39 / 66
第三章「孤独の幸魂」
第38話 彼方からの願い
しおりを挟む
先ほどと同じように、魔に魅入られた美波はもう一人の自分と共に海斗の姿を笑っていた。
「どうしたのカイくん。もうお眠なのかな?」
「そんなところで寝たら風邪ひくよー。くすくす」
「美波……」
せっかく正気を取り戻したのに。ついさっきまで、豊秋の無事を喜んでいたのに。また美波は冷たい笑顔を海斗に向けていた。
「この……」
深雪も、御琴も、美波も、ただ人並みに幸せを求めていた少女だったのに、いくら辛いことがあったとしても、それを乗り越える手段は他にもあったはずだ。
それなのに、鵺は大切なものを守るために大切なものを破壊させるという、誰も救われない、最もしてはならない手段を取らせた。
「この野郎おおおっ!!」
美波から離れ、柵にもたれて成り行きを見つめる鵺はその必死にもがく様子にほくそ笑む。悪意まみれのその嘲笑う姿は、どこまでも不快だった。
「あいつだけは……あいつだけは!」
『ダメ、これ以上動いたら体が!』
全身を貫く激痛。海斗は既に気力だけで意識を保っているようなものだった。
「構わない! 体を動かしてくれ、頼む!」
『くっ……』
悲痛な叫びにミサキが強く念じる。ボロボロの海斗の体が手を突き、ゆっくりと立ち上がり――。
『え――っ!?』
「な、なんで……」
その力が突如抜けた。ミサキがいくら念じてもその体が動く気配がない。
『そんな……力がもう残ってない』
ミサキは自分の力の出力が落ちていることに気付いた。豊秋を救うために全ての力を彼女は注いでいた。それは、邪気の浄化だけでなく、豊秋のいる処置室全体を邪気から守るためにもだ。
そして、それから休む間もなく海斗の下へ飛び、体を操っている。彼女自身も限界だったのだ。
「んー……さっきから誰と話してるのかな、カイくん?」
「あー、もう痛みで幻覚見てるのかも」
そうとはわからない美波たちは首をかしげる。そして、思っていた抵抗がないことを悟ると顔を見合わせ、笑った。
「じゃ、もう楽にしてあげようか」
「そうだね」
二人の美波が左右対称の動きで舞うようにして、蒼い炎を操る。倒れ伏す海斗に手をかざし、焼き尽くす対象を指し示す。
「バイバイ」
「カイくん」
――カイくん……助けて。
闇の中に消える直前、美波が残した言葉。それこそが彼女の真実の思い。ならばそれに応えたかった。どんなに辛い状況でも、それができるのは海斗とミサキしかいないのだから。
「うわああああああ!!」
『何か……何か手は――』
だが、互いにもう力が出ない。蒼い炎は容赦なく二人を飲み込み、海斗とミサキの視界が真っ白に塗り潰される。音もなく、炎の中で海斗は自分の体の感覚が失せていくのを感じる。
――そんな中で、二人は声を聞いた。
「守りましょう」
それは、優しい声だった。どこか懐かしさのある、慈愛に満ちた声。
「武深様との約束を今、果たす時――」
海斗のポケットに入っていた勾玉の一つが光を放つ。光が二人をのみ込み、また新たな白昼夢を見せた。
「春よ……」
夕暮れの中、かつての白昼夢で見た若武者が、巫女を抱きかかえていた。その顔は血の気が失せ、今にも命が尽きようとしていた。
「武深様……泣かないでくださいませ。妖は封じたのです、これで……よろしいのです。ですが……」
「春っ! もうよい、黙れ!」
「ですが……いずれ…鵺が……世に、解き放たれ…る時、が…来るでしょう。その時は……」
「ああ。我が子孫がそれを討とう。この地を治め、子に技を伝え、その時が来るまで封印を守ろう」
「なれば……岐は……陰にて守ると…お約束いたします。そして……いつかの、世にて…伊薙を守…り……」
「春っ!!」
春と呼ばれた巫女の両の眼が閉じられる。力を失った体を抱え、武深の叫びは逢魔が時にこだました。
「これは……」
『もしかして、四百年前の……』
「そう、かつて鵺と戦った時の、私の記憶です」
二人の後ろから声が聞こえた。振り向いたそこには、今まさに命が尽きた巫女、春が立っていた。
「死した私は、鵺を封じた洞窟の前に葬っていただきました。我が御魂でかの妖を封じるため、墓石を要石として」
「あの要石が……春さんの墓」
『じゃあ、もう一つは』
「武深様のものです。私と同じように、死した後も要石として鵺を封じるために。ですが……」
春が目を伏せる。そして、悲しそうに語る。
「遂に封印が解け、鵺は世に蘇りました。要石を破壊し、その中にあった武深様の御魂を封じた勾玉を持ち去ったのです……私の御魂は岐の守護によって守られいたので無事でしたが」
『……じゃあ、あの勾玉は』
「俺の……先祖の」
春がうなずく。共に戦い、信頼し合った者が蘇った鵺にその御魂を悪用されていることは、彼女にとっても耐えがたい苦痛だった。
「鵺は強大でした。我々の手では封じるのが精一杯だったのです。私はその中で命を落とし、もはや魂だけの存在。ですが――」
春の体が青白い光に包まれていく。それはミサキが、海斗の体を通して放った霊力のように。
「今わの際に武深様と交わした約束を果たさぬ限り、私は天に昇るわけには参りません」
「これ――!?」
三つ目の勾玉の色が赤く変わっていく。一週間前、芦原大橋の下で窮地に陥った時に起きた現象と全く同じだった。
「私は、天原神社で貴方たちと出会ってから、陰ながら力を貸してきました。妖を倒すための力を手にするために、祓う力を手にするために」
『それじゃ……蛟と戦った時の力も』
「春さんが、俺たちに力を」
「さあ願いなさい。私が遺した四つの御魂。約定に従い、その力を貴方のために――」
「願いを……」
『……海斗』
「それじゃ、一つだけお願いするよ」
海斗が赤い勾玉を握りしめる。そして迷いなく、その願いを告げる。
「体を、治して欲しい。傷つくよりも前の、元々の体に」
「……それで、いいのですか? 蛟の時とは違い、今は私の存在を貴方は感じ取っている。ならばもっと強大な力を求めても……私がかつて操った力の継承もできるのですよ?」
「そんなのいらないよ……確かにみんなを守りたいけど」
別にヒーローになりたいわけじゃない。アニメや漫画の主人公のように異能の力を操る存在になりたいわけじゃない。海斗が求めるのは一つ。
ただ普通に、みんなといる日常を取り戻したい。怪異のない、みんなで笑っていられた日常に。
「俺は、普通の人間のままでいい」
「……やはり武深様の子孫ですね。あくまで誇りを持って異能の力のみに頼らぬ姿勢、武士の血でしょうか」
「そんなんじゃないよ」
「え?」
春が初めて驚きを見せた。海斗は照れくさそうにその理由を教える。
「鵺をぶっ飛ばすなら自分の手でやりたいだけだよ」
『……もう、変なところでカッコつけちゃって』
「やかましい。男の意地ってだけさ」
「ふふ……でも安心しました。それでは、貴方の望むままに」
海斗の体から痛みが消えていく。左腕に負った爪痕も、体を焼かれた痕も、全てが消えていく。そして、役目を果たした勾玉は、二人の目の前で砕け散った。
「海斗、ミサキ。鵺の討伐はお二人にかかっています。叶えられる願いはあと一つ、そして――」
「大丈夫」
『わかってるわ』
四百年もの間、待ち続けた思い、それを決して無駄にはしない。かつて海斗が母親から言われたように、死者からもらったものを無駄にしないと誓う。
「そして、武深様を救ってあげてください」
海斗らを覆う光が収まっていく。そして、再び二人は炎の中へと身を投じていく。
「あははははは! 燃えちゃえ、燃えちゃえ!」
「お父さんも、御琴ちんも、全部ぜーんぶ、燃やしてやるんだ!」
「『――させない』」
人影が炎をものともせずに立ち上がる。燃え上がり、高熱の中をその人影は悠然と歩いてくる。
「絶対にそんなこと、美波にさせてたまるか」
海斗が右手で炎を振り払う。ミサキの霊力が美波の放った狐火を打ち払い、炎を真っ二つに引き裂いて姿を現した。
「嘘……」
「なんで……」
傷ついた体は癒え、火傷の跡も残っていない。この短時間でありえない治癒力に、二人の美波をはじめ、鵺ですら目を見開いた。
「……ちっ、岐の力か。こいつ、いったい!」
海斗の体から感じる清浄なる力を前に、鵺が舌打ちをして邪気の中へと溶け込んでいく。すぐにその気配は屋上から消え失せた。
「あなた……本当にカイくん?」
「ああ、俺だよ。料理好きで、ツッコミ役で……美波の味方の、伊薙海斗だ!」
漲る霊力が海斗の体から放たれる。その姿に、美波たちは思わず気圧される。
「『魔を断つ刃は我が下に』」
そして、海斗の口から言葉が歌の様に紡がれる。ミサキと共に、その祝詞を唱える。
「『導き給え、我が下に。賜し給え、我が下に』」
あの時、竹刀を失った海斗は願った。蛟をも切り裂ける武器が欲しいと。その願いに一つ目の御魂が応えた。
「『我が手に来たれ……三日月!』」
海斗の目の前に蒼白い光の柱が立ち上る。その中に手を入れ、自宅に保管していた三日月を空間を越えて引っ張り出す。黒塗りの鞘に納められた霊刀「三日月」がその姿を現した。
「それでも!」
「どっちが本物かわからないはず!」
二人の美波が炎を手に駆け出す。右と左から迫り、両側から炎を放つつもりだ。
『海斗、任せてもらっていい?』
「ああ」
海斗はミサキに体の行動権を委譲する。三日月を一度地に置き、ミサキはその手をある形にとる。
「それは――!」
美波が驚きの声を上げる。それは彼女も知っている。思い出の中に強く残っている指の形。
――両手でキツネを作って、片方を逆立ちさせて向い合せるの。
『二匹を逆立ちさせて……耳と耳をくっつける』
耳を作る両手の人差し指と小指を交差させる。そのまま手を開くと、中指と薬指が、もう片方の手の人差し指と交差する。残った親指で中指と薬指を、小指で人差し指を支えると、人差し指と中指の間に菱形の穴を作り出す。
「狐の窓……っ!」
『海斗、一緒に唱えて!』
「わかった!」
――これはね、普通じゃ見えないものを見る時に使う方法なの。
『化生の物か、魔性の物か正体を現せ!』
「化生の物か、魔性の物か正体を現せ!」
――狐に化かされた時も、これを使うと正体を見破ることができるんだって。
『化生の物か、魔性の物か正体を現せ!』
「化生の物か、魔性の物か正体を現せ!」
――だから覚えておくといいことあるかもしれないね。
「『化生の物か、魔性の物か正体を現せ!』」
指で作った窓から海斗は二人の美波を見る。片方はその姿に驚きを見せている美波。そして――狐火をまといながら、海斗目掛けて一直線に駆ける妖狐。
「――お前か」
海斗が三日月を手に取る。かつての先祖が行ったように、共に戦った春の願いをかなえるために、海斗は三日月を解き放つ。
「『我断つは、御魂を染めし禍津なり』」
あの日、ミサキは願った。力なき身では立ち向かえない蛟を打ち倒すための力を。その願いに二つ目の御魂が応えた。
「『我は妖言に惑いし縁を正す一族なり』」
狐の窓でその正体を暴いた海斗とミサキには、もうその姿は美波に見えていない。猛然とこちらに向かってくるただの狐の妖の姿。それを「霞」の構えで迎え撃つ。
「『祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え』」
三日月の刀身が青白い光を帯びる。祝詞が紡がれるごとにその光が強くなる。言葉が言霊となり悪しきものを祓う力を刀に与える。
「『岐の御名にて神逐う!』」
海斗が疾る。迎撃に飛んで来た炎をミサキが念力で散らし、その眼前に飛び込む。
「『御神威をもって禍津を断つ!』」
そして、思いを込めてその一撃を妖狐に向けて放った。
「『絶刀・神威一閃!』」
下段から跳ね上がった三日月が弧を描く。浄化の力が刀を通じて放たれ、刃となって妖狐の身を切り裂いた。
「――――ッ!」
その身を構成する邪気を祓い、その核となった勾玉を清めの刃が両断する。悲鳴を上げることすらなく、妖狐の姿は夜の闇の中へと霧散して行くのだった。
「どうしたのカイくん。もうお眠なのかな?」
「そんなところで寝たら風邪ひくよー。くすくす」
「美波……」
せっかく正気を取り戻したのに。ついさっきまで、豊秋の無事を喜んでいたのに。また美波は冷たい笑顔を海斗に向けていた。
「この……」
深雪も、御琴も、美波も、ただ人並みに幸せを求めていた少女だったのに、いくら辛いことがあったとしても、それを乗り越える手段は他にもあったはずだ。
それなのに、鵺は大切なものを守るために大切なものを破壊させるという、誰も救われない、最もしてはならない手段を取らせた。
「この野郎おおおっ!!」
美波から離れ、柵にもたれて成り行きを見つめる鵺はその必死にもがく様子にほくそ笑む。悪意まみれのその嘲笑う姿は、どこまでも不快だった。
「あいつだけは……あいつだけは!」
『ダメ、これ以上動いたら体が!』
全身を貫く激痛。海斗は既に気力だけで意識を保っているようなものだった。
「構わない! 体を動かしてくれ、頼む!」
『くっ……』
悲痛な叫びにミサキが強く念じる。ボロボロの海斗の体が手を突き、ゆっくりと立ち上がり――。
『え――っ!?』
「な、なんで……」
その力が突如抜けた。ミサキがいくら念じてもその体が動く気配がない。
『そんな……力がもう残ってない』
ミサキは自分の力の出力が落ちていることに気付いた。豊秋を救うために全ての力を彼女は注いでいた。それは、邪気の浄化だけでなく、豊秋のいる処置室全体を邪気から守るためにもだ。
そして、それから休む間もなく海斗の下へ飛び、体を操っている。彼女自身も限界だったのだ。
「んー……さっきから誰と話してるのかな、カイくん?」
「あー、もう痛みで幻覚見てるのかも」
そうとはわからない美波たちは首をかしげる。そして、思っていた抵抗がないことを悟ると顔を見合わせ、笑った。
「じゃ、もう楽にしてあげようか」
「そうだね」
二人の美波が左右対称の動きで舞うようにして、蒼い炎を操る。倒れ伏す海斗に手をかざし、焼き尽くす対象を指し示す。
「バイバイ」
「カイくん」
――カイくん……助けて。
闇の中に消える直前、美波が残した言葉。それこそが彼女の真実の思い。ならばそれに応えたかった。どんなに辛い状況でも、それができるのは海斗とミサキしかいないのだから。
「うわああああああ!!」
『何か……何か手は――』
だが、互いにもう力が出ない。蒼い炎は容赦なく二人を飲み込み、海斗とミサキの視界が真っ白に塗り潰される。音もなく、炎の中で海斗は自分の体の感覚が失せていくのを感じる。
――そんな中で、二人は声を聞いた。
「守りましょう」
それは、優しい声だった。どこか懐かしさのある、慈愛に満ちた声。
「武深様との約束を今、果たす時――」
海斗のポケットに入っていた勾玉の一つが光を放つ。光が二人をのみ込み、また新たな白昼夢を見せた。
「春よ……」
夕暮れの中、かつての白昼夢で見た若武者が、巫女を抱きかかえていた。その顔は血の気が失せ、今にも命が尽きようとしていた。
「武深様……泣かないでくださいませ。妖は封じたのです、これで……よろしいのです。ですが……」
「春っ! もうよい、黙れ!」
「ですが……いずれ…鵺が……世に、解き放たれ…る時、が…来るでしょう。その時は……」
「ああ。我が子孫がそれを討とう。この地を治め、子に技を伝え、その時が来るまで封印を守ろう」
「なれば……岐は……陰にて守ると…お約束いたします。そして……いつかの、世にて…伊薙を守…り……」
「春っ!!」
春と呼ばれた巫女の両の眼が閉じられる。力を失った体を抱え、武深の叫びは逢魔が時にこだました。
「これは……」
『もしかして、四百年前の……』
「そう、かつて鵺と戦った時の、私の記憶です」
二人の後ろから声が聞こえた。振り向いたそこには、今まさに命が尽きた巫女、春が立っていた。
「死した私は、鵺を封じた洞窟の前に葬っていただきました。我が御魂でかの妖を封じるため、墓石を要石として」
「あの要石が……春さんの墓」
『じゃあ、もう一つは』
「武深様のものです。私と同じように、死した後も要石として鵺を封じるために。ですが……」
春が目を伏せる。そして、悲しそうに語る。
「遂に封印が解け、鵺は世に蘇りました。要石を破壊し、その中にあった武深様の御魂を封じた勾玉を持ち去ったのです……私の御魂は岐の守護によって守られいたので無事でしたが」
『……じゃあ、あの勾玉は』
「俺の……先祖の」
春がうなずく。共に戦い、信頼し合った者が蘇った鵺にその御魂を悪用されていることは、彼女にとっても耐えがたい苦痛だった。
「鵺は強大でした。我々の手では封じるのが精一杯だったのです。私はその中で命を落とし、もはや魂だけの存在。ですが――」
春の体が青白い光に包まれていく。それはミサキが、海斗の体を通して放った霊力のように。
「今わの際に武深様と交わした約束を果たさぬ限り、私は天に昇るわけには参りません」
「これ――!?」
三つ目の勾玉の色が赤く変わっていく。一週間前、芦原大橋の下で窮地に陥った時に起きた現象と全く同じだった。
「私は、天原神社で貴方たちと出会ってから、陰ながら力を貸してきました。妖を倒すための力を手にするために、祓う力を手にするために」
『それじゃ……蛟と戦った時の力も』
「春さんが、俺たちに力を」
「さあ願いなさい。私が遺した四つの御魂。約定に従い、その力を貴方のために――」
「願いを……」
『……海斗』
「それじゃ、一つだけお願いするよ」
海斗が赤い勾玉を握りしめる。そして迷いなく、その願いを告げる。
「体を、治して欲しい。傷つくよりも前の、元々の体に」
「……それで、いいのですか? 蛟の時とは違い、今は私の存在を貴方は感じ取っている。ならばもっと強大な力を求めても……私がかつて操った力の継承もできるのですよ?」
「そんなのいらないよ……確かにみんなを守りたいけど」
別にヒーローになりたいわけじゃない。アニメや漫画の主人公のように異能の力を操る存在になりたいわけじゃない。海斗が求めるのは一つ。
ただ普通に、みんなといる日常を取り戻したい。怪異のない、みんなで笑っていられた日常に。
「俺は、普通の人間のままでいい」
「……やはり武深様の子孫ですね。あくまで誇りを持って異能の力のみに頼らぬ姿勢、武士の血でしょうか」
「そんなんじゃないよ」
「え?」
春が初めて驚きを見せた。海斗は照れくさそうにその理由を教える。
「鵺をぶっ飛ばすなら自分の手でやりたいだけだよ」
『……もう、変なところでカッコつけちゃって』
「やかましい。男の意地ってだけさ」
「ふふ……でも安心しました。それでは、貴方の望むままに」
海斗の体から痛みが消えていく。左腕に負った爪痕も、体を焼かれた痕も、全てが消えていく。そして、役目を果たした勾玉は、二人の目の前で砕け散った。
「海斗、ミサキ。鵺の討伐はお二人にかかっています。叶えられる願いはあと一つ、そして――」
「大丈夫」
『わかってるわ』
四百年もの間、待ち続けた思い、それを決して無駄にはしない。かつて海斗が母親から言われたように、死者からもらったものを無駄にしないと誓う。
「そして、武深様を救ってあげてください」
海斗らを覆う光が収まっていく。そして、再び二人は炎の中へと身を投じていく。
「あははははは! 燃えちゃえ、燃えちゃえ!」
「お父さんも、御琴ちんも、全部ぜーんぶ、燃やしてやるんだ!」
「『――させない』」
人影が炎をものともせずに立ち上がる。燃え上がり、高熱の中をその人影は悠然と歩いてくる。
「絶対にそんなこと、美波にさせてたまるか」
海斗が右手で炎を振り払う。ミサキの霊力が美波の放った狐火を打ち払い、炎を真っ二つに引き裂いて姿を現した。
「嘘……」
「なんで……」
傷ついた体は癒え、火傷の跡も残っていない。この短時間でありえない治癒力に、二人の美波をはじめ、鵺ですら目を見開いた。
「……ちっ、岐の力か。こいつ、いったい!」
海斗の体から感じる清浄なる力を前に、鵺が舌打ちをして邪気の中へと溶け込んでいく。すぐにその気配は屋上から消え失せた。
「あなた……本当にカイくん?」
「ああ、俺だよ。料理好きで、ツッコミ役で……美波の味方の、伊薙海斗だ!」
漲る霊力が海斗の体から放たれる。その姿に、美波たちは思わず気圧される。
「『魔を断つ刃は我が下に』」
そして、海斗の口から言葉が歌の様に紡がれる。ミサキと共に、その祝詞を唱える。
「『導き給え、我が下に。賜し給え、我が下に』」
あの時、竹刀を失った海斗は願った。蛟をも切り裂ける武器が欲しいと。その願いに一つ目の御魂が応えた。
「『我が手に来たれ……三日月!』」
海斗の目の前に蒼白い光の柱が立ち上る。その中に手を入れ、自宅に保管していた三日月を空間を越えて引っ張り出す。黒塗りの鞘に納められた霊刀「三日月」がその姿を現した。
「それでも!」
「どっちが本物かわからないはず!」
二人の美波が炎を手に駆け出す。右と左から迫り、両側から炎を放つつもりだ。
『海斗、任せてもらっていい?』
「ああ」
海斗はミサキに体の行動権を委譲する。三日月を一度地に置き、ミサキはその手をある形にとる。
「それは――!」
美波が驚きの声を上げる。それは彼女も知っている。思い出の中に強く残っている指の形。
――両手でキツネを作って、片方を逆立ちさせて向い合せるの。
『二匹を逆立ちさせて……耳と耳をくっつける』
耳を作る両手の人差し指と小指を交差させる。そのまま手を開くと、中指と薬指が、もう片方の手の人差し指と交差する。残った親指で中指と薬指を、小指で人差し指を支えると、人差し指と中指の間に菱形の穴を作り出す。
「狐の窓……っ!」
『海斗、一緒に唱えて!』
「わかった!」
――これはね、普通じゃ見えないものを見る時に使う方法なの。
『化生の物か、魔性の物か正体を現せ!』
「化生の物か、魔性の物か正体を現せ!」
――狐に化かされた時も、これを使うと正体を見破ることができるんだって。
『化生の物か、魔性の物か正体を現せ!』
「化生の物か、魔性の物か正体を現せ!」
――だから覚えておくといいことあるかもしれないね。
「『化生の物か、魔性の物か正体を現せ!』」
指で作った窓から海斗は二人の美波を見る。片方はその姿に驚きを見せている美波。そして――狐火をまといながら、海斗目掛けて一直線に駆ける妖狐。
「――お前か」
海斗が三日月を手に取る。かつての先祖が行ったように、共に戦った春の願いをかなえるために、海斗は三日月を解き放つ。
「『我断つは、御魂を染めし禍津なり』」
あの日、ミサキは願った。力なき身では立ち向かえない蛟を打ち倒すための力を。その願いに二つ目の御魂が応えた。
「『我は妖言に惑いし縁を正す一族なり』」
狐の窓でその正体を暴いた海斗とミサキには、もうその姿は美波に見えていない。猛然とこちらに向かってくるただの狐の妖の姿。それを「霞」の構えで迎え撃つ。
「『祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え』」
三日月の刀身が青白い光を帯びる。祝詞が紡がれるごとにその光が強くなる。言葉が言霊となり悪しきものを祓う力を刀に与える。
「『岐の御名にて神逐う!』」
海斗が疾る。迎撃に飛んで来た炎をミサキが念力で散らし、その眼前に飛び込む。
「『御神威をもって禍津を断つ!』」
そして、思いを込めてその一撃を妖狐に向けて放った。
「『絶刀・神威一閃!』」
下段から跳ね上がった三日月が弧を描く。浄化の力が刀を通じて放たれ、刃となって妖狐の身を切り裂いた。
「――――ッ!」
その身を構成する邪気を祓い、その核となった勾玉を清めの刃が両断する。悲鳴を上げることすらなく、妖狐の姿は夜の闇の中へと霧散して行くのだった。
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
貧乏冒険者で底辺配信者の生きる希望もないおっさんバズる~庭のFランク(実際はSSSランク)ダンジョンで活動すること15年、最強になりました~
喰寝丸太
ファンタジー
おっさんは経済的に、そして冒険者としても底辺だった。
庭にダンジョンができたが最初のザコがスライムということでFランクダンジョン認定された。
そして18年。
おっさんの実力が白日の下に。
FランクダンジョンはSSSランクだった。
最初のザコ敵はアイアンスライム。
特徴は大量の経験値を持っていて硬い、そして逃げる。
追い詰められると不壊と言われるダンジョンの壁すら溶かす酸を出す。
そんなダンジョンでの15年の月日はおっさんを最強にさせた。
世間から隠されていた最強の化け物がいま世に出る。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
異世界帰りの勇者、今度は現代世界でスキル、魔法を使って、無双するスローライフを送ります!?〜ついでに世界も救います!?〜
沢田美
ファンタジー
かつて“異世界”で魔王を討伐し、八年にわたる冒険を終えた青年・ユキヒロ。
数々の死線を乗り越え、勇者として讃えられた彼が帰ってきたのは、元の日本――高校卒業すらしていない、現実世界だった。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
【完結】小さな元大賢者の幸せ騎士団大作戦〜ひとりは寂しいからみんなで幸せ目指します〜
るあか
ファンタジー
僕はフィル・ガーネット5歳。田舎のガーネット領の領主の息子だ。
でも、ただの5歳児ではない。前世は別の世界で“大賢者”という称号を持つ大魔道士。そのまた前世は日本という島国で“独身貴族”の称号を持つ者だった。
どちらも決して不自由な生活ではなかったのだが、特に大賢者はその力が強すぎたために側に寄る者は誰もおらず、寂しく孤独死をした。
そんな僕はメイドのレベッカと近所の森を散歩中に“根無し草の鬼族のおじさん”を拾う。彼との出会いをきっかけに、ガーネット領にはなかった“騎士団”の結成を目指す事に。
家族や領民のみんなで幸せになる事を夢見て、元大賢者の5歳の僕の幸せ騎士団大作戦が幕を開ける。
【完結】うさぎ転生 〜女子高生の私、交通事故で死んだと思ったら、気づけば現代ダンジョンの最弱モンスターに!?最強目指して生き延びる〜
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
女子高生の篠崎カレンは、交通事故に遭って命を落とした……はずが、目覚めるとそこはモンスターあふれる現代ダンジョン。しかも身体はウサギになっていた!
HPはわずか5、攻撃力もゼロに等しい「最弱モンスター」扱いの白うさぎ。それでもスライムやコボルトにおびえながら、なんとか生き延びる日々。唯一の救いは、ダンジョン特有の“スキル”を磨けば強くなれるということ。
跳躍蹴りでスライムを倒し、小動物の悲鳴でコボルトを怯ませ、少しずつ経験値を積んでいくうちに、カレンは手応えを感じ始める。
「このままじゃ終わらない。私、もっと強くなっていつか……」
最弱からの“首刈りウサギ”進化を目指して、ウサギの身体で奮闘するカレン。彼女はこの危険だらけのダンジョンで、生き延びるだけでなく“人間へ戻る術(すべ)”を探し当てられるのか? それとも新たなモンスターとしての道を歩むのか?最弱うさぎの成り上がりサバイバルが、いま幕を開ける!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる