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伊能明日香の章
化け物と呼ばれて
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「あーーしまった! 化け物の顔を見ちゃった。ついてねぇなぁ」
「おい、化け物。なに堂々と廊下なんて歩いていやがるんだよ」
「そうそう、第一化け物が学校に来ると、空気がけがれるぜ」
伊能明日香は、黙ったまま顔を伏せて逃げ出した。 逃げ出したところで、隠れる場所もなければ逃げる場所もない。何といっても化け物と言われているのは自分の顔なのだ。どうやって逃げろと言うのだろう?
けれどもそのまま教室に入っても虐められるだけだ。明日香は、学校と社会とを隔離しているフェンスの近くに座り込んだ。学校のフェンスに沿って道路が続いている。道路だからたまには人が通る。だからここにいれば虐められることはない。
前に一度ここに潜んでいるのが見つかって、殴る蹴るの暴行を受けたことがある。それを見ていた人が警察に通報してから、明日香を憂さ晴らしに使う人たちもここまでは追ってこないのです。
キラリと足元で何かが光った。そうっと拾い上げてみればそれは鏡の欠片でした。鏡など長いこと見ていなかった明日香はすぐにそれを捨てようとしたが、誰もいないことを思い出してそうっと鏡を覗き込んでみました。
腫れぼったいまぶたが目の上に垂れて、細い目はまるで糸のようだ。げじげじ眉はいかにも気が弱そうなことを象徴するかのように、垂れ下がっている。鼻は低いうえに小鼻ばかり広がっているから、『化け物』と呼ばれない時には『豚』と言われているのです。
いかにも幸の薄そうな薄い唇は不幸を象徴するかのように垂れ下がっている。そう、明日香の顔は全体的に重力に従うように垂れてしまっているのでした。
明日香はその垂れ下がった瞼をグイっと上に引き上げてみました。そうして現れた瞳はとても澄み切っていたので、思わずきれいだなぁと思いました。そしてそう思った自分に驚いてしまったのでした。
明日香は『醜い』とか『豚』とか『化け物』などと言われ続けていたから、自分の顔の例え一部分でも綺麗だと思ったことなどなかったのです。明日香はそうっとポケットからカードを抜きだしてしばらく考え込んでいたが、決意を込めた目をすると、フェンスをよじ登って外に出て行きました。
ここだな。明日香は兄の隆一から貰っていた住所を覗き込んで確認する。カードを使えば簡単にその気後れするようなマンションに入ることができた。よほど訓練されているらしい受付の人間は明日香をじろじろと見る事さえしなかったので、少しほうと息を吐いてから目指す部屋の扉を開きました。
明日香が記憶する限り、両親は明日香の器量の悪さだけを取り上げて、嘆いたり責めたりし続けていて、その代わりに容姿端麗で成績の良い隆一を猫かわいがりしていました。
隆一はそんな両親を若者の正義感で糾弾し、明日香をかばうそぶりを見せていたのですが、化け物という見た目のせいで誰も気づいていなかったのですが、明日香は聡い子供だったのです。
学校で下手に良い成績を取って化け物のくせに生意気だと徹底的に虐められてから、明日香の成績は最底辺にありました。
だから隆一は気づきませんでした。明日香が実は隆一こそが、この苦しみをもたらしている元凶だと見抜いていていたことに。
隆一は恐ろしいほど巧に両親の心を操り、もしかして両親の愛を奪ってしまうかもしれない妹を、耐えがたい化け物だと思い込ませていったのです。
その一方で隆一はいかにも明日香をかばう振りをしていたので、明日香の方もいかにも隆一だけが味方だと思っているふりをしていたのです。
だから隆一はうっかりしてしまったのでした。3年前このマンションの予備カードを明日香に渡したままにしていたことを。
このカードで部屋に入れるというのはそういうことでした。隆一は実のところ誰にも愛情など持っていなかったからIP 企業の社長として金を稼ぐと、さっさとこのマンションに引っ越してしまったのです。
両親は今も隆一を自慢するけれど、この3年いちどだって連絡を寄越さないことには気が付かないふりをしているのでした。
3年前このマンションを手に入れた時、隆一は明日香に散々自慢した挙句にこういったのです。
「明日香を虐めるような人と暮らさなくても、いつでも僕の家においで。歓迎するからね。ほらルームカードだよ。渡しておくから、いつでも自由に部屋を使いなさい」
隆一は明日香がすっかり両親の言いなりで、自分で何かを判断することなど出来ないと思っていたから自尊心を満足させるために、いかにも優し気にそのカードを与えたのだった。
明日香はずっとチャンスをうかがっていましたが、隆一がニューヨークの富豪の娘と結婚したというニュースを見てチャンスが訪れたことを知りました。
隆一は自分が初めて買ったこのマンションを手放さないだろうし、このマンションの管理費は、電気代などの全てが含まれているのです。
この部屋で明日香が暮らしていたとしても、隆一がそれを知ることはないだろうし、万が一この部屋で隆一と遭遇する事態になったとしても、表立って隆一が明日香を非難することはない。表向きは優しい兄貴なのだから。
だから明日香はこの部屋にやってきた。なんとしても失われた自分の人生を取り戻すために。明日香は住民票をこの部屋に移すと、通信教育の学校に編入してしまいました。
全ての手続きはネットで行ったが、誰も気にする者などいなかったのです。
両親はあの優秀な隆一が明日香を教育するのはいい事だと思ったし、虐められっこの明日香は、言わば地雷でしたから転校する事を、学校はもろ手を挙げて歓迎しました。
隆一は自分にできることが明日香に出来るとは思っていなかったのだろう。
明日香としてもそれなりの財産を築いていたのです。ネット上の通貨であるピットコインではあったとしても……。
問題なのは未成年であるためにその通貨を日本で資金化できなかったことだが、隆一の名前がそれを可能にしました。明日香は潤沢な資金と仮想の保護者、隆一を手にいれると着々と自分の構想を実現し始めたのです。
まずは美容整形をしましたが、明日香は腫れぼったいまぶたと広がった小鼻を修正するにとどめました。 整形したと責められないようにあえて欠点を残したのです。
そうすることで、くりくりっとした柔らかい瞳が印象的になり、鼻が低いのが愛嬌になっりました。眉や歯を整えてカリスマ美容師にカッとして貰えば、明日香はちょっと愛くるしい高校生のひとりになってしまったのです。
明日香はたった1年で自分を改造すると、東京大学に合格しました。大学生が暮らすにふさわしい女子学生用のマンションを借り、引越しの荷物を送りつけると、隆一の部屋から明日香がいたという全ての痕跡を消し去ってしまいました。郵便物も全て転送するように手続き済みです。
こうして明日香は全てを新たにするために、封印の館を訪れたのです。
封印の館の主が明日香と棺を置いて部屋を出て行った時、明日香はひっそりと笑ってしまいました。明日香が持ってきたのは1年前、全てを取り戻すと決意した時のあの鏡の欠片だけだったのですから。
あの化け物の記憶は明日香を責めさいなむだろうと、聡い明日香には予想出来てしまっていたのです。明日香の過去を知る者の前で、いささかもひるむことがないなどど、どうして考えられるでしょうか。
だから化け物明日香の記憶は封印してしまいましょう。愛された記憶がなくても少なくとも理不尽で惨めな人生はリセットできるでしょう。明日香は希望を込めて、その欠片を棺に納めました。
「棺の蓋を閉めて鍵をかけなさい」
封印の館の主の言葉に従って明日香は棺に鍵をかけました。
かちゃん。
優し気な音が明日香の頭に響きます。
「伊能明日香さん。あなたは何の記憶を封印したのですか」
主の問いに明日香ははっきりと答えていました。
「私が、私であるべきことを証明するために封印すべき記憶です」
主は初めて明日香をまじまじと見つめたましが、ゆるやかに笑って明日香に言いました。
「伊能明日香さま。タクシーがお待ちしています。どうぞ未来へお帰りください」
明日香は後を振り返ることなく、穏やかに封印の館をあとにしたのです。
明日香の希望は行動心理学者になることで、そのために密かにアメリカのハーバード大学へ進むことを考えていました。ですからそれほどコンパなどに参加する方ではありませんが、それでも誘われれば出席しなければならない場合もあります。
気軽にそんな頼み事をされる程度には、明日香の友人関係が良好だったともいえます。今回のコンパは都内にある有名私立大との合同だということでした。
いつものように自己紹介をしていた時のことです。ひとりの男が素っ頓狂な声を挙げました。
「お前、あの化け物明日香だろう。なんで人間のふりなんかしてこんなところに潜りこんでやがるんだ」
いきなりそんな言葉を浴びせられて明日香はきょとんとしてしまいました。明日香をかばって友人が言い返してくれます。
「貴方いきなり失礼じゃないの? 女性に化け物って言うなんて男として最低よ」
その友人の言葉に激昂したのか、その男は謝るどころか一緒にいた仲間とともに、さらに明日香をあげつらいました。
「知らなかったなんて気の毒に。そいつは元々は化け物なのさ。どーせ整形でもしたんじゃねえのか。いくら整形しても美人になれる訳もないがな。なぁ豚鼻」
それに対してその男の友人たちも一緒になって囃し立てては、ゲラゲラと大笑いしています。
あまりの酷い言い方に、そのゲス振りを携帯を使って撮影している人々がいることすら気づかないほどにはしゃいでいます。
明日香は、友人たちに微笑むと、静かに口を開きました。
「私は生まれつきの眼瞼下垂症でしたから、瞼が目を覆ていました。整形というのはきっとその手術のことでしょうね。私はこのぺちゃんこの鼻も、薄い唇も気に入っているのよ。整形なんて考えたくもないわ。眼瞼下垂症の手術を整形って言うんならそう言えばいいわ」
明日香が言い返すとは思ってもいなかったらしく、男たちは静まりかえりましたがそれも一時のことでした。前にも増して聞くに堪えない罵詈雑言をわめきたてたので、とうとう店から追い出されてしまいます。
「明日香。今のはあんまりだよ。ちゃんと録画しておいたから、名誉棄損で訴えなよ」
そう言ってくれたのは法律を学ぶ学生です。
ニコニコしながら、勉強になるから申し立ては僕がするよと笑ってくれました。
しかし動画を取っていたのは、明日香の友人だけではありません。アップされた動画をもとに彼等の住所や親兄弟まで晒されるようになってしまい、彼等をこの先雇うような会社はもうないでしょう。
付き合っていた彼女にも振られ、過去の虐めの実態まで暴露されてとうとう学校も退学処分となってしまいました。なまじ名門校であったために学校の品位を汚したとされたのです。
名誉棄損の裁判については、結局明日香は提訴しませんでした。彼等に関わることすら面倒だったからです。明日香は無事にハーバード大学に進むことができましたし、思いがけなく明日香をかばった法科の男性も同時期にハーバードに進みました。
そんな彼らが結婚してニューヨークに新居を構えていたころ、明日香の兄は仕事に失敗し離婚して日本に帰国することになっていました。
陰鬱な気分を妹をなぶることで癒そうと久しぶりに実家に戻った兄は、明日香がニューヨークでも有数の弁護士事務所の弁護士と結婚し、明日香自身も行動心理学者として着々と実績を積んでいることを知らされたのでした。
「おい、化け物。なに堂々と廊下なんて歩いていやがるんだよ」
「そうそう、第一化け物が学校に来ると、空気がけがれるぜ」
伊能明日香は、黙ったまま顔を伏せて逃げ出した。 逃げ出したところで、隠れる場所もなければ逃げる場所もない。何といっても化け物と言われているのは自分の顔なのだ。どうやって逃げろと言うのだろう?
けれどもそのまま教室に入っても虐められるだけだ。明日香は、学校と社会とを隔離しているフェンスの近くに座り込んだ。学校のフェンスに沿って道路が続いている。道路だからたまには人が通る。だからここにいれば虐められることはない。
前に一度ここに潜んでいるのが見つかって、殴る蹴るの暴行を受けたことがある。それを見ていた人が警察に通報してから、明日香を憂さ晴らしに使う人たちもここまでは追ってこないのです。
キラリと足元で何かが光った。そうっと拾い上げてみればそれは鏡の欠片でした。鏡など長いこと見ていなかった明日香はすぐにそれを捨てようとしたが、誰もいないことを思い出してそうっと鏡を覗き込んでみました。
腫れぼったいまぶたが目の上に垂れて、細い目はまるで糸のようだ。げじげじ眉はいかにも気が弱そうなことを象徴するかのように、垂れ下がっている。鼻は低いうえに小鼻ばかり広がっているから、『化け物』と呼ばれない時には『豚』と言われているのです。
いかにも幸の薄そうな薄い唇は不幸を象徴するかのように垂れ下がっている。そう、明日香の顔は全体的に重力に従うように垂れてしまっているのでした。
明日香はその垂れ下がった瞼をグイっと上に引き上げてみました。そうして現れた瞳はとても澄み切っていたので、思わずきれいだなぁと思いました。そしてそう思った自分に驚いてしまったのでした。
明日香は『醜い』とか『豚』とか『化け物』などと言われ続けていたから、自分の顔の例え一部分でも綺麗だと思ったことなどなかったのです。明日香はそうっとポケットからカードを抜きだしてしばらく考え込んでいたが、決意を込めた目をすると、フェンスをよじ登って外に出て行きました。
ここだな。明日香は兄の隆一から貰っていた住所を覗き込んで確認する。カードを使えば簡単にその気後れするようなマンションに入ることができた。よほど訓練されているらしい受付の人間は明日香をじろじろと見る事さえしなかったので、少しほうと息を吐いてから目指す部屋の扉を開きました。
明日香が記憶する限り、両親は明日香の器量の悪さだけを取り上げて、嘆いたり責めたりし続けていて、その代わりに容姿端麗で成績の良い隆一を猫かわいがりしていました。
隆一はそんな両親を若者の正義感で糾弾し、明日香をかばうそぶりを見せていたのですが、化け物という見た目のせいで誰も気づいていなかったのですが、明日香は聡い子供だったのです。
学校で下手に良い成績を取って化け物のくせに生意気だと徹底的に虐められてから、明日香の成績は最底辺にありました。
だから隆一は気づきませんでした。明日香が実は隆一こそが、この苦しみをもたらしている元凶だと見抜いていていたことに。
隆一は恐ろしいほど巧に両親の心を操り、もしかして両親の愛を奪ってしまうかもしれない妹を、耐えがたい化け物だと思い込ませていったのです。
その一方で隆一はいかにも明日香をかばう振りをしていたので、明日香の方もいかにも隆一だけが味方だと思っているふりをしていたのです。
だから隆一はうっかりしてしまったのでした。3年前このマンションの予備カードを明日香に渡したままにしていたことを。
このカードで部屋に入れるというのはそういうことでした。隆一は実のところ誰にも愛情など持っていなかったからIP 企業の社長として金を稼ぐと、さっさとこのマンションに引っ越してしまったのです。
両親は今も隆一を自慢するけれど、この3年いちどだって連絡を寄越さないことには気が付かないふりをしているのでした。
3年前このマンションを手に入れた時、隆一は明日香に散々自慢した挙句にこういったのです。
「明日香を虐めるような人と暮らさなくても、いつでも僕の家においで。歓迎するからね。ほらルームカードだよ。渡しておくから、いつでも自由に部屋を使いなさい」
隆一は明日香がすっかり両親の言いなりで、自分で何かを判断することなど出来ないと思っていたから自尊心を満足させるために、いかにも優し気にそのカードを与えたのだった。
明日香はずっとチャンスをうかがっていましたが、隆一がニューヨークの富豪の娘と結婚したというニュースを見てチャンスが訪れたことを知りました。
隆一は自分が初めて買ったこのマンションを手放さないだろうし、このマンションの管理費は、電気代などの全てが含まれているのです。
この部屋で明日香が暮らしていたとしても、隆一がそれを知ることはないだろうし、万が一この部屋で隆一と遭遇する事態になったとしても、表立って隆一が明日香を非難することはない。表向きは優しい兄貴なのだから。
だから明日香はこの部屋にやってきた。なんとしても失われた自分の人生を取り戻すために。明日香は住民票をこの部屋に移すと、通信教育の学校に編入してしまいました。
全ての手続きはネットで行ったが、誰も気にする者などいなかったのです。
両親はあの優秀な隆一が明日香を教育するのはいい事だと思ったし、虐められっこの明日香は、言わば地雷でしたから転校する事を、学校はもろ手を挙げて歓迎しました。
隆一は自分にできることが明日香に出来るとは思っていなかったのだろう。
明日香としてもそれなりの財産を築いていたのです。ネット上の通貨であるピットコインではあったとしても……。
問題なのは未成年であるためにその通貨を日本で資金化できなかったことだが、隆一の名前がそれを可能にしました。明日香は潤沢な資金と仮想の保護者、隆一を手にいれると着々と自分の構想を実現し始めたのです。
まずは美容整形をしましたが、明日香は腫れぼったいまぶたと広がった小鼻を修正するにとどめました。 整形したと責められないようにあえて欠点を残したのです。
そうすることで、くりくりっとした柔らかい瞳が印象的になり、鼻が低いのが愛嬌になっりました。眉や歯を整えてカリスマ美容師にカッとして貰えば、明日香はちょっと愛くるしい高校生のひとりになってしまったのです。
明日香はたった1年で自分を改造すると、東京大学に合格しました。大学生が暮らすにふさわしい女子学生用のマンションを借り、引越しの荷物を送りつけると、隆一の部屋から明日香がいたという全ての痕跡を消し去ってしまいました。郵便物も全て転送するように手続き済みです。
こうして明日香は全てを新たにするために、封印の館を訪れたのです。
封印の館の主が明日香と棺を置いて部屋を出て行った時、明日香はひっそりと笑ってしまいました。明日香が持ってきたのは1年前、全てを取り戻すと決意した時のあの鏡の欠片だけだったのですから。
あの化け物の記憶は明日香を責めさいなむだろうと、聡い明日香には予想出来てしまっていたのです。明日香の過去を知る者の前で、いささかもひるむことがないなどど、どうして考えられるでしょうか。
だから化け物明日香の記憶は封印してしまいましょう。愛された記憶がなくても少なくとも理不尽で惨めな人生はリセットできるでしょう。明日香は希望を込めて、その欠片を棺に納めました。
「棺の蓋を閉めて鍵をかけなさい」
封印の館の主の言葉に従って明日香は棺に鍵をかけました。
かちゃん。
優し気な音が明日香の頭に響きます。
「伊能明日香さん。あなたは何の記憶を封印したのですか」
主の問いに明日香ははっきりと答えていました。
「私が、私であるべきことを証明するために封印すべき記憶です」
主は初めて明日香をまじまじと見つめたましが、ゆるやかに笑って明日香に言いました。
「伊能明日香さま。タクシーがお待ちしています。どうぞ未来へお帰りください」
明日香は後を振り返ることなく、穏やかに封印の館をあとにしたのです。
明日香の希望は行動心理学者になることで、そのために密かにアメリカのハーバード大学へ進むことを考えていました。ですからそれほどコンパなどに参加する方ではありませんが、それでも誘われれば出席しなければならない場合もあります。
気軽にそんな頼み事をされる程度には、明日香の友人関係が良好だったともいえます。今回のコンパは都内にある有名私立大との合同だということでした。
いつものように自己紹介をしていた時のことです。ひとりの男が素っ頓狂な声を挙げました。
「お前、あの化け物明日香だろう。なんで人間のふりなんかしてこんなところに潜りこんでやがるんだ」
いきなりそんな言葉を浴びせられて明日香はきょとんとしてしまいました。明日香をかばって友人が言い返してくれます。
「貴方いきなり失礼じゃないの? 女性に化け物って言うなんて男として最低よ」
その友人の言葉に激昂したのか、その男は謝るどころか一緒にいた仲間とともに、さらに明日香をあげつらいました。
「知らなかったなんて気の毒に。そいつは元々は化け物なのさ。どーせ整形でもしたんじゃねえのか。いくら整形しても美人になれる訳もないがな。なぁ豚鼻」
それに対してその男の友人たちも一緒になって囃し立てては、ゲラゲラと大笑いしています。
あまりの酷い言い方に、そのゲス振りを携帯を使って撮影している人々がいることすら気づかないほどにはしゃいでいます。
明日香は、友人たちに微笑むと、静かに口を開きました。
「私は生まれつきの眼瞼下垂症でしたから、瞼が目を覆ていました。整形というのはきっとその手術のことでしょうね。私はこのぺちゃんこの鼻も、薄い唇も気に入っているのよ。整形なんて考えたくもないわ。眼瞼下垂症の手術を整形って言うんならそう言えばいいわ」
明日香が言い返すとは思ってもいなかったらしく、男たちは静まりかえりましたがそれも一時のことでした。前にも増して聞くに堪えない罵詈雑言をわめきたてたので、とうとう店から追い出されてしまいます。
「明日香。今のはあんまりだよ。ちゃんと録画しておいたから、名誉棄損で訴えなよ」
そう言ってくれたのは法律を学ぶ学生です。
ニコニコしながら、勉強になるから申し立ては僕がするよと笑ってくれました。
しかし動画を取っていたのは、明日香の友人だけではありません。アップされた動画をもとに彼等の住所や親兄弟まで晒されるようになってしまい、彼等をこの先雇うような会社はもうないでしょう。
付き合っていた彼女にも振られ、過去の虐めの実態まで暴露されてとうとう学校も退学処分となってしまいました。なまじ名門校であったために学校の品位を汚したとされたのです。
名誉棄損の裁判については、結局明日香は提訴しませんでした。彼等に関わることすら面倒だったからです。明日香は無事にハーバード大学に進むことができましたし、思いがけなく明日香をかばった法科の男性も同時期にハーバードに進みました。
そんな彼らが結婚してニューヨークに新居を構えていたころ、明日香の兄は仕事に失敗し離婚して日本に帰国することになっていました。
陰鬱な気分を妹をなぶることで癒そうと久しぶりに実家に戻った兄は、明日香がニューヨークでも有数の弁護士事務所の弁護士と結婚し、明日香自身も行動心理学者として着々と実績を積んでいることを知らされたのでした。
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