EM-エクリプス・モース-

橘/たちばな

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第五章「氷に閉ざされし試練」

闇に見えるもの

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おれは王国の騎士になる。父さんや英雄さまのような騎士になって、母さんやみんなを守るんだ。


二十数年前のブレドルド王国――英雄に憧れた一人の少年が王国の騎士を目指して戦士兵団の騎士を志願した。少年の父も王国の騎士の一人であり、少年が生まれた頃に魔物との戦いで戦死していた。少年の実力は父譲りの素質があり、それに目を付けたブレドルド王によって徹底的に鍛えられた。剣聖の王と呼ばれる王の過酷なる訓練によって、少年は騎士としての実力を身に付けていく。

オディアンよ。騎士たる者は、民を守るのが使命。お前にも守るべきものがいるのであらば、己の命に代えてでも守り抜く力を身に付けよ。そして、騎士としての誇りを忘れるな。

王から受けた言葉を胸に、オディアンと呼ばれた少年は、英雄の闘志を継ぐ者へと成長を遂げていく――。


「……夢か」
モアゲートとの戦いの後、倒れたスフレを別室で安静にさせ、神殿の客室で眠っていたオディアンは過去の夢から覚め、起き上がる。


あの頃が夢となって再び出て来るとは……。

父よ、母よ。あの世で見ているだろうか。俺は今、王国の兵団長として、英雄の闘志を継ぐ者として大いなる使命を持つ者と共に戦っている。

だが、俺にはまだ至らぬところがあった。仲間を守る為とはいえど、敵の思惑に踊らされていた自分がいた。敵の卑劣な手によるものとはいえ、俺の剣で犠牲を生んでしまったのだから。

不本意ながらも、我が手で罪無き者の犠牲が生まれるのは心苦しい。しかし、今は過ぎた事を悔やんでいる場合では無い。闇王と呼ばれる者、その背後に潜む邪悪なる敵との戦いに挑まなくてはならぬからだ。国王陛下を救う為にも。


夢によって思わず過去の出来事を振り返りつつも、オディアンは亡き両親への想いを馳せていた。生まれた頃に亡くした父、そして数年前に亡くなった母。あの世へ旅立った両親に様々な想いを抱えつつも、オディアンは部屋から出てリランがいる祭壇の間へ向かう。祭壇の間にはリランがいた。
「オディアンか」
「リラン様。あれから街の様子は?」
「ああ、皆は無事のようだ。スフレももうすぐ目を覚ますだろう」
オディアンはふとデナの事が気になり始める。
「デナの事ならそっとしておいてくれ。私が無力だったせいでイロクとベリルを助ける事も出来なかったのだからな……」
リランはイロクとベリルの犠牲に無力感を覚え、悔しさに打ち震えていた。
「あ、やっぱりここに来てたんだ?」
背後からの声の主は、スフレだった。
「スフレ! もう大丈夫なのか?」
「うん、この通り無事で全快したわよ! リラン様のおかげで命拾いしたわ」
身体が完治したスフレは杖を手に元気よく振る舞っていた。
「でも、今回は思いっきり助けられたわね。あたしが出しゃばったせいでかえって厄介な事になったから……ごめんなさい」
スフレは自分の軽率な行動を悔やみ、詫びながらも項垂れる。
「気にする事では無い。過ぎた事を悔やんでも仕方のない事だ」
オディアンが励みの声を掛ける。
「うん、そうね……。あ。そういえばあのデブ、じゃなくてデナは?」
スフレの問いにリランが一瞬言葉を詰まらせる。
「リラン様、どうかしたの?」
「……何でもない。もし何か言われる事があっても、どうか悪く思わないでやってくれ」
「え? どういう事?」
事情が理解出来ていないスフレはキョロキョロとするばかり。オディアンは軽く頭を下げ、スフレと共にその場を後にした。
「ねえ、何があったの? 気を失ってから何がどうなったのかよくわかんないんだけど、オディアンがモアゲートを倒したんでしょ?」
「うむ。だが……」
オディアンは心苦しい様子で全ての出来事を話す。気を失ったスフレを人質にされて手も足も出ずリランを抹殺するように命じられ、魔獣化の呪いを掛けられたマナドール達やスフレを守る為に渋々と言うがままになり、その際にリランを庇ったイロクがオディアンの剣によって犠牲になった事を。
「嘘でしょ……そんな事……あたしの為に……」
スフレは血を吐く思いで立ち尽くす。
「……スフレよ。お前のせいではない。今は誰かを責めている場合ではない」
「でも、あたしのせいで……」
自分が人質に取られた事で犠牲を生んだという現実を突き付けられたスフレは苦しむ思いで満たされていた。オディアンはこれ以上何も言わず、気まずい雰囲気のまま客室へ戻って行った。
「……ヴェルラウド……」
ベッドの上に佇むスフレはヴェルラウドの事を気に掛ける。
「一先ず聖都を守り切る事は出来たものの、ヴェルラウドはいつ戻るのか……」
オディアンもヴェルラウドの無事が気になる様子であった。
「ヴェルラウドは戻って来るよね? あたし、ヴェルラウドまで帰らぬ人になるなんて死んでも嫌よ!」
「スフレ、彼を信じろ。我々に出来る事は彼の無事を信じるしか他に無い」
冷静に言うオディアンを前にスフレは黙って頷く。その目にはうっすらと涙を浮かべていた。その時、ドアをノックする音が聞こえ始める。訪れたのは、デナだった。
「あなた達。気が付きましたのね」
デナの来訪にスフレが緊張した面持ちになる。
「えっと、何か用? 恨み言なら覚悟は出来てるわよ」
気まずそうな様子でスフレが言う。
「恨み言? 何を仰いますの? あなた達の様子を伺いに来ただけですわ」
「そんなわけないでしょ! 全部……全部あたしが出しゃばったせいでイロクが死んじゃったんでしょ? あたしのせいで……」
叫ぶように言うスフレの目から涙が零れ落ちる。
「まあ……何を仰いますの。別にあなたを責める気はありませんのよ。イロクを殺したのは……」
「いいから好きなだけあたしを殴って! あたしのせいで、最悪取り返しのつかない事になったかもしれないんだから……」
「よさないか、スフレ! これ以上自分を責めるのはやめろ」
オディアンが叱咤するように言うと、スフレはすすり泣きながら俯いてしまう。
「デナよ、イロクの事は本当に済まなかった。彼女を守る為とはいえ、奴に踊らされていなければ……」
「もう、あなたまで何ですの。あなた達に謝る理由が何処にありまして? 大体、イロクを殺したのはあのモアゲートとかいう腐れ外道女ですのよ。現にあなた達がいなければイロクどころか、リラン様も確実に犠牲になっていましたわ。そういう事で、あなた達には感謝していますのよ」
デナはオディアンとスフレにそっと笑顔を見せる。
「聞いたところ、あなた達は世界に脅威を与える闇と戦う人間なんですってね。どうやら私はあなた達の事を軽く見過ぎていたようですわ。どうか数々の無礼をお許し下さいまし」
深々と頭を下げるデナ。スフレはその様子を見て呆気に取られてしまう。
「それから、スフレと言いましたわね。もう泣くのはおやめなさい。あなたも立派な救世主ですわ。あなたにも、まだやるべき事があるでしょう? 今までの事はお詫び致しますわ。ゴメンなさいまし」
詫びの言葉と共に穏やかな態度でスフレに声を掛けるデナ。その声に棘は微塵も感じられない。スフレは我に返り、取り乱していた自分を恥ずかしく思いながらもそっと頷く。
「……うん。つい取り乱しちゃったけど、ありがとう。あたしの方こそごめんね。イロクやベリルの分まで頑張るから……」
スフレは涙を拭いて、笑顔で手を差し伸べる。
「あなたとの友情も……悪くありませんわね」
デナはそっとスフレの手を取る。そんな二人の姿にオディアンは安堵の表情を浮かべていた。
「ふむ、打ち解けたようで何よりだ。ところで……」
オディアンは試練に挑んでいるヴェルラウドの現状が気になっていた。
「ヴェルラウドだったかしら? 彼が無事で戻って来るか否かは神のみぞ知るといったところですわね」
デナが冷静に呟く。
「きっと帰って来るわよ。あたし、ヴェルラウドの事をずっと信じてるから。なんせ、お守りを預けたんだからね」
そう言ったのはスフレだった。
「うむ。彼は幾度の苦難を乗り越える程の精神力がある。俺と剣を交えた時も決して屈せぬ心があった。彼ならばきっと大丈夫だ」
オディアンが続けて言う。
「ずっとここにいるのも何だから、気晴らしに街の散策でもしない? 聖都を見て回りたいしさ!」
普段の明るい調子でスフレが言うと、オディアンは賛成の合図を送る。
「それならば私が案内しますわ。この聖都ルドエデンの歴史をしっかりと堪能するといいですわよ」
デナは快く二人を聖都へ案内していく。スフレはふと立ち止まり、試練に挑んでいるヴェルラウドに想いを馳せる。同時に、魔物達にブレドルド王国が襲撃された事で自責の念に駆られるヴェルラウドを叱責した時の自分の姿が思わず頭に過った。


……馬鹿よ、あんた。一人で悩んで自分を責めないでよ……あんたには、守れなかった人達の為にも果たすべき使命があるんじゃないの?


かつてヴェルラウドに向けて言った自分の言葉が、まるで自分に突き刺してくるように頭の中から聞こえて来る。


……ふふ。あんな事言っておきながら、あたしが同じようにクヨクヨしてたらカッコ付かないよね。
あたしも、もっと頑張らなきゃ。どんな運命にも負けないくらい強くなる。あんたを守れるように。

だから、無事で帰ってきて……ヴェルラウド。


想いと決意を胸に秘め、スフレは空を見上げつつも再び歩き出した。



暗闇の中――気が付くと、ヴェルラウドは全てが暗闇に支配された地に立っていた。自身がどうなったのかも解らない。俺は死んだのか? だが、意識はハッキリとしている。この暗闇の中、歩いても歩いても何も見えない。何も聞こえない。声を出しても、それに応える者は誰もいない。自分自身しか存在しない暗闇の世界であった。
「真っ白の世界から……真っ暗闇の世界だってのかよ……」
これから何をすべきなのかも解らないまま、当てもなく歩くしかない。ずっと歩いても何もない。走っても何かに辿り着く気配がない。一体ここで何をどうしろというのだ。俺は今どうなってしまった? それとも、既に死んでいるのか? 次第に襲い掛かる不安感。いくら前へ進んでも答えが見えない。一体どうしたらいい? 俺は、一体何をすればいい? その答えが見つからないまま、数分、数十分、そして一時間――ずっと歩いても、答えは全く見えない。俺はどうなってしまうんだ? 俺は本当にどうしたらいい? そんな考えに襲われていく。不安と孤独、その次に頭に浮かんできたのはどう足掻いても答えは永遠に見つからないのではないかという恐怖、そして絶望。どんなに自身に言い聞かせても、見えるものは存在しないまま。そもそも、このまま歩き続ける事が本当に正しかったのか。答えの無い無限の迷宮を彷徨っている感覚に襲われていき、やがて体力に限界が迫る。どれくらいの時間が経過したのか解らない。最早考える気も失せている。俺に与えられたのは何だ? 残されたのは何だ? 何においても答えが見つからない絶望に襲われ始めると、次第に気が遠くなっていく。俺は今何をやっているんだ? 俺は何故こんなところを彷徨っているんだ? 俺は何処へ行こうとしているんだ?


俺は……何なんだ……?


俺は……。


……。


――迷イハ、常ニイズルモノ――



疲労と共に眠気に襲われ、意識が吸い込まれるような感覚に陥った時――何かが見え始める。全てがモノクロに映る懐かしい光景。それは、母国であるクリソベイア王国だった。一人の騎士の元に美しい姫が近付いてくる。姫は、リセリアであった。そして、騎士は自分自身の姿――ヴェルラウドであった。リセリアは切なげな表情を浮かべている。
「ねえ、ヴェルラウド。私、何だか胸騒ぎがする。だから、ずっと傍にいて。あなたといると、どんな不安な事があっても安心できる気がするの」
抱きつくようにヴェルラウドに寄り掛かるリセリア。ヴェルラウドは自分に寄り掛かるリセリアの身体を抱きながらもこう誓う。
「……騎士として貴方を守る。例え何があろうとも」
だが、リセリアを抱いているヴェルラウドの表情はどこか暗い。まるで過去の映像を見ているかのような、過去の世界に来てしまったかのような過去の出来事がそのままモノクロの光景として視界に映し出されている。これは夢なのか、それとも幻なのか。その答えを知ろうとした矢先、王がやって来る。
「ヴェルラウドよ。この度は見事であった。だが、少しばかりリセリアと二人で話がしたい。リセリアよ。来てもらうぞ」
この当時は、王国に住んでいる一人の少女を助ける為に空飛ぶ魔物に戦いを挑み、その最中に赤い雷の力を呼び起こし、そしてその力で魔物を打ち倒し、自身の秘められた力に戸惑っていた時であった。次の瞬間、視界が歪み始め、全ての景色が歪んだまま声が聞こえて来る。
「……魔物と戦っていた時……赤い雷の力で打ち倒したとの事だな。その力……考えたくはないが、まさか……」
「やめて、お父様!」
「……リセリアよ。我が国の言い伝え、お前も存じてはいるな? 私だって出来れば信じたくはない。だが、この世界に災いを生む能力が……」
「違うわ! 大体そんな言い伝え、いつから存在していたの? ヴェルラウドは騎士団長ジョルディスの子なのよ! そんな人が災いを呼ぶなんて絶対にありえない!」
視界が歪んだまま聞こえて来るリセリアと王の会話。赤い雷の力――母エリーゼから受け継がれた戦女神の雷光とも呼ばれるこの力が、皮肉にも古くから王国に存在する言い伝えにある災いを呼ぶ能力と認識されている。そんな事実を聞かされた矢先、魔物の叫び声が聞こえ始める。忌まわしいあの出来事。ヴェルラウドを狙う闇王配下の魔物の襲撃であった。
「何という事だ。このままでは……。陛下。姫様を連れて早くこの場からお逃げ下さい!」
「何を言う! お前まで犠牲にするわけには……」
「ダメよ! あなたを置いて行くなんて出来るわけがない!」
王とリセリアの言葉を聞かず、魔物の群れに立ち向かっていくヴェルラウド。だが、視界に映るのは歪んだ光景であり、あらゆる物や形もまともに見る事が出来ない。ただ声だけが響き渡るように聞こえるだけであった。干渉したくても出来ず、成り行きを見守るしかない状態であった。
「やめてえええええええ!」
脳に響くように聞こえる、忘れもしないリセリアの叫び声。次の瞬間、視界が血のように真っ赤に染まっていく。過去の忌まわしい出来事が歪んだ光景で蘇り、そして繰り返される悲劇。過去の自分が叫び声を上げた瞬間、歪んだ景色がガラスのようにひび割れて砕け散り、再び暗闇となった視界に飛び込んできたものは、血に塗れたリセリアの遺体と、王の遺体であった。
「……うわああああああああああああああ! あああああああああああああぁぁぁぁああ!」
忌まわしい過去の悲劇を見せられ、暗闇の中で実像となって現れた王とリセリアの無残な姿。ヴェルラウドは血の涙を流し、発狂したかのように叫び続けた。その叫びに応えるかのように、ヴェルラウドの全身から赤い雷が迸る。
「おぁぁぁああああああああああ! あぁぁぁがああああああああああぁぁぁぁぁぁああああああああ!」
喉が潰れるような咆哮を轟かせ、剣を手にするヴェルラウド。血の涙を溢れさせるヴェルラウドは剣を掲げると、刀身が赤い雷の力に覆われ始める。それは己の意思によるものではなく、自我は既に失われており、目の前に現れた忌まわしい悪夢を消し去りたいという本能が自然に身体を動かしているのだ。
「うおおおおおおおおおおあああぁあぁぁぁぁあああああああああああああっ!」
赤い雷に包まれた剣を両手で振り下ろした瞬間、巨大な雷光が唸る。全ての魔を砕く雷と闇を浄化する光の炎の力を併せ持つ赤き戦女神の雷光は、闇と悪夢だけが存在するこの場所そのものを消し去ろうとする勢いで荒れ狂い、そして赤い光を放つ。今此処に存在するものは闇と悪夢のみ。本能は、それらを全て消し去ろうとする力を呼び起こしていた。赤い光に飲み込まれたリセリアと王の遺体は浄化するように消えていく。


あなたがジョルディスの息子なのね。

ええ。姫様をお守りする騎士として、この命に代えてでもお守り致しましょう。


騎士団長である父ジョルディスから徹底して鍛えられ、王と姫を守る騎士として任命されたあの日の出来事。リセリアと共にした数々の出来事。様々な記憶が走馬灯のように浮かび上がる。やがて全てが光に包まれ、意識が吸い込まれるような錯覚に襲われる。それはまるで死を意味するような錯覚であった。


俺はもう、過去に囚われたくない。忌まわしい過去に囚われるわけにはいかない。

今、俺には果たすべき使命がある。

本当の陛下と姫様は、俺の中に存在する。そして、父さんと母さんから受け継いだものが此処にある。

俺は……まだ死ぬわけにはいかないんだ。


俺は……俺は――。


光の中、ヴェルラウドは声を聴く。意識が遠のき、全身の感覚が感じられなくなった中、響くような重々しい声だけが聴こえていた。


――汝は、何を見つけたのか?無限なる闇の中に現れた己の忌まわしき記憶。それを打ち倒す事で、全ての答えを見出せたつもりか?

人の心には、自身が気付かぬ心も存在する。己の気付かぬ心は如何程のものか? そして、汝は何を知り、何を見つけ、行き付く答えは何か?

汝は、全てを知り、そして真実となる心を見出せるのか?

汝の行く道は、光か? 闇か?


――。


「……ん……」
目を覚ますと、そこはベッドの上。荘厳なる王宮の部屋のベッドだった。ヴェルラウドはぼんやりとした様子で光が差す窓を見る。窓から映る光景は、サレスティルの城下町であった。
「……俺は今までどうしていたんだ。頭が痛い……」
まるで記憶喪失であるかのように、いつから城のベッドで寝ていたのか、今まで何をしていたのかもハッキリと解らない状態となっていた。記憶を辿ると母国を失い、彷徨った末に流れ着いたサレスティル王国の騎士に就任し、女王とシラリネ王女を守る役割を与えられた時の出来事までは覚えている。だが、他に何かあったような気がする。ベッドで寝る前の出来事が思い出せないのだ。いくら思い出そうとしても思い出せない。しかも、それだけではない何かがあった気がする。不思議な気分が収まらず、ヴェルラウドは痛む頭を抑えながらもベッドから離れた瞬間、ドアをノックする音が聞こえて来る。現れたのはシラリネであった。
「ヴェルラウド。目が覚めた?」
シラリネが笑顔を浮かべながら近付いて来る。だが、ヴェルラウドはボーっとした様子であった。
「どうしたの? 何かあった?」
「……ああ。姫。何でもない。ちょっと、頭が痛くてな……」
「まあ。疲れじゃないかしら。あまり眠れなかったとか?」
「いや……俺にもよく解らない。寝る前に何をしていたのかも……」
自然に口から出たヴェルラウドの言葉に一瞬きょとんとするシラリネだが、くすっと笑う。
「ふふ、ヴェルラウドったら何とぼけた事言ってるの。寝る前に私に言ってたじゃない。命に代えてでもお守りするって」
「えっ……」
ヴェルラウドの頭の中にシラリネに向けて言った言葉の記憶が蘇り始める。そうだ、確かに言った。クリソベイアが滅ぼされ、目の前で陛下と姫を失ったのも己の無力さによるもので、俺がこの国の騎士として女王とシラリネを守る役割を受けた時に改めて誓ったんだ。騎士としてこの命に代えてでも絶対に死なせやしない、守ってみせると。何故その事を忘れていたのだろう。どういうわけか、俺の断片的な記憶が失われている感じだ。そして、何か途轍もない胸騒ぎがする。これから何かが起ころうとしている。そんな予感もしていた。
「ねえ、ヴェルラウド。本当に大丈夫なの?」
シラリネが心配そうに顔を覗き込む。
「……あ。いや。大丈夫だ。で、今日は何をするんだったかな?」
「え? 今日はバランガとの特訓でしょ?」
「ああ。そうだったか。支度しないと」
半ば成り行きに任せるようにヴェルラウドは身支度を始める。
「……ヴェルラウド……さっきからなんか変。どうしたというの?」
シラリネはヴェルラウドの様子を不審に思いながらも、身支度を終えて剣を手に部屋を後にするヴェルラウドを静かに見送った。ヴェルラウドの部屋の奥には、黄色に輝く宝石が埋め込まれたブローチが置かれている。それに気付いたシラリネは思わず手に取ると、不意に心の中で何かざわめくものを感じる。
「ヴェルラウド……あなたは一体……」
シラリネはブローチを元の位置に戻しては、ヴェルラウドの後を追うように部屋から出た。
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