EM-エクリプス・モース-

橘/たちばな

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第四章「血塗られた水の王国」

砕け散る太陽

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冥神が生み出した冥府の闇が支配せし古の時代――冥神は神に選ばれし光ある者達との戦いの末に肉体を失い、魂は深い地の底に封印された。だが、冥神は力の源の欠片となるものを地上に遺していた。それは、光ある者達が己の力の全てを封印した魂の結晶『魔魂』と同等のものであり、『冥魂めいこん』と名付けられていた。

冥魂は地上に存在する幾多の闇――人が抱える悪意とそれによって起きる愚行、世界では七つの大罪と呼ばれている罪――傲慢、暴食、嫉妬、色欲、強欲、怠惰、憤怒の思想によって生まれた様々な負の思念を喰らい続け、やがて道化師の姿を持つ冥魂の化身『冥魂身』となった。冥魂身は、主である冥神の完全なる復活を遂げようと世界の全てを渡り歩いていた。

冥魂身はケセルという破滅を表す名を名乗り、新たな冥神の肉体となる器、冥神の魂の封印を解くカギとなるもの、そして残りの力の源となる生贄の魂を素材として探し求めた。生贄の魂を持つ者は歴戦の英雄だった者、神の加護を受けし者などが当てはまる。クレマローズ王国の教会と聖風の社に存在していた白銀の鍵と、クレマローズ城の秘宝である太陽の輝石は封印を解くカギとなる素材。ガウラ王、サレスティル女王シルヴェラ、聖風の神子エウナは生贄の魂を持つ者として選ばれた素材であった。

そして今、冥魂身ケセルはアクリム王国に目を付け、新たなる素材を狙おうとしている――。


「あの時太陽の輝石を奪い、お父様やサレスティル女王、神子様を浚ったのはその為だったの……!」
目の前にいる道化師――ケセルの正体と目的を全て聞かされたレウィシアは戦慄の余り立ち尽くしていた。
「クックックッ、計画実行の日はそう遠くない。このアクリム王国に存在する素材を含め、必要となる素材は残すところあと僅かだからな」
不敵に笑うケセルを前に、レウィシアは全身に染み渡るような凍り付く恐怖感と戦いながらも剣を構える。
「そう強がらずとも解る。オレの恐ろしさを本能で感じ取っていると。本能は決して嘘は付けぬのだからな」
唇を上向きに歪め、歯を見せながら含み笑いをするケセル。
「……黙れ! お前が何者であろうと、負けるわけにはいかない!」
斬りかかろうとするレウィシアだが、ケセルは一瞬で背後に回り込む。
「なっ……!」
背後にいるケセルの姿を見て愕然とするレウィシア。
「クックックッ……ところでレウィシアよ。セラクと戦っている聖風の神子の様子が気にならないか?」
「え?」
「見せてやろう。奴らがどうなっているかをな」
ケセルが手を広げると、魔力による空間の立体映像が映し出される。それは、ラファウスとセラクが魔法による激しい戦いを繰り広げている場面であった。
「ラファウス!」
「クハハハ……奴を助けたければまずはこいつらを倒してみる事だ」
立体映像が消えると、レウィシアの周囲に多くの魔物が姿を現す。数は十数体程だった。
「奴らはオレの魔力によって造り出された闇の魔物。念の為に言っておくが、お前がどう足掻こうとオレが許可せぬ限りこの世界からは絶対に逃げる事は出来ん。つまりこの世界から出たければ戦うか死ぬかの二択でしかないという事だ。さあ、思う存分戦うがいい。クックックッ……」
ケセルの姿が消えると、魔物達は一斉にレウィシアに襲い掛かる。
「くっ……!」
止まらない恐怖感と心のざわめきを振り払うかのように、レウィシアは剣を手に襲い来る魔物に挑んだ。


一方ラファウスとセラクは、魔法と魔法による激しい激突を繰り返していた。
「エアブラスター!」
衝撃波を伴うラファウスの真空の刃に対し、セラクは闇の炎による竜巻で反撃する。炎の竜巻は真空の刃を消し去り、勢いよくラファウスに向かって行く。
「ガストトルネード!」
間髪でラファウスが魔力を蓄積させた巨大な竜巻を巻き起こすと、炎の竜巻は吹き飛んだ。熱風が巻き起こる中、顔が汗に塗れ、血を流しているラファウスが荒い息を吐きながらも身構える。
「いい加減目障りだ」
両手に魔力を集中させたセラクが突撃する。鋭い手刀と蹴りによる攻撃を身軽な動きで回避していくラファウスだが、激しい戦いによる疲労で不意にバランスを崩し、その隙を見つけたセラクが回し蹴りを繰り出す。攻撃を食らったラファウスは大きく吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられてしまう。
「がはっ! うっ……」
吐血して前のめりに倒れるラファウス。セラクは倒れたラファウスに向けて闇の光球を放つ。
「やめろ!」
危険を顧みずテティノが立ちはだかる。光球の直撃を受けたテティノは爆発と共に倒されてしまう。
「テティノ! 何という事を……」
倒されたテティノの姿を目の当たりにしたラファウスは立ち上がり、口から流れる血を手で拭うと魔力を高め始める。魔法による激しいぶつかり合いとセラクの様々な攻撃によって身体はボロボロになっていたが、闘志はまだ失われていない様子だった。
「クッ、このままでは……!」
満身創痍となったテティノが歯を食いしばって立ち上がろうとする。
「立ち上がらないで下さい、テティノ。これは私の戦いです」
「馬鹿を言うな! 君だってボロボロだろ! 大体、何故君のような子供が……」
「大人しくなさい! これでも二十年は生きています」
「何だと……?」
一瞬驚くテティノだが、ラファウスは魔魂の力による魔力を全開にさせる。ラファウスの身を纏う風のオーラは激しい風を巻き起こす。
「……何処までも忌々しい。そろそろ消し去ってくれる」
セラクは激しく燃え盛る闇の炎を放つ。
「はああああっ!」
風のオーラを纏ったラファウスは果敢にも闇の炎に突っ込んでいく。両手は真空の渦で覆われ、闇の炎に焼かれながらもセラクの懐目掛けて飛び掛かる。
「やああっ!」
真空の渦に覆われた両手から風圧による衝撃波を放つラファウス。意表を突いたその攻撃にセラクは避ける間もなく直撃を受けて大きく撥ね飛ばされ、地を引き摺っていく。
「ぐっ……おのれえっ!」
ラファウスの反撃に怒りを燃やすセラクが闇の光球を次々と放っていく。怒涛の連続攻撃は甚振るかの如くラファウスに襲い掛かる。
「……ハァッ……は、ぁっ……」
闇の光球による連続攻撃で大きなダメージを受けたラファウスは、よろめきながらも身体を起こす。
「ああぁっ!」
セラクの指から放たれた紫色の光線がラファウスの右足を貫く。片足を負傷したラファウスは前のめりに倒れてしまう。
「く、くそ……僕だって……僕だってまだ……!」
現状を見ていたテティノは残る力を振り絞って立ち上がり、魔力を高め始めた。
「貴様、まだそんな力が残っていたのか」
セラクが目を赤く光らせながらもゆっくりと歩み寄る。ラファウスは傷の痛みを堪えながらも立ち上がろうとするが、負傷した右足はまともに動かす事も出来ない状態だった。
「ラファウスと言ったな。君が何を言おうと、もうこれ以上大人しくするつもりはないよ」
「テティノ……何を言ってるのですか」
「港町だけじゃなく、君のような余所者すらも救えないで無様にやられるなんて耐え難い事だ。僕だって薄情な人間じゃないからな。片手は動かせなくても、足は動かせるんだ」
「だ、だからといってそんな……うくっ!」
身体を起こそうとするラファウスだが、貫かれた右足からの激痛は全身に響き渡る程だった。
「無茶をしちゃいけないのはお互い様だ。でも、今は無茶してまでやらないといけない。片手だけでも……やれる事はある!」
出血が止まらない左肩からの激痛に耐えながらも、テティノは右手で槍を握っては魔力を集中させる。
「そろそろ終わりにしてやる」
セラクが両手を掲げ、頭上に闇の光球を作り出す。大きくなっていく光球は闇のオーラに覆われ、光球が完成した瞬間、テティノに向けて投げつけた。
「タイダルウェイブ!」
残る全魔力を振り絞って発動したテティノの魔法で生み出された海水の津波。渾身の力が込められた魔力の津波は荒れ狂う巨大なものとなり、襲い来る光球を消し去ると同時にセラクを飲み込んでいく。
「うおおおおおおお!」
更にテティノは勢いよく槍をセラクに向けて投げつける。飛んで行く槍は徐々に加速していき、まるで波に乗るかのような勢いを見せる。
「ぐおああああ!」
叫んだのはセラクであった。津波に飲み込まれている中、テティノが投げつけた槍がセラクの右胸に突き刺さっていたのだ。全ての力を使い果たしたテティノは足をふら付かせながら倒れてしまう。その傍らには、風のオーラを纏ったラファウスが立っていた。
「無茶をしてまでやらないといけない……ですか。確かにそれはお互い様ですね。私の制止を聞かず、片手だけでここまでの力を見せるあなたの心意気は評価に値しますよ。テティノ」
右足からの激しい出血で一瞬目が霞むラファウスだが、セラクの姿を一生懸命確認しながらも両手に魔魂による全魔力を集中させる。
「おのれええっ!」
セラクが次々と光線を放つが、ラファウスの姿は風のように消え、飛んで来る光線を全て回避する。光線が崩壊した建物に命中した瞬間、一筋の風と共に再びラファウスの姿が現れる。それはラファウスの中に宿る風の魔魂の力が自身の強い意思と闘志の共鳴によって発動した風の魔魂特有の能力によるものだった。
「バ、バカな……! 貴様……」
予想外の対抗にセラクは驚きを隠せなかった。全魔力を集中させているラファウスの両手が激しい風の渦に覆われ始める。
「片手だけでもここまでの力が出せるなら、私には両手がある。我が魔力の全てを込めた、この一撃で決める!」
全魔力を全て結集させた時、激昂したセラクが凄まじい形相で飛び掛かる。


聖風の神子の名において、今こそ我が風の力の全てを呼び覚ます時。

風の神よ……魔を絶つ大いなる螺旋の風となりて呼び起こせ――


ヴォルテクス・スパイラル!


激しい風を伴う巨大な螺旋状の衝撃波が、地面を抉りながらもセラクに襲い掛かる。闇の力を込めた両手で衝撃波を抑え込むセラクだが、勢いは止まる事なくセラクを貫いていく。
「ぐっ……ごあぁぁっ!」
衝撃波に貫かれたセラクは吐血しつつも倒れる。


……さようなら、呪われた運命に捉われし復讐のエルフよ。

私には、こうする事しか出来なかった。

私は、人の在るべき優しさを知っているから……まだ人を信じる事が出来る。その心を、失いたくない。


風神の村でラファウスの帰りを待つウィリー、ノノア兄妹を始めとした村人の姿を思い浮かべながらも、力を使い切ったラファウスは仰向けに倒れて意識を失ってしまう。勝負は相撃ちとなり、致命傷を負ったセラクはもう動く事も出来ず、風前の灯火であった。
「……やった……のか……?」
テティノは身体を起こし、よろけながらも立ち上がる。辺りを血に染めながらも倒れているセラクの姿と、意識を失ったラファウスの姿。黒煙を上げて燃え上がる炎と破壊された建物、人々の死体等とまるでこの世の地獄といった印象を受けるような惨憺なる光景の中、テティノは放心状態で立ち尽くしていた。
「……ちくしょう……何故だ……何故こんな……!」
悔しさとやるせない想いで打ち震えながら、テティノは左肩の傷口を抑えつつも倒れたラファウスの傍まで近付き、角笛を吹いてオルシャンを呼び出す。颯爽とオルシャンが現れると、テティノは激痛に耐えながらもラファウスを片手で抱え、オルシャンの背に乗り込む。ラファウスを片腕で抱いたテティノを乗せたオルシャンは飛び上がり、王都へ向かって行った。
「…………ニ…………ン…………ゲ……ン…………ほろ…………び…………よ…………」
虫の息のセラクは口惜しさの余り譫言のように人間への憎悪をひたすら呟き続けているうちに呼吸が止まり、そのまま息を引き取った。



「はあああっ!」
亜空間で魔物と戦い続けるレウィシア。だが、魔物達の攻撃には何処か勢いが感じられず、レウィシアは違和感を覚えていた。そんな状況で襲い来る魔物と応戦するものの、レウィシアは心の何処かで戸惑いを感じている故に本気を出す事が出来なかった。
(おかしい……どう見ても魔物なのに、何か違う……。でも、ここで戦わないとラファウス達が……!)
レウィシアは自分でも解らない迷いを振り切るかのように、魔物達を剣で斬りつけていく。十数体の魔物は、レウィシアの剣によって倒されていった。だが、レウィシアは止まらない心のざわつきに襲われていた。
「クックックッ……それでいい。ここで終わってはゲームがつまらんからな」
再び姿を現すケセル。
「こんな事をさせて何が狙いだというの?」
「何、少しばかりお前を試したいと思っただけだ。お前のちっぽけな良心がどれ程のものかをな」
「え……?」
ケセルの不敵な言葉に、レウィシアは思わず倒された魔物達の姿を見る。剣で斬りつけられた事によって深手を負い、虫の息となった魔物達の目は普段の魔物とは違うような印象を受ける雰囲気を放っていた。
「だがその前に、いい知らせを聞かせてやる。セラクの奴はラファウスによって倒された。これを見ろ」
ケセルが立体映像を作り出す。映し出されたのは、血の海の中で息絶えたセラクの姿だった。その姿を見たレウィシアは思わず目を背けてしまう。
「無様なものよ。人間に復讐したいが為にこのオレから闇の力を与えられたにも関わらず、聖風の神子たる虚け者にやられるとはな。まあ所詮は捨て駒が似合いの奴だったがな」
冷酷に言い放つと、立体映像は消えていった。レウィシアは冷や汗を流しつつも黙ってケセルを見据えていた。
「クックックッ……レウィシアよ。ふとお前の頭の中を覗いてみたところ、どうやら無慈悲に人の命を奪う事が出来ない程非情になり切れぬようだな。例え敵対する者であっても」
図星を突かれたレウィシアは手を震わせながらも両手で剣を握り締める。黒い影を利用してレウィシアを浚った際に気を失った時に、ケセルはレウィシアの記憶を読み取っていたのだ。
「フハハハ、戦士でありながらも情に流されるというものは何とも愚かな事だ。非情になり切れぬが故にくだらぬ情に絆されるといずれ死に繋がる。お前はその事を父親から教わった事は無いのか?」
ケセルの目が紫色に輝き始める。邪悪な力に覆われた右手を差し出すと、魔物達の姿から瘴気が発生し、徐々に変化していく。レウィシアによって倒された魔物達の姿は、血塗れの姿で倒れた人間達の姿に変わった。レウィシアが戦った十数体の魔物の正体は、ケセルの闇の力によって魔物に変えられた人間だったのだ。
「ま……魔物が人間に……まさか……そ、そんな……わ、私……」
大量に血を流しながらも苦痛に喘ぐ人間達。その中には既に絶命している者もいる。状況を理解したレウィシアは剣と盾を地に落とし、ガクリと膝を付いて頭を抱える。
「いやああぁぁぁぁぁぁあああああ!」
全身を震わせ、頭を抱えながらも悲痛な叫び声を上げるレウィシア。魔物に変えられた罪のない人間達を自らの手で深く傷付けてしまい、中には殺してしまった者もいた。例え敵対する者であっても無慈悲に人の命を奪うような事はしない、非情に徹する事が出来ない心の優しさを持つレウィシアにとっては地獄のような傷みとなる悪夢のような出来事であった。残酷な現状と、何度も感じた心の傷みと罪悪感の極みによる精神的な苦痛は頂点に達し、涙を溢れさせる。
「こいつらはオレの力によって魔物へと変化した港町の人間どもだ。オレは人間が持つ様々な罪の意識と負の感情に闇の力を加える事で悪の精神を増幅させ、魔物に変える事も出来る。つまり、こいつらも駒というわけだ」
ケセルは残酷な笑いを浮かべながらも、頭を抱えて蹲りながら涙を流しているレウィシアを見下ろす。
「クククク……哀れなものよな。非情になり切れぬ優しさという感情が己を徹底的に苦しめるとはな。そんな姿も実に愉快だ」
ケセルは倒れている人間達に向けて手を差し出すと、人間達の足元に巨大な穴が広がる。次々と穴の中に落ちていく人間達。
「人間でも魔族でもないこのオレを貴様ら人間どもの聞き慣れた言葉で表現するなら『悪魔』が相応しいだろう。尤も、主たる者は神と呼ばれているが故に悪魔どころでは済まないがね。まさかと思うが、オレのような悪魔が相手でも非情になり切れぬというわけではなかろうな?」
腕組みをして嘲笑うように言い放つと、蹲っているレウィシアの全身から炎のオーラが発生する。
「…………許さない」
炎のオーラに包まれたレウィシアが剣を拾い、ゆっくりと立ち上がる。
「……お前だけは……お前だけは絶対に許さない!」
血の涙を流し、激昂するレウィシア。その表情は深い悲しみと激しい怒りが併せ持った顔つきになっていた。
「ほほう、これは面白い。怒りを力に変えるとは、少しは楽しませてくれるのかな?」
余裕の態度を崩さないケセルに、レウィシアは怒り任せに炎に包まれた剣で斬りかかる。その気迫は怒りの余り自我を失った途轍もないものだった。
「ああああぁぁっ!」
叫びながらの一閃。炎を纏ったその一撃は空を切り、一瞬で背後に回り込むケセル。だがレウィシアは攻撃の手を止めない。
「がああっ!」
背後にいるケセルの姿を捉え、レウィシアは間髪入れずに攻撃を加える。傷を負うケセルだが、動じる事なく一瞬で空中に浮かび上がる。
「クックックッ……やるではないか。オレに手傷を負わせるとは。だが、冷静さを欠いた怒り任せの攻撃だけでこのオレを倒せると思っているのか?」
ケセルが降り立つと、レウィシアは吠えるように叫びながら突撃する。それに対抗するかのようにケセルは自身の幻を多く作り出し、繰り出されるレウィシアの攻撃は幻の姿を斬るばかりだった。
「オレはここにいるぞ。全力で斬りかかってみるか?」
振り返ると、両手が黒いオーラに覆われた本物のケセルが立っていた。
「……があああああっ!」
レウィシアは激昂と共に激しくオーラを燃やし、炎に包まれた剣をケセルに向けて大きく振り下ろすと、ケセルはニヤリと笑いながら黒いオーラに覆われた左手の拳を振り上げる。次の瞬間、音と共にレウィシアの剣が折れ、更に右手の拳はレウィシアの顔面に強烈な一撃を叩き付けた。その威力は凄まじく、何度もバウンドしながら数メートルに渡って吹っ飛ばされるレウィシア。
「……お……あぁっ……」
ケセルの拳の一撃を受けたレウィシアは自我を取り戻すと同時に、口から血を垂らしつつも顔面から響くような激しい痛みに全身を震わせる。それはかなりのダメージを物語っていた。苦悶の表情のまま蹲っているレウィシアの前にケセルがやって来ると、振り上げた拳を顎に叩き付けた。
「ごっ……!」
顎に一撃を受けて大きく吹っ飛び、倒されるレウィシア。
「あ、うっ……」
ケセルの拳二発で大きなダメージを受けたレウィシアは顎から血を滴らせ、苦しそうに息を吐きながら立ち上がろうとするものの、目の前にいるのは拳の一撃でも恐ろしい程の破壊力を持つ敵。剣は折られ、桁外れの圧倒的な力の差を目の当たりにし、対抗出来る術がない戦況で残された道は完全なる絶望だった。
「クックックッ……この程度でお手上げとは。貴様ら人間は思っていたよりも脆いな」
ケセルは落ちていたレウィシアの盾を拾い、空中に投げては勢いよく拳を叩き付ける。その一撃で、盾は粉々に砕け散ってしまった。
「さあ……このまま死ぬ事を選ぶか? それとも命乞いをするか? お前も場合によっては素材にもなる。出来れば生かしておきたいんだがね」
歯を見せた醜悪な表情で見下ろしながら笑うケセル。自身を見下ろすその姿が山のように大きく見えたレウィシアの心に真の恐怖と絶望が支配していく。怒りの感情は既に失われていた。


『勝てない』

『逃げられない』

そして

『殺される』


そんな現状を突き付けられたレウィシアは、最早戦意すらも失っていた。
「……あ……ああ……は……あっ……や……やめて……い……いやああああぁぁ!」
恐怖と絶望に打ちひしがれ、怯えるレウィシア。
「クククク……とうとう戦意を失ったか。これまた愉快なものを見せてくれる。本当に感情豊かな人間だよ、お前は。自らの手で人を傷つけ、殺してしまった罪悪感に苦しみ、怒りに身を任せてオレに手傷を負わせる程の力を発揮し、そして恐怖に怯える。色々楽しませてくれたお前に、一瞬だけオレの全力を見せてやろう」
ケセルの左手から数本の黒い鎖が放たれ、レウィシアの全身を捕える。鎖で拘束されたレウィシアは空中に持ち上げられ、右手に邪悪な力に満ちた魔力を集中させる。
「……ひ……あ……あぁっ……誰か……助けて……」
恐怖に引き攣るレウィシアの表情を堪能しながらも、魔力を集中させたケセルの右手が黒をベースとした様々な色合いに輝く闇の力に包まれる。
「かああああっ!」
雄叫びと共に放たれる闇のエネルギーの波動。凄まじい勢いで荒れ狂う波動は地を抉るかのような動きを見せながらもレウィシアに襲い掛かる。
「……ん、ぐッ……ごぼ……っ」
波動が炸裂すると、レウィシアの口から血反吐が吐き出され、身に付けていた甲冑がバラバラに砕け散っていく。破片と共に大きく吹っ飛ばされるレウィシア。ボロボロの姿で倒れたレウィシアは更に吐血し、ピクピクと全身を痙攣させつつも意識を失った。ケセルは倒れたレウィシアの傍まで歩み寄る。
「フン……身体を貫くと思っていたが、骨が砕ける程度で済んだか。まあ良かろう。例え一命を取り留めたとしても、二度と戦場には立ち上がれまい。貴様に残された道は、完全なる絶望でしかないのだからな」
ケセルはレウィシアの口の周りの血を指に付着させ、ペロリと舐めてはレウィシアの足元に巨大な穴を出現させる。広がる穴の中に落ちていくレウィシア。
「クックックッ……ハーッハッハッハッハッハッ!」
ケセルは狂ったように大笑いする。その笑い声は、亜空間全体に響き渡っていた。


王都では騒然としていた。ケセルによって魔物に変えられ、亜空間でレウィシアと戦わされた十数人の人間の死体が王都内に放り出されていて大騒ぎになっているのだ。
「酷い……一体誰がこんな……」
マレンは積み重ねられた死体を見て愕然とする。王都内では兵士達による避難の指示が出ており、住民達は一斉に避難体制に入る。王都全体は只ならぬ緊迫感に包まれていた。ルーチェは死体となった人間達を弔うべく、祈りを捧げていた。
「あわわわ、な、何だかとんでもない事になってしまいましたね……わ、私、どうすればいいんでしょうかぁぁ!」
突然の事態にメイコはパニック状態になっていた。兵士達が死体を葬ろうとした瞬間、空から鳴き声が聞こえてくる。ラファウスを抱えながらオルシャンに乗ったテティノが帰還したのだ。
「お兄様!」
「これは……何事だ! 一体何が起きたんだ……!」
王都での状況を把握した瞬間、驚愕の声を上げるテティノ。
「ラファウスお姉ちゃん!」
血塗れの姿で意識を失っているラファウスの姿を確認したルーチェが駆けつける。即座に回復魔法を唱え、傷を回復させるが意識はまだ戻らない。
「なんて酷い傷……私の癒しの力があれば……」
「治療ならあの子を優先してくれ」
「でも……」
「早くしろ! あの子の方が重傷なんだ! 僕は後でもいい」
テティノの負傷を見て戸惑うマレンだが、ルーチェの回復魔法を受けているラファウスに視線を移す。
「マレン王女様、ラファウスお姉ちゃんならぼくの回復魔法があるから大丈夫だよ」
ルーチェがそう言うと、マレンは再びテティノに視線を移す。その時、テティノは不意に上空から気配を感じ、空を見上げる。空中から人が降ってくるのが見える。それは、ケセルによって倒されたズタボロの姿のレウィシアだった。
「あれは……まさか?」
テティノは即座にレウィシアが落下する場所へ向かおうとするが、負傷で身体をうまく動かす事が出来なかった。誰にも身を受け止められず、地面に落下するレウィシア。
「こ……これは一体!」
兵士達が一斉に駆け寄る。
「きゃあああ! レ、レウィシアさんが……ひ、ひええええ……!」
現場に駆け寄ったメイコは無残な状態になったレウィシアの姿を見て更にパニック状態になる。
「お、お姉ちゃん……!」
ルーチェはレウィシアの元へ駆け寄ろうとするが、ラファウスの回復はまだ終わっていない。
「レ、レウィシア様……どうしてこんな……」
マレンが悲痛な表情を浮かべる中、テティノは傷口を抑えながらもレウィシアを王宮へ運び込もうとする兵士達の元までやって来る。
「テティノ王子! その傷は……」
「僕の事は構うな! 彼女は大丈夫なのか!」
「辛うじて息はありますが、かなりの重傷で危険な状態です」
「な、何だと……」
テティノは表情を強張らせながらも、マレンの方に顔を向ける。
「マレン、どうか彼女を助けてやってくれ! 何があっても頼むぞ!」
「わかったわ! お兄様も無理しないでね」
マレンは兵士達と共にレウィシアを王宮へ運び込んでいく。
「クッ……どうしてここまで……」
無力感に打ち震え、膝を付くテティノ。突然、メイコの傍らにいたランが吠え始め、不意に邪気を感じて顔を上げる。上空に空間の裂け目が発生し、姿を現す一人の道化師――ケセルが王都に降臨する。
「だ、誰だ……?」
テティノがふら付かせながらも立ち上がり、槍を握り締める。
「うん? 貴様は……さては水の魔魂に選ばれし者か。だが、その身体では相手する価値も無い」
負傷しているテティノには目もくれず、王宮に注目するケセル。テティノはケセルの姿を見て、レウィシアのある言葉を思い出す。レウィシアが追っている謎の邪悪な道化師――今此処にいる男がその道化師本人であると確信したテティノはケセルを制しようとする。
「待て! お前は一体……はっ、さてはお前が……!」
十数人の死体と重傷を負ったレウィシアの事、そしてセラクの事を聞き出そうとした瞬間、テティノはケセルが繰り出した拳の一撃を食らい、あっけなく倒されてしまう。
「ひっ……ひゃああああ! や、やめて下さあああい!」
メイコは怯えながらもハンマーを構え、果敢にも殴り掛かる。だがケセルはハンマーを軽く受け止め、メイコの腹目掛けて蹴りを入れる。
「ごほああぁぁっ!」
その一撃にメイコは目を大きく見開かせ、血を吐きながらも勢いよく壁に叩き付けられる。その衝撃に白目を剥いて気を失い、バタリと倒れるメイコ。飼い主の危機を察したランが激しく吠えるが、ケセルの凍り付く視線によって一目散に逃げて行ってしまう。
「テティノ王子! おのれ、曲者め!」
王都を守護する兵士と槍騎兵が一斉にケセルに立ち向かうが、ケセルは左手から闇の力を発動させ、一瞬で兵を全て八つ裂きにしていく。目覚めないラファウスの傍にいるルーチェはその光景を見ているうちに身も凍る恐怖を感じ取り、怯える余りその場から動けなくなっていた。そんなルーチェの姿にケセルが視線を向ける。
「やはりあの小僧、ただの聖職者ではない何かがあるようだな。もし利用できるとしたら……まあそれは後の事だ。まずはこの国の素材を頂くとしよう」
ケセルはルーチェに興味を持ちつつも、目的の素材を求めて王宮へ向かって行った。
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