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41.オードリー嬢の謝罪

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 オードリー嬢は、これまでの自分の振る舞いについて説明をすると言った。そんな彼女に、アルバートが気づかうように声をかける。

「私たちは席を外そうか」
「お気づかいをいただき、ありがとうございます。けれど、できればどうかそのままお座りください。これは、わたくしの罪です。ご迷惑でなければ……みなさまに、きいていただきたく存じます」

 オードリー嬢は、今日までの一連の騒動について責任をとる覚悟なんだろう。立ち上がって、エミリア嬢の前で深く頭を垂れた。

「エミリア・チャップマン嬢、わたくしはあなたに心より謝罪申し上げます」
「オオオ、オー! オードリーさまぁ!?」

 驚きのあまり、エミリア嬢が雄たけびみたいな悲鳴を上げた。

「どうしたんです、ひえ、頭を上げてくださいっ」

 エミリア嬢が、ぴょんっと椅子から飛び上がる。彼女はオードリー嬢の頭を上げさせようとした。
 オードリー嬢は両手を胸のところで握りしめて、何度かくちびるを開いては閉じた。そして、正面に立つエミリア嬢をまっすぐに見た。

「わたくしは、呪われて……いました。夏茶会のときに、かかったのです」

 オードリー嬢の呪いは俺が解いたし、彼女自身それをわかってる。それでも「他人に話すと一生呪われる」の呪縛は心に刻みこまれていただろうから、破るのはかなり強い抵抗があったはずだ。呪われていた、と口にしたオードリー嬢は、長く息を吐いた。その姿は、ようやく重荷を下ろせた人のようだった。

「オードリーさまって、呪われてるんですか!? そんな、あの、でも呪いって人に話しちゃいけないってきいたんですけど……? いったい、どんな呪いなんですか」

 呪われてることを口外してはいけないっていうのは、いま世間に流れてる噂だ。噂というか、本当だけど。それを知ってるのに、どんな呪いなのかってきいちゃうエミリア嬢は、混乱してるのかそれとも単なるうっかりさんなのか。たぶん両方なんだろう。

「わたくしの呪いは……」

 それまでのオードリー嬢は緊張に青ざめていたけど、今度は頬に赤みがさした。うん、この呪い、教えるのはかなーり気恥ずかしいよな。
 同情をこめて見ていたら、なぜか怒ったようににらまれた。いまの俺の顔つきだと、「きさまには、口にする勇気などあるまい」ってせせら笑ってるように受けとられたのかもしれない。せつない。

「呪いは、『好きな対象が自分に似る』です!」

 オードリー嬢が言い切った。胸を張って、大声で、白状した。
 エミリア嬢はポカンとしてる。

「は……? それが、呪い、なんですか……?」
「最悪の呪いでしょう!」
「だって、呪いって、病気になるとか死ぬとか……事故に遭うとか……家が傾くとか、そういう不幸になるものなんじゃあ」

 エミリア嬢の疑問は意外だけど当然で、それから俺にはない発想だった。たしかに「呪われた」っていわれたら、おどろおどろしいことを想像するよな。だけどグラン・グランの呪いは、内容をきいただけならバカバカしいんだよ。その効果や影響を考えたら、笑ってばかりじゃいられないけどさ。
 エミリア嬢はトレヴァーの「まるくなる」呪いを知ってるけど、他のまでそんなオモシロ呪いだとは思わなかったみたいだ。

「充分、不幸になってるじゃない。毎日それを見ているわ」
「オードリーさまが好きになった対象? 人間……? が、オードリーさまに似るってこと……ですよね。それが、どうして不幸になるんです」
「わたくしに似たら、未来がないに決まってるでしょう!」

 オードリー嬢は頭に血が上ってるようで、いろいろすっとばして話してる。他方エミリア嬢は、わけがわからなくてずっと首をかしげてる。
 薄々感じてたけど、オードリー嬢ってエミリア嬢の前だとけっこうポンコツなんじゃないだろうか。アルバートやルイーズ嬢にはしっかりした貴族令嬢の所作をとってたし、たぶんそれが普段人にみせてる姿だろう。ロバートには高慢で攻撃的だったけど、あれはまあ相手が悪い。そしてエミリア嬢としゃべってるときは、素に近いのかなんなのか、冷静な部分がすこーんとどこかに飛んでしまってる。
 アルバートが、このままじゃ埒が明かないって判断したのか、咳ばらいをした。

「話を整理したほうがよさそうだな。オードリー嬢、その呪いに巻きこまれた『好きな対象』について、説明してほしい」

 首から上も手首から先も、とにかくみえてる部分を全部真っ赤にしたオードリー嬢が、涙目でエミリア嬢をにらんだ。

「わたくしの呪いの対象になったのはっ。好きな相手は、あなたよ、エミリア!」
「はっ……はええっ!? ぶっふべえっ」

 エミリア嬢が淑女らしからぬ叫びを上げる。そういう叫びはちょくちょくきいてたけど、これが最上級だな。
 眼鏡のレンズ越しに、目がキョトキョトと泳いでるのがわかる。「すき……? すきって……?」と、くり返しつぶやく。
 返事を待つオードリー嬢は、断罪を前にした人のような悲壮感を漂わせてる。
 エミリア嬢が、ポンと手を叩いた。

「わかりましたぁ! オードリーさまは、わたしの作る物がお好きと! だから『人』じゃなくて『対象』なんですねっ」
「違うわよっ!」

 あれれ、とエミリア嬢が首をかしげる。

「じゃあ、オードリーさまはこれまで、嫌だと思いながらわたしに宝飾品を作らせていたのですか……?」
「そんなわけないでしょう! あなたの作品は好きよ、でもそういう意味じゃないの!」
「で、でも。作品でないなら……そうか! 作品を作る私の腕前そのもの。そういうことですねっ」
「そういうことじゃありませんっ」
「あ……。はい、いまのわたしは……なにも作れない役立たずですから……うぬぼれたことを言ってしまいました。すみません、だからロバート兄さまにも叱られるんです……」
「ああ、もう、どうしてあなたはそうなのっ」

 かみ合わない話に、オードリー嬢がエミリア嬢を怒鳴りつける。ただ、そこに威圧感はなくて、どっちかというと気心が知れた相手とじゃれあってるようなかんじだった。
 オードリー嬢がエミリア嬢を好きだって知ったとき、俺はそれだけで満足した。対象が人間だってわかったら、それでよかったからだ。でも「好き」にも種類がある。そのことに、俺はいま気がついた。

「いい、よく聞きなさい。あなたの作品も、あなたの職人としての腕も、わたくしは認めているわ。けれど、才能だとか、それだけじゃなくて。そういうことじゃないのよ」

 気づいたのは、アルバートとルイーズ嬢がにこやかーにオードリー嬢を見守ってたからだ。いや、にこやかというより、若人を見守る大人みたいというか。その表情と、うるんだ目で必死になって好き好き言ってるオードリー嬢とを見比べて、わかった。
 そっかー、そういう好きかー。

「その、だから、なにが言いたいのかわかるわよね」
「えっと、いいえ……?」

 エミリア嬢はきょとんとしてる。
 傍観者の俺たちは、なんとなくこの先の流れが読めて、なまあたたかく彼女たちを見守った。

「エミリア、あなた、ちょっとは察しなさい」
「はいっ、ごめんなさいっ」
「謝れとはいってないでしょう!」

 オードリー嬢が、もどかしそうに指を組み合わせてはほどく。なにを察すればいいのかが察せられないエミリア嬢の頭が、どんどん下がっていく。

「……エ……リア……よ」

 観念したように、オードリー嬢がくわっと口を開いた。

「エミリア、あなた自身よ! あなたという人が好きなの!」

 おお、言った!
 俺は右手でぐっと拳をつくった。アルバートとルイーズ嬢が、よくやったっていうかんじの眼差しをオードリー嬢に向ける。

「はへ?」

 ぽっかーんと、エミリア嬢が口をあけた。オードリー嬢からはしたないって怒られて、慌てて両手で口元を隠す。

「すき? 好きって、だって、わたしですよ」
「そうよ、あなたよ」
「ありえません」

 速攻でエミリア嬢が首を横に振った。
 しかし、告白してひらきなおったオードリー嬢は強かった。

「目の前で、わたくしが言っています」
「……信じられないです」
「あなたが自分を信じられないなら、わたくしを信じなさい。わたくしが、オードリー・ウェントワースが、エミリア・チャップマンを誰よりなにより好きだといっている、この事実を受け入れなさい!」

 なかなか強引な迫り方だった。でも、エミリア嬢にわからせるにはこれくらいのほうがいいのかもしれない。だって、これだけ言われてもまだ彼女は、迫力に押し切られたけどピンとはきていないようなんだ。

「これが前提よ。この前提を否定されたら、呪いの話ができないわ」
「好きな対象が、ってやつですか」
「ええ。呪いのせいで、あなたがわたくしに似てしまったの」
「オードリーさまに似るって……、わたしの髪、グルングルンになったりしてませんよ?」

 うむ。エミリア嬢からみても、やっぱりオードリー嬢の特徴は巻き毛なんだ。

「見た目じゃないわ」
「口調が偉そうにもなってません」

 それはどちかっていうと俺の呪いのほうです、エミリア嬢。

「あなた、わたくしのことをどんな人間だと思ってるの。見た目でも性格でもなくて、似たのは手先よ!」
「オードリーさまに、似る……。手先……。たしかにオードリーさまはすごく不器用で、刺繡は壊滅的だし、レース編みなんて最初から糸をもつれさせてしまってそもそも始められないし、ただ紐を結ぶだけでもちゃんとしたかたちにならないし、本当にどうしてってびっくりするくらい手を使うことが下手すぎますけど……」
「そ、そこまでじゃないわよ!」
「ごごごごめんなさいっ」

 オードリー嬢って、そこまで不器用なんだ。結んだ靴紐をみたときから想像はついてたけど、なかなかのものらしい。
 俺も、魔術式を開発するのは好きだけど、それを紋に描くのは得意じゃない。だから少し親近感がわいた。

「とにかく、あなたが職人として仕事ができなくなったのは、わたくしに似たからよ。謝ってすむことではないけれど……それでも本当に申し訳ないと思ってるわ」

 あらためてオードリー嬢が謝罪する。悲壮感あふれる彼女と違って、エミリア嬢はよくわからないというように首をかしげた。

「あのあの……? つまり、オードリーさまが呪われて、そのせいでわたしがオードリーさまみたいにものっすごく、もうどうしようもなく不器用になった、ってことですか?」
「……そうよ」

 「ものっすごく、もうどうしようもなく」のあたりは不本意そうだったけど、そこはぐっと呑みこんでオードリー嬢がうなずいた。

「どうして、それを話してくれなかったんです?」
「呪いは、他人に知られると一生解けなくなるからよ」
「ひいっ、じゃあ、わたしもオードリーさまも、一生呪われたまま……!」
「ずっと過去形で話してるでしょう、呪いは解けたの!」
「わあ、よかった! おめでとうございます」

 さっきからのエミリア嬢の反応は、オードリー嬢にとって予想外だったんだろう。頭が痛いというように彼女は額に手を当てた。

「だからあなたは、わたくしに怒っても、恨んでも、賠償を求めてもいいのよ」
「怒る……って、なににですか」
「わたくしのせいで、あなたは職人としての将来がだいなしになるところだったでしょう」
「でも、呪われたのは、オードリーさまのせいじゃありませんよね。なら、どうしようもなかったんじゃないですか?」

 そのとおりなんだけど、でも被害を被った本人がそう言えるのってすごいよな。エミリア嬢がオードリー嬢にたいして、恨みとかそういう感情をぜんぜん抱いてないのがわかる。

「あれ、でも、だったら、呪われたあとに、どうしてわたしに杯を作れって言ってたんですか……? 作れないの、わかってたんですよね」

 不思議がられたオードリー嬢は、体をこわばらせた。でも、ひるんだ気持ちを振り払うようにすぐに話し始めた。

「最初は、わたくしに似るといっても、多少作りにくくなるくらいで、ここまでひどいことになるとは思ってなかったのよ」

 ところが時間がたつにつれ、自分が宝飾品を作ろうとしてもできないのとおなじぐらいエミリア嬢も無理だということが判明していった。そのあとオードリー嬢は、夜も眠れないくらい悩んだらしい。

「このままではウーンデキム祭に出品できない。あなたの成人の儀に間に合わないと思ったら、どうしたらいいのかわからなくなって――」

 オードリー嬢は、「好きな対象が自分に似る」なら「好きでなくなればいい」と結論づけてしまった。そしてエミリア嬢を突き放すために冷たく接することを決心した。

「どうして、そんな決心を!?」
「あなたのほうから、わたくしを避けたり、退学を申し出てほしかったのよ」
「ですから、どうして、そんな」
「わたくしがあなたを嫌うなんて、できないでしょう! それなら、あなたがわたくしを嫌ったり、遠ざかったりするしか、ないじゃない」
「それは、その、えええ?」

 超理論に、エミリア嬢が目を白黒させる。
 オードリー嬢は、一度エミリア嬢を拒絶してしまったら、そのあとは自分がひどいことをしているとわかっていてもやめられなくなったらしい。もしここでやめたら、二度と彼女を突き放すことができなくなる。呪いのことを話して許しを乞うてしまうかもしれない。でも、話してしまったら呪いは永続化してしまう。だから、攻撃的なふるまいを続けるしかない。
 そんな悪循環に不安と寝不足が加わって、オードリー嬢からエミリア嬢への罵倒は悪化していった。
 嫌われたくて冷たくしたんだって懺悔するオードリー嬢に、俺はなるほどねと納得した。だけどルイーズ嬢は、「悪手だね」とつぶやいた。アルバートも、「下手をすると、未練と執着だけが募るな」ってうなずく。なんだこの二人は、恋愛上級者か。どうせ俺は超初心者だよ。
 オードリー嬢は、アルバートとルイーズ嬢のセリフにうなだれた。

「はい、わたくしがあさはかでした。自分から突き放したのに、この子がルイーズさまとご一緒するようになったときいたときは、どれほど後悔したことか」
「ふうん」

 ルイーズ嬢が、少し意地の悪い笑みをうかべた。椅子から腰を上げると、エミリア嬢の肩を抱いた。

「このところ、アルバートとノア君にこき使われててね。かわいい下級生がいなければ、やってられなかったよ。わたしの癒しだね、エミリアちゃんは」

 髪に鼻先をよせられたエミリア嬢は、突然の至近距離に全身を茹であがらせた。わあ、ルイーズ嬢がオードリー嬢の嫉妬をあおってる。
 案の定、オードリー嬢の目尻が吊り上がる。でも彼女はルイーズ嬢を引き離すんじゃなくて、エミリア嬢の前に進み出た。
 オードリー嬢はエミリア嬢の右手を両手でとると、真剣な顔を近づけた。
 さっきからオードリー嬢は、エミリア嬢に気持ちをわかってもらおうって躍起になってけっこう爆走してる。だから次はなにを言うんだろうって、野次馬三人の期待が高まった。

「わたくし、オードリー・ウェントワースは、エミリア・チャップマン嬢に結婚を申しこみます。どうか、わたくしと生涯をともにしてくださいませ」

 本気のオードリー嬢は、期待以上の暴走っぷりをみせてくれたのだった。
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