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選択肢2
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その日の千尋は朝からウキウキしていた。
東京の時からの付き合いがある編集者が訪ねて来るのだ。
美香は、広島に出張の帰りにバスで橋を渡って来ると言う。
『時間遅くなるんですけどいいですか?』
「いいよ!気にしないで。待っているから」
翌日の朝一の飛行機に乗るため、空港がある隣町のホテルに泊まるとのことだ。
慌ただしい来訪に少し残念な気持ちになるが、夕飯は食べていけるということで、千尋は張り切っていた。
『同居している人って漁師なんですよね?美味しいお魚食べたいなぁ』
美香のかわいいおねだりに二つ返事で了承する。
そして、仕事に出る武史に美香の言葉と共にイチオシの魚を持って帰ってほしいと頼む。
「任せとけ。一番脂乗っとるもん持って帰るわ」
「ありがとね、タケちゃん」
そう言って武史を見送ると千尋は美香が来るまでに終わらせるため、仕事を始めた。
3時過ぎに家に来た美香は武史と挨拶をする。
「山崎美香です。はじめまして」
「越智武史です」
ペコリとお互いに頭を下げる。
千尋が入れてきたコーヒーを飲んで一息つくと、美香は武史に聞く。
「この辺の越智さんってご親戚なんですか?」
「いや、周りの3件とも親戚ではないな。この辺越智いう名字多いんや」
「逆に親戚じゃないっていうのに驚きます」
感心したように美香は呟く。
タクシーの運転手に住所を言ったときに周りに同じ名字が数件あるため、どの家か聞かれたことがよっぽどの衝撃だったようだ。
「越智さんって名字の人に会うのも初めてなのに、うじゃうじゃいるのか。東京では考えられない」
呆然としている美香の顔に、千尋と武史は思わず顔を見合わせて笑った。
しばらく取り留めのない話をしたあと、武史は買い物に出掛けた。
武史が家を出たのを確認したあと、美香は表情を変えて聞く。
「千尋さん、もう体大丈夫なんですか?」
「うん、お陰様で。後遺症もないし仕事も出来てるよ」
「ならよかったです」
そう言うと美香はカバンから一冊の本と企画書を取り出す。
「そろそろお仕事したいかなぁって。出版翻訳、久しぶりにしませんか?」
そう言って千尋に差し出す。
だが、千尋は二の足を踏む。
「今は、出版翻訳はいいかな。産業翻訳みたいに稼げないし、やる為にはプライベートの時間削らないといけないし。こちらに来て、人生で初めて自分の時間持てているの」
飾らない本音だった。
東京にいた頃は自分でも知らない内に無理をしていた。
祖父母にも大事にされた。それでもどこかでポッカリと空いた穴。
それを埋めるため、必死にイイコを演じていた。最初は演じていたのに、いつの間にかそれが自分の本当の姿だと勘違いする程には身についていた。
大学の奨学金もあった。独立をして不安だったこともある。自分のキャパシティ以上に仕事を引き受けていたことにすら気付いていなかった。
武史の前で思いっきり泣いたあと、憑き物が落ちたようにスッキリした。
「別に千尋がお金入れんでも生活できるけん、無茶な働き方辞めてみたらどうや?」
武史のアドバイスで、今までは家にいる間はほとんどの時間を費やしていた仕事を、時間を決めて取り組むようにした。
空いた時間で武史と一緒に観光地に出掛けたり、買い物に行ったり、時にはボーッと過ごしたりした。
そのような時間の過ごし方はしたことがなかった千尋にとっては新鮮な毎日だった。
都会と違って生活費も下がったこともあり、がむしゃらに働かなくても良かったというのもある。
自分のことを誰も知らない町で生きていくのは、傷ついていた千尋に取ってとても居心地が良かった。
「もう少し、ゆっくり過ごしたいの。ここまで自分と向き合ったことなかったから」
穏やかだが、固い決意を秘めた口調で話す千尋に美香も負けじと食い下がる。
「これを見てから決めてください。千尋さん向きの仕事です。千尋さんの今後の仕事にプラスになりますから」
美香の熱意に押され、しぶしぶながら千尋は本と企画書を受け取った。
東京の時からの付き合いがある編集者が訪ねて来るのだ。
美香は、広島に出張の帰りにバスで橋を渡って来ると言う。
『時間遅くなるんですけどいいですか?』
「いいよ!気にしないで。待っているから」
翌日の朝一の飛行機に乗るため、空港がある隣町のホテルに泊まるとのことだ。
慌ただしい来訪に少し残念な気持ちになるが、夕飯は食べていけるということで、千尋は張り切っていた。
『同居している人って漁師なんですよね?美味しいお魚食べたいなぁ』
美香のかわいいおねだりに二つ返事で了承する。
そして、仕事に出る武史に美香の言葉と共にイチオシの魚を持って帰ってほしいと頼む。
「任せとけ。一番脂乗っとるもん持って帰るわ」
「ありがとね、タケちゃん」
そう言って武史を見送ると千尋は美香が来るまでに終わらせるため、仕事を始めた。
3時過ぎに家に来た美香は武史と挨拶をする。
「山崎美香です。はじめまして」
「越智武史です」
ペコリとお互いに頭を下げる。
千尋が入れてきたコーヒーを飲んで一息つくと、美香は武史に聞く。
「この辺の越智さんってご親戚なんですか?」
「いや、周りの3件とも親戚ではないな。この辺越智いう名字多いんや」
「逆に親戚じゃないっていうのに驚きます」
感心したように美香は呟く。
タクシーの運転手に住所を言ったときに周りに同じ名字が数件あるため、どの家か聞かれたことがよっぽどの衝撃だったようだ。
「越智さんって名字の人に会うのも初めてなのに、うじゃうじゃいるのか。東京では考えられない」
呆然としている美香の顔に、千尋と武史は思わず顔を見合わせて笑った。
しばらく取り留めのない話をしたあと、武史は買い物に出掛けた。
武史が家を出たのを確認したあと、美香は表情を変えて聞く。
「千尋さん、もう体大丈夫なんですか?」
「うん、お陰様で。後遺症もないし仕事も出来てるよ」
「ならよかったです」
そう言うと美香はカバンから一冊の本と企画書を取り出す。
「そろそろお仕事したいかなぁって。出版翻訳、久しぶりにしませんか?」
そう言って千尋に差し出す。
だが、千尋は二の足を踏む。
「今は、出版翻訳はいいかな。産業翻訳みたいに稼げないし、やる為にはプライベートの時間削らないといけないし。こちらに来て、人生で初めて自分の時間持てているの」
飾らない本音だった。
東京にいた頃は自分でも知らない内に無理をしていた。
祖父母にも大事にされた。それでもどこかでポッカリと空いた穴。
それを埋めるため、必死にイイコを演じていた。最初は演じていたのに、いつの間にかそれが自分の本当の姿だと勘違いする程には身についていた。
大学の奨学金もあった。独立をして不安だったこともある。自分のキャパシティ以上に仕事を引き受けていたことにすら気付いていなかった。
武史の前で思いっきり泣いたあと、憑き物が落ちたようにスッキリした。
「別に千尋がお金入れんでも生活できるけん、無茶な働き方辞めてみたらどうや?」
武史のアドバイスで、今までは家にいる間はほとんどの時間を費やしていた仕事を、時間を決めて取り組むようにした。
空いた時間で武史と一緒に観光地に出掛けたり、買い物に行ったり、時にはボーッと過ごしたりした。
そのような時間の過ごし方はしたことがなかった千尋にとっては新鮮な毎日だった。
都会と違って生活費も下がったこともあり、がむしゃらに働かなくても良かったというのもある。
自分のことを誰も知らない町で生きていくのは、傷ついていた千尋に取ってとても居心地が良かった。
「もう少し、ゆっくり過ごしたいの。ここまで自分と向き合ったことなかったから」
穏やかだが、固い決意を秘めた口調で話す千尋に美香も負けじと食い下がる。
「これを見てから決めてください。千尋さん向きの仕事です。千尋さんの今後の仕事にプラスになりますから」
美香の熱意に押され、しぶしぶながら千尋は本と企画書を受け取った。
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