ミサキ~四つの御魂と縁の言霊~

結葉 天樹

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第三章「孤独の幸魂」

第37話 悪意の邂逅

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 妖狐ようこと共に海斗かいとが夜の闇へと舞う。数瞬の後に、海斗かいとの体が落下を始める。

「カイくんっ!」

 だが、宙に投げ出された海斗かいとの体は次の瞬間、強い衝撃と共に柵へと引き寄せられる。

「……美波みなみ?」

 宙吊りのまま、海斗かいとは顔を上げる。その左腕を美波みなみが柵から身を乗り出して、必死につかんでいた。

「やだ、カイくんが死ぬなんて……そんなのだ!」
美波みなみ、正気に……戻ったのか?」

 落ちた妖狐ようこが消滅したのか、それとも自力で目を覚ましたのかわからない。だが、目に涙をいっぱいにためて海斗かいとの腕をもって引き上げようとしているのは、まぎれもなくいつもの美波みなみだった。

「すぐ……引き上げる…から!」
「無理するな、美波みなみ!」

 海斗かいとの左腕は先ほど妖狐ようこに付けられた傷で血に染まっていた。ただでさえ小柄な美波みなみの力で海斗かいとの体重を支えられるはずがない。このままでは二人とも落下するか、血で滑り、海斗かいとの腕を手放してしまうかだ。

「うううーっ!」
「やめろ、美波みなみ! お前まで落ちる!」
「やだ……やだやだやだやだっ!」

 奥歯を噛み締めて、美波みなみは堪える。

「私を支えてくれるんでしょ!? ずっと一緒に居てくれるんでしょ!? だったら……死なないで!」

 海斗かいとの頬に雫が落ちた。零れ落ちた美波みなみの涙が雨のように彼の顔を打つ。

「もう誰かが目の前で死んじゃうの、私嫌だよっ!」
美波みなみ……」

 力の入らない右手を必死に伸ばす。柵に手をかけるがつかめない。

「カイくん……早く」
「くそ…力が入らない」

 妖狐ようこに焼かれたダメージで右手が満足に使えない。左腕も美波みなみの手をつかみ返せるほどの握力がない。
 そして、美波みなみの握力も限界だった。次第に海斗かいとの体が下へと降りていく。

「くっそおおおーっ!」
「カイくんっ!」
『――まったく。私がいない間にどこまで無茶してるのよ』

 痛みでまともに動かせないはずの海斗かいとの右腕が動いた。左腕にも海斗かいとの意思とは関係なしに力が入る。

「この感覚――!?」

 右手が柵をしっかりと握る。体を引き寄せ、左手もかける。痛みはあるがそれをものともせず、今の海斗かいとではあり得ない身体能力を発揮して柵を乗り越えていく。

『無茶しすぎよ、海斗かいと
「ミサキか……!?」

 いつの間に憑依したのか。内側からミサキの声が聞こえて来る。
 海斗かいとの体が柵を越えた。そして倒れ込むようにして屋上に体を横たえた。

「カイくん!」

 倒れた海斗かいとの胸に美波みなみが飛び込む。激痛が走るが、美波みなみが傷ついたその胸に顔をうずめて、声を上げて泣いていたので、海斗かいとは優しくその頭を撫でてやる。

「よせよ、焦げ臭いぞ」
「……今だけは特別」
『まったく……こんなにボロボロになって。ま、美波みなみさんが無事だったことに免じて、お説教は大目に見るわ』
「はは……あれ?」

 苦笑する海斗かいとは大事なことに気が付く。ミサキは豊秋とよあきを救うと言って下の階に残っていたはずだ。ここに来ていると言うことは何らかの動きがあったということだ。

「……と言うことは」

 美波みなみの懐から強い振動が海斗かいとに伝わった。彼女がポケットに入れていたスマートフォンだ。

御琴みこちん……」

 その通知画面に出た名前を見て、美波みなみは大きく息を吸い、電話に出た。

「……もしもし」
『もしもし、美波みなみん?』
「どうしたの、なんか御琴みこちん、息が荒いけど」
『あ、うん……ごめんね。なんかあたしも体調悪くて……って、そうじゃないの。豊秋とよあきさんが――』

 美波みなみが手を固く握る。その次にくる言葉を覚悟を決めて受け止めるつもりだ。

『たった今、目を覚ましたの……もう、大丈夫だって』
「……っ!」

 震える声が言葉にならなかった。豊秋とよあきの無事を伝えるその言葉を聞き、美波みなみ御琴みことの声に声にならない嗚咽を漏らす。

「よか……無事………うん、すぐ……行く」
豊秋とよあきさんの邪気は何とか祓ったわ。もう跡形もない』
「そっか……これで終わったんだな」

 電話を終えても、まだ泣きじゃくる美波みなみを優しくなだめる。もう少し御琴みことたちの下へ行くには、落ち着くまでに時間が必要そうだった。

「よかったな、美波みなみ
「うん……よかった、ほんとに良かった」
「――冗談じゃないよ」

 ぞくり……と、海斗かいとたちの背筋に冷たい物が走った。それは邪気が立ち込め始めた時、深雪たちのミサキが生まれた瞬間に非常によく似ていた。

「こんな形で終わられちゃ、こっちが不満だよ」
「……誰だ」

 病院の屋上には様々なものが置いてある。その一つが貯水タンクだ。そのうちの一つ、海斗かいとたちに最も近い場所にある貯水タンクの上に、何者かが座って彼らを見下ろしていた。

「お初にお目にかかるね。伊薙いなぎの末裔」

 それは少年だった。見た目と声は海斗かいとらと同年代。しかし、闇の中にいるからか、その顔が判別できない。

「ここまでの戦い、見せてもらったよ。でも君、どうしてみずちを倒した時の技を使わなかったんだい?」
「……見ていたのか?」

 あの時のみずちとの戦いを彼は見ていたという。あの邪気が漂う環境の中でそんなことができるとすれば、普通の人間ではない。
 少年がニヤリと笑う。ミサキを介して見える周囲の様子も、邪気が一段と濃くなり始めているのが見える。

「武の力も中途半端だし、霊力も使いこなすどころか、全然使えていない。まるで前回とは別人だ。本当にあの伊薙武深いなぎたけみの子孫なのかい?」
伊薙いなぎ……武深たけみ?」
「おいおい、自分の先祖の名前くらい知らないのか? 君たちにとって、僕を封印して君らの家の繁栄のいしずえを築いた、偉大なるご先祖様だろ」

 伊薙いなぎ家の先祖。その名前は海斗かいともよくは知らない。だが、封印したという言葉、それにまつわる名前が一つだけ海斗かいとには思い浮かぶ。

「……ぬえ
「ぴんぽーん、正解だ! ああよかった、そこから説明しなくちゃならないなんて面倒だったからね」

 笑顔でぬえと認めた少年は拍手を海斗かいとに送る。だが、その仕草、挑発するような態度が無性にしゃくに障る。

静宮しずみや先輩も……御琴みことも……美波みなみもこんな目に遭わせたのはお前か」
「その通り」
「なんでこんなことを」
「……それ、武深たけみにも言われたな。人間はいちいち理由がなくちゃ行動を起こさないのかい?」
「ふざけるな! 俺の仲間を散々な目に遭わせて……こんなに悲しませて!」
「その眼だ……ああ、その眼だよ。まさに僕が怨み骨髄の伊薙武深いなぎたけみの眼と同じだ!」

 ぬえの中で高まる憎悪の感情に呼応するように、邪気が濃さを増していく。

「質問に答えてやるよ……お前が伊薙いなぎの一族だと分かった今、僕は四百年前の借りを返すために動こう。今代の伊薙いなぎ……お前の全てを壊してやる!」

 ぬえがポケットから何かを取り出し、貯水タンクから飛び降りる。ひと際禍々しい気配がその中に握られている。

「ミサキ!」
『わかってる!』

 ミサキの意思を受け、海斗かいとの体が動き出す。着地したぬえにつかみかかるために手を伸ばす。

「そんな体でよく動けるもんだ」

 だが、その手をぬえはあっさりと取る。海斗かいとの勢いを利用し、背後のタンクに投げ、叩きつける。

「がはっ!?」
「カイくん!」
「ボロボロになっても誰かのために戦うのが君たちの美学なのかい? まったく、人間は本当にわけがわからない」
「ま、待て……うぐっ!」
海斗かいと!?』

 それでも諦めずに立ち上がろうとした海斗かいとだが、わずかな動きに悲鳴を上げる。あまりの痛がりように、ミサキも体を動かすのを止める。
 全身のやけどに加え、左腕からは出血。本当ならば海斗かいとは治療が必要なはずの体だ。

「まあまあ、そこで見ていなよ。面白い物を見せてあげるから」

 ぬえ海斗かいとから離れ、ゆっくりと美波みなみの下へと近づいていく。

美波みなみ、逃げろ!」
「あ……こ、来ないで」

 その不気味な雰囲気に、腰を抜かした美波みなみが必死に後ずさる。ぬえはその手に握られた勾玉を美波みなみに向ける。

「その勾玉――!?」
「余計なことを思い出す必要はないよ」

 夜の闇を貫き、目もくらむような強い光が勾玉から放たれた。|鵺の周囲に漂っていた邪気が、その勾玉に集っていく。

「やめろ!」

 ぬえが冷たく笑った。その瞬間、溜め込んだ邪気が彼女の中に注がれ始める。

「予定外だけど、ここで伊薙いなぎを壊せるなら安いものだ。もう一つ使ってやるよ!」
「うあああああーっ!」
美波みなみ!」

 勾玉から放たれた邪気が美波みなみを包み込む。一度は彼女の中から解き放たれた感情が、再び闇を増して行く。

「やだ……私の中から真っ黒な何かが出て来る…怖いよ」

 体を抱き、美波みなみが体を震わせる。必死に抗うが、自分の中で溢れ出る感情を抑えきれない。

「カイくん……助けて」

 そして最後の瞬間、美波みなみ海斗かいとに助けを求める声と共に闇に呑み込まれた。

「あははははは! さあ、くなどの奴らがいない中でどこまで戦えるかな!」
美波みなみいいいーっ!」

 海斗かいとの絶叫の中、美波みなみを取り巻いていた邪気が晴れていく。そして、その中からは二人の人影が現れる。

「……さてさて、問題です」

 その冷たい四つの目が、無邪気な笑顔と共に海斗かいとを見つめる。

「本物は」
「どっちでしょう?」

 青い炎を周りに燃え盛らせ、二人の美波みなみは背中合わせにたたずんでいた。
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