎ。渋滞を考えて少し早めに出掛けるつもりで来たのだが、まだ寝ているのだろうか。

「おはようございます。詩春さん、いらっしゃいますか?」

ドンドンと扉を叩いて尋ねるも応答は無い。困ったなと思いながら、思い立って玄関脇の木戸を開けた。軒下をつたって奥に進む。昔ながらのガラス窓を覗き込むと部屋の明かりは点いている。身支度に忙しくて気づいていないのだろう。もう一度玄関に戻ろうと振り返った。

庭の片隅で、ジャージ姿の詩春がしゃがみこんで黙々と草むしりをしていた。

「おはようございます、詩春さん。」

「ぎゃあああ!」

声を掛けられた詩春は驚いて立ち上がり胸元で抜いたばかりの雑草を握りしめた。

「何しに来たんですか!」

「言ったでしょ?今日からあなたのお世話を担当するって。」

「こんなに朝早く?」

「学校へ送って行きます。」

「一人で行けますよ!」

「今日から俺が学校へ送り迎えします。早く支度をしてくださいね。」

ニコニコと花岡に笑いかけられ、詩春は渋々雑草を片付け、家の中に向かった。朝食を取り着替えを終えると後部座席に押し込まれ、車は出発した。

むうとまた不満げに口を尖らせる。癖なのかな可愛いなとバックミラーに映る詩春を見て花岡はつい微笑んだ。

「草むしり、大変そうですね。」

「毎日ちょっとずつやってるのに、この前雨が続いて出来なかったらあっという間に草だらけになったんです。」

「良かったら俺がやっておきますよ。詩春さんが学校に行っている間は時間に余裕があるんです。」

「……おじさん、その年で、もしかしてリストラされたの?」

胡散臭そうに眺める詩春に、花岡はわざとらしくため息を吐いた。

「おじさんって……俺はまだ27才ですよ?それに、花岡って名前です。名刺を渡したでしょ?」

「もう要らないと思って捨てました。」

「とりあえず、俺のことは名前で呼んでくださいね。」

「分かりました。でも花岡さん、私は一人で学校に行けますよ?」

「ダメダメ、俺の仕事を奪わないでください。俺の仕事は詩春さんのボディガードです。ドーベルマンとか思っててくださいよ。」

「ドーベルマン?どっちかって言うとゴールデンレトリバーですよ。」

「そうかな、もっとキリッとしてない?」

「絶対ゴールデン!昔ウチで飼ってた犬に似てる!ハナって名前だったの。」

「ハナ?俺と同じ名前だ。」

「偶然ですね!子供の頃からずっと一緒に暮らしてきたの。だけど、今年の春、死んじゃった……お母さんも……」

詩春は不意に黙り込み、窓の外に目を向けた。花岡は詩春の様子を気にしつつ車を先に進めた。

詩春の学校の最寄り駅に近くなると、ようやく詩春が顔を上げた。

「花岡さん、この辺で降ろして!」

「学校の前まで送って行きますよ。」

「友達に見つかったら追求されるからここでいい!」

「了解。」

駅前のロータリーに車を停め、花岡は車を降りて助手席側に回り込みドアを開けた。

「帰りも迎えに来ますから。」

「いいですよ、友達と帰ります!」

「じゃあ、お友達と別れたら、そこから拾って行きます。」

「花岡さんって頑固ね。」

「これが仕事ですから。いってらっしゃい、詩春さん。」

すると、詩春は呆然と花岡を見つめた。

「どうしました?」

「……いってらっしゃいって言われたの、久しぶり。お母さんは毎朝言ってくれたの。どんなに帰りが遅くて忙しくても、毎朝ちゃんと玄関で見送ってくれた、いってらっしゃいって言ってくれた。」

「これからは、毎日俺がいってらっしゃいって言ってあげますよ。」

詩春は何か言いたげに口を開き、一度噤んでまた口を開いた。

「……昨日はありがとうございました。その、母にお線香をあげてくれて。」

「そんな、当然ですよ。」

「でも、前に来た箕輪の人は、目もくれなかった。」

西山が話していた社長室の男だろうか。切れ者と社内では有名だった。彼女のことは厄介者とでも思っているのだろう。

「詩春さん、これからは俺があなたの面倒をみます。あなたはまだ高校生だ。だから十分に甘えていい。お母さんの代わりにはなれないかもしれないが、今まで通りの生活が出来るよう、俺に出来る事は何でもしますよ。」

詩春はうつむいた。余計なことを言っただろうか。花岡は手を伸ばそうとした。

「ありがとう。遅くなるから行くね。」

パッと上げた顔には笑顔が溢れていた。だがその強い眼差しの横に涙の粒が光る。

本当に、気の強い子だ。

花岡はそっと中指で涙を拭い取ると、くしゃりと詩春の頭を撫でてやった。


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