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42.エミリア嬢の事情

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 オードリー嬢がエミリア嬢に求婚した。
 沈黙がその場を支配する。
 いま、しゃべる権利があるのはエミリア嬢だけだ。でも当の本人はカチンとかたまってる。
 わかる。当事者じゃないけど、俺だっておんなじだ。告白までは予想がついたけど、なんでオードリー嬢、いきなり求婚してるんだよ!?
 俺があわあわしてるのに、目の隅に映る恋愛上級組は全然動揺してないのが悔しい。

「わたくしは、あなたの才能を世に出したい。いつも言っているように、わたくしが学園を卒業したら、あなたの工房を開きたい。でも、ウーンデキム祭に作品を出せないのであれば時間がない。だから、あなたと仕事をする権利が欲しいのよ」

 石像になってたエミリア嬢が、はふっと息をした。悲しそうな色が一瞬面をかすめたけど、すぐに彼女は、あははって笑った。

「び、びっくりしました。そういう意味だったんですね。そっか、このままだとわたし、金の宿り木工房に入るしかないですしね……。わたしは、それでもいいんですけど」
「あんな、あなたを踏みつけて絞りとることしか頭にない男のところになんか、行かせるものですか」
「でも、もし結婚しても、状況は変わらないんじゃ……」
「わたくしが成人するまでは婚約しかできないけれど、お父様を説き伏せて婚約者に支援をしてもらうわ」
「……無理です。伯爵さまにそんなお願いできませんし、オードリーさまにも負担をかけてしまいます」

 エミリア嬢が暗い表情になっていく。なんだろう、たんに好きとか嫌いとか、告白するとか承諾するとか、それだけの話じゃないみたいだ。さっきからウーンデキム祭への出品だのエミリア嬢の成人の儀だのがちょこちょこ話題になってたけど、なにがあるんだろう。

「オードリー嬢、エミリア嬢。私たちが聞いていないほうが話しやすければ、出ていこう」
「お気づかいをありがとうございます、アルバートさま。けれど、このような騒動に巻きこんでしまったのですから、せめて状況を説明させていただけるでしょうか」

 オードリー嬢が頭を下げる。そのあと彼女が話した内容を簡単にまとめると、「エミリア嬢大好き」と「ロバートに怒り心頭」だった。
 オードリー嬢は、初めてエミリア嬢に会ったとき、彼女の物作りの才能に驚いた。小さいころは、不器用な自分と違って美しい物を生み出すことができる遊び相手が自慢だった。でもエミリア嬢との交友を続けていくうちに、彼女が生み出す作品の世界にも、彼女そのものにも惹かれるようになった。
 ただ、エミリア嬢をとりまく環境は彼女に優しくなかった。
 エミリア嬢が初めて金の宿り木工房をのぞいたのは四歳のときだった。それ以来、工房をウロウロしてはものを作ることに夢中になったけれど、彼女を誉めてくれたのは二人しかいなかった。一人は工房で働く老いた職人のハマーで、二人目がオードリー嬢だった。

「大人は誰も誉めてくれなかったってこと? エミリアちゃんが作ったなら、ただの子どものお遊びじゃなくて実際に上手かっただろうに」
「あの男が工房にいたからですわ。エミリアは天才です。そしてロバートは凡才でしかない。だから嫉んで、引きずり下ろして、貶めようとするのです」

 苦々し気にオードリー嬢が吐き捨てる。
 ロバートは、子どものころから職人としての才能を認められて工房にかよってた。妹と違うのは、兄は次期工房長とみなされていて、かなりのわがままが通ったことだ。

「ロバートは、エミリアが作る物をことごとくけなしました。そんな彼に、他の職人たちが追従したのでしょう。みな、思ったはずです。この子のことを誉めれば、次期工房長の機嫌をそこねるとね」

 ハマー老人は工房の立ち上げから関わってた人物だった。ロバートとはそりが合わなかったけれど、古くからの功労者である彼は無下にあつかわれることはなかった。そして気難しい老人ではあったものの、彼だけはエミリア嬢を不当に評価することがなかった。
 幼いエミリア嬢は、ハマー老人といるときが一番楽しかった。しかし彼女が七歳になったとき、腰を痛めたせいで老人は工房を引退して、娘夫婦のいる地方都市に越してしまった。
 そのあとすぐロバートが工房長になって、エミリア嬢は居場所をなくした。

「エミリアを冷遇したことは許せません。そのうえロバートは、もっと恥知らずなことをしました。みなさまはご存じですわね、盗作です」

 金の宿り木工房では、工房としての発注を受ける以外に、工房長のロバートが指名されての注文も多い。後者の場合は、そのほとんどがまずエミリア嬢に回される。彼女がデザイン画を出すと、ロバートがそれを依頼人の元にもっていく。依頼人が納得したら、デザイン画を元に工房で制作する。繊細な個所、ひらたくいってしまえば他の職人では手に負えない部分はエミリア嬢の元に回ってきて、彼女は見習い職人としてその仕事をこなす。

「これが、金の宿り木工房長ロバート・チャップマンに依頼した際の通常の手順です」
「でも、ロバート兄さまがわたしの画を修正することも、よくあって……だからわたしだけが描いたとは……」
「あれは修正ではなく、質の低下よ。複雑な部分を削いで、その分ゴテゴテと飾りつけた劣悪品。さっきの杯をみたでしょう」

 エミリア嬢は、ずっとそんなふうに使われてきた。彼女が自分自身の思い通りに宝飾品を創作することができるのは、オードリー嬢に向けて作るときだけだった。

「工房によっては、下請けに作らせるのが当然というところもあるというけどねえ」
「けれど、自分の妹ですよ!」
「わたしも、エミリアちゃんへの待遇に賛成してるわけじゃないからね」
「失礼いたしました、ルイーズさま。とにかくロバートは、エミリアの才能を自分のものにすることしか考えられない人間です」

 オードリー嬢は、そんなエミリア嬢の状況を変えたいとずっと思っていた。そして計画を練ってきた。

「チャップマン男爵は能力主義者で、成人の儀を経た子どもはその時点で将来を決めなければなりません。家で養われなくなるのです。エミリアは、一六歳になったら金の宿り木工房と正式な職人としての契約を交わすと思われています。でも、そうしなければならないわけではありません」

 チャップマン男爵家の長男は、父親の商会に入った。そこで一から学んで、いまは大きな支店を任されている。次の子どもは長女で、こっちは対照的に家を出て別の商会で働いてる。いつかチャップマン商会を追い越すことが目標だという。
 次男がロバートで、職人としてまた経営者としての自分を父親に売りこんで、副工房長を務めたあと工房長になった。ロバートとエミリア嬢のあいだには四番目の子どもである三男がいて、彼は四年間の猶予期間と援助を父親に願い出た。そして父親から借金をするかたちで遊学して、ある国の子爵家の娘を射止めて婿入りした。
 男爵家の子どもでまだ身のふり方が決まっていないのは、次女で末っ子のエミリア嬢だけだ。
 なかなか厳しい家だな。平民のことは知らないけど、貴族や裕福な家の子どもなら成人の儀を過ぎても仕事をみつけてないほうが普通だからさ。

「オードリーさま、わたし、作ることしかできません。金の宿り木工房で働く以外に道はないと……」
「だからわたくしと結婚すれば」
「信用も将来性もないわたしに、伯爵さまが投資されるわけがありません。実の父親にも援助してもらえないんですよ」
「あなたがウーンデキム祭に出品できさえすれば、どうにかなったのに」
「それだって……買いかぶりです……」

 エミリア嬢が、つらそうに肩をおとす。そろそろウーンデキム祭関連への疑問が膨れあがってきたなあと思ってたら、ちょうどいいころあいでアルバートが質問してくれた。

「オードリー嬢は、シャインフォード公爵の集いにエミリア嬢の作品を出すことにこだわっていたな。ただ出品する以上の意味があったのか?」
「チャップマン男爵と賭けをしています」
「オードリーさま、でも、あれは」

 金の宿り木工房がある以上、本人が家と絶縁する覚悟でなければ、エミリア嬢が他の工房に入ることは難しい。そのうえ彼女は、自分は三男のように父親から支援してもらえはしないと、交渉する前から諦めていた。たとえ将来を決める時間を延長してもらえたとしても、結局その先になにかできると思えることがなかったからだ。
 一方、そんな彼女にしびれを切らしたオードリー嬢は、チャップマン男爵と直に交渉することにした。何度も話し合いをしたあげく引き出した譲歩は、オードリー嬢が成人の儀を迎えるまでは条件付きでエミリア嬢に猶予期間をあたえるというものだった。

「わたくしが、エミリアの作品を売り出します。学園を卒業して一年以内に、エミリア・チャップマンを独立した人気宝飾師にしてみせます。それが、わたくしがチャップマン男爵に提示した未来像です」

 お茶会、淑女サロン、朗読会、音楽会、親族の集い。成人前の少女でも、その気になれば作品を売りこむことができる場はいくらでもある。オードリー嬢は、自分が身につけることでエミリア嬢の作品の魅力を広めつつ、注文もとって、この若手宝飾師を世に売り出そうとしていた。
 俺は新鮮な気持ちで、熱く未来を語る令嬢の話をきいていた。
 最初は、オードリー嬢は自分の勢力を広めるためにエミリア嬢を利用してるんだと思ってた。すごく横暴な態度をとってるようにみえた。だけど本人の意図は違った。
 噂話と真意。角度を変えるだけで、オードリー嬢の行いはこんなにも変わってみえるんだな。

「エミリアが自分の工房をもち、わたくしがそれをあつかう宝飾店を開く。それが将来の構想です。そのためにわたくしは学園に入学し、経済や経営を学んでいます。また父に頼みこんでチャップマン男爵に話を通してもらい、エミリアも学園に入学するようにしました。エミリアは制作に魔法を使いますし、その力をきちんと伸ばすためには学園で学ぶのが最適ですから」

 それに学園の生徒は、現在のそしてなにより未来のいい顧客候補だと、オードリー嬢がくちびるの両端を軽く上げる。したたかだぁ。
 オードリー嬢はチャップマン男爵に、猶予期間を認めてくれるならその期間中にエミリア嬢が制作した宝飾品の売り上げの一部を分配することを提案した。チャップマン男爵は、それでは採算がとれないから契約としては成立しないと鼻で笑った。ただし、多少は興味をそそられる内容だったから、契約ではなく一種の「賭け」としてなら乗ってもいいといった。
 男爵は、分配金に加えて二つ条件をつけることで、オードリー嬢の案を受け入れた。
 条件の一つは、一年に最低一回は世間で認められる作品を制作するというものだった。オードリー嬢の交友関係の内だけでもてはやされるんじゃなくて、作品がもっと広く認められなければならない。それができなければ、猶予期間はその年で打ち切られることになる。

「チャップマン男爵との賭けは、今年の四の月から始まりました」

 去年の秋からずっと交渉していて、三の月が終わる前になんとか了承をもぎとったそうだ。だから最初の一年間は、来年の三の月までになる。

「一年以内にデザインと制作をして、世間で注目される機会をと考えると、ウーンデキム祭がもっともいい催しでした」

 なるほど、エミリア嬢の作品がウーンデキム祭で評価されたら、チャップマン男爵が出した条件に適うわけだ。

「金の杯は、エミリアちゃんが作るはずだったっていうだけじゃなくて、君たちの未来がかかったものだったんだね」

 それをロバートに横取りされたわけだ。きけばきくほど、ロクでもないヤツだな。

「おい黄巻。あのクズは、きさまの賭けについて知っているのか」
「あのクズは、だいたい把握しているでしょうね。わたくしに直接訊ねる度胸はクズらしくなかったようですが、話せとエミリアを何度も脅したようですから」
「真正のドクズだな。部屋に入れて人間のことばで話すという贅沢をさせたのが間違いだった」
「わたくし、ノアさまと意見が合う日がくるとは思ってもいませんでしたわ」

 呪いの影響でエミリア嬢が不調になったのを、ロバートは彼女の独立を阻止するいい機会だって喜んだのかもしれないな。そしてこの機会に、彼女の伝手もデザインもすべて自分のものにしようとした。将来的には、エミリア嬢のデザインに頼ってた自分の工房も困るだろうに、目先のことしか考えられないんだろう。クズだから!

「オードリー嬢は、チャップマン男爵から出された条件は二つあるといったな。もう一つはなんだ」
「事業計画書の作成です」

 オードリー嬢に課された二つ目の条件は、チャップマン男爵が納得できる程度の宝石店の事業計画書を作成することだった。オードリー嬢はすでに計画書を二回出したけど、目を通す価値もないって突き返されたそうだ。

「こちらの期限は、わたくしの卒業までといわれています」
「すると、さしあたって問題なのはエミリア嬢のほうだな。次の三の月までに作品が評価されなければ援助は打ち切られるわけか」

 援助がなくなったら、エミリア嬢は生きていくために金の宿り木工房に入ることになる。そうさせないためにオードリー嬢が結婚を申し出たけど、エミリア嬢は迷惑をかけられないって尻込みしてる。それがいまの状況なわけだ。

「意匠登録のせいでシャインフォード老の集いに出品できないなら、別の催しを探さなきゃだね。なにがあったかな」

 ルイーズ嬢が前向きな意見を出す。

「でも、機会があっても、わたしはもう作れません……」

 エミリア嬢が後ろ向きな意見を出した。安定のエミリア節だ。

「わたくしの呪いが解けたから、作れるようになったっていったでしょう」
「あっ、そうでした……ね?」

 オードリー嬢は呪われた当人だったから、解呪されたことが感覚でわかった。だけどとばっちりを受けただけのエミリア嬢は、呪いの影響がもうないことを実感できてないみたいだ。
 エミリア嬢は、自分の両手をじっと見て、十本の指を曲げ伸ばしした。それから、なにかを決意したみたいに拳を作って、頭を上げた。
 ひじょうにキリッとした顔だった。

「ノアさま、お願いがあります」

 よくない予感がする。でもこの小屋に逃げ場はないから、俺は座ったまま彼女の頼みとやらを聞くしかない。

「どうか髪を編ませてください!」

 あのさ、なんで毎回キミは、俺の髪の毛で自分の器用度を測ろうとするのかな。
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