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第27章 雪の上の足跡
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生まれた子供は『季従』と名付けられた。
梢子の両親は男の子の誕生を大いに喜び、御園生家由来の名前を孫に送った。
梢子は、生まれてすぐこそ関心を示したが、自宅に戻ると赤ん坊に見向きもしなくなった。孫に逢いたいと願う親たちを拒絶し、一人吉良の屋敷に籠りきりになった。
心配した彬従が弟の世話をし、華音や美桜も甲斐甲斐しく手伝う。見かねた高塔家の家政婦たちも手を貸した。
「マリさん、このままじゃトキちゃんが病気になってしまいますよ。」
「心配ね……御園生のご両親に相談してみる。」
「そうしてください!梢子さんは何しろ病院から戻って家政婦も全員辞めさせて誰とも話しをしないんですよ。」
古参の家政婦の涼花が我が子のように季従を抱え顔をしかめる。
どうしたのだろう。良くも悪くも梢子は社交的な性格だ。人を拒むことは無かったはず……茉莉花は涼花の腕の中で無邪気に眠る季従を不安な思いで眺めた。
季従は周りの心配をよそにすくすく育っていった。穏やかな性格で泣きぐずることが少ない。美貌の母の面差しを受け継ぎ、生まれて数日でも人の心を虜にする容姿を持っていた。
子供が生まれても彬智は家に顔を出さない。梢子の苛立ちは日に日に増していった。その苛立ちを彬従にぶつけることが増え、そのたび華音が隣りの屋敷に忍び込み、彬従を連れ出していたわってやった。
ひんやり、ひんやり、吉良の家に纏う空気が冷えていく……
茉莉花は窓辺から隣りの屋敷を伺い、深くため息を吐いた。
そして、その日が来た。
朝から華音が落ち着かず、ずっと窓の外を眺めていた。
「華音、どうしたの?」
声を掛けるとハッとして振り向き困惑した表情を見せた。茉莉花は不思議に思い華音に尋ねた。
「今日は彬従のお誕生日よね?お祝いしないの?」
戸惑いながら意を固め、華音は母に訴えた。
「あのね、梢子おばさまが、今日は家族だけでアキのお誕生日を祝うから、絶対に家に来ないでって言うの……アキのお誕生日、みんなで楽しみにしていたのに……」
うっすら涙を浮かべる華音を茉莉花は胸に抱き留めた。家族だけでお祝い?あの人が?では彬智も来るのだろうか……
隣りの様子が気になったものの、茉莉花は年末の忙しい最中でもあり電話で仕事のやりとりに没頭していた。
夜になり暗闇に閉ざされた。
夕食を済ませたばかりの華音が突然硬直した。
「……トキが、泣いてる……!」
隣りの屋敷の合い鍵を掴んで飛び出し、戻ってきた華音は腕に泣き疲れた季従を抱え、身体を強張らせ震えてガチガチと歯を鳴らす彬従を連れていた。
「お母さん!アキが風邪引いちゃう!アキの家、電気が点かないの!物凄く寒いの!」
「分かった、とにかく身体を温めましょう。」
急いで二人を風呂に入れて温めた。季従にミルクを与えると、腹を空かせていた赤ん坊は勢いよく飲んだ。
隣りの様子を見に行った涼花が青ざめ戻ってきた。
「変ですよ!電気が点かないから調べたらブレーカーが落とされていたんです。ガスも元から止まっているし水道も……ストーブから灯油が抜かれていて、あれじゃアキちゃんとトキちゃんは凍えてしまいます!」
「一体どうして……」
「梢子さんが、わざとやったんじゃ……アキちゃんがいくら賢くてもあれじゃどうしようもありませんよ。」
はらはら涙を流す涼花を労り、茉莉花は彬従の元に向かった。
華音に温かいシチューを供されていた彼は、茉莉花を見るなり目を潤ませた。
「梢子さんは?」
「お母さん、朝起きた時にはいなかった……」
「ずっと?誕生日のお祝いをするんじゃなかったの?」
「分からない……冷蔵庫、空っぽだった……トキにミルクをあげたかったけど、お湯も沸かせないし、粉も空っぽだった……」
「すぐにこっちに来れば良かったのに!」
「でも……お母さんがお父さんに怒られる……」
虚ろな瞳で見上げる彬従を、たまらず茉莉花は抱きしめた。
御園生の家に電話を掛けると、応対した梢子の父はいきなり茉莉花をなじった。
「可哀想に、娘なら半狂乱で家に帰ってきたよ。あなた、彬智と浮気していたそうじゃないか。あの子は夫の裏切りを知りながら、いつか彬智が自分に向き合ってくれると信じて、私らに相談もせず独りで頑張ってきたが、もう限界だそうだよ!」
「浮気なんて、そんなことはありません。」
「しらばっくれるなっ!二度と我が家と関わらないでくれ!」
「では置き去りにしていった彬従や季従はどうするんですか!」
「知るものか!彬智の血を引く子供など、お前らにくれてやる!」
一方的に断罪され、電話は切られた。
次に彬智に電話を掛けたが全く繋がらない。じりじりと心が焦げつく。壊してしまった、彬智の家族を……己の業のために……
振り返ると、彬従がぼんやりと佇み茉莉花を見つめていた。
「今日は大変だったわね。明日、改めてお誕生日のお祝いをしましょう。これからは、私たちがあなたの家族になるわ。」
「……お母さん、帰ってこないの?」
「うん……ごめんなさい、彬従。」
「どうして茉莉花さまが謝るの?」
泣きじゃくる彬従を抱き締め、茉莉花はか弱く震える頭に頬摺りした。
未明から降り出した雪が辺りを白く埋め尽くした。茉莉花は朝早く目覚め窓の外を見ていた。
あの日のようだ、英梨花が家を出て行った……
しばらくして、一台の車が滑るように屋敷に入ってきた。茉莉花は上着を羽織り急いで階段を駆け下りた。
「アキ!」
車から降りてきた彬智は茉莉花を見つけてニコリと微笑んだ。
「どうして電話に出なかったの?梢子さんが子供たちを置いて出て行ったわ!」
「知ってる。」
寒さに震える茉莉花を庇うように腕で囲い、彬智は屋敷に連れて行った。
「梢子さんは子供たちを置き去りにした。しかも電気もガスも水道も使えないようにして、食べ物も全部無くして、まるで彬従たちを凍死させるみたいに……!」
「余程憎かったんだろうね、俺の血を引く子供が。」
薄く笑いを浮かべながら、彬智は赤ん坊に逢いたいと言った。
茉莉花の部屋に二つのベビーベッドが置かれていた。その中に眠る詩音を眺め彼はうっとり微笑んだ。そして季従を抱き上げ、目を覚ました赤ん坊のご機嫌を取るように指で頬を撫でた。
「昨日、御園生の屋敷に呼び出された。マリとの不倫を認めろと詰め寄られたけど、梢子の妄想だって突っぱねておいたよ。離婚届を出されたからその場でサインした。向こうの気が変わらないように書類は俺が出しますって奪ってきた。今から市役所に行ってくる。」
「アキ……それでいいの?」
「何故?俺と梢子の関係ならとっくに終わっている。あの人がいつまでも認めなかっただけだ。」
「彬従と……季従は、どうするの?」
「トキツグって言うのか……この子は俺の子だ。当然引き取るよ。」
「アキは知ってるの、季従の父親が誰か……」
「マリは知らなくていいことだよ。」
呆然とする茉莉花の頬を大きな手がスリスリと撫でた。
「トキから手を離せっ!」
いつの間にか彬従がドアを開け、父親を睨みつけていた。
「アンタのせいだ、お母さんが出て行ったのは!俺とトキを棄てたのは……!」
怒りに震え彬従は泣き出した。自分に瓜二つの息子を彬智は静かに見つめた。
「そうだ、悪いのは全部俺だ。だから、お母さんを恨むんじゃない。恨むなら俺を恨め。」
「馬鹿やろう!」
華音が彬従に寄り添い心配そうに母たちに視線を送り、彼を連れて部屋を出て行った。
一緒に市役所に行こうと誘われ、茉莉花は急いで身仕度を整えた。朝番の家政婦に後を託し家を出ようとドアを開けた。
母の藍咲が怒りに震えて立ち塞がっていた。
「二人揃ってどこへ行くつもり!?」
「お母さん、アキは梢子さんと離婚したの。届けを出してくる。」
「茉莉花、やっぱりあなたは彬智と関係していたのね!」
茉莉花は母を無視して横を通り過ぎようとした。しかし追いすがるように腕を掴まれた。
「御園生さんから連絡をもらったのよ。今後一切高塔との取引は停止するって!」
「それは願ったり叶ったりだわ。今まで高塔がどれだけ御園生の食い物にされていたか、お母さんだって知っているでしょ?」
「だからって、いきなり取引を停止されたら……!」
茉莉花は母の腕を振り払い、そして冷ややかに見据えた。
「お母さんには社長の座を退いてもらいます。今後高塔の経営は私の一存で決めるわ。恭弥を中心に若手社員でこの危機を乗り越える。見ていなさい、御園生を必ず跪かせてみせるから。」
「愚かなことを……」
ガクリと崩れ落ちた母を置き去りにし、先に車に向かった彬智の後を追った。雪の上に残された、大きな靴跡をなぞって……
助手席に座るとすぐに恭弥に電話を掛けた。
「キョウ、もう会社?今から私も出社する。」
「マリ!社内は今大騒ぎだ。御園生から取引の全面停止を突きつけられたぞ。いきなり何があったんだ?」
「梢子さんが家を出て行った……彬従と季従を置き去りにして……アキとも離婚するそうよ。」
恭弥が息を飲む。茉莉花は意を決した。
「これから戦いが始まるわ。私とキョウが中心となって、高塔を護って行きましょう。」
「分かった。マリが来るまでに手はずは整えておく。」
「お願いね。」
ぷつりと電話を切った途端、頭を引き寄せられ唇を重ねられた。
「アキ……!」
「お互いもう独身だ。誰にも遠慮はいらないだろ?」
「だからって!」
「今夜祝杯をあげたいんだけど付き合ってくれる?少しの時間でいいよ。」
「何とか時間は作るわ……」
「これからは、誰にも邪魔されず、昔のようにマリと過ごせるんだね、嬉しいよ。」
彬智はうっとりと微笑んだ。残酷なほど美しいその笑顔に茉莉花は見惚れた。
「市役所に行って、マリを会社に送り届けたら、エリの墓参りに行ってくる。やっと自由になれたって……エリの代わりに俺がマリのそばに居るって報告してくる。」
不意に心が凍りついた。忘れてはいけない、勘違いしてはいけない。彬智が愛しているのは今でも英梨花だけなのだ……
ギアを握る彬智の手に己の手を重ね、茉莉花はふと涙ぐんだ。どんなにそばにいても、どれだけ手を繋いでも、この美しい男を手に入れることは出来ない。
「行こう。」
彬智はアクセルを踏みゆっくり車は走り出した。
凍てつく未来に向かって……
梢子の両親は男の子の誕生を大いに喜び、御園生家由来の名前を孫に送った。
梢子は、生まれてすぐこそ関心を示したが、自宅に戻ると赤ん坊に見向きもしなくなった。孫に逢いたいと願う親たちを拒絶し、一人吉良の屋敷に籠りきりになった。
心配した彬従が弟の世話をし、華音や美桜も甲斐甲斐しく手伝う。見かねた高塔家の家政婦たちも手を貸した。
「マリさん、このままじゃトキちゃんが病気になってしまいますよ。」
「心配ね……御園生のご両親に相談してみる。」
「そうしてください!梢子さんは何しろ病院から戻って家政婦も全員辞めさせて誰とも話しをしないんですよ。」
古参の家政婦の涼花が我が子のように季従を抱え顔をしかめる。
どうしたのだろう。良くも悪くも梢子は社交的な性格だ。人を拒むことは無かったはず……茉莉花は涼花の腕の中で無邪気に眠る季従を不安な思いで眺めた。
季従は周りの心配をよそにすくすく育っていった。穏やかな性格で泣きぐずることが少ない。美貌の母の面差しを受け継ぎ、生まれて数日でも人の心を虜にする容姿を持っていた。
子供が生まれても彬智は家に顔を出さない。梢子の苛立ちは日に日に増していった。その苛立ちを彬従にぶつけることが増え、そのたび華音が隣りの屋敷に忍び込み、彬従を連れ出していたわってやった。
ひんやり、ひんやり、吉良の家に纏う空気が冷えていく……
茉莉花は窓辺から隣りの屋敷を伺い、深くため息を吐いた。
そして、その日が来た。
朝から華音が落ち着かず、ずっと窓の外を眺めていた。
「華音、どうしたの?」
声を掛けるとハッとして振り向き困惑した表情を見せた。茉莉花は不思議に思い華音に尋ねた。
「今日は彬従のお誕生日よね?お祝いしないの?」
戸惑いながら意を固め、華音は母に訴えた。
「あのね、梢子おばさまが、今日は家族だけでアキのお誕生日を祝うから、絶対に家に来ないでって言うの……アキのお誕生日、みんなで楽しみにしていたのに……」
うっすら涙を浮かべる華音を茉莉花は胸に抱き留めた。家族だけでお祝い?あの人が?では彬智も来るのだろうか……
隣りの様子が気になったものの、茉莉花は年末の忙しい最中でもあり電話で仕事のやりとりに没頭していた。
夜になり暗闇に閉ざされた。
夕食を済ませたばかりの華音が突然硬直した。
「……トキが、泣いてる……!」
隣りの屋敷の合い鍵を掴んで飛び出し、戻ってきた華音は腕に泣き疲れた季従を抱え、身体を強張らせ震えてガチガチと歯を鳴らす彬従を連れていた。
「お母さん!アキが風邪引いちゃう!アキの家、電気が点かないの!物凄く寒いの!」
「分かった、とにかく身体を温めましょう。」
急いで二人を風呂に入れて温めた。季従にミルクを与えると、腹を空かせていた赤ん坊は勢いよく飲んだ。
隣りの様子を見に行った涼花が青ざめ戻ってきた。
「変ですよ!電気が点かないから調べたらブレーカーが落とされていたんです。ガスも元から止まっているし水道も……ストーブから灯油が抜かれていて、あれじゃアキちゃんとトキちゃんは凍えてしまいます!」
「一体どうして……」
「梢子さんが、わざとやったんじゃ……アキちゃんがいくら賢くてもあれじゃどうしようもありませんよ。」
はらはら涙を流す涼花を労り、茉莉花は彬従の元に向かった。
華音に温かいシチューを供されていた彼は、茉莉花を見るなり目を潤ませた。
「梢子さんは?」
「お母さん、朝起きた時にはいなかった……」
「ずっと?誕生日のお祝いをするんじゃなかったの?」
「分からない……冷蔵庫、空っぽだった……トキにミルクをあげたかったけど、お湯も沸かせないし、粉も空っぽだった……」
「すぐにこっちに来れば良かったのに!」
「でも……お母さんがお父さんに怒られる……」
虚ろな瞳で見上げる彬従を、たまらず茉莉花は抱きしめた。
御園生の家に電話を掛けると、応対した梢子の父はいきなり茉莉花をなじった。
「可哀想に、娘なら半狂乱で家に帰ってきたよ。あなた、彬智と浮気していたそうじゃないか。あの子は夫の裏切りを知りながら、いつか彬智が自分に向き合ってくれると信じて、私らに相談もせず独りで頑張ってきたが、もう限界だそうだよ!」
「浮気なんて、そんなことはありません。」
「しらばっくれるなっ!二度と我が家と関わらないでくれ!」
「では置き去りにしていった彬従や季従はどうするんですか!」
「知るものか!彬智の血を引く子供など、お前らにくれてやる!」
一方的に断罪され、電話は切られた。
次に彬智に電話を掛けたが全く繋がらない。じりじりと心が焦げつく。壊してしまった、彬智の家族を……己の業のために……
振り返ると、彬従がぼんやりと佇み茉莉花を見つめていた。
「今日は大変だったわね。明日、改めてお誕生日のお祝いをしましょう。これからは、私たちがあなたの家族になるわ。」
「……お母さん、帰ってこないの?」
「うん……ごめんなさい、彬従。」
「どうして茉莉花さまが謝るの?」
泣きじゃくる彬従を抱き締め、茉莉花はか弱く震える頭に頬摺りした。
未明から降り出した雪が辺りを白く埋め尽くした。茉莉花は朝早く目覚め窓の外を見ていた。
あの日のようだ、英梨花が家を出て行った……
しばらくして、一台の車が滑るように屋敷に入ってきた。茉莉花は上着を羽織り急いで階段を駆け下りた。
「アキ!」
車から降りてきた彬智は茉莉花を見つけてニコリと微笑んだ。
「どうして電話に出なかったの?梢子さんが子供たちを置いて出て行ったわ!」
「知ってる。」
寒さに震える茉莉花を庇うように腕で囲い、彬智は屋敷に連れて行った。
「梢子さんは子供たちを置き去りにした。しかも電気もガスも水道も使えないようにして、食べ物も全部無くして、まるで彬従たちを凍死させるみたいに……!」
「余程憎かったんだろうね、俺の血を引く子供が。」
薄く笑いを浮かべながら、彬智は赤ん坊に逢いたいと言った。
茉莉花の部屋に二つのベビーベッドが置かれていた。その中に眠る詩音を眺め彼はうっとり微笑んだ。そして季従を抱き上げ、目を覚ました赤ん坊のご機嫌を取るように指で頬を撫でた。
「昨日、御園生の屋敷に呼び出された。マリとの不倫を認めろと詰め寄られたけど、梢子の妄想だって突っぱねておいたよ。離婚届を出されたからその場でサインした。向こうの気が変わらないように書類は俺が出しますって奪ってきた。今から市役所に行ってくる。」
「アキ……それでいいの?」
「何故?俺と梢子の関係ならとっくに終わっている。あの人がいつまでも認めなかっただけだ。」
「彬従と……季従は、どうするの?」
「トキツグって言うのか……この子は俺の子だ。当然引き取るよ。」
「アキは知ってるの、季従の父親が誰か……」
「マリは知らなくていいことだよ。」
呆然とする茉莉花の頬を大きな手がスリスリと撫でた。
「トキから手を離せっ!」
いつの間にか彬従がドアを開け、父親を睨みつけていた。
「アンタのせいだ、お母さんが出て行ったのは!俺とトキを棄てたのは……!」
怒りに震え彬従は泣き出した。自分に瓜二つの息子を彬智は静かに見つめた。
「そうだ、悪いのは全部俺だ。だから、お母さんを恨むんじゃない。恨むなら俺を恨め。」
「馬鹿やろう!」
華音が彬従に寄り添い心配そうに母たちに視線を送り、彼を連れて部屋を出て行った。
一緒に市役所に行こうと誘われ、茉莉花は急いで身仕度を整えた。朝番の家政婦に後を託し家を出ようとドアを開けた。
母の藍咲が怒りに震えて立ち塞がっていた。
「二人揃ってどこへ行くつもり!?」
「お母さん、アキは梢子さんと離婚したの。届けを出してくる。」
「茉莉花、やっぱりあなたは彬智と関係していたのね!」
茉莉花は母を無視して横を通り過ぎようとした。しかし追いすがるように腕を掴まれた。
「御園生さんから連絡をもらったのよ。今後一切高塔との取引は停止するって!」
「それは願ったり叶ったりだわ。今まで高塔がどれだけ御園生の食い物にされていたか、お母さんだって知っているでしょ?」
「だからって、いきなり取引を停止されたら……!」
茉莉花は母の腕を振り払い、そして冷ややかに見据えた。
「お母さんには社長の座を退いてもらいます。今後高塔の経営は私の一存で決めるわ。恭弥を中心に若手社員でこの危機を乗り越える。見ていなさい、御園生を必ず跪かせてみせるから。」
「愚かなことを……」
ガクリと崩れ落ちた母を置き去りにし、先に車に向かった彬智の後を追った。雪の上に残された、大きな靴跡をなぞって……
助手席に座るとすぐに恭弥に電話を掛けた。
「キョウ、もう会社?今から私も出社する。」
「マリ!社内は今大騒ぎだ。御園生から取引の全面停止を突きつけられたぞ。いきなり何があったんだ?」
「梢子さんが家を出て行った……彬従と季従を置き去りにして……アキとも離婚するそうよ。」
恭弥が息を飲む。茉莉花は意を決した。
「これから戦いが始まるわ。私とキョウが中心となって、高塔を護って行きましょう。」
「分かった。マリが来るまでに手はずは整えておく。」
「お願いね。」
ぷつりと電話を切った途端、頭を引き寄せられ唇を重ねられた。
「アキ……!」
「お互いもう独身だ。誰にも遠慮はいらないだろ?」
「だからって!」
「今夜祝杯をあげたいんだけど付き合ってくれる?少しの時間でいいよ。」
「何とか時間は作るわ……」
「これからは、誰にも邪魔されず、昔のようにマリと過ごせるんだね、嬉しいよ。」
彬智はうっとりと微笑んだ。残酷なほど美しいその笑顔に茉莉花は見惚れた。
「市役所に行って、マリを会社に送り届けたら、エリの墓参りに行ってくる。やっと自由になれたって……エリの代わりに俺がマリのそばに居るって報告してくる。」
不意に心が凍りついた。忘れてはいけない、勘違いしてはいけない。彬智が愛しているのは今でも英梨花だけなのだ……
ギアを握る彬智の手に己の手を重ね、茉莉花はふと涙ぐんだ。どんなにそばにいても、どれだけ手を繋いでも、この美しい男を手に入れることは出来ない。
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