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28.王家と商人

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 またまた、やってきました碧の間。
 今日の利用者はアルバートにルイーズ嬢、俺、そしてオードリー嬢だ。オードリー嬢は、部屋に入って俺がいるのを見るなり、「おまえとおなじ空間にはいたくない」って気持ち満載の氷の視線をよこした。最後に会ったのが甲冑装備の不審者だったからね、気持ちはわかる。
 小さな円卓の座席は、アルバートを起点に右回りに俺、少し距離をあけてアルバートの正面になるかたちでオードリー嬢、そしてルイーズ嬢だ。
 ひととおりのあいさつがすむと、アルバートが本題を切り出した。

「オードリー嬢、これから私が話すことは、この部屋の外に出ることはない。また、ノアとルイーズがもらすこともない。私の名にかけて約束する」

 オードリー嬢が息をのんだ。貴族が自分の名にかけて約束するっていうのは、家名をかけるってことだ。普通でも重いのに、アルバートの場合は王家だよ。激重だよ。オードリー嬢が青ざめるのも当然だ。

「ノア、盗聴をされないための魔法を頼む」
「無能だな。とっくに実行している」

 オードリー嬢が部屋に入った時点で、盗聴防止の魔法を張った。あと扉に、人が入ってきたら昏倒する魔法もかけておいた。扉を開けられないようにしたほうが手間がかからないけど、部屋全体がその魔法を弾くしくみになってた。生徒に密室を作らせないためかな。この妨害を解除することはできるけど、そこまでしなくてもいいから、侵入者の意識を失わせる方向にしてみたのだ。

「話すうち、もしオードリー嬢がノアやルイーズの同席を断りたくなれば、遠慮なく言ってほしい」

 これは打ち合わせ済みだ。まずアルバートだけでも、オードリー嬢と話し合うことを最優先にした。

「いったいなんのお話でしょうか」

 オードリー嬢は不安を隠しきれない様子だ。王子が名にかけて誓うくらいの内密の話をするっていわれて、盗聴防止魔法まで使われたら、そりゃ心臓に悪いだろう。

「もったいぶらず、本題から入ろう。とはいえ、内容が内容だけにどうしても率直さには欠けてしまうかもしれない。オードリー嬢は、アレのことを知っているだろう。つまり……夏茶会の参加者たちの多くが被ることになった……表向きにはできない『アレ』のことだ」
「わたくしのように考えの浅い者がアルバートさまの真意を察することができるとは申せませんが……いわゆる『アレ』の噂については、いろいろと耳にしております」
「そうだ、そのアレだ」

 もったいぶらないと宣言した直後に、「アレ」って隠語が連発される。話してる二人は大真面目で、だからよけい笑ってしまいそうになった。だけど、ここで俺が噴き出すわけにはいかない。がんばれ腹筋、キミが頼りだ!

「アレの解明には、国をあげてあたっている」
「心強いおことばです。いえ、もちろん、もしアレに関係している者が聞いたら、ということですが」

 オードリー嬢が慎重な言い回しをする。ここで喜びすぎると、自分が呪いにかかってるって疑われるからかな。

「私はね、オードリー嬢。最初は、アレは厄災のようなものだから、すぐさま滅するべきものだと考えていた」
「そのとおりでございます」
「しかし、いまは果たしてそれが正しいのかと疑う気持ちもあるのだよ」

 アルバートが、同学年のトレヴァーを知ってるかって訊いたら、オードリー嬢はうなずいた。いまや彼は、学園だけでなく国中の有名人だ。いろんな機関から呼び出されてるってきく。なんせ気がねせず呪いについて調べられる、いまのところ唯一の人間だもんな。

「フン、風船ブタのことか」
「ああ。トレヴァーは自分ののろ……いや、その、アレを、災いではなく、幸いだととらえているらしい。だから、仮にまだアレにかかっているとして、それを解くことができるとしたらどうするかと訊ねられたところ、過去とおなじ選択をすると答えたという」
「それは、けれど、とても特殊な例ではございませんか」
「そうかもしれない。だが、アレのおかげで幸せになった人間がいるということが重要だ」

 トレヴァーとパティ嬢は、現在結婚にむけて自分たちの家を説得しているらしい。結婚してしまったら、呪いが解けてもいいのかもしれない。でも教室で告白した時点では、呪われたことで二人は助かったんだ。

「アレに見舞われたほとんどの人間は、その影響から逃れたいと思っているだろう。しかし、そうでない人間もいた。だから、私はいまこの話をしているのだ」

 オードリー嬢は、背筋を伸ばして椅子に座ってる。その顔がこわばった。

「オードリー嬢、どうかただのざれごとと思ってきいてほしい。ありえないことだが、仮にあなたが、アレされたとしよう」
「アルバートさま、わたくしはアレとは関係ございません!」
「金切り声を上げるな、ツタ風情が!」
「ツタ風情って、なにをどう罵られているのか、もはや意味が不明です!」
「もちろん、わかっているとも、オードリー嬢。だから、もしもの話だ。もしアレを受けたとしたら、オードリー嬢はトレヴァーのように甘受するだろうか。それとも、アレのない状態にもどることを望むだろうか」

 アルバートが、俺の発言はなかったかのようにさわやかな笑顔をうかべた。

「私の、たわいもない好奇心だ。どうかたわむれにつきあってほしい」

 少し間をおいて答えたオードリー嬢の声は、かすれていた。

「もし、ですが、わたくしでしたら……。アレがない状態にもどれるものなら……なんとしてでも……もどりたい、と。きっと、そう思うでしょう」

 よし、意思の確認がとれた! そうだろうとは予測してたけど、ちゃんと本人の口からききたかったんだ。

「そうか。ところで、オードリー嬢はなぞなぞ遊びは好きかな」
「なぞなぞ遊びですか? あまり、したことがありません。ですから好き嫌いでいうと、どちらでもないということになります」
「きさま程度のアタマで解けるなぞなどないということだな」

 急に話題が変わって、オードリー嬢が面食らいながら答える。彼女も、俺をいないもののようにあつかう態度に長けてきた。少し寂しい。

「私にとって、アレはなぞなぞ遊びのようなものでね。私は、なぞかけに答えるのは得意なほうだ。もし挑まれたら、解いてしまえるだろうな」

 おっ、それは俺がまえに言ったセリフだね。でも俺が「解ける」って言うより、アルバートがそう宣言したほうが、俺でさえ信ぴょう性が高いって感じてしまう。さすが、人に信じさせる話し方がうまいわ。

「私がなぞを解くために、その内容を知る必要はない。ただ、『アレをソレしてほしい』と言ってくれればいい」

 アルバートが少し身をのりだして、オードリー嬢の瞳をのぞきこむ。

を続けよう。もし私がアレをソレすることができるとしたら、オードリー嬢は私になんと言うだろう?」

 金髪に碧玉色の目をした王子さまが、長い縦巻き毛の美少女にやさしく問いかけてる図は、物語の一場面みたいだった。俺だったら雰囲気に流されて、よく考えずに「はい」って答えちゃいそうだけど、オードリー嬢は違った。彼女はしばらく考えこんでから、あらためてまっすぐにアルバートを見た。

「アルバートさまは、エミリア・チャップマンをご存じですね」

 そして予想外の話を始めた。

「ウェントワース伯爵家は、先々代のころからチャップマン商会と取り引きをしております。そのよしみで、わたくしはエミリアの父上とお話する機会が何度かございました」
「当代のゴードン・チャップマン男爵だね。私は面識がないが、チャップマン商会が追い風にのっているという声はよくきくよ。やり手だそうだね」
「チャップマン男爵の本質は商人です。そして商人として凄腕です。これは中傷ではなく、わたくしの正直な感想であり、本人もご存じです」

 貴族にむかって「商人みたいだ」というのは、かなりの侮辱にあたるだろう。金に汚いとか、あくせく働いてみっともないとか、貴族としての品位に欠けるとか、そう言ってるのとおなじだからだ。でもオードリー嬢は、それを事実として話した。
 俺、エミリア嬢のお父さんと会ったことないけど、あんまりいい感情を抱いてないんだよね。どうやらお兄さんのロバートは、彼女のアイディアを盗用したり、仕事にまともな評価をしてないみたいだ。エミリア嬢が見習いをしてる金の宿り木工房は、チャップマン男爵家が直接運営しているっていう。もしチャップマン男爵がロバートのやってることを知らないなら、ちゃんと子どもと直営工房のことをみておけよっていいたい。問題があるのを知ってて放置してるなら、論外だ。

「チャップマン男爵からきいたことがあります。商人としてもっとも軽蔑すべきは、相手に利益のない一方的な取引を結ぶことである。そしてもっとも危険視すべきは、無償の取引である。――どうか誤解なさらないでください、わたくしはアルバートさまを商人と比較しているわけではありません。商人の卑小な損得の考えを、王家の方にかさねるつもりなど毛頭ございません。ただ、なぜアルバートさまがわたくしにそのようなお話をされるのかが、わからないのです」
「私に得がないようにみえるからかな」
「さようです。いえ、国が民のために事業を行うことはあるでしょう。ですから、たとえばアレをソレするから申し出るようにと、国が公布するならわかります。けれど、アルバートさまがどうしてわたくし個人にそのようなおことばをかけてくださるのかが、みえないのです」

 なるほど、呪いの解呪のお誘いもだけど、それを親しくもないオードリー嬢に申し出る理由がわからないから答えられないってことか。貴族だと相手の裏の裏の裏の……とにかく読めるだけの裏を疑ってかかる。表向きのことばをうのみにして痛い目に遭っても、自業自得っていわれる。
 じつは得はあるんだよ、オードリー嬢の呪いを解いたら俺もその呪いから解放されるからね。だから俺は、私利私欲でしか動いていないのだ。得がないのはアルバート、それからルイーズ嬢だ。
 アルバートは、将来王子としての功績になるかもしれないっていってたけど、本当に利益だけを考えるならそんな不確かなことで俺に協力しないだろう。ルイーズ嬢は、アルバートの頼みだからつきあってくれてる。つまりどっちも、俺と違って無償なのだ。

「なぜ、わたくしにそのようにおっしゃってくださるのでしょう。そして、対価になにを求めておられるのでしょうか、アルバートさま」

 オードリー嬢の疑問に、俺の代理人としてアルバートはどう答えるんだろう。
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