落ちる花(アルファポリス版)

みきかなた

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第26章 霧氷

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梢子の妊娠を知った彼女の両親はもろてをあげて喜んだ。会社経営を息子に託し老後を楽しんでいた彼らは毎日のように娘の元を訪れてはあれこれと世話を焼いて帰って行く。藍咲もまた隣りの屋敷を訪れて梢子を誉めそやした。そのたびに梢子はありもしない彬智との仲の良さを宣伝してみせ、誰もが彬智の子であることを疑わず、吉良の血を引く子供の誕生を待ちわびた。

周りから祝福される梢子を眺め、茉莉花は羨ましいと素直に思う。梢子なら、堂々と彬智の子を授かることが出来る。誰にも後ろ指をさされずに……



仕事を終え、自宅に向かう社用車の中で茉莉花はガラス窓に頭をつけた。流れる街灯の灯りを見つめ、もうすぐ臨月を迎える腹を摩る。しばらく産休に入るため仕事の引継をしているのだがなかなか捗らず、重い身体に鞭打ちながら毎日を過ごす。しかしそれもあと僅か。産前産後で一年間は休みを取れと恭弥からは口うるさいくらい言われている。彼はお腹の子の父親の問題には目をつむり、自身が父親代わりを買って出る気でいるようだ。

どこまでも人の好い恭弥に、茉莉花は後ろめたさを感じた。彼の好意を踏みにじる真似をしてしまったから……

梢子の子供に関して、まさか恭弥が父親かと疑い、それとなく話を振ってみたこともあったが、恭弥にはまるで戸惑いが無い。むしろ彬智が二人目を授かったことを羨んでいたくらいだ。

相手が恭弥でなければ、父親は誰なのだろう。夜な夜な遊び歩いていた梢子には昔からの崇拝者も多くいる。深い仲の男が居たのだろうか……今となってはお互いの子供が無事に生まれてくればいい。茉莉花は暗く沈んでいく己の心を叱責した。

高塔の屋敷に着き、ふと隣の家を見た。また明かりが点いていない。梢子は外出しているのだろうか。鍵を開け「ただいま」とリビングに向かうと、そこにはいつものように彬従がいた。小学六年生になった彼は周りの子供よりひとまわり背が高い。その子が背中を丸め、愛おしそうに誰かを抱きしめていた。

「彬従?」

呼び掛けられた少年はハッとして振り向いた。彼の胸の中から現れたのは娘の華音だ。いつも穏やかな彼女が激しく泣きじゃくっていた。

「どうしたの?何があったの?」

慌てて駆け寄ると、華音は母に何かを訴えようとした。だが彬従が小さく首を横に振った。

「アキ、お母さんに言おうよ!だっておかしいよ!間違っているよ!」

「華音が怒らなくてもいいのに……」

弱々しく微笑む彬従を、茉莉花は訝った。

「遠慮しないで何があったのか言ってごらん?」

「茉莉花さま……」

不意に涙ぐんだ彬従を庇い、華音が母と向かい合う。

「梢子おばさまが、酷いことを言ったの!アキが私を連れて家に帰っただけで、おばさまが怒鳴ったの。なんで私を連れて来るんだって。それで、アキに出て行けって言うの!お父さんそっくりの顔を見たくないって!」

そう言い終わった途端泣きじゃくる華音を茉莉花は抱きしめた。

「ねえ、華音……梢子さんのお腹には赤ちゃんがいて、精神状態が普通では無いの。幼いあなたたちに酷いことを言うのはよくないことだと思う。だけど、大人でも自分でどうしようもないこともあるのよ。」

「お母さん、だって、アキが可哀想!」

滅多に感情を爆発させない娘を抱きしめ、茉莉花はふと顔を上げ彬従に目をやった。彼もまた普段は明るく活発な子供だが、今はひどく打ちひしがれている。

「彬従、ごめんね……」

手を伸ばし、彬従を引き寄せ、華音を間に挟んで彼を抱きしめた。

「茉莉花さまは悪くないよ?どうしてそんなに悲しそうな顔するの?」

何も知らずに傷つけられた子供たちを思い、茉莉花はただ黙って子供たちを抱きしめ、己の罪の深さを呪った。





夏の初め、予定日通りに陣痛が来て、茉莉花はあたふたと入院した。

娘たちはどうしても母に付き添うと言って聞かず、茉莉花は病院に頼んで華音と美桜、彬従を待合室で待機させてもらった。

やがて恭弥が彩乃と祐都を連れ、病院に駆け付けた。分娩室に泣き声が響き、無事に生まれた女の子を囲んで子供たちは「可愛い!可愛い!」と喜んだ。

「お母さん、名前は決めたの?」

「まだよ、なんて名前にしようかしら?」

「私たちが決めてもいい?」

「ええ、お願い。あなたたちの可愛い妹だものね。」

華音と美桜は手を取り合って喜び、彬従や祐都も交じってお勧めの名前を言っては頭を悩ませた。

すぐに赤ん坊は新生児室へと引き取られていった。子供たちと恭弥は名残を惜しんで新生児室の前でガラス越しに見える赤ん坊たちを見てはしゃいでいた。病室に戻った茉莉花は付き添う彩乃に礼を言った。

「ありがとう。またキョウと彩乃さんお世話になるわ。華音たちをしばらくお願いします。」

「任せてね!華音ちゃんと美桜ちゃん、アキちゃんまでウチに来てくれるんだもの。修学旅行みたいだねって、祐都がとても楽しみにしているの。」

茉莉花が入院している間、子供たちの面倒を自宅でみると恭弥が言い張り、子供たちもすっかりその気になってしばらく石月家に厄介になることになったのだ。

「恭弥さん、とても喜んでいた……やっぱり女の子が欲しかったのかしら。」

「今からでも遅くない、彩乃さんたちも二人目を頑張ってみては?」

すると彩乃はふと目を伏せた。

「恭弥さんには話していないんですが……私、身体に問題があって、もう子供は望めないの……」

それを聞いた茉莉花は愕然とした。

「まさか、そんな、ごめんなさい……でも、私で良ければ相談してくれてもいいのに!」

「いえ……私たちには祐都がいる、それで十分。それに、もし他所に恭弥さんの子供が出来ても、私はその子を祝福しようと思うんです。」

穏やかに微笑む彩乃の手を、ハッとして茉莉花は握り締めた。

「もしかして、私の子をキョウの子供だと思っている!?」

「え、ええっ!?」

「違うの、彩乃さんの思い違いよ!この子はアキの子供なの!」

「そうなの!?やだっ!例えば、の話をしただけで、マリさんと恭弥さんの仲を疑ったりはしていないわ!」

突然の告白に彩乃は慌てふためいたが、すぐに納得して茉莉花の手を握り返した。

「やっぱり、マリさんはアキさんが好きだったのね……」

「彩乃さん、私……」

「いいの、誰が父親だって。生まれてきた子はみんなのものよ。大切に育てましょうね!」

明るく微笑む彩乃の手に縋り、茉莉花は思わず涙を流した。

「マリ……」

低く良く通る声にハッと顔を上げると、ちょうどやってきた彬智が困ったように顔をしかめ佇んでいた。

「おめでとう、女の子だったんだね。」

「ええ、とても元気な子よ。華音も美桜も可愛がってくれるわ。」

彬智はふと微笑み、ベッドに横たわる茉莉花の頭をそっと撫でた。

「……なんでアンタがここに居るんだよ!」

戻ってきた彬従は、父親の姿を見つけるなりそう凄んだ。

「マリは俺の大切な人だ。お前にどうこう言われる筋合いは無い。」

「だったら、お母さんのそばにもいてやれよ!」

「アキっ!」

慌てた華音が激怒する彬従に縋りついた。彬従は父親を睨みつけ、彬智も息子から目を逸らさない。

「彬従はこのまま俺んちに預かるよ。梢子さんによろしくな。」

恭弥がとりなすように彬智の肩を叩いた。そして彬従と祐都の背を押し、華音と美桜を引きつれて病室から出て行った。

「アキさん……」

か細い声に釣られて見下ろすと、彩乃が強張った顔で見つめている。

「梢子さん……奥さまの体調はいかがですか……?」

「お腹の子供なら、順調に育っているよ。心配は要りません。」

「あ、あの……」

彬智は彩乃の困惑を察した。それは、彼女が恭弥と梢子の間に何らかの関係があったこと、そしてその後すぐに梢子が妊娠したことを知っているからだ。彩乃を傷つけたくない、自分たちの不始末に巻き込みたくは無い……

「あの子は俺の子です。だから、彩乃さんは、心配しないで。」

ニコリと微笑む彬智に見惚れ、安心した彩乃はすぐさま頭を下げて、夫たちの後を追った。

彩乃の後ろ姿を見送っていた彬智は、くるりと体を返し茉莉花のそばに佇んだ。

「赤ちゃんに逢える?」

「ええ、新生児室にいる……」

産後まだ癒えぬ身体をゆっくりと起こし、茉莉花はガウンを羽織って彬智を誘い新生児室に向かった。ガラス越しに生まれたばかりの赤ん坊を眺めていた彬智は、そばにいた看護師に話し掛け、我が子をその手に受け取った。

「凄く可愛い。マリに似てるかな?」

「……そうね、私に似ているといいわ。」

もし父親に似ていれば、隠していた秘密が皆に分かってしまう。彬智から受け取った赤ん坊をついギュッと抱きしめてしまった。どうか、この子が幸せでいられますように……

赤ん坊を新生児室に戻し、二人は病室に向かった。彬智は茉莉花を労わり腰に手を当て抱き寄せた。

「ありがとう、マリ。この子を産んでくれて。」

「お礼を言うなら私の方よ。」

不意に花の香りに包まれた。彬智の胸に縫い付けられ、茉莉花は顔を上げた。目の前にある微笑みに見惚れ、茉莉花はひとときの幸せに酔った。





茉莉花の赤ん坊は『詩音』と名付けられた。実の兄にあたる彬従が命名し、皆が賛同したからだ。

夏休みに入った華音と美桜、そして彬従は我先に詩音の面倒をみたがった。オムツを変えミルクをやり、詩音が泣けば大袈裟にあやし、笑えば一緒になって笑い転げる。

茉莉花は家にいて、今までに無くのんびりと家事をこなし、子供たちの様子を見守った。母が家にいることで子供たちもはしゃぎ、穏やかな夏の日を皆で過ごした。

恭弥もまた暇を見つけては高塔家を訪れ、仕事の話をさっさと終えると、詩音をあやし目尻を下げた。一緒にやってきた祐都や彩乃はデレデレになる恭弥をからかうが、何を言われても気にしない恭弥は赤ん坊に愛想を振りまき続ける。それをみた子供たちが楽しそうに恭弥に纏わりつく。

そうだ、夫には恵まれなかったけれど、私には可愛い子供や優しい友人がいる。

茉莉花は腕の中で眠る詩音を眺め、この子を生んで良かったと、心からそう思った。





秋が終わり冬になった。並木道の木々から葉が落ちその枝が凍り付く。

梢子は予定日前から入院し、そして無事に男の子を出産した。

静かに静かに、時が凍り始めた。



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